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2月 19, 2007

土曜朝の皇居~六本木

土曜は朝の皇居などを撮りにいってみようと、朝6時にチャリで家を出た。

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暁の江戸川橋

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暁光の落ちかかるお濠

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大手門あたりから見た朝の東京タワー

先週日曜の夕方にやはり同じアングルで写真を撮った。やっぱり空の色とかは夕焼けと朝焼けでは違うもんですね。
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朝の皇居あたりはこんな感じだった。
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桜田門

この後永田町から赤坂あたりを抜けて(途中のマックで朝飯を食いながら中沢新一「アースダイバー」を読了)、六本木・乃木坂あたりに来たら、ちょうど国立新美術館が開館の時間だったので、入ってみた。

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開門直前の新美術館

特別展「異邦人たちのパリ」は、いかにも総なめモノといった感じでいまいち面白みが少なかった。ブラッサイの写真みたいに入り込める作品が少なかったのもアレかもしれないが、もう少し範囲を絞ってみた方が作品同士の関係性などを楽しめると思うんだけど・・・。

でもまあ建築物はすごいですよ。あれだけ見に行ってもいい。

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新美術館に行く路地と通りをはさんで反対側には、3月にオープンが予定されている東京ミッドタウンの巨大なガラス張りのタワーが天を擦っていた。

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2月 26, 2006

「転換期の作法 ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーの現代美術」

休日に生憎の雨だったが、前から見たかった「転換期の作法」展を清澄白河の東京都現代美術館で見た。(ここはPodcastingもやってる。なぜか毎回ダウンロード時にエラーが頻発するが・・・)

期待していたよりもずっと良かった、というか素晴らしかった。
休日なのに人があまりいないという点も(館は困ると思うが)素晴らしい。

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以下、面白かった作品を。
まずイロナ・ネーメトの、座る位置により様々な女性の声を発する巨大ソファ「多機能な女性」。笑い声、あえぎ声、息遣いなど、様々な声がソファのそこここに穿たれた凹みの中から聞こえてくるしかけ。

アルトゥール・ジミェフスキがテル=アヴィヴに移住した元ポーランド人の老人たちに、彼らの記憶の中に残っているポーランドの歌を歌ってもらうビデオ「我らの歌集」。バルトークの民族音楽収集を連想するが、ポーランドという国が歴史上何度も失われた国であること(詳しくは池田理代子の傑作「天の涯まで - ポーランド秘史」を参照のこと)、そこから追われて移住していき、今はイスラエルの国民になっている人々が歌う歌であること、などを考え合わせると、そこに様々な問題性が多層的に含まれたプロジェクトであることが伺い知られ興味深い。
ポーランド人のビデオアーティスト四人組アゾロのビデオ作品「全てやられてしまった?T」「全てやられてしまった?U」は、なんだかモンティ・パイソンにでてくる庭みたいなところに設えられた小さな赤いテーブルを挟んで膝を付き合わせた四人が次にどんなアートをやるかを議論するのだが、思いつくことは、どれも誰かがやり尽くした事ばかり。

「これもやってる?」 「やってる。」 「えーと、そうだな、飛び越えるのは?橋とか」 「やってる。誰かやってる」 「やる前に売る、ってのは?で、結局なにもやらないの」 「それもやってる。おれは見たことある」

…春めいた日差しの下の赤いテーブル上に、タバコの吸い殻ばかり増えていく。

パベウ・アルトハメル「ブルドノ2000」。大きな共同住宅200世帯の窓明かりで「2000」の字を描く大イベントの記録(これは写真パネルのみ)。なんかBフレッツのCMでこういうのあったな。

これは単なる現代アート的な試みを超えて、カトリック司祭が「光」について語る説教場になったり、露店が出たりといった形の住民祭りにまで発展したそうで、「観覧」といった態度を超えて見る者とともに共同作業的に創出せられる現代美術の在り様を地で行く作品となったようだ。

「母さんと父さん」というビデオ作品はアルトハメル本人でなく、その両親の日本旅行を、行ったお父さん自身がハンディカムで撮影したもの。日本での案内役”小川ミホ”さんを「私たちの小さな川」と呼ぶ心優しいお父さん。上野公園を見て「人生に失敗した人たちがスープをもらいに並んでる」「すごいな、この公園にはかなり沢山の人が住んでるね」とか言ったり、大阪のポルノ映画館のポスターを「これはぜひ見るべきだな」と、日本人ではありえないくらいまじまじと撮影するのを見ているうちに、思わず知らぬポーランドの老人が「異国・日本」を切り取る視角に入り込んでしまう。
この視角共有の妙味はパウリーナ・フィフタ・チエルナ「マロシュと一緒に」にもある。知能障害をもつ初老の男が自ら撮影したビデオを見ることで、彼の視覚と世界観を疑似体験するわけだが、障害者テーマのドキュメンタリーがどこまでも彼らを被写体として扱わざるを得ないのに比べて、むしろ素直に見ることができ、楽しめさえする面白い作品だ。
クリシュトフ・キンテラ「もううんざり」はポテチやカールなど日本のスナック菓子が詰め込まれたバッグがモソモソ動きながらチェコ語でボヤく作品。カルビーのポテチにそこらのスーパーの値札がついてるが日本に来た時買ったのか。63円也。
ラクネル・アンタル「ユーロトロプ 理想的な鉢植え植物」は“目に見えないこと保証つき”の栽培専門地中植物。また、「デルモヘルバ 人と共生する植物」は人の皮膚に貼り付かせ、CO2を摂取させるとともに人間は酸素補給をはかるというコンセプトの人工的寄生苔。”3.5ミリ以上の厚さにはなりません”というのが売り文句。仮想のバイオテクノロジーで作られたこれら植物の見本市用販促ポスターとモックアップが作品になっている。

現代美術を見まくっている通人にはひょっとしたら目新しさのないものなのかも知れないが、私くらいのレベルの者には充分面白かった。
これから行く人は、美術館で遊ぶのが好きな人(笑)をつれて二人連れで行くことを勧めたい。

参考link:
「ポーランド現代美術における《ヨーロッパ回帰》」(?)
★究極映像研究所★: ■NMAO:国立国際美術館 『転換期の作法 - ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーの現代美術 -』

5月 22, 2005

アナン事務総長は知っているのか?

昨日の某博覧会についてのエントリで、
一個、アップし忘れた画像がございました。
アジア地域以外で唯一入った外国館である、
「国連館」のみやげものショップにて。


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 いいのかアナン(つд`)

他に「国連ゴーフレット」等ございました。


「国連えびふりゃー」がなかったのはせめてもの救いかと。

5月 09, 2005

表参道ブランチ会〜「ゴッホ展」

りいさんのお声がかりで表参道のカフェで行なわれた「新緑を楽しむ」ブランチ会へ。
時間があればまた→この時050403_15500001_zoomのようにキモノ出撃かと考えていたけど、気付いてみるとけっこうな時間で慌てて家を出る。
20人くらいで盛況。福岡から飛行機で駆け付けた、ぶしょうひげボーボーのしんさんとも会えたしよかったよかった。

りいさんと千葉の動物園にマレーバク(→こんなやつだ)を見に行くか!?という案もあったが、ブランチ会をはけてみると、千葉についた途端に閉園してしまいそうな時間帯だったため、断念。
そこで、竹橋の東京国立近代美術館で催されている「ゴッホ展」を見に行くことに。
大混雑っぷりがムカつくこの展覧会、やはり20分ほど待たされたが、しかし混むだけの内容はあって、かなり満足できた。

個人的に気に入っている版画に気に入りの詩文を装飾的に書き付けて弟にプレゼントするなど、幼少期のゴッホは気の効いた文科系少年だったようである。パリに出てからはゾラ、モーパッサン、ゴンクールなど多くの自然主義文学を好み、それら本の絵をいくつも書くなどしており、本好きの属性が強いことをうかがわせる。
ゴッホが印象派・浮世絵の画法を貪欲に取り入れてきたことは良く知られているが、オランダ時代からその絵を愛し続けてきた先進者ミレーが開拓した「種まく人」というモティーフを、自分なりに再構築して描いた作品なんてのがある。このゴッホ版「種まく人」、彼なりの輝きにみちた色彩や、太陽を画の中心に置いた構図などに感じられる意志の強靱さが非常に面白い。(この強靱さがのちに狂人さに転じるわけですな・・などと不謹慎な地口)
展覧会のプロモーションで多用されている「夜のカフェテラス」は、まるでお伽話絵本の挿画のような柔らかさに包まれた「夜」が実に素晴しい雰囲気を伝えているし、晩年の「サン=レミの療養院の庭」「糸杉と星の見える道」なども素晴しい。

この展覧会がいいのはゴッホだけでなく、ゴッホ美術館、クレラー=ミュラー美術館の両館に所蔵されているゴッホ周辺の画家たち(シニャック、ピサロ、ミレー、ベルナール、セザンヌなど名品が多い)の作品が展示されていること、それとゴッホという人をしのばせる、身の回り品などが展示されていることである。
色の補色同士を寄り合わせた毛糸玉が詰まった朱色の木箱が展示されているのだけど、これなどはその中から時折毛糸玉を手にとっては色の配置を考える画家の横顔を想像させるもので、非常に興味深いものだった。

休日の日中は激混みの展覧会のようだが、会期中は木・金・土・日・祝の午後8時まで開館するということで、平日の夜などは狙い目ではないかと思う。

お壕を臨める館内のレストランでディナーを食べ(ブイヤベースなどがおいしかった)、さらに常設展も夜8時の閉館ギリギリまで観て、近代美術館を堪能した午後でした。

4月 11, 2005

ジョルジュ・ラ・トゥール展/マックス・クリンガー版画展

日曜。上野の国立西洋美術館で催されている「ジョルジュ・ラ・トゥール展」を見に行く。

ジョルジュ・ラ・トゥールの独特な明暗のくっきりした画面と雰囲気づくりの妙は、意識せず触れていた何枚かの画で味わっていたが、決定的に惚れたのは学生時代に行ったルーブル美術館での実作群。あれは本当にすばらしかった。
そんなラ・トゥールの展覧会ということで、きっと圧倒的な満足感が得られること間違いなしと思って行ったのだが、行ってみて初めて知ったがラ・トゥールの真作というのはこんにちほとんど現存しておらず、彼の作品の大半は原作からの模写作品を通して知るほかないものだったりするのだという。
そんなわけで、真作の2〜3倍くらいの量で模作や参考作が展示されているという、異例の展覧会だった。

世界中に現存しているラ・トゥールの真作の位置を示した地図が掲示されているが、かなりの数の作品がアメリカにある。そういえばかつてジェイムズ・アイヴォリーの映画「ル・ディヴォース〜パリに恋して」で、米国家族の屋根裏にあったラ・トゥールの絵の真作/贋作の判定と、それをフランスに渡すかサンフランシスコのゲッティ美術館(多分)に寄贈するかという駆け引きがサブストーリーになっていた。あれはラ・トゥール絵画のこうした面を知っている人にとっては、かなりリアルな設定だったのかもしれない。

展示作の中ではやはり「聖ヨセフの夢」「ダイヤのエースを持ついかさま師」が印象的。
展覧会だけだとちょっと物足りない感じだったので、これを機にもう少し深く知ろうと、帰宅途中で創元社のムック本を買ってみた。

実はラ・トゥール展よりも個人的には同時に常設展示室で行われていたマックス・クリンガー版画展のほうを楽しんでしまった。どこかで聞いたことのある名前と思っていたら、ウィーン分離派がベートーヴェンをテーマに行った企画展(クリムトの大作「ベートーヴェン・フリーズ」が有名)で、ベートーヴェンの銅像をシンボルとして作ったアーティストなのだった。だがクリンガーの本領は版画の世界にこそ現れているのだそうで、その奇想にあふれた怪しい作品世界はすごい魅力を持っている。「美しい悪夢」を描写する才に溢れた作家だと思った。

帰りは根津に抜け、「はん亭」という町家を改造したような串揚げ屋で「谷中しょうがの肉巻き」ほかの串揚げに舌鼓。
うまいけど量のわりに高かった感も・・。
骨董市なども催されている不忍池のほとりを桜見つつプラプラ歩き、しばしこのところの忙しさを忘れる一時なのだった。

(けっきょくその後会社行って仕事しましたが^^;)

3月 21, 2005

ミュシャ展@都美術館

世間的三連休の中、私はまる一日休めるのは今日だけなので、たまってたタスクを一気に処理しようと街に出る。
(仕事の方のタスクを処理しろよ、ってツッコミも心の底から聞こえますが)
まずはClala-Flalaゆきひろさんのエントリを見て、こりゃ行っておかねばとかねてから思っていた「ミュシャ展」in都美術館。

アルフォンス・ミュシャ展といってただちに想像してしまうのは、まずは今となっては紋切り型の一つに堕したといえるアール・ヌーヴォー様式のポスターの大群であり、さらには絵葉書で見てもこれといった変わり映えのしない少女趣味な大衆広告が、これぞ芸術と言わぬばかりにゴマンと貼り出された展示室。そしてFFシリーズをはじめとするゲームイラスト等でミュシャ的装飾様式にふれた大衆が、ウンカのごとく押し寄せてきては広くもない展示室にギュウギュウに詰め込まれているという、ぞっとしない光景である。
 (毒舌失礼)
ということでゆきひろさんのエントリを見なかったら、完全にバカにしていて行かなかったことは疑いないのだけど、行ってみたらかなり面白かった。多謝です。
とはいうものの3時くらいに行ってみるとウンカのような大群衆はやはり存在していて、最初の展示室に入場するのさえ40分待ちというアゼンとするような状況ではあった。先にチケットを買っていなかったら速攻で踵を返していたことであろう・・。今となってはそうして先にチケット買っておいたのが幸いしたなと思ってるわけですが。これから鑑賞を考えている方は絶対に休日に行ってはいけません(といってもあと一週間で終わるのだが)。

個人的なポイントの一つはサラ・ベルナールを描いた演劇ポスターの傑作群で、とにかくその巨大さから受けるインパクトの強さと発色の良さは、こればっかりは実物に触れないと感じとれぬであろうと思わせるものがあった。ミュシャを一夜にして人気アーティストに押し上げた「ジスモンダ」のポスター、それに「ロレンザッチオ」「メディア」「椿姫」「ハムレット」等の演劇ポスターともいずれ劣らぬ大作群で、そこに現れた同時代のイコン、サラ・ベルナールの堂々たるポーズや放たれる光輝には一見の価値がある。
こうした演劇ポスターに始まり、化粧水やシャンパンのポスター、ビスケットのパッケージデザインから鉄工所のカレンダーまでなんでもこなした仕事群にはミュシャの持っていた商業デザイナーの先駆者という属性が見えるし、いっぽうそれらの同時代に描かれた、モローやルドンを思わせる宗教的テーマの挿画やパステル画には、いかにも世紀末〜20世紀初頭の芸術家らしい、神秘主義的側面が垣間見えもする(フリーメーソン協会のメダルデザインなどといった仕事まである!)。

そして何より今回の収穫と思われるのは、ミュシャにおけるチェコ国民主義的な作品の数々である。
ミュシャといえばパリの芸術家という印象があるが、彼はもともとボヘミアの貧しい村で生まれたチェコ人であり、晩年には故郷の首都プラハに帰ってスラヴ民族的主題を数多く作品にしていたのである。
これらは1900年頃の彼を覆っていたアール・ヌーヴォー的作風とは一線を画するもので、そ0の中心は「スラヴ叙事詩」と題された、汎スラヴ主義的民族史を絵画化した一大連作であったという。この展覧会ではその準備のために描かれた習作やモデルの写真しか目にすることはできないが、騎馬民族の侵入やロシアの農奴解放、フス戦争などをモティーフにした雄大な構想のもので、一度実物を目にしてみたいものである。
早大グリークラブの演奏旅行で1990年代にプラハを訪れた折に、ミュシャが手掛けた市民会館の室内装飾を目にしたことがあるのだが、今考えるとこれはそうしたミュシャの「スラブ主義時代」の開始を告げる仕事であったわけである。
どこまでもインターナショナルなアール・ヌーヴォー様式の旗手であり、同時代のチェコ人たち(スメタナやドヴォルザークなど音楽家の活躍が有名である)が取り組んでいた国民芸術の流れには無縁だとばかり思っていたミュシャだが、やはり彼もまた「わが祖国」を歌うボヘミア人の一人であったのだということが分かっただけでも、この展覧会には来る意味があった。

圧倒的な人ごみに押しながされて後半ではボロ切れの様に疲れたものの、最後にはオイルショック時のトイレットペーパー購入に挑む主婦もかくなる努力を払ったのではないかという突撃を敢行し、図録を購入してしまった。
ただ買ったものの、これだけ内容豊富な展覧会の図録にしては解説が千足伸行氏(20世紀初頭周辺の企画はこの人ばっかという印象だが)の導入的解説一本だけで、後は展示物に付された文章の転載だけというのはいかにも寂しいものがある。まあ価格も安めなので致し方ないか・・。

どうでもよいことだが、展覧会のイメージソングを付けるというセンスはあまりにも意味不明です・・・日テレあたりの仕込みなのかもしれないが、万死に値すると思う。

2月 14, 2005

出光美術館「源氏絵 - 華やかなる王朝の世界」

今日は夕方までゆったり、活動のための下準備でもしようかと考えていたのだが、不意に東京に出てきた母の相手をすべく東京駅まで出向く。

何か見に行こうかと色々検討した結果、出光美術館で開会中の展覧会「源氏絵 - 華やかなる王朝の世界」を見に行く。
源氏絵とは、言うまでもない本邦最古の長篇物語小説といえる「源氏物語」の名シーンを屏風絵、扇絵などの形でビジュアライズした作品群を指す。
おそらく大半の男性にとって、源氏物語というのはその小説としての歴史の深さは別としてどうでもいいような物語である。だいたいが、光源氏なる金も権威もバックに持ったジゴロ野郎が可愛い女子を垣間見て(現代的表現で言えば覗き見て)はヤり放題の、結構なお話ですなあという感じ。
こんな浅薄な筋運びのものによくもまあ女子たちは惚れ込むものだと思われるのだが、やはりディティールの演出力が抜きん出ているが故にこうも愛されているのだろうな、と、ギャラリーに展示された源氏絵の数々を見ていると納得せざるを得ない。なんだ、このノゾキ野郎はという気にもなるが。

特に感心した名品は、海北友松なる絵師の仕上げになる、「扇面流貼付屏風」。これは室町時代に扇の面に描かれた源氏物語絵を収集し、桃山時代の絵師が流水を描いた屏風の上に適宜貼付けた作品。王朝の香りを携えたコラージュの美。2世紀の時を超えたコラボレーションと見ても感慨深いものがある。「RIMPA」展で感じ入った「色紙貼付桜山吹図屏風」の、別世界に通じる窓を随所に配した感動的な構想の根源が、こういった時を超えたコラボレーションの中に見えてくるではないか。
また俵屋宗達の筆になる「源氏物語図屏風残闕 - 桐壺」も面白い。この画の中に出現する宮の床装ときたら、青と白の市松紋様になっており、さながらペルシアあたりの宮殿のようなのである。宗達をはじめとする琳派の斬新きわまりないデザイン感覚が発揮された物語絵といえるだろう。
さらに狩野探幽の筆になる「源氏物語 賢木・澪標図屏風」なども、圧倒的に洗練された画面構成が素晴しい。「賢木」とは、さんざっぱら色狂いをし遂げた光源氏が、かつての恋人である六条御息所の住まいを訪れて「わたくしの思いはこの木のごとく変わっておりません」などという意をこめて常緑の榊の木を捧げるという、オマエ今さら何をしらじらしいこと言ってんのとツッコミを入れずにはおられないようなエピソードなのだが、探幽の筆はそのエピソードを物語りつつ、屏風というインテリアとしても完成度の高い図柄に結晶させていて、これはこれで中々得難い世界を演出しているのだ。

他にも金蒔絵の硯箱や絵文庫など、わが国の工芸文化の極みともいえる名品をあまた展示した、大変楽しい展覧会なのだった。

1月 27, 2005

いまさらながら2004展覧会をふりかえる

1月も後半に突入して今さら感漂うのだが、2004年はけっこう展覧会も行ったので、そのベストを選んでみようと思う。
blogを振り返って、行った展覧会のリストをつくると以下のようになる。

「宮本隆司写真展」(世田谷美術館)
「ヨハネス・イッテン展」(東京国立近代美術館)
「パリ1900 ベル・エポックの輝き」展(東京庭園美術館)
「KUSAMATRIX」展(森美術館)
「空海と高野山」展(東京国立博物館)
「栄光のオランダ・フランドル絵画展」(東京都美術館)
「"モダンってなに?"MOMA ニューヨーク近代美術館展」(森美術館)
「牛腸茂雄1946-1983」展(新潟市美術館)
「世紀の祭典 万国博覧会の美術」展(東京国立博物館)
「横山大観 海山十題」展(東京藝術大学美術館)
「森山大道展」(丸善ギャラリー)
「RIMPA(琳派)展」(東京国立近代美術館)
「牛腸茂雄展」(三鷹市美術ギャラリー)
「マティス展」(国立西洋美術館)
「フィレンツェ 芸術都市の誕生」展(東京都美術館)
「ピカソ 身体とエロス」展(東京都現代美術館)

さて、この中でやはりベスト1を選出するとすれば何と言っても「牛腸茂雄1946-1983」展だろう。とにかく、2004年に見た中では最も感性を刺激され、また自己と他者という牛腸の取り上げたテーマを自らに引き寄せて深く考えさせられる展覧会だったからだ。
ほかにはけっこう笑えた「KUSAMATRIX」とか、企画展のやり方自体にすごく面白みを感じた「パリ1900 ベル・エポックの輝き」も良かった。会場である庭園美術館自体がすでに展示物の一つでありさえするというのが実に絶妙。

ほかに2004年の収穫として、日本美術の素晴しさに徐々に開眼させられてきたということもあった。
「RIMPA」展をあれだけの短時間にも関わらず楽しめたのは、逆に「パリ1900」とか「ヨハネス・イッテン展」などで外国の美術家による日本美術のイメージにふれ、外からの視点でみた日本美術のエッセンスに触れたということも一つあったと思っている。
逆に「世紀の祭典 万国博覧会の美術」では、そういった日本美術のエッセンスが誇大な自己パロディとして呈示されているのに驚いた。あの巨大なセトモノやら過剰に細密な細工物などを思い出すにつけ、日本の近代化はあらゆる部分で「力みすぎ」だったのではないか?と思う。
あるいはそれは、後発近代国家の業ともいうべきものだったのかもしれない。

12月 13, 2004

引っ越しマス〜「ピカソ 身体とエロス」展〜渋谷ZESTのオールナイトクリパ

ついに冬のボーナスが出て意外に多額だったため、すっかり諦めていた引っ越しをすることにした。
今月の契約更新で7年目に突入せんとする今の賃貸がさすがに手狭になってきたので、生活感覚を一新するにはいい機会。
土曜に物件を7軒ほど見て回って、月々の家賃が変わらず、5平米ほど大きくなる2F南向きの物件に決定。
もう1万円ほどランニングコストを積めば手広い物件にも行けるのだけど、現状で家賃が上がるのはかなりキツい上に、敷金礼金手数料など色々足していくとそもそも今度のボーナスでは足りなくなるコトが判明(^^;)11畳で7万円台前半という物件もあったのだが、残念だ。
今度のところは現状の住まいから徒歩五分くらいしか離れていない場所にあり、街を変える楽しみはないかわり、日当たりがものすごく良くて、見て回った時などは土曜昼のさんさんと降り注ぐ冬の陽光が部屋に充満しており、エアコンもなにもつけていないのにポカポカと暖かであるという点がとても気に入った。ただ、残念ながらCATVには未対応。デジタルWOWOWも解約するしか。

移転関連の打ち合わせ終了の後、木場の東京都現代美術館(MOT)に行って、「ピカソ 身体とエロス」展を見る。行こう行こうと思っていたのだけど、けっきょく最終日前日終了1.2時間前からの駆け足鑑賞となってしまった。
1920年代後半における人体表現のリミックス(マンガ「寄生獣」を思わせる)にはじまり、セックスや「牛」のモティーフにこだわった作品群に到るまで、人体の織りなす形態を思いっきりこねくりまわしたピカソの天才が爆裂しており、大変に面白かった。エッチング「アナトミーとカップル」は男女の交接を描写しているにも関わらず、その人体があまりにも表現としてひねりまくられているため、ひとかけらの劣情をも感じさせない作品群。男子中学生でもこれをネタにコーフンするのは絶対に無理だろうと逆に痛快になるくらいヘンな絵であり、ここでのピカソは完全に形態にしか欲情していないのだろう。しかし1932年に描かれた「海辺の人物たち」は同じ方法論を使いながらも、油絵の視触感により何ともいえないエロスを漂わせている傑作なのであった。
晩年に描かれた連作「ラファエロとフォルナリーナ」にいたってはモロに春画なのだが、真っ最中の2人の姿をローマ教皇がカーテンの隙間から覗いていたり、部屋の中にいきなり入ってきてベッドの脇に座っていたり、かと思うと消え、戻ってきたかと思うと何故か部屋の中にある便器の上に座ってニヤニヤしていたりするという謎のエロ漫画である。こんなもん毎日描いて一体ナニを考えてるんだと小一時間問いつめたい。
またフランス大革命期における政治家暗殺事件を描いた「マラ−の死」という連作もあるのだが、安らかな死に顔で比較的普通に描かれたマラ−に比べ、「暗殺の天使」とも呼ばれた犯人シャルロット・コルデーがもう完膚なきまでにバケモノになっていて笑える。このあまりにもヒドい扱いはピカソの政治的傾向なのかどうか確認したかったのだが、図録が売り切れていたため後日郵送という形でしか買えず、ここでは書けない。
いずれにしてもめっちゃくちゃ面白い展覧会で、せめてあと1時間くらいは見たかった。もっと早く行っていればと悔やまれる。

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11月 28, 2004

ルネサンスな休日

現在開催されている「フィレンツェ 芸術都市の誕生展」のチケットがあったので、シャンテ・シネの映画「ジョヴァンニ」と合わせて鑑賞することで、今日という日を「ルネサンスなモノを見る日」にしてみようと思い出かけてみた。

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上野の東京都美術館で行われている「フィレンツェ 芸術都市の誕生展」は、絵画や彫刻の傑作群というよりそれら豊穣な芸術を生み出した場としてのフィレンツェ文化を見ていく企画展。呼び物としてポライウォーロの「貴婦人の肖像」とミケランジェロの「磔刑のキリスト」が挙げられている。しかし単なるルネサンス美術ミーハーとしては、これら呼び物からあまり感慨は得られない。特に後者はミケランジェロというと思い浮かぶ豊穣な肉感や生き生きした動線が、主題が主題だけに全く感じられないものであり、色合いのせいもあって「なんだか切り干し大根みたいだな」と罰あたりな感想を抱いてしまった。まあよーくよーく見つめてみれば引き延ばされ釣り下げられた肉体の描写に常人ならざる表現力をそれなりに感じはするのだが、あくまでもそれなり。「ダヴィデ」とか「モーゼ」とかのあまたの傑作を見てる目でこれ一品を見てもうーんという感じ。

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