欧州2国縦断記の過去記事はこちら (口上/その1)
1999年2月、当時大学4年の私は思いつきと勢いだけでイタリア〜パリ16日間の一人旅に出立した。
生協往復8万でゲットしたJAL航空券を握り締めて夜闇につつまれたイタリア半島へ飛来。
その前にたちはだかったのは・・・
さかのぼること、フィウミチーノ空港着陸の数時間前。
眼下には黄金色の粒が銀河のように暗黒の地上に散る、フィレンツェの夜景が広がっている。
私はガイドブック個人旅行−イタリア」をめくり、きたるべきローマ滞在を安全に楽しむための最終チェックに入っていた。
フィウミチーノ空港着陸後は特急でローマ、テルミニ駅にむかい、そこからさらに地下鉄とバスを乗り継いで郊外にあるユース・ホステルへ向かう事になる。
フィレンツェやミラノもそうだが、ここらのユースはけっこう中心地からは離れた場所にあって、ローマのユースもオリンピック選手村を改装したものらしい。(ちなみに五輪ローマ大会は1960年に開催されている)
なるほど、このテルミニ駅が、私のローマ第一歩をしるす地になるわけだ・・・ってチロリと安全情報をみると
「スリ・置き引き・悪徳両替屋の巣。午後7時以降に立ち入るのは出来得る限り避けるべきである」
というようなことが、不届きにもサラリと書いてあるではないか!!
ちなみにフィウミチーノ空港着陸が午後7時、特急列車に乗車してテルミニ駅につくのは午後8時をまわったころになる予定だった。
この記述と自分の予定と重ねあわせ、すぐさま私の脳裏には、カバンを切られて中身だけ持って行かれたかと思えば返す刀でサイフを掏られ、クレカをスキミングされ、あげくはコートを剥がされ、頼る者もない異国の地で丸裸同然で放り出される自分の姿がポワポワ〜ンと浮かぶのであった。
「これは絶対死ぬ」
私は心の底から恐怖におののき、神仏キリストの加護はいうまでもなく、ヒンドゥー教のシバ神・ヴィシュヌ神からペルシャの拝火教祖ツァラトゥストラ、南米アステカの有翼蛇神ケツァルコアトル、はては北杜夫よろしく古代ペリシテ人のダゴンなどに祈りを捧げる始末。
「困った時の神頼み」が唯一の宗教的信条ともいうべき日本人の典型的醜態をさらけ出す中、私の乗る機はゆっくりとフィウミチーノ空港の滑走路に降下してゆくのだった・・・。
・・というような状態で、フィウミチーノ空港に隣接した駅から特急列車に乗車する頃にはもうローマとは全く違う町にでも逃げ出したいような気分だったのだが、ああ、何と言う悪魔の所業か、この駅から出る列車は止め得ない宿命のごとく、一直線にテルミニ駅に向うことになっているのだ。
これぞ地獄の片道切符というべきであろう。
ここに進退窮まった思いを強くして列車の傍らで身を硬くしているちょうどその時、ホームの向こうから巨大なバックパックを背負った日本人男性の2人連れがのっしのっし歩いてきた。
地獄にホトケとはまさにこのこと。
幸運にも私は彼らを道連れにし、一緒にテルミニ駅へむかう段となったのである。
中央大と武蔵大のそれぞれ大学生である彼ら二人は、もう1つ別のグループとスペインを出立し、それぞれ別行動で地中海→エーゲ海ルートと北アフリカルートをたどりトルコで再会する・・・という、いかにもバックパッカーな旅を楽しんでおり、
「やはり機内食ならKLM(オランダ航空)だ、あすこはなんといっても焼きソバが出る」
などといった旅慣れた話題で談笑している。
その傍ら、私はといえばスリ、置き引きたむろするテルミニ駅に至る道連れができたことへの安堵で頭がいっぱいでヘラヘラしていながら、ふと「この2人と別れた瞬間、オレはさらわれるやも知れぬ」という考えに胸を突かれてダウナーになったり、1人で感情を起伏させるのに忙しかった。
列車は1時間ほどでローマ市内へ。
突如として窓辺にオレンジ色にライトアップされたローマ帝国時代の遺構が出現したりして大いに私を感激させたりしつつ、列車はテルミニ駅に滑り込んでいくのだった。
異国の空気を胸に吸う余裕もなく、私たち3人はガヤガヤとうるさいテルミニ駅のホームに降り立った。
「ドロボーはあいつか?それともこいつか?」
などと、疑心暗鬼に満ちた眼で周囲を睨む私。
と、バックパッカー二人は私に向き直ってこう言った。
「じゃ、僕らこのあたりで宿探すんで、ここで」
えt?
一瞬何を言われたかよく理解できていない私を駅に残し、快活に手を振りながら夜のローマに消えていく二人。
この精神状況で置いてきぼりはあまりにもツラすぎる!と思いはしたものの、日本のYH協会から今夜の滞在を予約している以上このまま「じゃーオレもおんなじとこ泊まるー」とか言ってホイホイついていくわけにもいかず・・・いや、本当はこの時そういう行動をとっても良かったはずなのだが、その時の私にそんな機転などありはしなかったのである。
かくして取り残された私には、一人になって悩む余裕はなかった。ローマのYHには門限があり、何としてもそれまでに宿に到着せねばならぬ。しかも地上ですらものすごーく不穏な雰囲気なのに、ユースに行くにはさらにこの駅の地下にある地下鉄乗り場へ降りていかなければならなかった。
ザワザワと地下から這い登ってくる、いかにもガラの悪そうな声。
私は意を決して地獄の釜のように口を開いた地下鉄行き階段へと踏みこんだ。
そこは・・・。

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