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1月 26, 2006

iPod videoで落語

060125_ipod

いろいろ書きたいことはたまっているが、それはそれとして、こわれたCDウォークマンの代わりにiPod買いました。
実際のところ使ってみると、すでにソフトとして持っているCDをわざわざiTunesに読み込まないと聴けないし、買ったばかりのCDの封を開けてすぐに聴くということができない点ではCDウォークマンよりめんどくさいけど、テープやMDの場合を考えてみるとダビングしなきゃいけないうえにメディアがいっぱい増えてかさばるというデメリットがあり、それよりは格段に良い。
ただ、クラシック音楽を好んで聴く身からすると、iTunesが勝手にトラック間に入れる無音がかなり気になる。
オペラや長い交響曲などになると、ひとつの長い幕や楽章を、聴き所別にトラック分けしてあるCDが多いのだが、トラックの境界を挟んでいても音楽はその間ひと続きになっている。
したがってトラックとトラックの間は「曲間」ではないのであり、それを別々のファイルとして分けてしまっては本当はいけないのだが、まあ、そんなスモールマーケットの独自仕様はスルーされてしまっても止むを得ないところなのだろう。
しかしこれが例えばマーラーの交響曲第8番の第一部「来たれ、万物の主たる聖霊よ」の、あたかも惑星の鳴動するかの様なオーケストラとコーラスの怒涛の響きに浸りながら、この19世紀末につくられた西洋音楽の爛熟の極点のひとつに心沸き立たせているときに、不意に「ブツッ」という一瞬の音の断絶が入れ込まれたりすると、「ざけんな!」という声のひとつも上げたくなるものである。

という難点もあるものの、私がiPodを使ってみたいと思った大きな理由のひとつであるPodcastingは、けっこう楽しめる。
特にいつも私が楽しみにしているのはニフティの提供している「ぽっどきゃすてぃんぐ落語」である。文字通りPodcastingで落語を配信するもので、最近Videocastingにも対応したため映像付で楽しめるようにもなった。
出演しているのはみな二ツ目(寄席の出演順で、見習いであり最初に高座に座る「前座」の次に出てくるランクなので「二ツ目」・・・ちなみに寄席の最後に出てくる大家は「真打」でありこちらのの語は落語ファンならずともご存知だろう)の方々だということなのだが、演目がすべて古典であるためまずは安心して楽しめる。
特に三遊亭遊馬は非常にうまい。現在アップされている「井戸の茶碗」「転失気」、いずれも著名な噺であり内容は知っているのだが、それでも死ぬかと思うくらい笑えた。
ぜひ遊馬氏の高座も見てみたいものです。

クドカンのドラマ「タイガー&ドラゴン」以降、落語が注目されていると聞くが周囲ではほとんど落語ファンなどいないし、テレビでもあまり落語番組は見かけない昨今、落語はPodcastingに非常に相性がいいコンテンツかもしれない。さすがに小三治あたりの真打クラスになると、ただで聴かせるというわけにはいかなくなると思うが・・・

12月 31, 2005

2001年〜2005年までを振り返ってみる

21世紀最初の5年間が終わろうとしている。

2001年〜2005年の5年間は、私個人にとっては「社会人」として生活することを学んだ5年間といえる。2001年2月、5年で大学をようよう卒業した後の私は、院試に失敗した過ちを繰り返すかのように数々の就職活動も水泡に帰し、バイトで働いていた現雇用先に拾われるような形で正社員雇用されたのだった。それから幾星霜、2005年に出向という立場で現在の職場で働くことになるまでの5年間。この間、様々なドタバタや屈折はあったものの、それを語ることはこの文章の主眼ではない。

一方で世情を想起してみたとき、私がまとめに使ってみたいフレーズは「オサマに始まりヨン様に終わる5年間」というものである。(ダジャレ?)

2000年期最初の世界史的重大事が、2001年9月11日に起きたニューヨーク世界貿易センタービルへのテロ攻撃であった事は誰しもが同意することだろう。この事件は、平和な現代文明を謳歌する私たちが、「ここが戦線の単なる後方にすぎないことを忘れる、いや、忘れたふりをし続ける」形で隠蔽してきた矛盾・脆弱性を、文字通り白日の下に引きずり出した。
人々の盲目的に消費へむかう欲望には大きな疑問符が殴り書きされ、豊かさへの根拠なき展望は破壊され、不安と怯えに満ちた現在へ、そして将来に横たわる暗黒へと、人々の視線はゆり戻された。

9.11に引き続くアフガニスタンへの空爆やイラク戦争は、本来そのような戦い方が有効でない分散型ネットワーク組織に対して、旧型の覇権的国民国家が徒に自らの軍事的リソースを消費する祭りとして現出した。結局のところヒュドラの頭をひとつだけ潰す以上のものにはなり得ないことを知ってか知らずか、いつ果てるとも知れない盲目的な戦争が繰り返される。フセイン元大統領の逮捕が、実現するとほぼ同時に忘れ去られていったのがその典型といえる。かの地では、「独裁者を倒せ」というかつての叫びはどこへやら、鮮度の落ちた敵は直ちに過去のものとなり、あたかもつんくプロデュースによるアイドルの生産工場のごとく、新たな「大物テロリスト」が次々とメディアにデビューしては、非人道的な戦争を戦い続けている。

この12月、私は1993年に劇場公開された押井守監督のアニメ映画「劇場版 機動警察パトレイバー2」をやたら何度も見ていた。カンボジアPKO活動が国内で大議論を巻き起こしていた時代に「自衛隊内の一部の決起部隊が首都に現代版の2.26事件を引き起こす」というストーリーのこの映画が製作され公開された事は、'90年代の日本映画史におけるかなり重大な事件と思われるが、そんなことはアニメファンしか言わないかもしれない。
繰り返し見るにつけ、この映画が描いたものは2005年の現在でも衰えなく有効であると感じる。上に引いた「ここが戦線の単なる後方にすぎないことを忘れる、いや、忘れたふりをし続ける」というフレーズは、この劇中に登場する以下のセリフの一部である。

「単に戦争でないというだけの消極的で空疎な平和は、いずれ実体としての戦争によって埋め合わされる・・・そう思ったことはないか?/その成果だけはしっかりと受け取っておきながらモニターの向こうに戦争を押し込め、ここが戦線の単なる後方に過ぎないことを忘れる。いや、忘れた振りをし続ける。そんな欺瞞を続けていれば、いずれは大きな罰が下されると」
「罰? 誰が下すんだ。神様か」
「この街では誰もが神様みたいなもんさ。居ながらにしてその目で見、その手で触れることのできぬあらゆる現実を知る、何一つしない神様だ」

決起部隊の策動を未然に防ぐべく、首都は自衛隊の戒厳状況下に置かれ、夜の東京に戦車部隊と装甲車部隊が続々と乗り入れてくることになるが、一夜明けるとその「戦時モード」はどこへやら、戦闘機械たちは日常的風景の中にすぐさま回収されていく。
雪に閉ざされていく首都の景観の中で、少しばかりの違和感を伴いながら日常へ回収されていく「戦争」・・・。
この映画が12年を経た2005年に到ってもいまだ刺激的である理由は明らかだろう。

社会はその根底に不安を幾重にも重ねながらも、その基本的なふるまいを変えようとすることはない。忘れたふりをし続ける身振りは、最初の砲声が鳴り響くまで、いや、あるいは砲声を聞いたその後でも、わが悦ばしき「総中流社会」で明日を迎えるために、人々が今日も明日も繰り返すビヘイビアであり続ける。

あらゆる危機が日常の中に回収されていく情景の中、私たちは米国農務省の不誠実を見ないふりをしてアメリカ産牛肉で作られた肉を食べようとし、人命よりも利潤を優先するデベロッパーの悪者面を見ないふりをして耐震強度の疑わしいマンションに住み続けようとしている。
その不安や憂いを、韓流ドラマに流す涙や来日スターへの熱狂の中で水に流しながら。

というわけで、
あー、ようやく「オサマに始まりヨン様に終わる」ってフレーズの説明終了。

さて、次の5年間では何か違う流れが生まれてしまうかもしれないという思いもある。
日本人が戦後の経済発展の中で得てきた「総中流社会」という条件が、ここにきて激しく揺さぶりをかけられていると感じるからだ。

2005年に特に印象的にわれわれに意識された概念は「社会の階層化」だといえるだろう。「下層社会」「ネオ階級化」「年収300万円時代」は、特に「SPA!」を中心とする20代〜30代サラリーマン向けメディアの支配的ワードとなった。
「総中流」の時代はかつてそのようであったものとして回顧される対象となりつつあり、多くの若年世代は、自らの給金が安いという万古から枯れない不満を「階層化する社会」という潮流に仮託して語ることを覚えた一年だと思われる。

これが日本社会の基層にどのような形で蓄積されていくか。米国のように、ひとたび自然災害の猛威が襲えばスラム地域に住んでいた下層住民ばかりが千人以上も死んでいく、偉大なる階層社会へと栄光の発展を遂げるのか。
現在の「勝ち組」「負け組」といった浅薄な価値観以上に、階層社会化は深刻である。生まれついてすぐ、構造的に自己の限界を規定されるのが階層社会であり、私たちは自らのアイデンティティの中に「階層」というファクターを常時刻印されながら生きていかなければならないだろう。
この5年は、米国に対してわれわれが持つイメージが、少なくとも文化的側面からいけば憧れの対象だった時代を終え、階層社会をはじめとして内部に深刻な矛盾を抱えた憂鬱な横顔の覇権国家というイメージへと書き換えられていった時代だともいえる。その痕跡は、「ボーリング・フォー・コロンバイン」をはじめとする一連のドキュメンタリー映画から、クリント・イーストウッドの眩いばかりの傑作「ミリオンダラー・ベイビー」でも見ることができる。
そうしたイメージの揺らぎは、国内では反・北朝鮮の流れとあいまって安直なナショナリズムに回収されていく傾向も見受けられるものの、おおむね、どこへ向かうとも知れない不安定感となって動き続けていると思う。
これが我が国の中で、次の5年、どのように形をなしていくのか。

期待と不安を抱きながら、2010年までの次の5年へと、年を越していこうと思う。

12月 04, 2005

私は美容室が苦手だ

いい加減髪の毛が伸びすぎており、切りに行きたいながら連日仕事で行く時間を作れずにいたのだが、今日ようやくばっさりカットしてきた。

それにしても久しぶりに行くとやはり「美容室」という場所は私にとって居心地のよくない場所であると感じる。体に染み付いたような萎縮、華やかなその場から疎外された感覚。
おそらく実際の所、私の冴えない風采…例えばセーターの随所にほの見える毛玉であるとか、原色に近しい色であったかつてを想像すべくもないスニーカーの色褪せぶりなど…が煌々とした照明の下に露わになり演出される場違い感もさることながら、最大の理由は私の中の圧倒的な髪型ポリシーの欠如にあると思われる。

いったい30年も生きており、その間使いもしない世界史単語(ポトシ銀山とか)を脳みその引き出しにぶちこみまくってきたくせして、いまだに私の髪型指示に関するボキャブラリーは「刈り上げない程度に短く」ぐらいしか存在していない。
隣のカット待ちの男性が、雑誌などを示しながらテキパキと前髪の長さ、色、スタイリングなどに関する自分の考え方を述べ、担当美容師と今回のカットに関する方向性を詰めつつあるかたわらで、この私はといえば

「どのぐらい切りましょうか?」
「ええと…ずいぶん伸びすぎちゃったので(←見れば分かる)、さっぱり切ってほしいんですが…(←著しく具体性を欠く指示)」
「……伸びた分くらい切りましょうか?」
「そうそう、それでお願いします!(←必死)」

などと、主張のないことおびただしい。
この打ち合わせとも言いなりともつかない時間をとおして、自分がこれまでの人生でいかに髪型に関して脳と時間を使っていなかったかに思い到り、ハサミを自分の生業として生きていこうと決めた目前の青年に対する申し訳なさに満たされるのである。

「あ、シャンプー別料金になるんですが、どうしますか」
「あ、結構です」
「シャンプーなしですね。髪、スタイリング剤とかついてないですか」
「ついてない…つけてないです何にも

いささか強調しすぎた私の口調に微妙な表情の美容師。
はっ!…またしても髪に関する配慮の無さを露呈してしまい、やりがいのない仕事という印象を彼に与えてしまったのではないか、等とまたしても萎縮する自分。
このようなわけでカット台に向かう前から既にたっぷりと引け目を感じてしまうのである。

もうこんな感覚を味わうくらいなら、最初から回転仕事前提で気など使おうはずもない1,000円カットでいいのではないかとも思うのだが、以前1,000円カット行った翌日の職場で
「うーん、なんともいえない坊ちゃん感があるね
などと評された屈辱もあり敬遠してしまう。
といって、男ならやはりバーバーに行くべきだろう、と駅前の「理容室 ヤング」(←実在)の戸を叩こうかと思ったこともあるが、ガラスに貼ってある具志堅用高のようなパンチ&ヒゲ男のイラストなどを見ると、心もとなくなってしまう。

そんなわけで、どこかにこんな私でも萎縮を感じずに髪を任せられるお店はないものか…と髪を切るたびに思うのである。

いっそ「髪型について普段何にも考えてない方!私たちは日頃のスタイリングまで優しくご指導致します」…とか店頭に書いてあれば安心なんだが。
メッセージの隣に吉岡美穂が写ってても良い。アデランスみたく。

11月 21, 2005

「グロテスク」(★★★)

最近私の体はタバコへの耐性の弱さを露呈しつつあるらしく、ずっと腹がゆるい。
初めて試しに吸ってみたピースメンソールの香料がキツかったのもあるのかもしれないが・・・。

木曜はグループ全社のイベントで久しぶりに大人数の前でしゃべらせてもらったのだが、聴衆のみなさんはこの壇上でえらそうにしゃべってる奴が、まさかうんこがゆるいことに悩んでいるものとは思ってもみなかっただろう。

そんなわけで体が弱っているうえに仕事が忙しい折に桐野夏生を読む・・・これはますますきつい。
しかも「東電OL殺人事件」にモチーフを得、昼は大会社の総合職だが夜は娼婦となる中年の女性が、悲痛なまでに自己を鞭打ち崩壊させていく過程を描いた小説「グロテスク」である。(まあ、実際にはその箇所は筋全体の5分の1程度のものなのだが)
ざっくり言って、非常に暗鬱な気持ちになる一冊であった。

「柔らかな頬」と間をほとんど置かずに「グロテスク」を読んだのだが、スイスイ読み進められるわけでも、読んでいて楽しくなるわけでもない小説なのに不思議と読んでしまうのが面白い。
女性小説という一面はもちろんあるのだろうけど、私にとっては、どちらも死というゴールに向かってまっすぐに・・・あるいは迷走しながら死んでいく魅力的な登場人物が登場すること、また、その物語を傍らにみつつ現世という無間地獄を彷徨う人々が語り部となっていることに惹かれるところがある。

半分以上読まないと、「このままイヤな人間がいやな物語を続けるだけの小説なんじゃねえのか」とやめてしまいかねないが、悪意に満ちた語り手が意外な一面を見せる終盤には正直言ってある種の感動をおぼえた。いや、泣けるとか好きになるような展開ではまったくないんですが。

殺人犯である中国人チャンが自らの手記で「自分は柏原崇に似ていると言われた」と書いているため、裁判の傍聴でその顔を見ようとした語り手が、実際の犯人の顔を見て

ああ、どうしたことでしょう。どこが「柏原崇」なのでしょう。

とか書いてんのには思わず笑った。カギ括弧までつけなくても。

ドストエフスキーだってもう少し笑いがあるぞ、と思わずにいれない重苦しさに満ちた前半にくらべ、後半では戦慄が乱れ飛ぶ暗夜のカーニヴァルとなる展開も、よく練られているなあと思った。しかしまあ体の弱っていたり、仕事に集中しなきゃならんというときに読む小説ではない。

最近読んだのはほかに「日本怪奇小説傑作集1」、石田衣良「LAST」、平井呈一編訳「恐怖の愉しみ 上」など。このところ暗鬱なものばかり読んでいるので、次は久々に冒険小説でも、ということでクィネル「パーフェクト・キル」のつもり。

10月 01, 2005

ラクーア行ってきました

この一ヶ月は仕事が忙しくバタバタしてたが、どうにかこうにかメドがついた。
システム屋さんからお花が来週早々に届くらしいけど、こういうノリって他もそうなのかね?

「無事に終わったら、私はその足でラクーアに行きます」
とミーティングで宣言していた通り、ささやかな部内飲みのあとはラクーア宿泊のため後楽園へ。
館内施設の勝手撮影禁ということなので、エレベータだけ撮っておきました。
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お風呂全種制覇のうえでラウンジにて生ビール。
ぷはー。

連日の疲れと、前夜フロに入れなかったため体に溜まった垢がとれ、
みるみるいやされる感じ。

お風呂最高!
そういえば新潟での予備校時代、どうにも煮詰まって夜中にホンマ健康ランド行ったことあったなあ。

ラクーアは、泊まろうとすると2,565円の入場料のほかに、1,890円の深夜割り増し料金をとられる。ホンマ健康ランドよりも割高ではあるが、設備はかなり良い。仮眠チェアはBSまで入るテレビ付きで快適だし、ネットも無料である。
ただし、混み合う休日前日などは充実した仮眠設備にあぶれる人も多いようで、朝目覚めてみると床に毛布しいて寝てる人などもおり、終電難民キャンプ的な雰囲気であった。

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モーニングセット500円。たいしてうまくなかった。

翌朝はさっそく朝風呂!朝風呂こそ最高のゼイタクですな〜。
閉館時間まで堪能し、サポート待機のため出勤。
いやー休日出勤だけど気分軽いわー。ビバ風呂。

9月 26, 2005

結婚式2連チャン

昨夜は大学GLEE CLUBの同輩の結婚式二次会@銀座に会社はけてから出席し、男だらけの三次会も少し末席を汚して終電前に帰宅。、
そして今日は高校文芸部の一コ上&同輩(つまり部内結婚?)の結婚式+披露宴@新潟に出席・・・・
のつもりだったのだが、7時前に家を出ることを見越して6時にかけたタイマーも虚しく起きた時には8時半。式は出られず、披露宴も1時間近い大遅刻となった。
まことに遺憾です。

何とか友人代表挨拶以降は聞くことができ、せいいっぱいの笑顔と拍手と、最小限度割り切れない数のご祝儀をお贈りしておきました。

それにしても、終了後にホテルの喫茶店でOB同士語りながらつくづく寂しくなった。

かつて仲間の結婚について語り合う日など想像もつかなかった明訓高校文芸部。(例外的な人はいたけどね)

ところが、ふと気付いてみれば
「まあ、まかり間違っても絶対結婚などできないだろう」
という男たちばかり、なんと狙い澄ましたように3人も売れ残っていることよ。

まずい・・・

実にまずい・・・

このままではOBでうっかり集まった時に、既婚組から「黒い三連星」とか呼ばれてしまう!(←ちょっと呼んでほしい気も)


とりあえず「いや、僕達は先輩というガンダムの後ろで射出を待ってるガンキャノンとガンタンクですから」と言って売れ残りの罪を先輩になすりつけてはおいたが。

「アムロ、はやく行ってくんないかな〜、 的なですね」 「いいから先に行けッ! 行けるものなら」

昨日は昨日で、あいつも来春結婚だのこいつももう結婚の予定だのと、いよいよ同輩間でマージナルな存在になってきたことを感じたし、

なんだか憂鬱・・・
もう少しオレだって幸せになれてもいいんじゃないか。
結婚とまでは言わないが。

そんなわけで、帰りの新幹線に乗る前に車中読む本としてE.F.ベンスンほか「怪奇礼賛」を買った。

陰鬱な気分の時は古典怪奇小説に限る。M.R.ジェイムズの短編とかがいいのだが、ここはロード・ダンセイニの短編もおさめられているこの書を買った。

ベンスンの短編「跫音」で今しも鼻持ちならないイギリス人の金持ちがレヴァント人の老婆に呪い殺されそうな雰囲気でドキドキドキドキ。

…こんな行動をとっているから売れ残るんじゃないのかと今書いてて思った。

9月 12, 2005

そんでもって30歳になりました。

昨年の誕生日は会社で徹夜モードの中迎えましたが、今年はバースデーパーティーの帰り、気持ちよく酔っ払い加減の中で迎えることができた。
お祝いいただいたみなさん、本当にありがとうございます。

ちなみに昨年ぶちあげた、20代のうちにやっておきたいコトのうち

・「失われた時を求めて」全10巻読破→現在まだ6巻
・転職する→なぜか親会社出向という形で職場だけは移る。
・20代までを総括する小説を書く→いまだ、シノプシスと第一章前半程度。

というわけで、あまりの達成度の悪さにアゼンとする。
次年度に到るまでにはこのうち二つくらいは達成したいところ。
とりあえず「失われた時を求めて」は年内読破の方向で。

うわー

東京7区も自民勝利ですか・・・

「今回は自民党に入れておいた」という声が多いようだが、
財政の完膚なきまでの破綻、大増税やむなしの状況をを招いた時点で、自民党は政権政党としての資格を失しており、「政権政党である」という以外に何らのアイデンティティも持たぬ自民党には、もはや政党として存続し続ける価値すらもあり得ない…、というのが私の思いなのだが、残念ながらそれを共有しうる人はあまりにも少なかったということでしょうか。

誇り高き保守とも信念ある革新でもなく、ただポピュリズム全盛の時代というわけですな。
あーあ。

9月 11, 2005

明日は(今日は)投票日というわけだが

投票日近くなると、やたらと「自らの政治生命を賭けて」というフレーズを聞くものである。
このうちのなんぼかでも、本当に命のかかった訴えなのであれば耳を貸そうかという気にもなるが、悲しいもので、政治生命を賭した改革に敗れ、政治生命を断ったといった騎士的な美談はついぞ聞かぬ。

どうやら「政治生命」なるものは、試合日前にはやたらと賭けられるものの、試合本番になるやいなや全部胴元の懐に入る仕組みになっている、八百長試合のチップみたいなものらしい。

「政治生命」というフレーズが唱えられれば唱えられるほどに胡乱に思えるので、私に投票してほしい政治家の皆さんは軽々しく政治生命を賭けないよう気をつけて頂きたい。
(たまに変な延命処置で奇怪にも生き永らえる山拓みたいな人が出たりすると、「政治生命」なるものに思いを馳せることもあるが)

投票くらい、ふだん言わない言いたい事をこめさせてもらおう。

自民党はとっとと、日本をこんなばかだらけの国にした戦争責任をとって解党すべきである。
(最近では「イラク戦争の戦争責任もとって、…」という解党要請理由が加わったが)

戦争責任をとらない体制の存続がいかに国民の精神構造に影響するかは、天皇制をみれば一目瞭然だが、
それ以前に「政権政党である」という以外なんらアイデンティティのない政党が未だに国家のトップに存在していること自体がこの上なく天皇制的で不健全であり、一刻も早く滅ぼすしかない。
かつて森喜朗という党内の椅子取りゲームで首相になったオヤジが「天皇を中心とした神の国」と日本を表現していたが、誰が王であると決めたのかとうに判然としない空虚な中心点に対して、何となくつつかず触らず権威として押し戴く権威主義的白痴ビヘイビアを「天皇制的」と表現するならば、まさに日本は天皇を中心とした神の国だと表現することができる。

その意味では次期政権交代を狙うセカンドという以外なんかあんの、と思われる民主党の存在も、自民党が政権に居座り続ける限りは天皇制的権威主義システムを補完するものでしかない(かつての社会党が、自ら認めるか否かとは別に宿命的にそうあり続けたように)。
まず中心を叩く、それからだろう。

現行の、権威主義的であるという以外になにひとつ国民性を感じない日本国の精神構造を破壊するには、再度敗戦して焼け野原からやり直す以外に方法があるとすれば、天皇制を廃するか自民党を破壊するしかないだろうと考えるのだが、テロるわけにもいかないのでとりあえず政権からは降りていただきたく投票申し上げます。

というようなこと周辺で、明日言わんとすることは決まり。
寝る。

9月 08, 2005

悪玉コレステロール、カモン

あいかわらずバタバタしてます。

健康診断の結果を開いたら
「コレステロール総量が低値だが、悪玉コレステロールが辛うじて標準値なので今回は異常なしとしました」
として、LDL-Chole 検査値:70 基準値:70〜139
というのがわざわざ特記してある。

なんでも悪玉コレステロールも、少なすぎるのもそれはそれで問題らしい。

(ホルモン原料、頭脳に関る、新細胞の細胞膜構成など)

に影響するようだ。
「頭脳に関る」ってのがなんとも。つまりオレはバカになりつつあるということだろうか。(←既にバカな発想)

去年まで「卵、乳製品を多めに摂ってください」というコメントが記載されていたが、今年は「脂肉、卵類、乳製品などを・・」とあらたに脂肉が加わった。
というわけで私と一緒にステーキを食べに行った人は、脂身部分を切断して私に与えたりすると私は喜びます。

「池袋ウエストゲートパーク4 電子の星」もうすぐ読了。ちょっと徐行運転の朝などは出勤経路で一話読めてしまうくらい手軽な読み物なのがこんな時期には助かる。「失われた時をもとめて」もこのくらい読みやすければいいのに。(もっともそれじゃ文学史上に残ってないかもしれないけど)

より以前の記事一覧