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6月 19, 2005

熊本いろいろ

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熊本はとってもいい街だったが、特にイイ感じなのはこうした路面電車の走っている風景。
新潟にも私がコドモの頃は新潟電鉄という路面電車があったのだけど、中心部のターミナル駅が姿を消したのを皮切りに、次々と市の中心部から身を引いていき、オトナになる頃には電鉄そのものがなくなってしまった。

路面電車が現役の頃は、新潟の市内にも古い石造りの建物があったりしたけれども、取り外されていく路面の線路とまるで歩調を合わせるようにそうした風景は着実に死んでいき、やがて東京の裏日本支店みたいなつまらない街に堕していった。
かつては堀端に揺れる柳並木から「柳都」と呼称される風情ある街だったというが、堀も全て埋め立てられた今の新潟からはその面影を垣間見ることもかなわない。

熊本で久しぶりに乗った板張りの路面電車は、10数名の乗客を乗せて自動車道の真ん中を悠々と進んでいくのである。

意味不明なほど巨大なアーケード街「下通り」の中途にあったレコード店の看板。
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ばってん荒川キター!

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同じレコード店の店先にあった置き看板。
やはり熊本でも真宗がメジャーなのだろうか?
それに些細な事ながら、熊本といえば天草のある土地だが、現在のキリシタン率は他県に比べて多いのだろうか?県勢要覧のデータを見てみると、宗教法人の数でいえば総数2,847のうち、神道系1,465、仏教系1,186に比べてキリスト教系は50と、大きく水をあけられているようだ。これが全国のデータと比較してどうかは不明。WEB上で公開されている最新の国勢調査結果をみてもよーわからん。あんまり国家的には気にしてないってことかも。

熊本の話からズレたが、もっとも驚いたのは街の昼の貌と夜の貌の違い。
あんなに酔っぱらいが右往左往しキャバ嬢が立ちまくるようだと、アーケードもサイズがでかいわけである。暴走族も走ってるし、色んな意味で盛り上がってて興味深い街なのだった。

住みてぇ〜。
目に入る全てが商品化されていてウザいことこの上ない東京ライフに少々イヤ気がさしてる昨今、地方での暮らしが魅力的に思えてしょうがない。
自動車運転できないため、地方都市では生きていけない身と思われる点がジレンマ。

6月 17, 2005

「風が吹けば桶屋が儲かる」と言うが今どき「桶屋」なんてどこにあるんだ!

って思ってたんですが、熊本にありました。
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熊本に来ております

出張月間のラストで熊本に来てます!写真は交通センター地下のラーメン屋「こむらさき」で発見した珍妙メニュー。注文はしませんでしたが(^_^;)
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6月 14, 2005

小田原に来ております

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出張月間も今週末の熊本をクリアすればいったん終了。本日は小田原出張です。
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この写真中央にあるのは駅前に立つ

北条早雲公(ほうじょう そううんこう)
の銅像。
ふと
「読み方を変えると『北条 早ウンコ(ほうじょう はやうんこ)』になるな」
とか考えてしまった自分の脳細胞腐食ぶりにしばし感動。

思わず隣にいた同僚に「ねえねえ、すごいこと発見!」と話したら、
「聞かなきゃよかった、このバカチンが!」と言われました。
反省ザル〜。


5月 21, 2005

某国際的博覧会に行ってきました

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瀬戸会場入り口脇。

日帰り出張のついでに会場を散策。
17時ころから帰りの新幹線出発時刻までという時間的制限もあり、あまり余裕がなかったこともあってトヨタだのJR東海だのの人気パビリオンは

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(例外的に氷漬けマンモスの展示だけは見ましたが)
そんなわけでマイナー国のちっこいパビリオンばっかり重点的に攻めることに。

いきなりハートを捉えたのは、中東。
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こちらは、サウジアラビアの南に隣接するイエメン共和国のパビリオンです。

こぶりな館の内側はまさにバザールそのもののように、テーブルの上にいっぱいに装飾品が並べられている。
その奥で多数のやる気のないイエメン人たちが腰に半月刀の鞘なんぞ差してひたすらヒマそうにしている。
万博ゆえの売り込みの縛りでもあるのだろうか?
すごくノン気な空間が現出している。

素晴しいのはこれ。
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イエメンの民家に設けられているという居間である。
誰でも入って寝てたりして可であるという。

何しろ
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本気でイエメン人やる気ないっすな。

だが、隣のサウジアラビア館が変なシアタービジョンにやたらジャブジャブ金注ぎ込んでたり、館員も民族衣裳着てるだけで日本人であったりするのにくらべ、イエメン館は手作り度の高さ・そして民族性をまったく濾過せずに丸出しにしているあたり、実に好感度高い。
エキゾティズムを掻き立てる場としての万国博覧会という面では、実はこれこそが外国館の正しいスタイルなのかもしれない。

他に行った人の話では、一定の時間で行なわれるダンスの実演について「時間が合わなくて見れないねえ」と仲間内で話しあっていたところ、「じゃあ今やろうか」とばかりにその場で踊ってくれたりしたらしい。
今日び、あまりにも微笑ましい話ではないでしょうか。

イエメン館、要チェック! →他に行かれた方のblog//

中央アジアもなかなか素晴しい。
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中央アジア合同館の「キルギスタン」ブース。カザフスタン、ウズベキスタンなどの類似国に比してキルギスタンが抜きん出ているのは、その圧倒的な脇の甘さである。

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どうやらタテ書きの法則がよくわからないようであります。

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キルギスの地下にはメンデレーエフの元素表にのっかってる殆ど全ての鉱物資源が埋まってるのだとか。
この地形さえも国家の強みに引っ張ってくる圧倒的な牽強付会ぶりには、思わず私もキルギスの将来性を保証してしまいそうになります。

ということで、みなさんも某博覧会に行きたくてたまらなくなったのでしょうか!?

では、サイナラ、サイナラ、サイナラ。
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1月 29, 2005

欧州2国縦断記(その5)「美の咲き乱れる街にて、カメラ盗まれること Part:3」

ローマの街角で見つけたイイ顔さん。

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ローマの街角でこんなどうでもいいものをパチパチ撮っていたせいで神様の罰があたったのか、この旅行のために買ったコニカのAPSカメラが、ローマを出る頃には手元から消えていた。
あんまり意識せずにいたらいつのまにか無くなっていたため、てっきりどこかで掏られたものとばかり考えていたのだが、後に他の日本人旅行者から聞いたところでは、YHでベッドの上などにほっぽっておいたのがどうもいけないらしい。

「誰でも取れるような状態にしておくってことは"持ってっていい"ってコトかなと思う人もいるからね。 『気前のいい日本人だな−』くらい思われたかも」

などと言われたものだが、ユースホステルという場は同じ旅の者同士で気が置けない場と考えていた私はそれを聞いて少なからずがっかりし、今度旅行するにあたっては全ての機械類は一本の鎖にでも繋いでベルトに留めておかねばならん等と考えたものだ。

正面きってのカッパライにも出くわした。サンタンジェロ城からパンテオン、コロッセウムを見物して近くの地下鉄駅に行く途中のことである。西アジア系の顔だちをした母娘づれが道の脇から近付いて来、母親の方が手にした新聞を示してしきりに「読んでくれ」というような仕草をする。
イタリア語なんぞ「ボンジョルノ」と「グラッチェ」くらいしか知らず、まして読めるはずがないのだが、つい反射的にその新聞に目を落とすと、その瞬間に小学生くらいの娘の方がバッと私のGパンに手を突っ込んでくる。
「すわ、母子づれの痴漢か!?」ということではなく、娘が狙っているのはポケットの中の私の財布だ。現金は必要な分しか入っていなかったものの、カードが入っているので盗まれては困る。娘はポケットの中まで手は突っ込んできたが、私にとって幸いなことに財布を掴むことはできず、そこで私が身を引く姿勢になったところポケットの入り口がグッと締まったため、むしろ手が抜けない状況になってしまった。
私は「泥棒!」と言おうかと思ったが、さてイタリア語で「泥棒」とは何と言ったものかさっぱり分からない。
この2年前にグリークラブでチェコとハンガリーに行った時は
「いざという時に日本語でドロボウなどと叫んでも誰にも分からぬのだから、何よりも先にチェコ語とハンガリー語でドロボウと叫ぶ練習を行うべきである」などと力説し、
「ズロディ!ズロディ!」(←チェコ語の「泥棒」)
「トルヴァイ!トルヴァイ!」(←ハンガリー語の「泥棒」)
と部員に大合唱させた私であったが、その時人に与えた教訓はどこへやら、この時は頭が真っ白であった。
しばらく揉み合っているうち、なにしろ白昼のことで人目にもつきはじめたので母娘はあきらめてバッと逃げ出した。こうして私の財布は事なきを得たが、私自身は初めて正面から盗難未遂に遭ったショックでその後胸がドキドキし続け、また過剰に敏感になって周囲を始終油断なく見まわしながら歩いていたので、むしろ向こうの警官などからは不審な目で見られたかもしれない。

コロッセオから地下鉄に乗り、ベルニーニの「聖テレサの法悦」が鎮座するサンタ・マリア・ヴィットリア教会、さらにトレヴィの泉、スペイン階段と見て一日目の行程を終了。
つづいて二日目は再びサン・ピエトロ寺院を起点として、今度はローマ西方を歩くためジャニコロの丘に上る。
レスピーギの華麗なる交響詩「ローマの松」に「ジャニコロの松」という曲があるのだが、これはジャニコロの丘の上で満月に照らされる松を描いた標題音楽だ。この曲名が頭にあった私はせっかく西方を歩くのであればひとつ、そのジャニコロの松というやつを見てやろうと思ったわけである。
しかし別段この丘自体は観光地でも何でもなく、松もそこらじゅうにヒョロっとしたのがおざなりに生えている感じでどうも感慨というほどのものが出てこない。丘をのぼりきったところには病院があり、見舞いに訪れたのであろうローマ市民の車が出入りしているような、観光とはおよそかけ離れた場所だった。
逆に言えば、この丘の利点はそれゆえ観光客が全くいないことと言えるだろう。その割に眺望は素晴しくて、左手にサン・ピエトロのクーポラが一つ高くそびえ、古きゆかしき建築物がどこまでも続く眺望が眼前に広がる。不粋なビルディングなどどこにも見えない。広場には、ナショナリズム華やかなりし頃に建てられたのであろう、近代イタリアの初代王ヴィットリオ・エマヌエレ2世の銅像が屹立していた。
ジャニコロの丘を下ったあとはモザイク画が古風な美しさを出すサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会に行き、さらにラファエロの名作「ガラテアの勝利」が壁面に描かれたヴィラ・ファルネジーナをまわると昼飯時になる。

レストランに入る金などないので、近場に「Pizzeria」という看板のかかった店を見つけ、テイクアウトで買ったピザにかぶりつくことになるが、庶民的ファーストフードの雰囲気があるこれらピザスタンドを少し紹介しよう。

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1月 23, 2005

欧州2国縦断記(その4)「美の咲き乱れる街にて、カメラ盗まれること Part:2」

サン・ピエトロ寺院に入場してすぐ右手には、かのミケランジェロが生涯に何作もつくった「ピエタ」のうち、最も著名な作品がガラス仕切りの向こうに鎮座しているのだが、これはもう各国観光客のフラッシュを浴びまくっており、とてもわが子キリストを襲った宿命をなげく聖母の静かな悲しみなどというものは伝わってこない。なんだか芸能人がハワイから帰ってきた時みたいな騒ぎだ。

むしろこの大聖堂で強烈に印象づけられるのは、教会という権威の過剰な荘厳化作用である。
たとえば天上はといえばどこを見上げても非常識に高いばかりで、遥か上方のドームにポッチリと開いた天窓から光が差し込んではいるもの、それらは神秘の雲と天使たちを描いた天井画ばかりを明るく照らし出している。
「かの至上の高みに位置する天国を思って祈れ」というメッセージが伝わってくるようだ。

まあ、この汚泥に塗れた地上から遥か天上の美を見上げて己を低めるというのは、決して悪いメッセージだとは私には思われないし、拝金主義よりはよっぽどマシな姿勢にすら思われるのだが、その気持ちをバッサリ打ち消してしまうのが、そこここに見られる歴代教皇の彫像である。

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対抗宗教改革の時期につくられたであろうこれらの教皇像は、とにかくどれもこれも天使群など伴って大仰に手を差し出し僧服をハタメかせ、地上の汚濁をワレ今こそ浄化せんとばかりのパルスを放射させていて、もう見ているだけでゲンナリするような代物だ。これらの彫像の陳腐な外見こそ、ローマ・カトリックがかつて何ら世俗政治権力と変わることのない本質を持っていたことの証明であろう。
もし現代の世でカトリックがいま少し精神的指導力を発揮しようと考えるなら、さっさとこんなコケオドシはひっこ抜いて倉庫にでもぶち込んでしまったほうがよろしい。
旅をしていて何度か、イタリア人やフランス人が教会の中でみせる慎み深い仕草に触れて、信仰もないくせに勝手に感動する機会があったのだが、そうした感動に遭った時にこのコケオドシじみた教皇権力礼讃を思い出すと、なんとなく悲しい気分になる。

とはいうもののサン・ピエトロ寺院のもつ荘厳な効果はたいしたもので一見の価値はあると思うが、ヴァチカン美術館の方にはさらに見るべきものが沢山ある。とくにシスティーナ礼拝堂に描かれたミケランジェロ畢生の大作「天地創造」と「最後の審判」にはやはりドギモを抜かれた。この先も各都市で天井画は首が痛くなるほど見たが、「天地創造」のみなぎる躍動感は何かコイツだけジャンルの違う絵画なのではないか、と思わされるほどである。
観光客はみなポカンと口を開けて上を見たまま聖堂の中をウロウロしている。時折何人かの警備員が撮影を制止する声が聞こえてくる。広大なヴァチカン美術館内に展示されているほとんどの品はカメラでの撮影が許されているのだが、システィナ礼拝堂内だけは撮影禁止となっている。だがそんな禁止などどこ吹く風なのがアメリカ人観光客で、彼らは警備員がちょっとアッチ向いたと思ったら胸からぶら下げたカメラを天井に向けてブバシャアッと品のない音をたててフラッシュを焚きまくっている。
イタリアで最も観光客が多いのはアメリカ人そして日本人だと思うが、聖なる空間に土足で入り込む無遠慮な田舎者ぶりを隠そうともしないのも、やはりこの二者であるように思われる。
まあ、単に数が多いから目立つだけなのかも知れんが。

全部見るだけで一都市ぶん歩いた感じすらしてくるヴァチカン美術館を出て、サン・ピエトロの正面大通りをまっすぐ歩いていくと、左手にサン・タンジェロ(「聖天使」を意味する)の城が見えてくる。この城は、その美しい名前に似つかわしくもなく政治犯の牢獄として使われた歴史があり、スタンダールの「イタリア年代記」中の佳編「ヴァニナ・ヴァニニ」も、カルボナリ党の革命家ピエトロ・ミッシリッリがここを傷を負いながらも脱出し、ローマきっての美女ヴァニナの家に女装して逃げ込むところから始まるのだった。

この牢獄城は背丈の低い円筒形をしていてさながらラウンドケーキのような外見であり、ローマの建築物の中でも一度見たら忘れられない面白さだが、この時も一昨年の再訪時にも中に入る時間には恵まれなかった。次にローマにくることがあればこの中にあるという武器博物館もぜひ見てみたいと思う。

(この項さらに続く)

1月 22, 2005

欧州2国縦断記(その3)「美の咲き乱れる街にて、カメラ盗まれること Part:1」

欧州2国縦断記の過去記事はこちら(前口上/その1/その2

1999年2月、思いつきと勢いで旅立ったイタリア〜パリ一人旅。
ローマに到着した私を待っていたのは、夜間はスリ置き引きたむろすると言われる暗黒のテルミニ駅、その地下道を通り抜けるという試練だった。
何とかそれをくぐり抜けた私は、刑務所のごとき内装のローマYHのベッドで、内側から崩れんばかりに安眠を貪ったのである・・・

 翌朝ベッドから起きてみると、窓から差し込むイタリアの明るい陽光にふれて前夜の不安はどこかへすっ飛んでしまい、むしろあの絶対とも思われた危機を乗り越えた自分に多少の満足感すら感じられてきた。どうも楽観的というか呑気な気性というのはこういう時に得をするもので、さっそく顔など洗って身支度をし、ガイドブックをパラパラめくりながら今日の行動を計画だてているうちに、朝飯の時分になる。
 ユースの宿泊料には朝食分だけは含まれているので、朝食が用意されているという地下の食堂に降りてみると、東西各国津々浦々から集まってきた男女たちがセルフサービスのパンをコーヒー、カフェオレなどとともにパクついていた。
 こちらのカフェオレはカップではなく何か丼めいた大きさの白い椀に入れて飲むようである。このカフェオレの椀を珍しがりながらパンの幾つかと一緒に抱えてきてそこらのテーブルで食べていると、日本人の男子が同席を求めてきた。彼はやはり学生で一人旅をしているというのだが、関西弁を話しているので私の日記には「ナニワ」という超適当なネーミングで登場している。
 ナニワは一昨日ローマに到着し、昨日はまる一日をかけてローマ観光を楽しんできたらしい。とりあえず私の方は来たばかりで右も左も分からぬことでもあり、今日は一日の長があるナニワと同道してヴァチカンのサン・ピエトロ寺院に繰り出すことに話がまとまった。その後ヴァチカン美術館訪問を心に決めていた私はそのことを話すと、おれは美術なんぞに興味ないから別のとこに行くよとナニワは言う。そこでサン・ピエトロ寺院から先は好きなように別れようと決め、宿を出て二人してバスに乗る。

 ローマのバスに乗車する場合は、事前に販売所や停留所近くの自販機でチケットを購入、乗車時に車内の刻印機に通して乗車時間を記録する。
 どうもこの刻印というのが重要で、これをやらないまま乗っていて発見されると高額の罰金をとられるのだとガイドブックには書いてある。私はいちいちマジメに刻印していたのだが、ナニワはそんな刻印なぞしないでおけばチケット一枚でローマのバスは乗り放題なのだからおれはやらない、お前もやらないがよい、という。私の脳裏にはそんな挙に及んだ日には私服警備員にでも腕を捕まれ通報され、通りの向こうからサブマシンガンを抱えた憲兵警察がスッ飛んでくるなどという絵が容易に浮かんできてしまい、とてもそんな気分にはなれなかったので、この時にはこの男の豪胆さを心底尊敬したものだ。
 外国を一人旅しようというならせめてこのくらいの豪胆さは持ち合わせているべきで、私のように、ひょっとしたら現地になど行ってもいないライターが書き飛ばしたやもしれぬガイドブックの隅っこ記事に一喜一憂しているようではとてもいけない、などと考えたのだが、思い返してみればまあどちらの態度にも幾分か問題が含まれているだろう。

 さて、そんなこんなでバチカン近くの停留所に到着、歩いて寺院に向かう。
 教会の礎となったペテロをまつるサン・ピエトロ寺院はローマ・カトリック教会の総本山であり、カトリック信徒にとっては世界で最も崇高にして権威ある建築物といえる。
 寺院の前には巨大な列柱に囲まれた円形の広場があり、その列柱をすり抜けると、中央にオベリスクが屹立した広大な広場の向こうに、かのブラマンテが着工しミケランジェロがデザインしたクーポラを戴く大寺院建築がそびえ立っているはずであるが、

sanpietro

 ・・・オイ。

 そう、時はミレニアム到来を目前に控えた1999年。実はこの時期、ローマだけではなくヨーロッパ中の記念碑的建築物が来るべき21世紀を前に大改装工事のまっただ中なのであった。(この項つづく)

なお、これ↓は2003年に再び訪れた時のサン・ピエトロ寺院の写真。
sanpietro_2003

1月 17, 2005

欧州2国縦断記(その2)「「恐怖ッッ!!ローマ地獄の終着駅」」

欧州2国縦断記の過去記事はこちら (口上その1

1999年2月、当時大学4年の私は思いつきと勢いだけでイタリア〜パリ16日間の一人旅に出立した。
生協往復8万でゲットしたJAL航空券を握り締めて夜闇につつまれたイタリア半島へ飛来。
その前にたちはだかったのは・・・

さかのぼること、フィウミチーノ空港着陸の数時間前。
眼下には黄金色の粒が銀河のように暗黒の地上に散る、フィレンツェの夜景が広がっている。

私はガイドブック個人旅行−イタリア」をめくり、きたるべきローマ滞在を安全に楽しむための最終チェックに入っていた。
フィウミチーノ空港着陸後は特急でローマ、テルミニ駅にむかい、そこからさらに地下鉄とバスを乗り継いで郊外にあるユース・ホステルへ向かう事になる。
フィレンツェやミラノもそうだが、ここらのユースはけっこう中心地からは離れた場所にあって、ローマのユースもオリンピック選手村を改装したものらしい。(ちなみに五輪ローマ大会は1960年に開催されている)

なるほど、このテルミニ駅が、私のローマ第一歩をしるす地になるわけだ・・・ってチロリと安全情報をみると

「スリ・置き引き・悪徳両替屋の巣。午後7時以降に立ち入るのは出来得る限り避けるべきである」

というようなことが、不届きにもサラリと書いてあるではないか!!

ちなみにフィウミチーノ空港着陸が午後7時、特急列車に乗車してテルミニ駅につくのは午後8時をまわったころになる予定だった。

この記述と自分の予定と重ねあわせ、すぐさま私の脳裏には、カバンを切られて中身だけ持って行かれたかと思えば返す刀でサイフを掏られ、クレカをスキミングされ、あげくはコートを剥がされ、頼る者もない異国の地で丸裸同然で放り出される自分の姿がポワポワ〜ンと浮かぶのであった。

「これは絶対死ぬ」

私は心の底から恐怖におののき、神仏キリストの加護はいうまでもなく、ヒンドゥー教のシバ神・ヴィシュヌ神からペルシャの拝火教祖ツァラトゥストラ、南米アステカの有翼蛇神ケツァルコアトル、はては北杜夫よろしく古代ペリシテ人のダゴンなどに祈りを捧げる始末。

「困った時の神頼み」が唯一の宗教的信条ともいうべき日本人の典型的醜態をさらけ出す中、私の乗る機はゆっくりとフィウミチーノ空港の滑走路に降下してゆくのだった・・・。

・・というような状態で、フィウミチーノ空港に隣接した駅から特急列車に乗車する頃にはもうローマとは全く違う町にでも逃げ出したいような気分だったのだが、ああ、何と言う悪魔の所業か、この駅から出る列車は止め得ない宿命のごとく、一直線にテルミニ駅に向うことになっているのだ。
これぞ地獄の片道切符というべきであろう。

ここに進退窮まった思いを強くして列車の傍らで身を硬くしているちょうどその時、ホームの向こうから巨大なバックパックを背負った日本人男性の2人連れがのっしのっし歩いてきた。

地獄にホトケとはまさにこのこと。
幸運にも私は彼らを道連れにし、一緒にテルミニ駅へむかう段となったのである。

中央大と武蔵大のそれぞれ大学生である彼ら二人は、もう1つ別のグループとスペインを出立し、それぞれ別行動で地中海→エーゲ海ルートと北アフリカルートをたどりトルコで再会する・・・という、いかにもバックパッカーな旅を楽しんでおり、

「やはり機内食ならKLM(オランダ航空)だ、あすこはなんといっても焼きソバが出る

などといった旅慣れた話題で談笑している。
その傍ら、私はといえばスリ、置き引きたむろするテルミニ駅に至る道連れができたことへの安堵で頭がいっぱいでヘラヘラしていながら、ふと「この2人と別れた瞬間、オレはさらわれるやも知れぬ」という考えに胸を突かれてダウナーになったり、1人で感情を起伏させるのに忙しかった。

列車は1時間ほどでローマ市内へ。
突如として窓辺にオレンジ色にライトアップされたローマ帝国時代の遺構が出現したりして大いに私を感激させたりしつつ、列車はテルミニ駅に滑り込んでいくのだった。

異国の空気を胸に吸う余裕もなく、私たち3人はガヤガヤとうるさいテルミニ駅のホームに降り立った。

「ドロボーはあいつか?それともこいつか?」

などと、疑心暗鬼に満ちた眼で周囲を睨む私。

と、バックパッカー二人は私に向き直ってこう言った。

 「じゃ、僕らこのあたりで宿探すんで、ここで」

 えt?

一瞬何を言われたかよく理解できていない私を駅に残し、快活に手を振りながら夜のローマに消えていく二人。

この精神状況で置いてきぼりはあまりにもツラすぎる!と思いはしたものの、日本のYH協会から今夜の滞在を予約している以上このまま「じゃーオレもおんなじとこ泊まるー」とか言ってホイホイついていくわけにもいかず・・・いや、本当はこの時そういう行動をとっても良かったはずなのだが、その時の私にそんな機転などありはしなかったのである。

かくして取り残された私には、一人になって悩む余裕はなかった。ローマのYHには門限があり、何としてもそれまでに宿に到着せねばならぬ。しかも地上ですらものすごーく不穏な雰囲気なのに、ユースに行くにはさらにこの駅の地下にある地下鉄乗り場へ降りていかなければならなかった。

ザワザワと地下から這い登ってくる、いかにもガラの悪そうな声。
私は意を決して地獄の釜のように口を開いた地下鉄行き階段へと踏みこんだ。
そこは・・・。

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1月 14, 2005

欧州2国縦断記(その1)「ローマ、フィウミチーノ空港まで」

欧州2国縦断記の口上はこちら 

というわけで1999年2/1(月)、
成田より私を乗せたJAL機はローマへ向けて不可逆的に飛び立ったのである。

不可逆的に・・というのはこの時の心象で、どういうことかと言うと不肖ワタクシ離陸直前まではまだ見ぬ異国への夢にドキドキワクワクと胸膨らませる一方だったくせ、いざ飛行機が飛び立つとなると

「ちょっと待てオマエ、誰も頼る人もいない外国で、英語ひとつ喋れないくせに、ホントに生きて帰れんのか?」

という、もっと早い段階で克服しておくべき不安がムラクモのごとく湧き出、
「・・・・来るべきではなかったのでは!?」という思いに満たされたというわけである。
なんと考えの浅薄な奴と自らを笑おうにも、機は高く雲の上まで飛び立っている今や取り返し不能というこの状況。
私は突如として、国際線機内に迷い込んだ一匹のチキンと化したのであった...(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル ((((

そんな中、機内で私の心の支えになってくれたのが、隣の席に座したスコットランド系のカッコいい姓をもつオーストラリア人、Rosalieさんなのでした。

real_rosary
リサ・スティッグマイヤー似の美人さんなのである。ミラノ・マルペンサ空港にて写す

そんなわけで長い空の旅をこれからの一人旅の予行演習の場と化すべく、私は蛮勇をふるって初めての対外国人女性コミュニケーションを敢行したのであった。

幸いにもロザリーさんはファンタジー小説がお好きと判明、J.R.R.トールキンであるとかC.S.ルイスの話題で盛り上がり、続けて映画の話題に。
チャップリン好きなの?いいよねー、バスター・キートンは?知らない?えーっとオレの知ってるオーストラリア映画っていうと、ピーター・ウィア−の映画とか・・あっ知らないヒトですか・・あとはえーと、「マッドマックス」?(墓穴)などといったほぼ空回り的な映画トーク。
彼女は"Lock, Stock and Two Smoking Barrels"という映画がオススメということだったが、この時の私にとっては初めて耳にするタイトルであった。「ロック、ストック&トゥー・スモーキン・バレルス」が、この後シネセゾン渋谷(ライズだったかも)ほかで公開され、大いにブレイクしたのは周知のとおり。

ファンタジー小説を読みつつサーフィンやスカイダイビングにも興じる私とは正反対に活動的なロザリーさんは、普段はメルボルンでコックをやっていると言う。そこで私は「ダイコンはミソ・スープに入れて食うと旨いでがす」というようなコトを絵解きで説明したり、クロサワのおすすめは何と言っても「蜘蛛巣城」・・シェークスピアの「マクベス」が原作なんスよ、えーと英訳すると"The Castle of Spider"かな?なーんて感じのやくたいもない話題で機内の時を過ごしたのであった。
(なお「蜘蛛巣城」の実際の英題は"Throne of Blood "なのだそうである)

そのような、かなり暗闇手探り的交流タイムなどを経つつ、機はいつしかシベリア上空を通過、ワルシャワ〜プラハ〜ウィーン上空を通り、ミラノ・マルペンサ空港での給油を経ていよいよローマに近付くのである。

夕闇に染まったマルペンサ空港上空から眺めるミラノの街は、一見すると、まるで大きな星印が煌めきながら真っ黒な大地の上に置かれているようにみえる。街の中心地から周囲に向かって道路の明かりの線が傘の骨のごとく放射状に広がっており、それらの傘の骨を、こんどは城壁跡に敷設された道路と思われる細い光の線が蜘蛛の巣の横糸のように結び付けている。このような構造でできている夜景をみると、「ついに欧州に来たのだな」と感慨を催さずにはおられなくなるのだった。
写真が撮れなかったのが惜しくなるいっぽう、いつまでも思い出の中で美化するままにしたくもある、幻想的光景だったことを今でも思い出す。

時刻は同日19時をまわったころ、ローマにいよいよ着陸するとなって私のチキンぶりは最高潮となり、
「やばいよやばいよ」という意味のつもりで"I'm ナーバス"を連呼する(←余裕で間違ってます)。
そんな私にロザリーは優しくフォローを入れてくれる。オーストラリア人のコックに悪人なし。
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ローマの空港は「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の別名を持つフィウミチーノ空港。ここでペルージャから迎えに来る友人を待つというロザリーと別れる。別れ際に軽くハグ。
ご挨拶程度のものだろうけど、あるいはよっぽどビビっている私に母性本能でもくすぐられたものかも知れぬ。

ますます心細さアップで挙動不審な私にニラみを効かせる空港警備の警官。一秒間に百発くらい出そうなサブマシンガンを抱えて私をサングラス越しにジロリと見るのであった。
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これからが思いやられ過ぎるゼ・・とデカい空港をトボトボと横断していく私の前に、さらに過酷な状況が待ち受けていたのであった。

NEXT 「恐怖ッッ!!ローマ地獄の終着駅

see you(^_-) 

(↑円さんのパクリ)