1月 26, 2006

iPod videoで落語

060125_ipod

いろいろ書きたいことはたまっているが、それはそれとして、こわれたCDウォークマンの代わりにiPod買いました。
実際のところ使ってみると、すでにソフトとして持っているCDをわざわざiTunesに読み込まないと聴けないし、買ったばかりのCDの封を開けてすぐに聴くということができない点ではCDウォークマンよりめんどくさいけど、テープやMDの場合を考えてみるとダビングしなきゃいけないうえにメディアがいっぱい増えてかさばるというデメリットがあり、それよりは格段に良い。
ただ、クラシック音楽を好んで聴く身からすると、iTunesが勝手にトラック間に入れる無音がかなり気になる。
オペラや長い交響曲などになると、ひとつの長い幕や楽章を、聴き所別にトラック分けしてあるCDが多いのだが、トラックの境界を挟んでいても音楽はその間ひと続きになっている。
したがってトラックとトラックの間は「曲間」ではないのであり、それを別々のファイルとして分けてしまっては本当はいけないのだが、まあ、そんなスモールマーケットの独自仕様はスルーされてしまっても止むを得ないところなのだろう。
しかしこれが例えばマーラーの交響曲第8番の第一部「来たれ、万物の主たる聖霊よ」の、あたかも惑星の鳴動するかの様なオーケストラとコーラスの怒涛の響きに浸りながら、この19世紀末につくられた西洋音楽の爛熟の極点のひとつに心沸き立たせているときに、不意に「ブツッ」という一瞬の音の断絶が入れ込まれたりすると、「ざけんな!」という声のひとつも上げたくなるものである。

という難点もあるものの、私がiPodを使ってみたいと思った大きな理由のひとつであるPodcastingは、けっこう楽しめる。
特にいつも私が楽しみにしているのはニフティの提供している「ぽっどきゃすてぃんぐ落語」である。文字通りPodcastingで落語を配信するもので、最近Videocastingにも対応したため映像付で楽しめるようにもなった。
出演しているのはみな二ツ目(寄席の出演順で、見習いであり最初に高座に座る「前座」の次に出てくるランクなので「二ツ目」・・・ちなみに寄席の最後に出てくる大家は「真打」でありこちらのの語は落語ファンならずともご存知だろう)の方々だということなのだが、演目がすべて古典であるためまずは安心して楽しめる。
特に三遊亭遊馬は非常にうまい。現在アップされている「井戸の茶碗」「転失気」、いずれも著名な噺であり内容は知っているのだが、それでも死ぬかと思うくらい笑えた。
ぜひ遊馬氏の高座も見てみたいものです。

クドカンのドラマ「タイガー&ドラゴン」以降、落語が注目されていると聞くが周囲ではほとんど落語ファンなどいないし、テレビでもあまり落語番組は見かけない昨今、落語はPodcastingに非常に相性がいいコンテンツかもしれない。さすがに小三治あたりの真打クラスになると、ただで聴かせるというわけにはいかなくなると思うが・・・

| | コメント (2) | トラックバック (0)

12月 31, 2005

2001年〜2005年までを振り返ってみる

21世紀最初の5年間が終わろうとしている。

2001年〜2005年の5年間は、私個人にとっては「社会人」として生活することを学んだ5年間といえる。2001年2月、5年で大学をようよう卒業した後の私は、院試に失敗した過ちを繰り返すかのように数々の就職活動も水泡に帰し、バイトで働いていた現雇用先に拾われるような形で正社員雇用されたのだった。それから幾星霜、2005年に出向という立場で現在の職場で働くことになるまでの5年間。この間、様々なドタバタや屈折はあったものの、それを語ることはこの文章の主眼ではない。

一方で世情を想起してみたとき、私がまとめに使ってみたいフレーズは「オサマに始まりヨン様に終わる5年間」というものである。(ダジャレ?)

2000年期最初の世界史的重大事が、2001年9月11日に起きたニューヨーク世界貿易センタービルへのテロ攻撃であった事は誰しもが同意することだろう。この事件は、平和な現代文明を謳歌する私たちが、「ここが戦線の単なる後方にすぎないことを忘れる、いや、忘れたふりをし続ける」形で隠蔽してきた矛盾・脆弱性を、文字通り白日の下に引きずり出した。
人々の盲目的に消費へむかう欲望には大きな疑問符が殴り書きされ、豊かさへの根拠なき展望は破壊され、不安と怯えに満ちた現在へ、そして将来に横たわる暗黒へと、人々の視線はゆり戻された。

9.11に引き続くアフガニスタンへの空爆やイラク戦争は、本来そのような戦い方が有効でない分散型ネットワーク組織に対して、旧型の覇権的国民国家が徒に自らの軍事的リソースを消費する祭りとして現出した。結局のところヒュドラの頭をひとつだけ潰す以上のものにはなり得ないことを知ってか知らずか、いつ果てるとも知れない盲目的な戦争が繰り返される。フセイン元大統領の逮捕が、実現するとほぼ同時に忘れ去られていったのがその典型といえる。かの地では、「独裁者を倒せ」というかつての叫びはどこへやら、鮮度の落ちた敵は直ちに過去のものとなり、あたかもつんくプロデュースによるアイドルの生産工場のごとく、新たな「大物テロリスト」が次々とメディアにデビューしては、非人道的な戦争を戦い続けている。

この12月、私は1993年に劇場公開された押井守監督のアニメ映画「劇場版 機動警察パトレイバー2」をやたら何度も見ていた。カンボジアPKO活動が国内で大議論を巻き起こしていた時代に「自衛隊内の一部の決起部隊が首都に現代版の2.26事件を引き起こす」というストーリーのこの映画が製作され公開された事は、'90年代の日本映画史におけるかなり重大な事件と思われるが、そんなことはアニメファンしか言わないかもしれない。
繰り返し見るにつけ、この映画が描いたものは2005年の現在でも衰えなく有効であると感じる。上に引いた「ここが戦線の単なる後方にすぎないことを忘れる、いや、忘れたふりをし続ける」というフレーズは、この劇中に登場する以下のセリフの一部である。

「単に戦争でないというだけの消極的で空疎な平和は、いずれ実体としての戦争によって埋め合わされる・・・そう思ったことはないか?/その成果だけはしっかりと受け取っておきながらモニターの向こうに戦争を押し込め、ここが戦線の単なる後方に過ぎないことを忘れる。いや、忘れた振りをし続ける。そんな欺瞞を続けていれば、いずれは大きな罰が下されると」
「罰? 誰が下すんだ。神様か」
「この街では誰もが神様みたいなもんさ。居ながらにしてその目で見、その手で触れることのできぬあらゆる現実を知る、何一つしない神様だ」

決起部隊の策動を未然に防ぐべく、首都は自衛隊の戒厳状況下に置かれ、夜の東京に戦車部隊と装甲車部隊が続々と乗り入れてくることになるが、一夜明けるとその「戦時モード」はどこへやら、戦闘機械たちは日常的風景の中にすぐさま回収されていく。
雪に閉ざされていく首都の景観の中で、少しばかりの違和感を伴いながら日常へ回収されていく「戦争」・・・。
この映画が12年を経た2005年に到ってもいまだ刺激的である理由は明らかだろう。

社会はその根底に不安を幾重にも重ねながらも、その基本的なふるまいを変えようとすることはない。忘れたふりをし続ける身振りは、最初の砲声が鳴り響くまで、いや、あるいは砲声を聞いたその後でも、わが悦ばしき「総中流社会」で明日を迎えるために、人々が今日も明日も繰り返すビヘイビアであり続ける。

あらゆる危機が日常の中に回収されていく情景の中、私たちは米国農務省の不誠実を見ないふりをしてアメリカ産牛肉で作られた肉を食べようとし、人命よりも利潤を優先するデベロッパーの悪者面を見ないふりをして耐震強度の疑わしいマンションに住み続けようとしている。
その不安や憂いを、韓流ドラマに流す涙や来日スターへの熱狂の中で水に流しながら。

というわけで、
あー、ようやく「オサマに始まりヨン様に終わる」ってフレーズの説明終了。

さて、次の5年間では何か違う流れが生まれてしまうかもしれないという思いもある。
日本人が戦後の経済発展の中で得てきた「総中流社会」という条件が、ここにきて激しく揺さぶりをかけられていると感じるからだ。

2005年に特に印象的にわれわれに意識された概念は「社会の階層化」だといえるだろう。「下層社会」「ネオ階級化」「年収300万円時代」は、特に「SPA!」を中心とする20代〜30代サラリーマン向けメディアの支配的ワードとなった。
「総中流」の時代はかつてそのようであったものとして回顧される対象となりつつあり、多くの若年世代は、自らの給金が安いという万古から枯れない不満を「階層化する社会」という潮流に仮託して語ることを覚えた一年だと思われる。

これが日本社会の基層にどのような形で蓄積されていくか。米国のように、ひとたび自然災害の猛威が襲えばスラム地域に住んでいた下層住民ばかりが千人以上も死んでいく、偉大なる階層社会へと栄光の発展を遂げるのか。
現在の「勝ち組」「負け組」といった浅薄な価値観以上に、階層社会化は深刻である。生まれついてすぐ、構造的に自己の限界を規定されるのが階層社会であり、私たちは自らのアイデンティティの中に「階層」というファクターを常時刻印されながら生きていかなければならないだろう。
この5年は、米国に対してわれわれが持つイメージが、少なくとも文化的側面からいけば憧れの対象だった時代を終え、階層社会をはじめとして内部に深刻な矛盾を抱えた憂鬱な横顔の覇権国家というイメージへと書き換えられていった時代だともいえる。その痕跡は、「ボーリング・フォー・コロンバイン」をはじめとする一連のドキュメンタリー映画から、クリント・イーストウッドの眩いばかりの傑作「ミリオンダラー・ベイビー」でも見ることができる。
そうしたイメージの揺らぎは、国内では反・北朝鮮の流れとあいまって安直なナショナリズムに回収されていく傾向も見受けられるものの、おおむね、どこへ向かうとも知れない不安定感となって動き続けていると思う。
これが我が国の中で、次の5年、どのように形をなしていくのか。

期待と不安を抱きながら、2010年までの次の5年へと、年を越していこうと思う。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

12月 04, 2005

私は美容室が苦手だ

いい加減髪の毛が伸びすぎており、切りに行きたいながら連日仕事で行く時間を作れずにいたのだが、今日ようやくばっさりカットしてきた。

それにしても久しぶりに行くとやはり「美容室」という場所は私にとって居心地のよくない場所であると感じる。体に染み付いたような萎縮、華やかなその場から疎外された感覚。
おそらく実際の所、私の冴えない風采…例えばセーターの随所にほの見える毛玉であるとか、原色に近しい色であったかつてを想像すべくもないスニーカーの色褪せぶりなど…が煌々とした照明の下に露わになり演出される場違い感もさることながら、最大の理由は私の中の圧倒的な髪型ポリシーの欠如にあると思われる。

いったい30年も生きており、その間使いもしない世界史単語(ポトシ銀山とか)を脳みその引き出しにぶちこみまくってきたくせして、いまだに私の髪型指示に関するボキャブラリーは「刈り上げない程度に短く」ぐらいしか存在していない。
隣のカット待ちの男性が、雑誌などを示しながらテキパキと前髪の長さ、色、スタイリングなどに関する自分の考え方を述べ、担当美容師と今回のカットに関する方向性を詰めつつあるかたわらで、この私はといえば

「どのぐらい切りましょうか?」
「ええと…ずいぶん伸びすぎちゃったので(←見れば分かる)、さっぱり切ってほしいんですが…(←著しく具体性を欠く指示)」
「……伸びた分くらい切りましょうか?」
「そうそう、それでお願いします!(←必死)」

などと、主張のないことおびただしい。
この打ち合わせとも言いなりともつかない時間をとおして、自分がこれまでの人生でいかに髪型に関して脳と時間を使っていなかったかに思い到り、ハサミを自分の生業として生きていこうと決めた目前の青年に対する申し訳なさに満たされるのである。

「あ、シャンプー別料金になるんですが、どうしますか」
「あ、結構です」
「シャンプーなしですね。髪、スタイリング剤とかついてないですか」
「ついてない…つけてないです何にも

いささか強調しすぎた私の口調に微妙な表情の美容師。
はっ!…またしても髪に関する配慮の無さを露呈してしまい、やりがいのない仕事という印象を彼に与えてしまったのではないか、等とまたしても萎縮する自分。
このようなわけでカット台に向かう前から既にたっぷりと引け目を感じてしまうのである。

もうこんな感覚を味わうくらいなら、最初から回転仕事前提で気など使おうはずもない1,000円カットでいいのではないかとも思うのだが、以前1,000円カット行った翌日の職場で
「うーん、なんともいえない坊ちゃん感があるね
などと評された屈辱もあり敬遠してしまう。
といって、男ならやはりバーバーに行くべきだろう、と駅前の「理容室 ヤング」(←実在)の戸を叩こうかと思ったこともあるが、ガラスに貼ってある具志堅用高のようなパンチ&ヒゲ男のイラストなどを見ると、心もとなくなってしまう。

そんなわけで、どこかにこんな私でも萎縮を感じずに髪を任せられるお店はないものか…と髪を切るたびに思うのである。

いっそ「髪型について普段何にも考えてない方!私たちは日頃のスタイリングまで優しくご指導致します」…とか店頭に書いてあれば安心なんだが。
メッセージの隣に吉岡美穂が写ってても良い。アデランスみたく。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

11月 21, 2005

「グロテスク」(★★★)

最近私の体はタバコへの耐性の弱さを露呈しつつあるらしく、ずっと腹がゆるい。
初めて試しに吸ってみたピースメンソールの香料がキツかったのもあるのかもしれないが・・・。

木曜はグループ全社のイベントで久しぶりに大人数の前でしゃべらせてもらったのだが、聴衆のみなさんはこの壇上でえらそうにしゃべってる奴が、まさかうんこがゆるいことに悩んでいるものとは思ってもみなかっただろう。

そんなわけで体が弱っているうえに仕事が忙しい折に桐野夏生を読む・・・これはますますきつい。
しかも「東電OL殺人事件」にモチーフを得、昼は大会社の総合職だが夜は娼婦となる中年の女性が、悲痛なまでに自己を鞭打ち崩壊させていく過程を描いた小説「グロテスク」である。(まあ、実際にはその箇所は筋全体の5分の1程度のものなのだが)
ざっくり言って、非常に暗鬱な気持ちになる一冊であった。

「柔らかな頬」と間をほとんど置かずに「グロテスク」を読んだのだが、スイスイ読み進められるわけでも、読んでいて楽しくなるわけでもない小説なのに不思議と読んでしまうのが面白い。
女性小説という一面はもちろんあるのだろうけど、私にとっては、どちらも死というゴールに向かってまっすぐに・・・あるいは迷走しながら死んでいく魅力的な登場人物が登場すること、また、その物語を傍らにみつつ現世という無間地獄を彷徨う人々が語り部となっていることに惹かれるところがある。

半分以上読まないと、「このままイヤな人間がいやな物語を続けるだけの小説なんじゃねえのか」とやめてしまいかねないが、悪意に満ちた語り手が意外な一面を見せる終盤には正直言ってある種の感動をおぼえた。いや、泣けるとか好きになるような展開ではまったくないんですが。

殺人犯である中国人チャンが自らの手記で「自分は柏原崇に似ていると言われた」と書いているため、裁判の傍聴でその顔を見ようとした語り手が、実際の犯人の顔を見て

ああ、どうしたことでしょう。どこが「柏原崇」なのでしょう。

とか書いてんのには思わず笑った。カギ括弧までつけなくても。

ドストエフスキーだってもう少し笑いがあるぞ、と思わずにいれない重苦しさに満ちた前半にくらべ、後半では戦慄が乱れ飛ぶ暗夜のカーニヴァルとなる展開も、よく練られているなあと思った。しかしまあ体の弱っていたり、仕事に集中しなきゃならんというときに読む小説ではない。

最近読んだのはほかに「日本怪奇小説傑作集1」、石田衣良「LAST」、平井呈一編訳「恐怖の愉しみ 上」など。このところ暗鬱なものばかり読んでいるので、次は久々に冒険小説でも、ということでクィネル「パーフェクト・キル」のつもり。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

10月 01, 2005

ラクーア行ってきました

この一ヶ月は仕事が忙しくバタバタしてたが、どうにかこうにかメドがついた。
システム屋さんからお花が来週早々に届くらしいけど、こういうノリって他もそうなのかね?

「無事に終わったら、私はその足でラクーアに行きます」
とミーティングで宣言していた通り、ささやかな部内飲みのあとはラクーア宿泊のため後楽園へ。
館内施設の勝手撮影禁ということなので、エレベータだけ撮っておきました。
laqua02

お風呂全種制覇のうえでラウンジにて生ビール。
ぷはー。

連日の疲れと、前夜フロに入れなかったため体に溜まった垢がとれ、
みるみるいやされる感じ。

お風呂最高!
そういえば新潟での予備校時代、どうにも煮詰まって夜中にホンマ健康ランド行ったことあったなあ。

ラクーアは、泊まろうとすると2,565円の入場料のほかに、1,890円の深夜割り増し料金をとられる。ホンマ健康ランドよりも割高ではあるが、設備はかなり良い。仮眠チェアはBSまで入るテレビ付きで快適だし、ネットも無料である。
ただし、混み合う休日前日などは充実した仮眠設備にあぶれる人も多いようで、朝目覚めてみると床に毛布しいて寝てる人などもおり、終電難民キャンプ的な雰囲気であった。

laqua01
モーニングセット500円。たいしてうまくなかった。

翌朝はさっそく朝風呂!朝風呂こそ最高のゼイタクですな〜。
閉館時間まで堪能し、サポート待機のため出勤。
いやー休日出勤だけど気分軽いわー。ビバ風呂。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

9月 26, 2005

結婚式2連チャン

昨夜は大学GLEE CLUBの同輩の結婚式二次会@銀座に会社はけてから出席し、男だらけの三次会も少し末席を汚して終電前に帰宅。、
そして今日は高校文芸部の一コ上&同輩(つまり部内結婚?)の結婚式+披露宴@新潟に出席・・・・
のつもりだったのだが、7時前に家を出ることを見越して6時にかけたタイマーも虚しく起きた時には8時半。式は出られず、披露宴も1時間近い大遅刻となった。
まことに遺憾です。

何とか友人代表挨拶以降は聞くことができ、せいいっぱいの笑顔と拍手と、最小限度割り切れない数のご祝儀をお贈りしておきました。

それにしても、終了後にホテルの喫茶店でOB同士語りながらつくづく寂しくなった。

かつて仲間の結婚について語り合う日など想像もつかなかった明訓高校文芸部。(例外的な人はいたけどね)

ところが、ふと気付いてみれば
「まあ、まかり間違っても絶対結婚などできないだろう」
という男たちばかり、なんと狙い澄ましたように3人も売れ残っていることよ。

まずい・・・

実にまずい・・・

このままではOBでうっかり集まった時に、既婚組から「黒い三連星」とか呼ばれてしまう!(←ちょっと呼んでほしい気も)


とりあえず「いや、僕達は先輩というガンダムの後ろで射出を待ってるガンキャノンとガンタンクですから」と言って売れ残りの罪を先輩になすりつけてはおいたが。

「アムロ、はやく行ってくんないかな〜、 的なですね」 「いいから先に行けッ! 行けるものなら」

昨日は昨日で、あいつも来春結婚だのこいつももう結婚の予定だのと、いよいよ同輩間でマージナルな存在になってきたことを感じたし、

なんだか憂鬱・・・
もう少しオレだって幸せになれてもいいんじゃないか。
結婚とまでは言わないが。

そんなわけで、帰りの新幹線に乗る前に車中読む本としてE.F.ベンスンほか「怪奇礼賛」を買った。

陰鬱な気分の時は古典怪奇小説に限る。M.R.ジェイムズの短編とかがいいのだが、ここはロード・ダンセイニの短編もおさめられているこの書を買った。

ベンスンの短編「跫音」で今しも鼻持ちならないイギリス人の金持ちがレヴァント人の老婆に呪い殺されそうな雰囲気でドキドキドキドキ。

…こんな行動をとっているから売れ残るんじゃないのかと今書いてて思った。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

9月 12, 2005

そんでもって30歳になりました。

昨年の誕生日は会社で徹夜モードの中迎えましたが、今年はバースデーパーティーの帰り、気持ちよく酔っ払い加減の中で迎えることができた。
お祝いいただいたみなさん、本当にありがとうございます。

ちなみに昨年ぶちあげた、20代のうちにやっておきたいコトのうち

・「失われた時を求めて」全10巻読破→現在まだ6巻
・転職する→なぜか親会社出向という形で職場だけは移る。
・20代までを総括する小説を書く→いまだ、シノプシスと第一章前半程度。

というわけで、あまりの達成度の悪さにアゼンとする。
次年度に到るまでにはこのうち二つくらいは達成したいところ。
とりあえず「失われた時を求めて」は年内読破の方向で。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

うわー

東京7区も自民勝利ですか・・・

「今回は自民党に入れておいた」という声が多いようだが、
財政の完膚なきまでの破綻、大増税やむなしの状況をを招いた時点で、自民党は政権政党としての資格を失しており、「政権政党である」という以外に何らのアイデンティティも持たぬ自民党には、もはや政党として存続し続ける価値すらもあり得ない…、というのが私の思いなのだが、残念ながらそれを共有しうる人はあまりにも少なかったということでしょうか。

誇り高き保守とも信念ある革新でもなく、ただポピュリズム全盛の時代というわけですな。
あーあ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

9月 11, 2005

明日は(今日は)投票日というわけだが

投票日近くなると、やたらと「自らの政治生命を賭けて」というフレーズを聞くものである。
このうちのなんぼかでも、本当に命のかかった訴えなのであれば耳を貸そうかという気にもなるが、悲しいもので、政治生命を賭した改革に敗れ、政治生命を断ったといった騎士的な美談はついぞ聞かぬ。

どうやら「政治生命」なるものは、試合日前にはやたらと賭けられるものの、試合本番になるやいなや全部胴元の懐に入る仕組みになっている、八百長試合のチップみたいなものらしい。

「政治生命」というフレーズが唱えられれば唱えられるほどに胡乱に思えるので、私に投票してほしい政治家の皆さんは軽々しく政治生命を賭けないよう気をつけて頂きたい。
(たまに変な延命処置で奇怪にも生き永らえる山拓みたいな人が出たりすると、「政治生命」なるものに思いを馳せることもあるが)

投票くらい、ふだん言わない言いたい事をこめさせてもらおう。

自民党はとっとと、日本をこんなばかだらけの国にした戦争責任をとって解党すべきである。
(最近では「イラク戦争の戦争責任もとって、…」という解党要請理由が加わったが)

戦争責任をとらない体制の存続がいかに国民の精神構造に影響するかは、天皇制をみれば一目瞭然だが、
それ以前に「政権政党である」という以外なんらアイデンティティのない政党が未だに国家のトップに存在していること自体がこの上なく天皇制的で不健全であり、一刻も早く滅ぼすしかない。
かつて森喜朗という党内の椅子取りゲームで首相になったオヤジが「天皇を中心とした神の国」と日本を表現していたが、誰が王であると決めたのかとうに判然としない空虚な中心点に対して、何となくつつかず触らず権威として押し戴く権威主義的白痴ビヘイビアを「天皇制的」と表現するならば、まさに日本は天皇を中心とした神の国だと表現することができる。

その意味では次期政権交代を狙うセカンドという以外なんかあんの、と思われる民主党の存在も、自民党が政権に居座り続ける限りは天皇制的権威主義システムを補完するものでしかない(かつての社会党が、自ら認めるか否かとは別に宿命的にそうあり続けたように)。
まず中心を叩く、それからだろう。

現行の、権威主義的であるという以外になにひとつ国民性を感じない日本国の精神構造を破壊するには、再度敗戦して焼け野原からやり直す以外に方法があるとすれば、天皇制を廃するか自民党を破壊するしかないだろうと考えるのだが、テロるわけにもいかないのでとりあえず政権からは降りていただきたく投票申し上げます。

というようなこと周辺で、明日言わんとすることは決まり。
寝る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

9月 08, 2005

悪玉コレステロール、カモン

あいかわらずバタバタしてます。

健康診断の結果を開いたら
「コレステロール総量が低値だが、悪玉コレステロールが辛うじて標準値なので今回は異常なしとしました」
として、LDL-Chole 検査値:70 基準値:70〜139
というのがわざわざ特記してある。

なんでも悪玉コレステロールも、少なすぎるのもそれはそれで問題らしい。

(ホルモン原料、頭脳に関る、新細胞の細胞膜構成など)

に影響するようだ。
「頭脳に関る」ってのがなんとも。つまりオレはバカになりつつあるということだろうか。(←既にバカな発想)

去年まで「卵、乳製品を多めに摂ってください」というコメントが記載されていたが、今年は「脂肉、卵類、乳製品などを・・」とあらたに脂肉が加わった。
というわけで私と一緒にステーキを食べに行った人は、脂身部分を切断して私に与えたりすると私は喜びます。

「池袋ウエストゲートパーク4 電子の星」もうすぐ読了。ちょっと徐行運転の朝などは出勤経路で一話読めてしまうくらい手軽な読み物なのがこんな時期には助かる。「失われた時をもとめて」もこのくらい読みやすければいいのに。(もっともそれじゃ文学史上に残ってないかもしれないけど)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

8月 24, 2005

スカベンジ作用とは何か

会社でもらったルイボスティーのミニペットボトル側面に、このような記載があった。

ルイボスティーには(中略)、「SOD様作用」と同じ「スカベンジ作用」があると言われています。
全く分かりません。

それにしても「スカベンジ作用」とは、あまりにも素敵な語感。どんな作用なんだろう?「SOD様作用」って言われても、そっちはそっちでよくわからない。

ganari
この人ですか

スカベンジ作用でググると「ルイボスティーにはスカベンジ作用があり・・」という記述ばかり出てきて全く意味がない。どうやらスカベンジ作用という作用は、ルイボスティーがそれを持っているという意味でのみネームバリューのある作用らしい。
SODの方は、高分子抗酸化性成分の略であり、活性酸素の活動を妨げることによって老化を防ぐ働きがあるとわかった。
知ってみると、意外とまじめな内容である。(←当たり前だ)

せっかく覚えたので、事あるごとに強引に「スカベンジ作用」という単語を運用しています。

例)
 A「おいあれ見ろよ、あの田中が勉強とはね。明日あたり雪でも降りそうだな」
 B「きっとスカベンジ作用か何かなんじゃない?」

よろしくお願いします。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

8月 21, 2005

沼袋氷川神社祭

今年も来てみました!今年は新調したばかりの浴衣姿。
和太鼓の出し物には何とか間に合った感じ。楽しみ!

050821_20510001.jpg

050821_taiko01

050821_taiko02

050821_taiko03

今年も和太鼓集団十三のパフォーマンスにみんなノリノリでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

7月 24, 2005

我が家の地震被害

青山で行なわれたバーベキューパーティーから帰宅してみると、本棚の上に平積みしてあった漫画が崩落していた。
050724_jishin01

050724_jishin02

この本棚はユニットバスの扉のすぐそこにあるので、フロ上がりで体拭いてる時に地震が来てたりするとやばかったかも。

全裸死体で発見−死因は、崩れ落ちてきた「クルクルくりん」(とり・みき著)全巻−

恐ろしい。ちょっと本整理しようかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

7月 13, 2005

全然Blogに手を付けられない

まずいなー。ここんとこ弁当も滞りがちです。
とりあえず前回以来書きたいと思ってるネタをメモ。

<<映画>>
ホ・インム監督「恋する神父」(監督っつーよりはグォン・サンウ主演と言った方が通りはいいか。★★)
キム・ギドク監督「サマリア」(相変わらず後に残る映画づくり。ラストシーンの素晴しさには★★★★)
井筒和幸監督「パッチギ!」(★★★★)
「機動戦士Zガンダム 星を継ぐもの」(憲兵いじめと両親眼前抹殺のヒサンに★★★)
<<本・マンガ>>
中沢新一著「僕の叔父さん 網野善彦」(★★★★)
南Q太著「スクナヒコナ」3巻(★★★)

で、今は四方田犬彦×李鳳宇の対談集「パッチギ!対談篇」を読み中。
以前「先に抜け、撃つのは俺だ」と題されて刊行されていた対談集に、「パッチギ!」以降を追加して刊行された本。映画「パッチギ!」を彩るエピソードの大半は、プロデューサーである李鳳宇氏の京都時代の「ほぼ実話」だったという。若き日の朝高生vs日本人高校生対立の実態もさることながら、済州島事件を逃げのび甥を朴政権に逮捕された父親のエピソードにも圧倒されるし、いっぽう四方田氏が教駒時代に参加したバリゲート封鎖を、当時「週刊朝日」の記者だった「川本三郎ってのが」味方と称して支援を申し出ていた・・などといった逸話も面白い。
「パッチギ!」の宣伝のために放送で「イムジン河」を流そうとしたところ、いまだに放送局側の自主規制でかけられなかったという話には驚き。なんといっても、これは'60年代の話ではなく、今の話なのだ!
ということで映画「パッチギ!」が面白かったという人には必読書。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

6月 11, 2005

INTEROP / 読売日響公開録画

ちと視察ということで、幕張まで「NETWORLD+INTEROP」に行ってきた。
オシゴト上、基調講演NHK技研所長さんのを聞いたのだが、かなり笑えたのがTVMLのデモ。
テレビジョンマークアップランゲージということで、テレビ番組制作上の様々な指示指定用語をHTMLのようにタグ化することにより、タグ付きの放送台本ひとつで誰でもテレビ番組をデッチ上げることができる!というネタ。
NHK技研一般公開のレポート記事でその存在はちょっと前に知ったのだけど、それで作ったテレビ番組を見せてもらったのは初めて。
3Dキャラクターを色々ぐりぐり動かせるのはメリットなのだけど、声が何せあの電話自動応答的な機械的フラット発音なのが痛すぎてオモロイ。このあたりは今後、イントネーションを制御するタグや音声のオプションを増やすことによって表現が増していくだろうという見通しなのだろうが、取り敢えず現状の成果物の香ばしさはかなり片腹痛いものではある。
今後、PA(パブリックアクセス)などの分野で活用されていくなら色々発展するのだろうけど、今のところはどうだろう。ブロガー周辺で面白がる人がいっぱい出てきて盛り上がれば、次の展開にもつながるかな?

帰社後はさくさく残務を終わらせて、池袋に移動。りいさんと芸劇で行なわれる読売日響の公開録画へ。
飯守泰次郎指揮で、プログラムはパーセルの歌劇「インドの女王」序曲、ブリテンのヴァイオリン協奏曲といったイギリス音楽プロと、後半はワーグナー「タンホイザー」序曲、「ローエングリン」第一幕への序奏、「パルシファル」から「聖金曜日の音楽」ほか。何だこりゃ的な組み合わせだが、パーセルとタンホイザーは良かった。ブリテンは相変わらずいまいち踏み込めない口惜しさが残る。うーむ。

終演後はバーで飲んだ後、西口の知る人ぞ知る中華料理屋へ。
ラム肉団子の煮込みが超うまい。しこたま飲んで食べて帰途。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

5月 30, 2005

「冗談顔だけにしろよ」で有名な

子供のころによく見てた海外ドラマ「アーノルド坊やは人気者」のコミュニティをmixiで発見、さっそく入ってしまった。
名セリフ「冗談顔だけにしろよ」は実は原語にはないフレーズだった、とか、
実は東京都民はあんまりこのドラマを知らないらしい?とか、色々発見があったが、何より公式サイトで聞くことのできるテーマソングが、懐かしさ爆発。

原題は"Diff'rent Strokes"って名前だったんですなあ。確かに子供心にも「アーノルドって名前が歌詞に入ってないんじゃないの」と不思議には思っていたが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

5月 25, 2005

巨大ロボキター!

スタパブログ経由の情報で男泣き!

http://www.sakakibara-kikai.co.jp/products/other/LW.htm

キター!
歩いてるうー。

感動のあまり仕事仲間にメール出したら開口一番
「なにこれ、Lightwaveで作ったの?」
そりゃそう思うよね・・・(^^;)
でもリアルなのだ!

そういえば1/1ボトムズ作った人のブログ本は売れているのか?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

5月 23, 2005

「独立愚連隊西へ」

シルクロード展に行く予定だったがキャンセルとなり、なんか時間が浮いたので新・文芸座で行なわれている特集上映「追悼・岡本喜八監督の軌跡」を見に行くことに。
行く途中で友人Mとの夕食を設定してしたため、見たのは「独立愚連隊西へ」のみだった。

池袋文芸座は私が大学1年〜2年の青春の大半を注ぎ込んだ小屋だったのだが、閉館となり、建物が取り壊されてのち何年かして「新・文芸座」として復活した・・とは聞いていたものの、実地に小屋に行くのは初めて。
大学のころよりも幾分か風俗店が増えたような気がする東口ビックカメラ裏の、パチンコビルの3Fに現在の文芸座はあった。
この日は「独立愚連隊」シリーズ二本立てということもあり、客層の大半がリタイア組のシニア、もしくは、シニアじゃないけど既に社会をリタイアしているような雰囲気の(^^;)良く言えばシネフィル男たちで埋め尽されていた。
何しろ休憩時間でも女子便はガラ空き、男子便は長蛇の行列。何となくそれを見て頼もしい気分になってしまったのは私だけだろうか?

・・・映画の感想についてはまた追記します・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

GREE早稲田会のあと本買い

なんか色んなトコ行ったり疲れる話を聞かされたりした一週間だったので、死んだエビのように丸まって寝てた土曜日。

夕方ちょっと出社してメールなど受けたり出したりしてから、馬場で行なわれた第3回GREE早稲田会に出席。
なんか不可思議なほど年の離れたオヤジも来てて盛んに起業指南的熱弁を飛ばしており、かなり香ばしく思われる場面もあったが・・。主催者がどう思っているのかは分からないが、こういうタイプの人も来るようになったかという感想。
第一回目からフシギとコンプリートしているが、今回は最も人と話せない会だった。
もちろん私の側の積極姿勢の欠如が災いしているのだと思うが・・。

何しろ、GREEって最近ほとんど触っていないのである(恥)。

これは別段GREEのシステムがmixiに比べて悪いというわけではなく、私が家で使ってるMac OS9.2/IE5環境ではGREEはほとんどの画面が表示できないという不思議な現象に起因する。
この原因は、あるいは開発の段階でMacユーザーとかSafariユーザーを切り捨てたりするデファクトスタンダードに毒されたコスト優位の開発方針がそうさせているのかもしれず、あるいはただ単にGREE開発の現場に一台の動作確認用Macすら買えないのかもしれず、はたまた私の設定が悪さをしていて私の端末だけがそのようであるのかもしれないが・・。
まあ、別にGREEにからめた話題提供をしなきゃいけないってわけでもなく、単にこの日の私の「ノリが悪かった」だけなのだと思う。
多少の後ろめたさもありつつ盃のみを重ね、一次会にて失礼。

帰路、古谷実「シガテラ」4巻、また中公新書より吉見俊哉著「博覧会の政治学 - まなざしの近代」をあおい書店で買う。
古谷実のこの最近作は私のようなパーソナリティを持っている十代にとっては、往年における「人間失格」または「トニオ・クレーゲル」のような決定的影響を持ちかねない「純文学」だと思う。
この翌日矢も楯もたまらず買って読んだ5巻で出てくる以下のモノローグ、

イジメられてたあの時の"強さ"みたいなものはニセモノで・・/ただ何もせず・・厚い鎧を何枚も身につけ・・石のようにジッとしてただけのダメな安定感だ・・
今はその重い鎧は不必要となりはがれ落ちた・・/やっとみんなと同じくらい身軽になったんだ・・/その無防備さ・・スカスカ感に不安を覚え・・弱くなったと錯角してるのか?

あるいは以下のようなくだり。

越君と僕はかなり似た部類の・・/同じ種類の人間だと思う・・ 同類にしかわからないオーラというか・・・あるんだな・・プンプンにおう・・

この後、"越君"がやおら主人公に「いじめられた経験ある?」と聞くあたりで、なぜ自分が古谷実の諸作の中では今の所とびぬけた傑作とは言い難いこの漫画に惹かれるのか、分かった気がする。

重松清の「ナイフ」を読んだ時には全く皮相で納得できないものに思われた、いじめられる側の人間の世界観の描写がかなり妥当な感じなのですな。

何というか解決されるわけでもない短いエピソードが積み重なっている感じの5巻でちょっと行く末が心配になってしまったけど、多分自分にとっては重要な作品になるだろうと思われます。

「博覧会の政治学」は愛・地球博に行ってきたんで読もうと思ったところ、いきなりフーコーがどうしたとか言うことが書いてあるんで少なからず赤面したものの、まあまあ今んとこそれなりに面白い一冊(進行中)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

5月 17, 2005

キョーフの最終退出

金曜日、出向先で初の最終退出。
女性先輩方お二人が先にオフィスを出て行くとき、最終退出者のやるべき処置を教わったあとに、
「じゃあお先に、あ、ここちなみに出るってウワサだから。元 山○だしね。
 お疲れ〜」

・・ってマジ怖ェ!
これって新人OLいじめですか!?

(注:29男です)

そんな週末を越して次の出勤日、喫煙所に変な形でぶら下がってる日めくりをまじまじと見てみると、プチ怖かったりする。
050516_01

ちょっと黒沢清映画っぽいですよね。(でもないか)

夜半すぎに帰宅して夜食。
豚キムチです。
050517_dinner

ここ参考にしてます。食材は足りてないけど・・。
脇にあるのは中華スープ。タイフェスで買ってきたトウガラシ足してみた。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

5月 15, 2005

今日もタイフェス〜「海を飛ぶ夢」

050515_thai01
今日もタイフードフェスティバルに行ってきた。

050515_thai02
やっぱり今日もすごい人出。

スタジオパーク売店のお便所を今日も何度か使わせて頂いたのだけど、スタジオパークの壁にBSのキャラクター「ななみちゃん」のプロフが貼ってあったので記録。
050515_thai03

「怒った時はしっぽが腫れあがり、けばだつ。」
のだそうです。

シンハービールでしこたま酔った頭をふりながら新宿に出ると、急に雷雨→天気雨の状態に。
なんとも不思議な天気でした。
050515_04

新宿武蔵野館でアレハンドロ・アメナーバル監督「海を飛ぶ夢」を見た。
SFめいた「オープン・ユア・アイズ」、ホラー映画的な「アザーズ」などの作品を上梓し、今回は尊厳死を願う四肢麻痺の男性を描くヒューマンドラマを撮ったアメナーバル監督。
こうした様々なジャンルのスタイルを駆使しながらも、この監督は一貫して価値観・世界観の転倒という主題に魅了されているように思える。

海に飛び込んだ時に首の骨を折って以来4本の手足ともが麻痺、ベッドの上から一歩も動けない状態で28年を生き続けてきた船員ラモン・サンペドロ(ハビエル・バルデム)は「自分の尊厳の為に死を選ぶ」ことを決意する。
法的に認められていないカトリック国スペインで、尊厳死の権利を勝ち取ろうと裁判に臨むラモンは
「私のような境遇の他の人が生き続けようとすることを、私は批判しない、だから私のこの選択も否定しないでほしい」と語る。
そんな彼の前には「人生は生き続ける価値がある」「生き続けることは素晴しいことだ」と説く人々が現れる。
その中の一人であるロサ(ロラ・ドゥエニャス)はラモンを愛しはじめるのだが、「あなたは私に生きる力をくれたわ」と言うロサは、ラモンが死を選択することをかたくなに拒み続ける。
そんなロサに対してラモンは「私を愛しているのなら、私の選択を理解するべきだ」と語るのだが、
この言葉は「愛」についての非常に深い洞察を含んでおり、わたしたちに「愛する」とは何かについて再検討を催させるものだ。
そんなラモンは、杖つく女性弁護士フリア(ベレン・ルエダ)を愛するが、彼女も自らの生について、困難な選択に迫られているのだった・・。

宗教心の希薄なわが国に住んでいても、やはり我々には「生き続けることには意味がある」とラモンに語りたくなる衝動がある。敬虔なカトリック国スペインでは、尊厳死はさらに一層ハードルの高いことなのかもしれない。
私にも正直、ラモンの行動を肯定していいのかどうかは分からない。
彼が死後の世界を信じていないことは後半で語られるが、彼にとっては死ぬことによって自らを解き放つ行動こそが重要であり、いわば、死ぬことによって生きようとしたのだともいえる。
そうした彼が裁判に出廷するため外出するシーンで、救急車の窓から眺められる世界がじつに生に満ちていて美しいのは、切ないことである。

ラモンが尊厳死団体の女性に「これ以上私と関わることによって君に迷惑が及ぶかもしれないから、今後は一切連絡をとらないことにしよう、お別れだ」と電話をかけると、女性は、あなたの決断で非常に多くの物事が動いているけれども、それだからといって決断を翻していけないことはないから、もう一度よく考えてと呼び掛ける。
「君も他のみんなと同じだね」
と返すラモンの言葉は、自分の信念を他人に伝えることがいかに難しいかの悲しみに満ちており、いっぽう、土壇場にきて生きる道を選ばせようとする女性側の弱さをも露呈させる、酷な言葉である。

非常に重いストーリーであるが、映像は非常に美しく、かつ、私たち観客に多くを考えさせる映画だった。「アザーズ」で見せたあのヴェラスケス絵画のごとき明暗のワザは、この映画でも効果的に使われている。(★★★★)

終映後いろいろ考えながら壁に貼ってある同館上映中の「甘い人生」の雑誌記事を見てたら、「甘い人生」のキム・ジウン監督は「クワイエット・ファミリー」「反則王」のキム・ジウン監督と同じであることが分かった。
そうだったのか!今まで全然結びついてなかった。不覚・・・。
「反則王」は遅刻ばかりで上司にどやされまくるダメ銀行マンが、夜は反則プロレスラーとして大活躍というマンガみたいな話なのに、ものすごくハイセンスな画作りが抜きん出た映画で感心しきりだったのだが、あの映画の監督であれば「甘い人生」のあのうまさも納得。
こうなってくると「箪笥」が無性に見たくなる。
他に「ビョンホンの新作はノワールを一新した"優ノワール"」なんて感じの見出しも目に入ったが、「"優"なんぞノワール映画には必要無い。ノワール映画とは我々の血を凍らせるがごとき、酷薄な美に満ちたものであるべきだ」・・などと思ってしまう私は頭がカタいのでしょうか。
もっとも「甘い人生」が優しい映画だとは私にはあまり思えない。特にヒロインがビョンホンからの贈り物を開封した時に「は?」という顔をするカットは残酷に思われる。「報われない愛情は本人にとって(だけは)美しい」と書いた理由はここにある。

050515_05
タイフェスで買ってきた調味料類。
まんなかのはエビペースト。パスタなんかに入れるとめっちゃ旨そうである。800円のところが300円。安ッ。
パスタはトムヤムスープ買ったらおまけでつけてくれたものだけど、「イタリア製」だそうである(笑)この適当さがたまらなくいい。

050515_dinner
さっそくエビペーストを使い、晩飯はチャーハン。
もうちょっといっぱい入れたらよかったかもとは思いつつ、ほのかに隠し味的にエビ味が効いてて。おいしかった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

5月 14, 2005

ばか

お昼ころ、銀行ATMで5千円をおろそうとしてたのだが、
ふつう5千円というお金をATMから引っ張り出す場合、タッチパネルで「5」「千」「円」って叩くじゃないっすか。
ところが指が滑って、「5」「円」って叩いちゃったわけです。
でもまあ千円未満は出ないべ、とささいなタッチミスを行なった自分に寛容な気持ちでいたのですが、
すると

 「処理中です・・・」

ん?なんか一旦タスク処理だけはすんのかな?
その後「千円以下のお引き出しはできません」とかエラー出んだろう、と思ってると

 チャリーン。

 ンガーッ(フタの開く音)。

そこにはまごうことなき5円玉 ◎ が!

「すげえっ、銀行ATMって5円からでもおろせるんだ!」という思いと
「ATM使えないなんてオレってひょっとして脳みそサル並みなんじゃないか」という思いが相半ばしつつ、まあ一応ここは前者の「新しいことを発見した」喜びで後者の指摘を覆い隠していたわけです。

そこで気を取り直し、もういっぺん今度こそ「5千円」を降ろそうと再びタッチパネルをたたいたところ、

またしても指が滑って、「5」「円」と叩き

 「処理中です・・」

 チャリーン。

 ンガーッ(フタの開く音)。

再びそこには揺るぎなく5円玉 ◎ が!

あまりに文字どおりの猿行動に、久方ぶりにホモ・サピエンスとしての自分を疑ってしまった、そんな13日の金曜日でした。 _| ̄|○

| | コメント (3) | トラックバック (0)

5月 10, 2005

止の字が気になる日。

何の気なしに缶コーヒー「WONDA SHOT&SHOT」を飲んでたんですけどね。
缶の脇に「止まらない新・微糖」って書いてある。

・・って、何が止まらないの?
「どんどん微糖になっていく、この缶コーヒー微糖化の流れは誰にも止められないぜ
ってことかな。
でもだったら「微糖化が止まらない」or「止まらない微糖化」だろうしなあ・・
と思って首をひねっていたのだが、WEBサイトを読んでみると「甘さスッキリ→何本でも飲める→止まらない」
ということらしい。

「(飲むのが)止まらない新微糖」ってことかフーンと思いながら、なんか飲下せない日本語だなあと思うのだった。

そんな折帰宅途中の自販機をふと見てみると、どうも身勝手駐輪に困っているらしく、力強い貼り紙。
050510_21530001.jpg

ん?!

050510_00

050510_01

050510_02


お、惜しい誤字出たーー!!


PA・KU・RI☆ >パクリ元はこちら

こちらはよほど駐輪の流れを止めたかったらしく、二文字の中に「止」という字が二回も登場している。
日本語としては間違っているが、その勢いは買える。

ということで「止」の字が妙に気に止まる日なのでした。

(↑上記文章の中に1箇所、誤字が含まれております)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

5月 09, 2005

表参道ブランチ会〜「ゴッホ展」

りいさんのお声がかりで表参道のカフェで行なわれた「新緑を楽しむ」ブランチ会へ。
時間があればまた→この時050403_15500001_zoomのようにキモノ出撃かと考えていたけど、気付いてみるとけっこうな時間で慌てて家を出る。
20人くらいで盛況。福岡から飛行機で駆け付けた、ぶしょうひげボーボーのしんさんとも会えたしよかったよかった。

りいさんと千葉の動物園にマレーバク(→こんなやつだ)を見に行くか!?という案もあったが、ブランチ会をはけてみると、千葉についた途端に閉園してしまいそうな時間帯だったため、断念。
そこで、竹橋の東京国立近代美術館で催されている「ゴッホ展」を見に行くことに。
大混雑っぷりがムカつくこの展覧会、やはり20分ほど待たされたが、しかし混むだけの内容はあって、かなり満足できた。

個人的に気に入っている版画に気に入りの詩文を装飾的に書き付けて弟にプレゼントするなど、幼少期のゴッホは気の効いた文科系少年だったようである。パリに出てからはゾラ、モーパッサン、ゴンクールなど多くの自然主義文学を好み、それら本の絵をいくつも書くなどしており、本好きの属性が強いことをうかがわせる。
ゴッホが印象派・浮世絵の画法を貪欲に取り入れてきたことは良く知られているが、オランダ時代からその絵を愛し続けてきた先進者ミレーが開拓した「種まく人」というモティーフを、自分なりに再構築して描いた作品なんてのがある。このゴッホ版「種まく人」、彼なりの輝きにみちた色彩や、太陽を画の中心に置いた構図などに感じられる意志の強靱さが非常に面白い。(この強靱さがのちに狂人さに転じるわけですな・・などと不謹慎な地口)
展覧会のプロモーションで多用されている「夜のカフェテラス」は、まるでお伽話絵本の挿画のような柔らかさに包まれた「夜」が実に素晴しい雰囲気を伝えているし、晩年の「サン=レミの療養院の庭」「糸杉と星の見える道」なども素晴しい。

この展覧会がいいのはゴッホだけでなく、ゴッホ美術館、クレラー=ミュラー美術館の両館に所蔵されているゴッホ周辺の画家たち(シニャック、ピサロ、ミレー、ベルナール、セザンヌなど名品が多い)の作品が展示されていること、それとゴッホという人をしのばせる、身の回り品などが展示されていることである。
色の補色同士を寄り合わせた毛糸玉が詰まった朱色の木箱が展示されているのだけど、これなどはその中から時折毛糸玉を手にとっては色の配置を考える画家の横顔を想像させるもので、非常に興味深いものだった。

休日の日中は激混みの展覧会のようだが、会期中は木・金・土・日・祝の午後8時まで開館するということで、平日の夜などは狙い目ではないかと思う。

お壕を臨める館内のレストランでディナーを食べ(ブイヤベースなどがおいしかった)、さらに常設展も夜8時の閉館ギリギリまで観て、近代美術館を堪能した午後でした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

5月 06, 2005

手巻き寿司およばれ/「ドク・ホリデイ」「ファミリー・プロット」

遅く起き出す。
ブランチとして、冷蔵しておいたポトフの残りに茹でたアスパラと焼いた豚肉を入れてスープパスタに。
050505_lauch
あんまり具の残ってないポトフ汁をどうすっかと思っていたが、名案であった(おいしかった)。
三連休で「失われた時を求めて」5巻を読み通せればと思っていたが、まだまだ3分の1くらい。

晩は仙川に手巻寿司をおよばれしているので、それまでビデオでも見ようと、ずっと前に中古VHSで買ったフランク・ペリー監督「ドク・ホリデイ」を観る。

伝説的カルト映画「女優フランシス」で有名な監督フランク・ペリーは、かつては「泳ぐひと」などでニューシネマの旗手と目されていた一人で、この映画も極悪非道な権力者ワイアット・ア−プがクラントン一家を騙し討ちにする過程を描くという、オルタナティヴな視点を提供する(笑)西部劇。ステイシー・キーチ演じるドク・ホリデイは娼婦フェイ・ダナウェイを囲い、それまでの自分にケリを付けて新しい人生を歩もうとするが、その手は血に汚れきったものだ。
フェイ・ダナウェイが帰宅したドクを「痩せぎす!」と呼ぶとステイシー・キーチが「売女!」と返すようなシナリオを書いたのは、コラムニストとして有名なピート・ハミル。腐り切った権力を振りかざす連邦保安官ア−プの描写には気骨がみなぎっているのだが、映画として面白いかというと、微妙(^^;)(★★☆)

寿司のために大葉をスーパーで探したのだけど3店鋪巡ってもどこも売り切れ。子供の日って手巻寿司が売れる日だったのだと初めて知った。
およばれ先のお宅で子供たちとウノやったりオセロやったり。兄8歳弟6歳と、随分大きくなったものだが、6歳でもやっぱりノートにカブト虫のウンコとか書いて喜ぶもんなんだなあ。自分もそうだったろうか。
050505_sengawa
仙川のリトル・リヒテル。光線の具合で妙に神格化(^^;)

帰宅してから、DVDでヒチコックの「ファミリー・プロット」を観る。遺作にも関わらずこれまで何故か観てなかったが、めちゃくちゃ面白い。

名前も住所も一切不明な大富豪の遺産相続人を見つける仕事を、インチキ霊媒師女とその恋人が請け負うストーリーから始まり、ここに絶妙のコンビネーションで身代金誘拐を達成していく宝石商とその妻(?)のストーリーが交錯していくスリラー。この二組の男女の対比も面白いのだが、回りのキャラクターたちのディティールの描き方がまた明快ながら実に細やかで、何と情報量の多い映画だろうかと感心せずにいられない。
また官憲の敢えて一面的なキャラクター造型や、緊迫する山中の取り引きシーンに子供5人連れた牧師がコーラ飲みに来る等といったヒッチ的話法も楽しく、実に芳醇きわまる映画である。素晴しい!(★★★★☆)

| | コメント (1) | トラックバック (0)