2月 19, 2007

土曜朝の皇居~六本木

土曜は朝の皇居などを撮りにいってみようと、朝6時にチャリで家を出た。

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暁の江戸川橋

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暁光の落ちかかるお濠

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大手門あたりから見た朝の東京タワー

先週日曜の夕方にやはり同じアングルで写真を撮った。やっぱり空の色とかは夕焼けと朝焼けでは違うもんですね。
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朝の皇居あたりはこんな感じだった。
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桜田門

この後永田町から赤坂あたりを抜けて(途中のマックで朝飯を食いながら中沢新一「アースダイバー」を読了)、六本木・乃木坂あたりに来たら、ちょうど国立新美術館が開館の時間だったので、入ってみた。

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開門直前の新美術館

特別展「異邦人たちのパリ」は、いかにも総なめモノといった感じでいまいち面白みが少なかった。ブラッサイの写真みたいに入り込める作品が少なかったのもアレかもしれないが、もう少し範囲を絞ってみた方が作品同士の関係性などを楽しめると思うんだけど・・・。

でもまあ建築物はすごいですよ。あれだけ見に行ってもいい。

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新美術館に行く路地と通りをはさんで反対側には、3月にオープンが予定されている東京ミッドタウンの巨大なガラス張りのタワーが天を擦っていた。

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2月 26, 2006

「転換期の作法 ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーの現代美術」

休日に生憎の雨だったが、前から見たかった「転換期の作法」展を清澄白河の東京都現代美術館で見た。(ここはPodcastingもやってる。なぜか毎回ダウンロード時にエラーが頻発するが・・・)

期待していたよりもずっと良かった、というか素晴らしかった。
休日なのに人があまりいないという点も(館は困ると思うが)素晴らしい。

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以下、面白かった作品を。
まずイロナ・ネーメトの、座る位置により様々な女性の声を発する巨大ソファ「多機能な女性」。笑い声、あえぎ声、息遣いなど、様々な声がソファのそこここに穿たれた凹みの中から聞こえてくるしかけ。

アルトゥール・ジミェフスキがテル=アヴィヴに移住した元ポーランド人の老人たちに、彼らの記憶の中に残っているポーランドの歌を歌ってもらうビデオ「我らの歌集」。バルトークの民族音楽収集を連想するが、ポーランドという国が歴史上何度も失われた国であること(詳しくは池田理代子の傑作「天の涯まで - ポーランド秘史」を参照のこと)、そこから追われて移住していき、今はイスラエルの国民になっている人々が歌う歌であること、などを考え合わせると、そこに様々な問題性が多層的に含まれたプロジェクトであることが伺い知られ興味深い。
ポーランド人のビデオアーティスト四人組アゾロのビデオ作品「全てやられてしまった?T」「全てやられてしまった?U」は、なんだかモンティ・パイソンにでてくる庭みたいなところに設えられた小さな赤いテーブルを挟んで膝を付き合わせた四人が次にどんなアートをやるかを議論するのだが、思いつくことは、どれも誰かがやり尽くした事ばかり。

「これもやってる?」 「やってる。」 「えーと、そうだな、飛び越えるのは?橋とか」 「やってる。誰かやってる」 「やる前に売る、ってのは?で、結局なにもやらないの」 「それもやってる。おれは見たことある」

…春めいた日差しの下の赤いテーブル上に、タバコの吸い殻ばかり増えていく。

パベウ・アルトハメル「ブルドノ2000」。大きな共同住宅200世帯の窓明かりで「2000」の字を描く大イベントの記録(これは写真パネルのみ)。なんかBフレッツのCMでこういうのあったな。

これは単なる現代アート的な試みを超えて、カトリック司祭が「光」について語る説教場になったり、露店が出たりといった形の住民祭りにまで発展したそうで、「観覧」といった態度を超えて見る者とともに共同作業的に創出せられる現代美術の在り様を地で行く作品となったようだ。

「母さんと父さん」というビデオ作品はアルトハメル本人でなく、その両親の日本旅行を、行ったお父さん自身がハンディカムで撮影したもの。日本での案内役”小川ミホ”さんを「私たちの小さな川」と呼ぶ心優しいお父さん。上野公園を見て「人生に失敗した人たちがスープをもらいに並んでる」「すごいな、この公園にはかなり沢山の人が住んでるね」とか言ったり、大阪のポルノ映画館のポスターを「これはぜひ見るべきだな」と、日本人ではありえないくらいまじまじと撮影するのを見ているうちに、思わず知らぬポーランドの老人が「異国・日本」を切り取る視角に入り込んでしまう。
この視角共有の妙味はパウリーナ・フィフタ・チエルナ「マロシュと一緒に」にもある。知能障害をもつ初老の男が自ら撮影したビデオを見ることで、彼の視覚と世界観を疑似体験するわけだが、障害者テーマのドキュメンタリーがどこまでも彼らを被写体として扱わざるを得ないのに比べて、むしろ素直に見ることができ、楽しめさえする面白い作品だ。
クリシュトフ・キンテラ「もううんざり」はポテチやカールなど日本のスナック菓子が詰め込まれたバッグがモソモソ動きながらチェコ語でボヤく作品。カルビーのポテチにそこらのスーパーの値札がついてるが日本に来た時買ったのか。63円也。
ラクネル・アンタル「ユーロトロプ 理想的な鉢植え植物」は“目に見えないこと保証つき”の栽培専門地中植物。また、「デルモヘルバ 人と共生する植物」は人の皮膚に貼り付かせ、CO2を摂取させるとともに人間は酸素補給をはかるというコンセプトの人工的寄生苔。”3.5ミリ以上の厚さにはなりません”というのが売り文句。仮想のバイオテクノロジーで作られたこれら植物の見本市用販促ポスターとモックアップが作品になっている。

現代美術を見まくっている通人にはひょっとしたら目新しさのないものなのかも知れないが、私くらいのレベルの者には充分面白かった。
これから行く人は、美術館で遊ぶのが好きな人(笑)をつれて二人連れで行くことを勧めたい。

参考link:
「ポーランド現代美術における《ヨーロッパ回帰》」(?)
★究極映像研究所★: ■NMAO:国立国際美術館 『転換期の作法 - ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーの現代美術 -』

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5月 22, 2005

アナン事務総長は知っているのか?

昨日の某博覧会についてのエントリで、
一個、アップし忘れた画像がございました。
アジア地域以外で唯一入った外国館である、
「国連館」のみやげものショップにて。


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 いいのかアナン(つд`)

他に「国連ゴーフレット」等ございました。


「国連えびふりゃー」がなかったのはせめてもの救いかと。

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5月 09, 2005

表参道ブランチ会〜「ゴッホ展」

りいさんのお声がかりで表参道のカフェで行なわれた「新緑を楽しむ」ブランチ会へ。
時間があればまた→この時050403_15500001_zoomのようにキモノ出撃かと考えていたけど、気付いてみるとけっこうな時間で慌てて家を出る。
20人くらいで盛況。福岡から飛行機で駆け付けた、ぶしょうひげボーボーのしんさんとも会えたしよかったよかった。

りいさんと千葉の動物園にマレーバク(→こんなやつだ)を見に行くか!?という案もあったが、ブランチ会をはけてみると、千葉についた途端に閉園してしまいそうな時間帯だったため、断念。
そこで、竹橋の東京国立近代美術館で催されている「ゴッホ展」を見に行くことに。
大混雑っぷりがムカつくこの展覧会、やはり20分ほど待たされたが、しかし混むだけの内容はあって、かなり満足できた。

個人的に気に入っている版画に気に入りの詩文を装飾的に書き付けて弟にプレゼントするなど、幼少期のゴッホは気の効いた文科系少年だったようである。パリに出てからはゾラ、モーパッサン、ゴンクールなど多くの自然主義文学を好み、それら本の絵をいくつも書くなどしており、本好きの属性が強いことをうかがわせる。
ゴッホが印象派・浮世絵の画法を貪欲に取り入れてきたことは良く知られているが、オランダ時代からその絵を愛し続けてきた先進者ミレーが開拓した「種まく人」というモティーフを、自分なりに再構築して描いた作品なんてのがある。このゴッホ版「種まく人」、彼なりの輝きにみちた色彩や、太陽を画の中心に置いた構図などに感じられる意志の強靱さが非常に面白い。(この強靱さがのちに狂人さに転じるわけですな・・などと不謹慎な地口)
展覧会のプロモーションで多用されている「夜のカフェテラス」は、まるでお伽話絵本の挿画のような柔らかさに包まれた「夜」が実に素晴しい雰囲気を伝えているし、晩年の「サン=レミの療養院の庭」「糸杉と星の見える道」なども素晴しい。

この展覧会がいいのはゴッホだけでなく、ゴッホ美術館、クレラー=ミュラー美術館の両館に所蔵されているゴッホ周辺の画家たち(シニャック、ピサロ、ミレー、ベルナール、セザンヌなど名品が多い)の作品が展示されていること、それとゴッホという人をしのばせる、身の回り品などが展示されていることである。
色の補色同士を寄り合わせた毛糸玉が詰まった朱色の木箱が展示されているのだけど、これなどはその中から時折毛糸玉を手にとっては色の配置を考える画家の横顔を想像させるもので、非常に興味深いものだった。

休日の日中は激混みの展覧会のようだが、会期中は木・金・土・日・祝の午後8時まで開館するということで、平日の夜などは狙い目ではないかと思う。

お壕を臨める館内のレストランでディナーを食べ(ブイヤベースなどがおいしかった)、さらに常設展も夜8時の閉館ギリギリまで観て、近代美術館を堪能した午後でした。

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4月 11, 2005

ジョルジュ・ラ・トゥール展/マックス・クリンガー版画展

日曜。上野の国立西洋美術館で催されている「ジョルジュ・ラ・トゥール展」を見に行く。

ジョルジュ・ラ・トゥールの独特な明暗のくっきりした画面と雰囲気づくりの妙は、意識せず触れていた何枚かの画で味わっていたが、決定的に惚れたのは学生時代に行ったルーブル美術館での実作群。あれは本当にすばらしかった。
そんなラ・トゥールの展覧会ということで、きっと圧倒的な満足感が得られること間違いなしと思って行ったのだが、行ってみて初めて知ったがラ・トゥールの真作というのはこんにちほとんど現存しておらず、彼の作品の大半は原作からの模写作品を通して知るほかないものだったりするのだという。
そんなわけで、真作の2〜3倍くらいの量で模作や参考作が展示されているという、異例の展覧会だった。

世界中に現存しているラ・トゥールの真作の位置を示した地図が掲示されているが、かなりの数の作品がアメリカにある。そういえばかつてジェイムズ・アイヴォリーの映画「ル・ディヴォース〜パリに恋して」で、米国家族の屋根裏にあったラ・トゥールの絵の真作/贋作の判定と、それをフランスに渡すかサンフランシスコのゲッティ美術館(多分)に寄贈するかという駆け引きがサブストーリーになっていた。あれはラ・トゥール絵画のこうした面を知っている人にとっては、かなりリアルな設定だったのかもしれない。

展示作の中ではやはり「聖ヨセフの夢」「ダイヤのエースを持ついかさま師」が印象的。
展覧会だけだとちょっと物足りない感じだったので、これを機にもう少し深く知ろうと、帰宅途中で創元社のムック本を買ってみた。

実はラ・トゥール展よりも個人的には同時に常設展示室で行われていたマックス・クリンガー版画展のほうを楽しんでしまった。どこかで聞いたことのある名前と思っていたら、ウィーン分離派がベートーヴェンをテーマに行った企画展(クリムトの大作「ベートーヴェン・フリーズ」が有名)で、ベートーヴェンの銅像をシンボルとして作ったアーティストなのだった。だがクリンガーの本領は版画の世界にこそ現れているのだそうで、その奇想にあふれた怪しい作品世界はすごい魅力を持っている。「美しい悪夢」を描写する才に溢れた作家だと思った。

帰りは根津に抜け、「はん亭」という町家を改造したような串揚げ屋で「谷中しょうがの肉巻き」ほかの串揚げに舌鼓。
うまいけど量のわりに高かった感も・・。
骨董市なども催されている不忍池のほとりを桜見つつプラプラ歩き、しばしこのところの忙しさを忘れる一時なのだった。

(けっきょくその後会社行って仕事しましたが^^;)

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3月 21, 2005

ミュシャ展@都美術館

世間的三連休の中、私はまる一日休めるのは今日だけなので、たまってたタスクを一気に処理しようと街に出る。
(仕事の方のタスクを処理しろよ、ってツッコミも心の底から聞こえますが)
まずはClala-Flalaゆきひろさんのエントリを見て、こりゃ行っておかねばとかねてから思っていた「ミュシャ展」in都美術館。

アルフォンス・ミュシャ展といってただちに想像してしまうのは、まずは今となっては紋切り型の一つに堕したといえるアール・ヌーヴォー様式のポスターの大群であり、さらには絵葉書で見てもこれといった変わり映えのしない少女趣味な大衆広告が、これぞ芸術と言わぬばかりにゴマンと貼り出された展示室。そしてFFシリーズをはじめとするゲームイラスト等でミュシャ的装飾様式にふれた大衆が、ウンカのごとく押し寄せてきては広くもない展示室にギュウギュウに詰め込まれているという、ぞっとしない光景である。
 (毒舌失礼)
ということでゆきひろさんのエントリを見なかったら、完全にバカにしていて行かなかったことは疑いないのだけど、行ってみたらかなり面白かった。多謝です。
とはいうものの3時くらいに行ってみるとウンカのような大群衆はやはり存在していて、最初の展示室に入場するのさえ40分待ちというアゼンとするような状況ではあった。先にチケットを買っていなかったら速攻で踵を返していたことであろう・・。今となってはそうして先にチケット買っておいたのが幸いしたなと思ってるわけですが。これから鑑賞を考えている方は絶対に休日に行ってはいけません(といってもあと一週間で終わるのだが)。

個人的なポイントの一つはサラ・ベルナールを描いた演劇ポスターの傑作群で、とにかくその巨大さから受けるインパクトの強さと発色の良さは、こればっかりは実物に触れないと感じとれぬであろうと思わせるものがあった。ミュシャを一夜にして人気アーティストに押し上げた「ジスモンダ」のポスター、それに「ロレンザッチオ」「メディア」「椿姫」「ハムレット」等の演劇ポスターともいずれ劣らぬ大作群で、そこに現れた同時代のイコン、サラ・ベルナールの堂々たるポーズや放たれる光輝には一見の価値がある。
こうした演劇ポスターに始まり、化粧水やシャンパンのポスター、ビスケットのパッケージデザインから鉄工所のカレンダーまでなんでもこなした仕事群にはミュシャの持っていた商業デザイナーの先駆者という属性が見えるし、いっぽうそれらの同時代に描かれた、モローやルドンを思わせる宗教的テーマの挿画やパステル画には、いかにも世紀末〜20世紀初頭の芸術家らしい、神秘主義的側面が垣間見えもする(フリーメーソン協会のメダルデザインなどといった仕事まである!)。

そして何より今回の収穫と思われるのは、ミュシャにおけるチェコ国民主義的な作品の数々である。
ミュシャといえばパリの芸術家という印象があるが、彼はもともとボヘミアの貧しい村で生まれたチェコ人であり、晩年には故郷の首都プラハに帰ってスラヴ民族的主題を数多く作品にしていたのである。
これらは1900年頃の彼を覆っていたアール・ヌーヴォー的作風とは一線を画するもので、そ0の中心は「スラヴ叙事詩」と題された、汎スラヴ主義的民族史を絵画化した一大連作であったという。この展覧会ではその準備のために描かれた習作やモデルの写真しか目にすることはできないが、騎馬民族の侵入やロシアの農奴解放、フス戦争などをモティーフにした雄大な構想のもので、一度実物を目にしてみたいものである。
早大グリークラブの演奏旅行で1990年代にプラハを訪れた折に、ミュシャが手掛けた市民会館の室内装飾を目にしたことがあるのだが、今考えるとこれはそうしたミュシャの「スラブ主義時代」の開始を告げる仕事であったわけである。
どこまでもインターナショナルなアール・ヌーヴォー様式の旗手であり、同時代のチェコ人たち(スメタナやドヴォルザークなど音楽家の活躍が有名である)が取り組んでいた国民芸術の流れには無縁だとばかり思っていたミュシャだが、やはり彼もまた「わが祖国」を歌うボヘミア人の一人であったのだということが分かっただけでも、この展覧会には来る意味があった。

圧倒的な人ごみに押しながされて後半ではボロ切れの様に疲れたものの、最後にはオイルショック時のトイレットペーパー購入に挑む主婦もかくなる努力を払ったのではないかという突撃を敢行し、図録を購入してしまった。
ただ買ったものの、これだけ内容豊富な展覧会の図録にしては解説が千足伸行氏(20世紀初頭周辺の企画はこの人ばっかという印象だが)の導入的解説一本だけで、後は展示物に付された文章の転載だけというのはいかにも寂しいものがある。まあ価格も安めなので致し方ないか・・。

どうでもよいことだが、展覧会のイメージソングを付けるというセンスはあまりにも意味不明です・・・日テレあたりの仕込みなのかもしれないが、万死に値すると思う。

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2月 14, 2005

出光美術館「源氏絵 - 華やかなる王朝の世界」

今日は夕方までゆったり、活動のための下準備でもしようかと考えていたのだが、不意に東京に出てきた母の相手をすべく東京駅まで出向く。

何か見に行こうかと色々検討した結果、出光美術館で開会中の展覧会「源氏絵 - 華やかなる王朝の世界」を見に行く。
源氏絵とは、言うまでもない本邦最古の長篇物語小説といえる「源氏物語」の名シーンを屏風絵、扇絵などの形でビジュアライズした作品群を指す。
おそらく大半の男性にとって、源氏物語というのはその小説としての歴史の深さは別としてどうでもいいような物語である。だいたいが、光源氏なる金も権威もバックに持ったジゴロ野郎が可愛い女子を垣間見て(現代的表現で言えば覗き見て)はヤり放題の、結構なお話ですなあという感じ。
こんな浅薄な筋運びのものによくもまあ女子たちは惚れ込むものだと思われるのだが、やはりディティールの演出力が抜きん出ているが故にこうも愛されているのだろうな、と、ギャラリーに展示された源氏絵の数々を見ていると納得せざるを得ない。なんだ、このノゾキ野郎はという気にもなるが。

特に感心した名品は、海北友松なる絵師の仕上げになる、「扇面流貼付屏風」。これは室町時代に扇の面に描かれた源氏物語絵を収集し、桃山時代の絵師が流水を描いた屏風の上に適宜貼付けた作品。王朝の香りを携えたコラージュの美。2世紀の時を超えたコラボレーションと見ても感慨深いものがある。「RIMPA」展で感じ入った「色紙貼付桜山吹図屏風」の、別世界に通じる窓を随所に配した感動的な構想の根源が、こういった時を超えたコラボレーションの中に見えてくるではないか。
また俵屋宗達の筆になる「源氏物語図屏風残闕 - 桐壺」も面白い。この画の中に出現する宮の床装ときたら、青と白の市松紋様になっており、さながらペルシアあたりの宮殿のようなのである。宗達をはじめとする琳派の斬新きわまりないデザイン感覚が発揮された物語絵といえるだろう。
さらに狩野探幽の筆になる「源氏物語 賢木・澪標図屏風」なども、圧倒的に洗練された画面構成が素晴しい。「賢木」とは、さんざっぱら色狂いをし遂げた光源氏が、かつての恋人である六条御息所の住まいを訪れて「わたくしの思いはこの木のごとく変わっておりません」などという意をこめて常緑の榊の木を捧げるという、オマエ今さら何をしらじらしいこと言ってんのとツッコミを入れずにはおられないようなエピソードなのだが、探幽の筆はそのエピソードを物語りつつ、屏風というインテリアとしても完成度の高い図柄に結晶させていて、これはこれで中々得難い世界を演出しているのだ。

他にも金蒔絵の硯箱や絵文庫など、わが国の工芸文化の極みともいえる名品をあまた展示した、大変楽しい展覧会なのだった。

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1月 27, 2005

いまさらながら2004展覧会をふりかえる

1月も後半に突入して今さら感漂うのだが、2004年はけっこう展覧会も行ったので、そのベストを選んでみようと思う。
blogを振り返って、行った展覧会のリストをつくると以下のようになる。

「宮本隆司写真展」(世田谷美術館)
「ヨハネス・イッテン展」(東京国立近代美術館)
「パリ1900 ベル・エポックの輝き」展(東京庭園美術館)
「KUSAMATRIX」展(森美術館)
「空海と高野山」展(東京国立博物館)
「栄光のオランダ・フランドル絵画展」(東京都美術館)
「"モダンってなに?"MOMA ニューヨーク近代美術館展」(森美術館)
「牛腸茂雄1946-1983」展(新潟市美術館)
「世紀の祭典 万国博覧会の美術」展(東京国立博物館)
「横山大観 海山十題」展(東京藝術大学美術館)
「森山大道展」(丸善ギャラリー)
「RIMPA(琳派)展」(東京国立近代美術館)
「牛腸茂雄展」(三鷹市美術ギャラリー)
「マティス展」(国立西洋美術館)
「フィレンツェ 芸術都市の誕生」展(東京都美術館)
「ピカソ 身体とエロス」展(東京都現代美術館)

さて、この中でやはりベスト1を選出するとすれば何と言っても「牛腸茂雄1946-1983」展だろう。とにかく、2004年に見た中では最も感性を刺激され、また自己と他者という牛腸の取り上げたテーマを自らに引き寄せて深く考えさせられる展覧会だったからだ。
ほかにはけっこう笑えた「KUSAMATRIX」とか、企画展のやり方自体にすごく面白みを感じた「パリ1900 ベル・エポックの輝き」も良かった。会場である庭園美術館自体がすでに展示物の一つでありさえするというのが実に絶妙。

ほかに2004年の収穫として、日本美術の素晴しさに徐々に開眼させられてきたということもあった。
「RIMPA」展をあれだけの短時間にも関わらず楽しめたのは、逆に「パリ1900」とか「ヨハネス・イッテン展」などで外国の美術家による日本美術のイメージにふれ、外からの視点でみた日本美術のエッセンスに触れたということも一つあったと思っている。
逆に「世紀の祭典 万国博覧会の美術」では、そういった日本美術のエッセンスが誇大な自己パロディとして呈示されているのに驚いた。あの巨大なセトモノやら過剰に細密な細工物などを思い出すにつけ、日本の近代化はあらゆる部分で「力みすぎ」だったのではないか?と思う。
あるいはそれは、後発近代国家の業ともいうべきものだったのかもしれない。

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12月 13, 2004

引っ越しマス〜「ピカソ 身体とエロス」展〜渋谷ZESTのオールナイトクリパ

ついに冬のボーナスが出て意外に多額だったため、すっかり諦めていた引っ越しをすることにした。
今月の契約更新で7年目に突入せんとする今の賃貸がさすがに手狭になってきたので、生活感覚を一新するにはいい機会。
土曜に物件を7軒ほど見て回って、月々の家賃が変わらず、5平米ほど大きくなる2F南向きの物件に決定。
もう1万円ほどランニングコストを積めば手広い物件にも行けるのだけど、現状で家賃が上がるのはかなりキツい上に、敷金礼金手数料など色々足していくとそもそも今度のボーナスでは足りなくなるコトが判明(^^;)11畳で7万円台前半という物件もあったのだが、残念だ。
今度のところは現状の住まいから徒歩五分くらいしか離れていない場所にあり、街を変える楽しみはないかわり、日当たりがものすごく良くて、見て回った時などは土曜昼のさんさんと降り注ぐ冬の陽光が部屋に充満しており、エアコンもなにもつけていないのにポカポカと暖かであるという点がとても気に入った。ただ、残念ながらCATVには未対応。デジタルWOWOWも解約するしか。

移転関連の打ち合わせ終了の後、木場の東京都現代美術館(MOT)に行って、「ピカソ 身体とエロス」展を見る。行こう行こうと思っていたのだけど、けっきょく最終日前日終了1.2時間前からの駆け足鑑賞となってしまった。
1920年代後半における人体表現のリミックス(マンガ「寄生獣」を思わせる)にはじまり、セックスや「牛」のモティーフにこだわった作品群に到るまで、人体の織りなす形態を思いっきりこねくりまわしたピカソの天才が爆裂しており、大変に面白かった。エッチング「アナトミーとカップル」は男女の交接を描写しているにも関わらず、その人体があまりにも表現としてひねりまくられているため、ひとかけらの劣情をも感じさせない作品群。男子中学生でもこれをネタにコーフンするのは絶対に無理だろうと逆に痛快になるくらいヘンな絵であり、ここでのピカソは完全に形態にしか欲情していないのだろう。しかし1932年に描かれた「海辺の人物たち」は同じ方法論を使いながらも、油絵の視触感により何ともいえないエロスを漂わせている傑作なのであった。
晩年に描かれた連作「ラファエロとフォルナリーナ」にいたってはモロに春画なのだが、真っ最中の2人の姿をローマ教皇がカーテンの隙間から覗いていたり、部屋の中にいきなり入ってきてベッドの脇に座っていたり、かと思うと消え、戻ってきたかと思うと何故か部屋の中にある便器の上に座ってニヤニヤしていたりするという謎のエロ漫画である。こんなもん毎日描いて一体ナニを考えてるんだと小一時間問いつめたい。
またフランス大革命期における政治家暗殺事件を描いた「マラ−の死」という連作もあるのだが、安らかな死に顔で比較的普通に描かれたマラ−に比べ、「暗殺の天使」とも呼ばれた犯人シャルロット・コルデーがもう完膚なきまでにバケモノになっていて笑える。このあまりにもヒドい扱いはピカソの政治的傾向なのかどうか確認したかったのだが、図録が売り切れていたため後日郵送という形でしか買えず、ここでは書けない。
いずれにしてもめっちゃくちゃ面白い展覧会で、せめてあと1時間くらいは見たかった。もっと早く行っていればと悔やまれる。

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11月 28, 2004

ルネサンスな休日

現在開催されている「フィレンツェ 芸術都市の誕生展」のチケットがあったので、シャンテ・シネの映画「ジョヴァンニ」と合わせて鑑賞することで、今日という日を「ルネサンスなモノを見る日」にしてみようと思い出かけてみた。

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上野の東京都美術館で行われている「フィレンツェ 芸術都市の誕生展」は、絵画や彫刻の傑作群というよりそれら豊穣な芸術を生み出した場としてのフィレンツェ文化を見ていく企画展。呼び物としてポライウォーロの「貴婦人の肖像」とミケランジェロの「磔刑のキリスト」が挙げられている。しかし単なるルネサンス美術ミーハーとしては、これら呼び物からあまり感慨は得られない。特に後者はミケランジェロというと思い浮かぶ豊穣な肉感や生き生きした動線が、主題が主題だけに全く感じられないものであり、色合いのせいもあって「なんだか切り干し大根みたいだな」と罰あたりな感想を抱いてしまった。まあよーくよーく見つめてみれば引き延ばされ釣り下げられた肉体の描写に常人ならざる表現力をそれなりに感じはするのだが、あくまでもそれなり。「ダヴィデ」とか「モーゼ」とかのあまたの傑作を見てる目でこれ一品を見てもうーんという感じ。

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10月 26, 2004

オール明けにマティス展

土曜日はひさしぶりにオールで飲んだ(^^;)。

酔ったらすぐにお眠になってしまう私が7時半のスタートから翌3時まで寝もせずに飲み続けるというのは自分史的にすごいと思うのだけど、そのころ郷里の新潟では大地震が起き、余震に人々がおびえていたわけだから、知らぬが仏とはよく言ったものである。
私も家を出がけに部屋が揺れたのは感じて、「今回はさすがに崩れた本に埋まって死ぬのでは?」とも思ったのだけど、幸い本棚も倒れなかったので安心し、飲み代をつくるためにBOOK OFFに「課長 島耕作」全巻と「もののけ姫」のDVDを持っていって売ったりしてから六本木に出、あとは飲み続けていたので、よもや新潟が震源で、どうも大変なことになっているらしいとは携帯に「実家大丈夫?」というメールがバンバン入ってくるようになってからだった。
メールも全然つながらないようなので実家の固定電話に電話してみたのだが、幸い実家のある下越地方はさしたる被害もなかったようである。
そんなわけで終電後も飲み続け、ひさしぶりの初電帰り。日曜早朝の六本木はゲロ吐きそうになるくらい寒かった。

家に帰って少しでも寝ようと思ったのだが、当夜に予定されいた「夜の図書館」MLのOFFで渡すはずの「のだめカンタービレ」10巻アンソロジーのブックレットを作成しているうちに昼に。昼からはウォン・カーウァイ監督「2046」を見に行く約束があったため新宿に出たら、直前で予定変更となり、上野の西洋美術館でやっている「マティス展」を見に行くことになった。

昔からマティスは素敵だなーと思ってた(個人的には切り絵史上最もとんがった作品群であろう「ジャズ」シリーズが最も好き)ので、やっているのを知って以来行きたかったのだけど、やっぱりそう思うのは自分だけにあらず、ものすごい人出だった。
「ルーマニア風ブラウスの女」や「ラ・フランス」などの超有名作もあって、またその制作過程であるとかマティスのこだわった同一主題のバリエーションを集めたりなど、ひとりマティスのみならず造形芸術を創造することの深さを感じられるような展覧会で、すこぶる面白かった・・・が、疲れた。
個人的には、「ポリネシアの空」「ポリネシアの海」という巨大な切り絵2点が素晴らしいパラダイス感に溢れていて、印象深い作品でした。それにしてもこの鮮烈さはどうだろう、21世紀の作品にしか思えないくらい。

そのあと三茶でのしおぴーさん宅で「夜図書」オフ。さすがに途中でちょっと寝たうえ、帰りの山手線でも寝過ごしをやらかしちゃいました(^^;)

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10月 12, 2004

牛腸茂雄展at三鷹美術ギャラリー

新潟市美術館で一度みた牛腸茂雄展が三鷹市美術ギャラリーでやっているということで、これを見せたいなと思ってた人と一緒に三鷹に行ってきた。
前にみたときはざっとしか見ることができなかった「見慣れた街の中で」シリーズがじっくり見られて良かったが、新潟市美術館のときにくらべて点数が少なく、大好きな写真のいくつかが展示されていなかったのは残念。

おなじ新潟出身の写真家である牛腸茂雄は自分にとってますます重要な作家だなぁと思うようになってきた私は、ビデオ上映されていたドキュメンタリー映画「SELF AND OTHERS」のクレジットで、この映画が最近すこしばかり縁のある映画制作会社シグロの制作であることに気付き愕然とした。うーん、縁ありすぎ、牛腸。

そんな縁はおくとしても、かずかずのポートレイト写真に写っている、被写体とはもはやいえない、プリントの中からこちらを見返す数々の視線。この視線たちは、写真を撮るということが牛腸にとってはただの「制作行為」ではなく、自分と世界、人とワタシとの距離のおきかた、コミュニケーションそのものだということを伝えているようだ。

こんなふうにつくることと生きることを同じ軌道の中におくことができたとき、人は何を感じるのだろうか。

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10月 03, 2004

RIMPA(琳派)展~「沈黙の聖戦」

今週は休み1日だけなので、この1日の間にできるだけ色々見ておきたいと思っていたものの、1時過ぎ退勤続きの週の疲れ+「24」視聴の影響もあったか、昼過ぎまでバタンQ。

寝てて、友人とイタリア旅行に行く夢を見た・・・こんなにはっきり海外旅行を夢に見たのは初めてかもしれん。そんなに遠くに行きたいのか?>自分。しかし、出発直前に帰国できる金がないことが判明し、必死に友人に弁解して汗だくになるところで目が覚めた。なんて情けない夢だろう。

安く見れるといえば会期終了直前の展覧会がそうだ。終了前日とか当日になると、だいたい金券ショップで半額くらいに下がったりするものだ。
こういうわけで、今最も見たいといえば西美のマティス展と三鷹美術ギャラリーの牛腸茂雄展(新潟市美術館の再訪)ではあるものの、経済的事情を優先して明日に会期終了を控えた国立近代美術館のRIMPA展に行くことに決定。
んで竹橋に着いて見ると・・・

なんじゃこりゃ!
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というほど、大行列ができていた。写真は行列の折り返し点を撮っているので良く分からないかもしれないが、まるでディズニーランド、もしくは富士急のドドンパ前の如き行列ぶりである。
そんなにみんな琳派なんか見たいのか?って言ってる自分も来てるんで文句は言えん。しぶしぶ行列に並ぶ。
会場自体には15分程度待って入れたが、会場内は、完全に電車ごっこ状態。

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9月 20, 2004

帰郷の途中で森山大道展

19日は祖母の四十九日。土曜の予定がなくなったので、18日のうちから発って新潟で一泊することにした。
恐ろしいことに片道の新幹線代しか金が残っておらず、帰りの汽車賃は向こうで借りることになった。
こうなると来月からは飲み会等は自分にとって必要でない順から積極的に断ることにし、本代や音楽に支払う費用等、いわば精神の栄養費(not巨人軍スカウト袖の下)も切り詰めていくしかない。来月末にはお祝い事への出席も控えているので、かなりやりくりが難しくなりそうだ。タバコもやめようかな・・

さて新潟行きの途中で、丸善丸の内本店のギャラリーで開かれている、森山大道展に行った。
この間OAZOに行った時にも気になっていたけど、会社へ戻る途中だったのでスルーしてしまっていた。本屋のギャラリーで開かれているものなので入場無料(助かる)。
30枚ほどの写真が展示されている。展示会のPRに使われている犬の写真は展示されていなかった。
新宿をテーマにした写真集に掲載されているもので、気に入ったものが二、三枚あった。
これくらいの点数だといまいち自分がこの人の作風を好きかどうか断言しかねるが、同時に販売されている写真集をめくってみると、じっくり見れば好きになれそうなものが散見される。
うーん7kか。
写真集って高いんだよね・・・・(^^;)。

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8月 30, 2004

「横山大観 海山十題」展~映画「父と暮らせば」~映画「バレエ・カンパニー」

朝からミロシュ・フォアマン監督「カッコーの巣の上で」をDVDで見たら、もう気分下降カーヴが止まらなくなり、結局ピース一ハコ買ってしまった。弱し!!

上野へ出て、芸大美術館で本日最終日の「横山大観 海山十題」展を見る。皇紀2600年にあたって、日本画の巨匠が陸海軍のために描いた報国の大作全20作を一挙に展示。
自分的には、はっきり言って日本画って良さが全く分からないジャンルの一つではあるのだけど、それでもここに展示されている画中にみられる海の色には惹かれるものがあったし、いっぽう山というのが全て富士山というのにも面白さを感じた。
特に水墨画による「黎明」という画中にそびえる富士山には、ただならぬ霊感が満ちていて引き込まれる。
他国にはこうした、ひとつの山をしつこく、くどいくらいに画題として取上げている例はあるのだろうか?

上野のつぎは神保町、岩波ホールで黒木和雄監督「父と暮らせば」を見る。
原爆投下から3年が過ぎた広島で、一人で孤独をまもりながら暮らす宮沢りえの元に、亡くなった父の幽霊が現れるという話なのだが、某センスとは違っていきなり最初から幽霊が普通に日常生活を伴にしていて、けっこうユーモラスですらある。
井上ひさしの舞台劇の映画化ということで、ちょっとあざといところはあるものの、3人しか出てこない映画ながら原爆への恐怖、生への願いがひしひしと伝わってきて、非常に感動的な作品だった。撮影も美術も素晴らしく、レベルの高い日本映画を久しぶりに見た気がする。

渋谷ではル・シネマでロバート・アルトマン監督「バレエ・カンパニー」。バレエって私的にはこれまた興味薄い分野である(今日こんなんばっか)。
しかもこれ、シカゴに実在するバレエ団の内幕にちょっと覗きカメラが入ったような仕立ての映画なので、筋だの展開だのに無頓着である。
様々なエピソードが出てくるもののそれらが全然収束しないまま投げ出されてしまい、ドラマ的な高揚とかスポ根的要素(まあ例は悪いかもだが「タイタンズを忘れない」みたいなやつ)は全くない。
こうなるとそもバレエというジャンル自体に興味薄な私にとっては退屈なところも多々あって、事実バレエを実演してるシーンではしばし寝てしまったりした。
とはいうものの全体の印象はフシギな事に全然悪くない。おそらく、カメラと一緒に覗き見しながらバレエ団の公演を見ているうち、そこに現れている日々の積み重ねとか、桧舞台の祝祭性を共有している気分になってしまうのだろう。

劇中ネーヴ・キャンベルの部屋で、チェット・ベイカーによる「マイ・ファニー・バレンタイン」のけだるい歌声が流れるシーンがあるのだけど、映画のエンドロールではクロノス・カルテットによる「マイ・ファニー・バレンタイン」の弦楽四重奏版が流れていて、これがとっても良かった。サントラほしくなるなぁ。

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8月 23, 2004

万博美術展~夏祭り

昼過ぎに起きたが、さすがにオールナイト明けの疲れはあまり簡単にはひかず、2時くらいまでダラダラ。
上野でやっている展覧会ふたつ「世紀の祭典 万国博覧会の美術」(東博)と「横山大観 『海山十題』展」(芸大美術館)をはしごするつもりだったが、時間的に一つしか見られず、バラエティがありそうな「万国博覧会の美術」に行ってきた。

ロンドン万博にはじまる、19世紀~20世紀初頭の産業見本市としての万国博覧会。そんな初期万博における日本の工芸品等を中心とした展覧会ということで、極大極小を強調した見目を驚かせる出品物がザクザク続く。
「杉の木でも挿すのか!?」とツッコミを入れたくなるようなでかすぎる有田焼の花瓶や、もはや容器という出発点を完全に忘れ去ったギネス的巨大さの絵皿がドーンと置いてあるかと思えば、逆に蒔絵をあしらった漆器の信じ難いような細密さに驚く。
もうデカイ壺なんかは見てるとだんだんギャグに見えてくる。明白に、肩に力が入りすぎているのだ。
これは万国博覧会の展示場という、ある意味スペクタクルを強要される場に出品することを前提に作成したこともあるし(初期のウイーン万博では、名古屋城の金のシャチホコがその巨大さを誇っていたという)、日本工芸が輸出産業に活路を見出していくために、後世からみるとやりすぎにすら見える自己アピールを行っていたということもあるだろう。また、これまでの主要な注文主だった武士階級を失い、よく好みの分からん外国人向けに工芸をつくるという課題に困ったのか、様式の折衷のあげくなんだか訳の分からない趣味になっているものもあって面白かった。
後半には西洋美術もあり、アングルやクールベ、黒田清輝などが展示されていた。また、西洋美術におけるジャポニスムもとりあげられていて、エミール・ガレやバカラ社のガラス工芸、日本陶芸に影響を受けたやきものなどもあり、こっちの方が趣味がよかった気もする。まあ、これらの元ネタは明治政府が輸出産業の見本として作成したプレゼン的工芸品ではなく、もっと昔の味わいのある工芸品なのだろうと思うが。そういえば、かつてこんなのも見た。

そこそこおもしろかったけど、なんだか疲れる展覧会だった。体力のない時に見るもんではない。

帰路、近くの沼袋氷川神社祭礼に寄った。
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沼袋の近くに長く住んでいるのに、夏祭りに来たのは初めて。初めて入る境内は屋台と人でいっぱい。型抜きとか懐かしいなぁ・・・。
舞台では奉納演芸の和太鼓が披露されていた。
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十三というグループらしいんだけど、すごいバチさばきを見せてくれて、なかなか熱くさせてくれた。
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グループのページなのかリーダーの個人ページなのかわからないけど、ホームページもあるようだ。

舞台に寄って撮っていたら、取材中のスタッフに遭遇。なぜか機材を持って演奏後のインタビューについていくことに。舞台裏で、玉の汗をかいているお兄さんにインタビューするスタッフの後ろで、卵やソーセージの入った西友の袋を下げながら三脚をかついでいる謎の男はかなり不審に映ったのではないだろうか。

ここにお参りするのは初めてだけど、給料前のサイフの寂しさで、控えめなお賽銭による氷川神社デビュー。
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なんでもいいから、いいことありますように・・・(^^;)

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8月 16, 2004

展覧会「牛腸茂雄 1946-1983」in 新潟市美術館

牛腸茂雄展ポスター

新潟を発つ前に、市の美術館で開かれている、写真家 牛腸茂雄(ごちょう・しげお)の写真展を見に行くことにした。
幼い頃にわずらった胸椎カリエスから生涯体型的ハンデを負い、36歳で亡くなったこの写真家、名前だけは知っていたが、その作品をまとめて見たことはこれまでなかったし、彼が新潟は加茂市の出身であった(それなのでこの展覧会は<郷土作家シリーズ>という名を冠せられている)ということも今回初めて知った。

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8月 15, 2004

木村茶道美術館

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父実家の近場にある、柏崎の木村茶道美術館へ。
ここは、LA DOLCE VITAでレポートされているように、展示品の茶道具で茶を出してくれる美術館である。
自らも先生の免許を持ち茶道具屋をやっている母は、惜しげもなくン千万級美術品で茶を飲ませるココの茶席が何よりの楽しみということで、
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しとしと降る雨もものともせず、ずんずん先に行くのだった。

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7月 19, 2004

7/17 MoMA ニューヨーク近代美術館展

新潟から新幹線で帰京。大宮で埼京線に乗り継ぐべく降りたとたん、ものすごい熱気。
あっついなぁ・・・東京は。

六本木ヒルズの森美術館で行われている「"モダンってなに?" MoMA ニューヨーク近代美術館展」に行く。
かなり大量の近代~現代美術作品が陳列されていて、また古典的な造形芸術とメディア・アートが混在している一風変わった展覧会だった。サイトの情報によると

これまで近代アートの変遷を見るときには、とかく異なる技法の評価や運動、「~主義」ばかりに注目してきましたが、本展では新たな4つのテーマを設けて作品を捉え、時代によって多様に表現される美術のより根源的な視点に注目します。

とのこと。
格別に事前情報を仕入れてから行ったわけではないので、そうしたテーマと陳列作品の関連性は印象づけられなかったのだけど、さすがに展示作品は大物が沢山あって圧倒された。ピカソの各時代の作品やら、ロシア・アヴァンギャルド、イタリア未来派、バウハウス、ポップアート、あとなんだかどうまとめていいか良く知らないけどボイスとかリヒターとかイヴ・クラインとか何とかかんとか。マッキントッシュの椅子や、マン・レイとかケルテスの写真なども展示されていて、ここまで広く扱っているとは正直予想しておらず、おどろいた。
私が笑ったのはジェフ・クーンズの「ニュー・シェルトン 乾湿二層式」って作品。透明な樹脂板が二段に仕切ってあって、一杯に並べられた蛍光灯の上に偉そうに乾湿二層式の掃除機が一つずつ鎮座ましましている。未使用新品の機械のもっている<永遠性>を閉じ込めたもの・・・なんだそうだけど、もうこんなんギャグ以外の何ものでもないでしょ。アメリカ製業務用掃除機の人を食ったようなデザインが、アート作品として展示されてますますその人を食った感じを際立たせている。バカにされてる気もしつつも面白い。
こういうネタ的なアートはデュシャンが初犯なのだろうけど、未来人が見たらどう思うんだろうなぁ・・。
ジェフ・クーンズについては全然知らなかったけど、
クーンズは言わずとしれたネオ・ポップの巨匠。常にキッチュな作品を発表し続けている。「陳腐さこそが芸術だ」と煙に巻くような言葉は有名

なのだとか。勉強不足でした(^^;)
→引用元こちら

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5月 23, 2004

上野から三軒茶屋まで

朝は上野に出て、名古屋から出てきた友人と合流し、都美術館へ。お目当ては「栄光のオランダ・フランドル絵画展」。
フェルメール「画家のアトリエ」が呼び物の展覧会だ。
会期も半ば近くなり、休日にもかかわらず結構空いてて余裕をもって見ることができた。が、フェルメールの画は本当に素晴らしいものでありはしたものの、他の出展作にコレはという見物が少なく、ちょっと不満が残る。
ヤン・ブリューゲルの「小さい花卉画」や動物の習作、ヤコプ・ファン・ライスダールの叔父にあたるらしいサロモン・ファン・ライスダールの「厚板塀のある風景」あたりが個人的にはイイと思った。
ルーベンスやレンブラントの作品も出ていたが、ちょっとどうかなという感じ。ハルスとかあるともっと良かったんだけど、ウイーン美術史美術館には置いてないのだろうか。

安田講堂で開かれる中古文学会に出席するという友人を送り、上野公園から東大まで歩く。
東大の構内には3度ばかり入ったことがあったと思うが、安田講堂を目の当たりにしたのは初めてなので、ちょっと撮ってみた。
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柱の随所が欠けたり剥がれ落ちているのだが、これはかつて機動隊と学生が衝突した時の名残なのであろうか・・・

午後からはしおぴーさん、Yさんと映画三昧会である。
まず有楽町スバル座でジェームス・アイヴォリー監督「ル・ディヴォース~パリに恋して」を見る。アイヴォリー作品初挑戦。お二人はちょっと不満だったようだけれども、私はけっこう楽しんだ。映画の前半は物語要素がじゅうぶん整理されていない感があり、もどかしく思わざるを得なかったが、後半、ジョルジュ・ラ・トゥールの画をめぐって米仏二家族の対決が展開するあたりからガゼン面白くなる。「わたしんちの画」と主張する米家族vs「フランスの画」と主張する仏家族の対決やいかに・・・というサイドストーリーを私は実は一番楽しんでしまったのだが、この映画の後半では3,4つほどのストーリーラインが同時的に進行し、最後にパリの空を舞う真っ赤なケリーバッグと聖ウルスラの微笑にうまく収斂していく。このあたりの画的な収め方、見事というほかない。お話の筋的にはちょっと無理繰りなとこもあって、難点なきとはしないが・・・(こればっか)。
ナオミ・ワッツってこれまで「マルホランド・ドライブ」だの「リング」だの暗い映画ばっかりだったので、この映画じゃ明るく天使的な笑顔を見せてくれるものかと思っていたが、冒頭いきなりダンナに逃げられ、手首切ったりして、やっぱり暗いヒロインだった。あと、ワッツ/ハドソン姉妹の父親役で出てきたサム・ウォーターストンがいい感じの親父さんで良。

夕方からは、三軒茶屋の蔦屋で各人一本ずつ見たい(または見せたい)ビデオを借り、しおぴーさん宅にて鑑賞会。

私のセレクトはエルンスト・ルビッチ監督の「生きるべきか死ぬべきか」"To Be or Not to Be"。ポーランドの一劇団を舞台として、スパイ・サスペンスとセックス・コメディが交錯する無比の喜劇空間を作り出した1942年の傑作。メル・ブルックスのリメイク「メル・ブルックスの大脱走」の方が知られているが、原作のほうがやっぱり粋だし、笑える。映画完成後すぐに飛行機事故で急逝したキャロル・ロンバードの美しさもさることながら、ゲシュタポの長官役シグ・ルーマンの、眼ん玉かっ開いた狂気じみた道化役ぶりが素晴らしい。
これは確か大学入りたてのまだピチピチした頃にビデオで見て笑い死にしそうになったものだったが、ユダヤ人の劇団員がシャイロック役を演じる願望を果たすシーンなど、当時見たときは印象に残らなかったものの実は深いメッセージ性を含んでいて熱いことに気付いたりして、再見できてよかった。
あと、篠原哲雄の「草の上の仕事」なども見た。

しこたま飲みまくり、途中寝たりなんかもして終電で帰宅。

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4月 18, 2004

国立博物館「空海と高野山」とか。

平成館で催されている展覧会「空海と高野山」を見るべく国立博物館に来た。まるで結婚式場みたいな俗悪きわまる平成館はとても撮る気になれないので本館をパチリ。
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 展覧会とは関係ないけど、いったいあの平成館というのはどういう建物なのだろう。館内に一歩入ると、安っぽい墨絵風の絵柄が描き込まれた階段の両側をエスカレーターが上下し、押し寄せた観客を上へ下へと送り出しているのだが、美の集積地へのぼる階梯とは全く思えない平凡で機械的なその光景には本当に気が滅入ってくる。「平成」という時代はこんなに俗悪な時代なのだろうか。

展覧会の目玉はやはり運慶作の八大童子立像。仏教のコトが全く分からなくても運慶の仏像の良さは万人に伝わる。日本のベルニーニと言えよう。
26歳の空海が書いた書も展示されていたが、「弘法も筆の誤り」というがそんなに字、上手いかねーなんて思ってしまった。

さんざん仏像見まくったので「もうホトケはいいや」と辟易されられたのだが、まあツボとかヨロイなら見てやってもよかろうと、ついでに本館の常設展を一巡り。つい昨日「あんた仁清も知らないの?」と母に馬鹿にされたのが悔しく(野球選手とかの名を知らないのはちっとも悔しかないが、こういうのは悔しい)、野々村仁清のツボを穴が開くほど見てやったり。かれこれ3時間は歩き回り、足が棒になる。

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4月 16, 2004

異様に活動しまくりの日

今日はあちこちに(遊びに)飛び回り、盛りだくさんの日だった。
・六本木ヒルズの森美術館で、現代美術家(っていう呼称が適切なのかよく分からんが)草間彌生の展覧会「クサマトリックス」観覧。
 いやあ、今日の記事ではとても書ききれないが、かなりエキサイティングだった。
 宇宙的な無限の連関と共鳴を感じさせる大作「蛍の群舞の中に消滅するあなた。」の空間から抜けると、いきなり「私の小説『マンハッタン自殺未遂常習犯』の主題歌を歌います」などとのたまう樹木希林みたいな顔の草間氏本人が、赤と白の水玉模様いっぱいの衣裳をまとって超ヘタクソな歌を歌う、強烈さ極まるビデオ・インスタレーション。あまりのインパクトに、ミュージアム・ショップでこの歌の歌詞が書かれたポストカードを思わず購入。(このカードがまた訳が分からない・・・というか、小説の『主題歌』っつーのは一体どういう事なのか?)
 あと、自伝も買ってしまいました。これも書いてあることがスゴい。

 私には、一つ一つの水玉をネガティヴにした網の目の一量子の集積をもって、果てしない宇宙への無限を自分の位置から予言し、量りたい願望があった。どのくらいの神秘の深さをこめて、無限は宇宙の彼方に無限であるか。

 ・・・。この人幼少のころからあらゆる物体の周囲にオーラが見えたらしいですよ。
 んで、これがそんな草間彌生の公式サイト

・築地「寿司清」でスシ食い。相変わらず満足度120%。

・東京駅地下のBOOK GARDENで集英社新書の橋本治著「上司は思いつきでものを言う」買う。いや、これが草思社から出ている本だったら平積みされてんのを見て「まーそーだよねー」で飛ばしちゃうんだけど、何しろ真の天才、橋本治の書くものであるから凡百の自己啓発本と一味違うのは目に見えている。なんで速攻買ったんだけど、さっそく第一章の冒頭で

「上司は思いつきでものを言う」のでありますが、もちろん、こんなのは話のとば口でしかありません。
なんて書き出しがなされている。この人の本を読んでいると、何か文章と自分との間で押したり引いたりする感覚があって、この感覚がすごく楽しいのだった。

・夜はお誘いを受けて、タダチケで品川プリンスホテルClub exで催された「タンゴドリームス」という公演を見る。アルゼンチン・タンゴとフラメンコの競演という催し。フラメンコは音楽にも舞踊にも何度か接したことがある一方、アルゼンチン・タンゴはピアソラ・ブームの時にクレーメルやアサド兄弟の音楽にいくつか触れたものの、舞踊の本格的な実演を見るのは初めてで、多いに楽しんだ。それにしてもタンゴは扇情的だ・・・フラメンコがパトスの舞踊だとすれば、さしずめタンゴはエロスの舞踊だ、ってな感じですな。私的にはフラメンコの方が好き。踊り手がもうちょっとキリっとした感じで、編成もギターだけでなくパルマが入っているだけで、燃え方が違ったと思う。一方、タンゴの楽しみ方も自分なりに感得できた感じがして、得るものの多い夜だった。

・ってな感じで帰ってきたら人質解放報道と、いっぽうで横山光輝の訃報・・・。いやはや、色んなことがありすぎる。

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4月 11, 2004

パリ1900 ベル・エポックの輝き

庭園美術館の「パリ1900 ベル・エポックの輝き」最終日に駆け込み観覧。
呼び物はセザンヌ、ルノワール等なのだが、この企画展のメインは1900年万博前後にわたるパリ文化の横断的回顧だ。
アカデミー派と印象派の描いたそれぞれのパリジェンヌのイメージが同列に並べられ、サラ・ベルナールという時代のアイコンを描いたクレランの肖像画にナダールの写真、フーケやラリックがつくりあげて彼女の姿を彩ったジュエリーが一室に展示されているかと思えば、象徴派の描いた神秘主義的な世界にまた一室が設けられてアーティストの内面世界を伺わせ、他の一室に移ると、万博を巡る写真やフェリックス・ヴァロットンのかわいらしい版画が展示され、当時のブルジョワ市民文化の