3月 30, 2008

「魂萌え!」(★★★★)

最近なにかと物入りで映画館に行く財力が(涙)
ということで日々ケーブルテレビの放送録画をした海外ドラマとか映画を見てたりするが、
阪本順治監督「魂萌え!」を見た。

桐野夏生の原作は読んでいないのだが、貞淑な妻が夫の死をきっかけに自立した女に変わっていく・・・という筋だけ聞けばなんだかありがちな話のようにも思える。が、このディティールがまこと絶妙にスリリング。
風吹ジュン演じる妻は突然の夫の死に直面し、それまでの夫を支える妻としての役割から急に離れたことで面食らってしまうのだが、忌中の家に訪れた「杉並手打ちそばの会」の会長のふとした一言から、急逝した夫は実は10年もの間社食の栄養士だった女性と浮気を重ねていた事実が判明し、驚天動地の感覚を味わう。
折も折、アメリカで事業に失敗した息子が、帰国して再び商売を始めたいのだがついてはこの戸建てに住まわせてくれと言い出すのだが、息子の思いのほかに横柄な詰め寄りに加えて「お兄ちゃんの自分勝手を許しちゃだめ」と言張る娘の、それはそれで母親の立場を思い遣らない不平に板ばさみになってしまい、耐えかねた風吹ジュンは家を飛び出して立川のカプセルホテルに流れ付くが・・・。

このストーリー、淡々とした描写ながら次から次へと逆境や出会い・別れが連続し、いっこうに飽きることがない。それに、めまぐるしい状況の転化の中でみるみると花開いていく女性を演じる風吹ジュンの輝かしさはどうだろう。麿赤児扮する映写技師のもとに弟子入りしようとピンク映画館に飛び込むシーンの風吹ジュンはもはや少女にすら見えてきさえする。帰りの電車の中で、飲みすぎてバッグにゲロするシーンとかも好き。脇を固める加藤治子、由紀さおりら熟年女優陣も良い。

阪本監督ので最近見てきたのは「KT」「亡国のイージス」などは大作ではあるがちょっとキュウクツな映画だなと思う作品ばかりだったが、この映画は久々に率直に好きな作品だった。同様に女性にフォーカスした「顔」よりちょっとこっちの方が個人的には良かったかも。

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8月 07, 2007

「怪談」(★★★★)

中田秀夫監督「怪談」をユナイテッド・シネマとしまえんで見る。

いや~かなり面白かった。円朝の原作「真景累ヶ淵」とか昔の映画とかは見てないので本筋がどうかは知らないのだが、怪異そのものはかなり古典的な感じながらも、視線のこわさなど(病死し死装束に着せ替えられる黒木瞳の眼が尾上菊之助を見詰めているように見えるシーン、かなりうまい)中田秀夫チックなこだわりがすごく効いていて、こわ面白い一本。尾上のなんかちょっと気持ち悪い美男子ぶりが非常に日本的怪談にマッチしていて良いが、一方井上真央にはじめっとしたとこが無くてミスマッチな感じはする。(かわいいはかわいいんだけどね)
麻生久美子はさすがに持ってこいの空気感があり、彼女とお化けの対決シーンは最大の見せ場かと。

最後には累ヶ淵でとり殺されて終りだろうというネタが割れてる中で、どうクライマックスをおもしろくするかが最も困難なところだろうと予想するが、監督はまさかの見せ場を作っており、これがあまりにも面白くつい声をあげて笑いそうになったがさすがに周囲からにらまれそうなんでやめた。尾上がびっくりしたみたいな顔してやるんでホント腹痛いくらい笑えるのだが・・・。ヒントは「鎌、大活躍」。
ところが↑の直後にくるラストの美しさは実に印象的。セットが実にセットっぽい感じで逆に昔の怪談映画らしさを醸し出しつつ、これでしかできない美しい画を見せてくれて脱帽としか言いようがない。ひさしぶりにいい画を見た心持。
そんな余韻をエンドクレジットに流れる浜崎あゆみがぶち壊してくれた。ここは川井憲次お得意の太鼓をドロドロ効かせた音楽であるべきだろう!
浜崎さんは累ヶ淵に沈んでください。(←「エンタの何様」風に)

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6月 18, 2007

「仕組まれた罠」または「人間の欲望」Human Desire

[mixiにポストしてるレビューの再掲です]

DVDでフリッツ・ラング監督「仕組まれた罠」("Human Desire")見た。
傑作「復讐は俺に任せろ」("The Big Heat")の翌年1954年の作品で、ボグダノヴィッチのインタビュー集「映画監督に著作権はない」などで「人間の欲望」という(まんまの)訳題になっている作品。
「復讐は俺に任せろ」に続いてグレン・フォードとグロリア・グレアムが主演している。

朝鮮戦争帰りのジェフ(グレン・フォード)は、戦場でふたたび戻りたいと願っていた機関士の日常に戻ることができ、日々平穏な思いで機関車を走らせていた。そんな中操車場で操車場長助手であるカール(ブロドリック・クロフォード)に出会うが、このカールは温和な仕事場での姿とは裏腹に、操車場長と対立し、妻のヴィッキー(グロリア・グレアム)にはDVをふるう二面性のある男である。感情的対立から操車場長にクビにされたカールは妻ヴィッキーがかつて家政婦時代に雇用主だった富豪にとりなしを頼むが、富豪とヴィッキーとの男女関係に疑念を抱いたカールは列車の個室中で富豪を殺害してしまう。
その個室に居合わせたヴィッキーは、同じ列車内でジェフと遭遇。平穏な生活を満喫していたジェフは、この殺人から織り成される疑惑と欲望の渦中に巻き込まれていく・・・。

「復讐は俺に任せろ」ではリー・マーヴィンのギャングによって顔に煮えたぎったコーヒーをぶっかけられるという、50年後の現在に見ても壮絶すぎるDVをくらっていたグロリア・グレアムだが、本作でも飲んだくれの夫にDVされている。しかし実はその中でしたたかに逆襲を狙って…という役まわりまで「復讐~」と共通していたりするのだが、このグロリア・グレアムという女優さん、こういう役回りのとき実に光る人です。”新カテゴリー美女”風にいえば「DVされただけで終わらネーゼ」とでもいえようか。グレン・フォードに殺人教唆をするシーンの眼のギラギラした感じはラング一流のフィルム・ノワール調明暗法とあいまって、まさしく心胆寒からしめる力がある。

http://us.imdb.com/gallery/mptv/1206/Mptv/1206/10181_0001.jpg?path=pgallery&path_key=Grahame,%20Gloria
グロリア・グレアム(IMDB)

また、グレアムとの疑いに満ちた関係に対比される、居候先の娘ヴェラ(Diane DeLaire)がグレン・フォードに寄せる片思いの切なさの表現もまばゆい。

エミール・ゾラの原作とはラストが改変されているようなのだが、そのせいなのかなんというか、とってつけたような落ちになってしまっており、映画としては正直微妙な出来なのだが、楽天的な音楽と平和な機関士たちの生活情景が、グレン・フォードが疑念にとらわれはじめるに従って徐々に陰影を帯びノワールの空気が漂ってくるあたり、フリッツ・ラング好きとしてはけっこう楽しめた。

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3月 18, 2007

「龍が如く 劇場版」(★★☆)

びっくりするほどつまらないと評判の三池崇史監督「龍が如く 劇場版」だが、とはいえ終わる前に見ておくべと思い歌舞伎町の新宿オスカーに足を運ぶ。
…でまあ確かにつまんなかった(笑)

ゲームストーリーの流れをなめるだけなめた感じな上に、流れに悪影響を与えてるとしか思えぬ新要素がつっこまれた脚本がとにかく何だそりゃ感連発でひどいのだが、どうもこれ、セガと並んで制作に韓国資本、CJ Entertainmentが加わっていることの影響なのではないか。そう考えるとあのあり得ないラストも合点が行くという単にそれだけの事だが…。

そんなわけだかどうか知らないがメインのストーリーは限りなく適当にユルく処理されているのに対し、全く関わりのない部分はけっこう楽しい。岸谷五朗演じる「真島の兄さん」は素晴らしかったし、ゲーム中に登場するドリンク剤「スタミナンスパーク」の“え、こんなとこでゲーム感出すのかよ!”と叫ばずにおられぬ使い方や、荒川良々の情報屋がドMなので真島に指を潰されるたびに喜びに悶えるというシーンのキモさも良かった。サエコのサブストーリーはもうちょっと見たかったな。彼女の特徴的なキーキー声は確かに「あっついから強盗しよう」とか言い出す歌舞伎町スケールのボニー&クライドストーリーに合ってる感じ。

とは言うものの見るべき映画とは言いがたい出来で残念。

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3月 04, 2007

すごいぞ!「マーダー・ライド・ショー2 デビルズ・リジェクト」

ロブ・ゾンビ監督の「マーダー・ライド・ショー」ならびに続編「マーダー・ライド・ショー2 デビルズ・リジェクト」続けてDVDで見た。
一作目はあのダンジョン的なところに行くあたりからかなり引き込まれたもののすぐさま終わってしまい、正直スラッシャーな映画にあまり親しまない自分としては、数々の引用にニヤリとはさせられたとは言えさほどの好印象はなかったが、続編「デビルズ・リジェクト」には驚いた。
話としては人殺し一家がやはり惨殺を繰り返しながら逃亡するという狂ったストーリーであることは間違いないのに、冒頭の銃撃戦シーンとタイトルバックからして物凄くレベルの高い画を見せまくり、自由に向けて突入するクライマックスではセンチメンタリズムすら感じてしまう。
冥府魔道的テルマ&ルイーズというか暗黒街の弾痕というか、その中間を埋めるべきアメリカン・ニューシネマの語彙に乏しい自分がもどかしくもあるが、とにかく恐るべき冥府への血まみれ疾走が意外なる感動を呼ぶ、怒涛の映画。
いやーこれは凄い。「ザ・ワールド・イズ・マイン」とか好きな人はすごい入り込める映画なのではないでしょうか。

個人的には、狂った保安官が鏡に向かって「タクシー・ドライバー」よろしくキメるところと、殺人一家のニックネームが実はマルクス・ブラザーズ映画の引用であったことが分かって意見を聞くべく呼んだ映画評論家が
「映画史上の最もくそったれな事態だ!エルビスの野郎、グルーチョが死ぬ三日前に死んで話題をかっさらいやがって」
などとオタク的叫びをあげるや
「俺の前で二度とエルビスの悪口を言うな!」
とかって保安官がマジギレするシーンにかなり笑った。

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「松ヶ根乱射事件」(★★★★)

つい先日「ゆれる」を見たとき、新井浩文があいかわらずいい感じ出してたのでその流れで、彼の主演作である山下敦弘監督「松ヶ根乱射事件」を見た。

「リンダリンダリンダ」とかは見てないんで山下敦弘監督の映画は初めて見たが、実にゆるい感じに田舎のスケッチを積み重ねていき、序盤は何やら緊張感がねえ映画、とさえ一見思えるのに、そのままのノリでこの「イノシシの町松ヶ根」に点在する狂った部分…
 散髪に追加5000円で頭の弱い娘とやらせる烏丸せつこの理容店、
 その娘をはらませて妻に「恥ずかしくて表を歩けない」と罵倒される三浦友和演じる父親、
 ビニ傘で山中崇を殴りつける謎の暴力中年キム兄
 …などを綴っていき、もっともマトモな人物として位置づけられている新井浩文が「乱射」に至るまでのルートに巧妙に観客を引き込んでいく。
 観客に感情移入をさせるようなことは殆どやってないのに、我々はいつの間にやら映画内に、どうしようもなく閉塞してもう笑うしかない的田舎町松ヶ根の状況に入り浸ってしまっているのだ。

 やはり怖いのは、この話が別に終わってもいないという事だろう。
 カタストロフな事でも何でもないようなねじれであるのに、閉じた田舎町の中であるが故に状況の出口もなく終わりも来ないという怖さ。基本、笑える映画なのだが見終わった後になんとも考えさせられる。全・田舎者必見の一本。

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2月 25, 2007

「叫」のブログパーツを貼ってみた

昨日見てきた黒沢清監督の新作映画「叫」。
かなりすごい画が連発。シャワーとか浴びててもいくつかのシーンを思い出してしまう傑作です。必見。

ということで当ブログに、公式サイトで配布されているブログパーツを貼ってみたよ。



いまだ「まもなく公開!」とかになっているが…(^^;)
それと黒沢清映画が好きな人とブログパーツ貼って面白がる人たちの層って重なってるのだろうか?というあたりも気になるが、まあここに一人おるぞということで。

また、公式ブログも立ち上がっているが、赤い服の女が書いている、ということになっている(^^;)うむむ~。

ま、それはともかくとしてとにかく映画はすごい。
以下、mixi日記に書いたメモをとりあえず転載。

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いや~またとんでもない映像を見せてくれた。葉月里緒菜の怪演に感激させられる日が来るとは!超やべえ。「パラサイト・イブ」では爆笑だったのにね。(とはいうものの「叫」でも何度か笑えるポイントあり。確信犯だろうけど)

一筋縄でいかないことで定評の黒沢清作品がメジャー系でかかるとかならず聞かれる「何この映画」という終演後の感想は今回もやはりそこらから聞こえてきたのだけど、とはいえ今作は「CURE」と同じくらい素直に面白い黒沢清映画ではないか、と思う。日頃「責任をなしにし」まくってる人は上空に注意、という映画(…なのか?)

ついこないだチャリで行った有明あたりが出てくるんでかなり気になった。ああ、あのドーム有明スポーツセンターだ、みたいな。変な場所あるなあと思っていた空間が事件の舞台になってるんでそのあたりもかなり個人的に興奮ポイントでした。

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一夜あけた今もいまだ興奮さめやらぬので、そのうち再見しに行くかも。ものすごい「叫び」のシーンがあるのだけどあれは劇場でないと出せない音響効果ではないかと思うので、もう一度見るなら劇場にかかっている間になんとか行きたい。

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12月 05, 2006

「麦の穂を揺らす風」(★★★☆)

アイルランド独立闘争を背景にした映画といえば今年前半見たものすごい良作「プルートで朝食を」が印象深いが、続けざまとばかりにやはり同じキリアン・マーフィが主演した「麦の穂を揺らす風」が公開されたので見てきた。
反骨の巨匠ケン・ローチだが、この映画は明白に彼の母国イギリスのかつてのアイルランド統治を差別と暴力に満ちた非人道的行いとして糾弾するものであり、きわめてラディカルな映画といえる(日本で、仮に八路軍だの三・一独立運動だのの闘争を被支配者の視点から描いた映画を、日本人の監督が撮り得るだろうか?)。
彼の真摯なメッセージはカンヌ映画祭で評価され、パルム・ドールを受賞した。

「プルートで朝食を」は、闘争続くアイルランドでオカマとして生きる主人公を通して、血で血を洗う戦争の光景の中でそれでも希望を失わずに生きようとする姿が涙を絞る、言うなればアウトサイダーから見たアイルランド闘争映画だったが、いっぽうケン・ローチは闘争のど真ん中に身を投ずるアイルランドの名もない若者たちの姿を等身大で描き、彼らのひたむきさと、しかしそれが武力政治闘争であるが故に帰着する悲劇を訴えるインサイダー側からのアイルランド闘争映画を撮っている。
それにしてもアウトサイダー側インサイダー側のいずれをも堂々と演じきっているキリアン・マーフィは素晴らしい。

冒頭で印象的なシーンがあった。
ハーリング(なんかホッケーみたいなアイルランドのスポーツ)の試合で集まっているアイリッシュの若者たちの所に「全ての集会は禁止だっ!」とか叫びながら英国の治安部隊ブラック・アンド・タンズが殴り込んで来、壁に並ばせた若者たちに名前を名乗らせる。
うちの一人が「マホールだ」と名乗ると、治安部隊は「何を言っている!?英語で名乗るんだ!」と彼を殴打しまくり、死に至らしめてしまう。
「マホール」とはアイリッシュのルーツであるゲール語での名前であり、英語で発音すれば「マイケル」なのだ。
マホールは英語で自分の名を言わなかったために殺されてしまったのだ。これってどっかで聞いたような話ではないか?
映画に登場するイギリス人は全く糞としか言いようのない圧政ぶりを見せるのだが、彼らの統治手法をなぞるように隣国文化や民族を見下す行為を歴史的に行ってきたわが国の来歴を思うや、映画中で悪の限りを尽くすイギリス軍の非道行為に憤懣を感じるいっぽうで、なにかひとごとならぬ思いも抱いてしまわずにおれない。

ニール・ジョーダンの「マイケル・コリンズ」でも描かれた条約後の内戦は、救いようのない悲劇としてこの映画でも影を落としてくる。銃を向け合う者同士が同じ釜の飯を食った同胞という状況下、彼らは名前を呼び合いながら銃撃しあう。
武力による政治闘争の末路としてみれば普遍的なストーリーともいえるものの、「おれたちは不思議な民だな」という台詞には味わい深い重みがある。

話の筋は圧倒的に重いが映像は美麗で、風光明媚なアイルランドの山並みが目に焼き付く。
音楽は「ディープ・ブルー」とか最近やってたジョージ・フェントンだ。この人「メンフィス・ベル」の作曲した人という印象を持っていたのだけど、実は「レディバード・レディバード」以来すべてのケン・ローチ作品の音楽をやっているとか。知らなかったな~。

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11月 25, 2006

「UNKNOWN」(★★★)

立川シネシティでサイモン・ブランド監督「UNKNOWN」見た。

廃工場の床にだらしなく転倒しているジム・カヴィーゼルが目覚めると、血の付いたスコップと自分同様に床に倒れて気絶している男、肩を撃たれて手錠に繋がれている男、椅子に縛り上げられたジョー・パントリアーノ(パントリアーノだというだけでいかにも縄を解いてはいけない感じがする・・・笑)がいる。
工場は暗号キーで密閉されており出られず、しょうがなくカヴィーゼルがジョー・パントリアーノの縄を解こうとすると、「やめろ!縄を解くな!」と、足を引きずりながらバリー・ペッパーが登場。

密室空間での異常状況の中、その場になぜ自分がいるのか、自分はいったいどこの誰なのか、誰ひとりとして思い出せない…。

という最初のシチュエーションはすごく面白そうなのに、実際には中途半端な映画だった。どうも「その場にいる誰が敵で誰が味方か分からない状況」というのが、うまいこと緊張感に繋がってない感じ。どうでもいいがこういうシチュエーションって「SAW」からの流行なのかね?見てないけど。
バリー・ペッパーとかピーター・ストーメアなど通好みのキャスティングではあるのだが…。

シネシティは雰囲気よくていい箱だなと思った。切符売り場のお姉ちゃんの笑顔とかも、マニュアルに書いてあるんでそうしてマス、って感じではない。職場の雰囲気がいいのかな?…と、「ホテル・ルワンダ」上映を最初に申し出てくれた劇場だからかもしれないが、何か好印象。

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11月 19, 2006

「トンマッコルへようこそ」(★★★★)

パク・クァンヒョン監督の韓国映画「トンマッコルへようこそ」をシネ・リーブル池袋で観た。

朝鮮戦争の真っ最中、韓国の山奥にある全く近代から忘れられたような呑気な村トンマッコルに、韓国・米国・北朝鮮の3軍の兵隊たちがそれぞれ別な理由で流れ着く。

墜落した米国の偵察機パイロットは、負傷した体を横たえたまま
『誰か英語のできるやつはいないのか』
と村人に聞くのだが、ひもで綴じられた英会話の本を持ってきた村の寺子屋の先生は、本をかっきとにらみつつ
「ハウ・アー・ユー?」と聞くばかり。
『おい、おれのこのざまをちゃんと見て言ってるのか?最悪の気分だよ!』
「おかしいな。ここで『ファイン・サンキュー。アンドユー』って返してくれないと、会話にならないはずなんだけど・・」
という調子で、1950年代なのにたいがい江戸時代級のノリの村である。どうもこの村、朝鮮戦どころか日本による占領も関係ないまま過ごしてきたのであろう。

この村人たち、銃すらも見たことがないため村の真ん中で南北の兵隊が銃を構えての睨み合いとなり、その間に挟まれても、双方が何やってるのか今いちよく理解していない。
「手をあげろ!」
「右手だけでいいの?」
そのうち畑から帰ってきたオヤジが「大変だ、またイノシシがおらたちの畑荒らしてるだ」というと「そりゃ大変だ」と、すっかり手をあげるのも忘れてイノシシ問題を討議しはじめる始末。


この映画、「トンマ…」という語感がなんかバカっぽいとか、いがみ合う敵同士が無垢な魂に触れて休戦、なんてありがちでいかにも泣かせにきてる感じだよな…と思って敬遠するのは損な映画といえる。

そりゃあ最後は私も泣きに泣かされ、売店で鼻水をすすりながら「バンフレッドぐださい」というザマではあったが、大事なのはこれが分断をめぐる現代史において彼らが「本当はこうするべきだったのに」と考えているであろう選択をファンタジーとして描いている点だ。
イム・グォンテク監督の「太白山脈」に代表されるハードな戦争映画で描かれるように、連合軍と人民軍がかわりばんこに民間の村を支配下に置き、その都度異端審問のようなアカ狩りや政治教育を通して圧迫や戦禍をもたらす地獄の状況が実態としての朝鮮戦争だったのだとすれば、彼らが破壊してきたイノセンスのまさにそのもののような村が現前するというファンタジー(劇中、トンマッコルという村の名は「子供のように純粋」を意味するとされる)は、登場人物たちに深く影響をおよぼし、やがてある選択を迫ることになる。

同民族内での戦争という惨劇の歴史をふりかえって「自分たちが本当に守るべきものは何だったのか?」と問う、そうした悲痛な問いがこの感動には底流として流れているのだろう。
それ故に通りいっぺんの泣かせ韓流ムービーとは一線を画した良作といえる。

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10月 10, 2006

「弓」(★★★★)

今、おそらく世界でもっとも面白い映画(見たらすぐに忘れる快楽装置としての意味ではなく)を撮る10人を挙げたら間違いなく入るであろう韓国の映画監督キム・ギドクの新作「」をル・シネマで見た。

エンジンの壊れた釣り舟に釣り客を招き、少ない乗船代だけを得て慎ましやかに生きる老人。彼にはどこからか拾ってきたと噂されている、16歳の美しい娘がついている。
あどけなくも奔放で、かつ魅惑的な彼女が17歳になった日、妻としてめとることだけを希望として、老人は船上で弓を鍛えながら生活している・・・。

浮き世離れした海上の世界で展開する話だが、「春夏秋冬そして春」ほど寓話的な難解な映画ではない。とはいうものの不可解なことは起きるので、多人数で見た人は解釈を巡って議論必至だろう。

監督の最近作「サマリア」(主演のこの世ならぬ美少女ハン・ヨルムはこの映画で援助交際に身を投じる少女を演じているが、どこか聖性を漂わせた魅力は本作とも通ずるものがある)や「うつせみ」も、これまで見たことのないような美しいラストシーンが印象深かったが、今回も「おおっ」と思わされた。
未見の方はお楽しみに。

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「教授と美女」(★★★★★)

ハワード・ホークス監督の伝説的傑作「教授と美女」は、ずっと見たかった一本ながらビデオがなかなか見当たらず、TSUTAYA恵比寿店で何年か前に目撃したきりだったのだが、中野のピープルになんということもなく置いてあるのを発見、早速借りて見たが、いやはや素晴らしい。

今世紀に誇る百科事典を編纂するべく洋館に集められた8人の教授たちは、人類の啓蒙という大テーマに挑む、浮世離れしたいい味出まくりのプリティー親父連だ。そこにクッキーの懸賞クイズの解答を知りたがったゴミ収集人が飛び込んできて、クレオパトラの死の理由は何というクイズの解答を教えてもらう。
ところが「俗語」の章を担当する英語学者ゲイリー・クーパーはゴミ収集人との会話の中に出現したスラングが実はさっぱり分からぬことに愕然とし、「本で学んでもダメだ、生きた俗語を吸収せねば!」と夜の街にフィールドワークに出かけ、そこでクラブの魅惑的な歌手バーバラ・スタンウィックに出会う・・・。

ダニー・ケイとバージニア・メイヨー主演によるリメーク「ヒット・パレード」(こちらも監督はホークス)は見ていたので筋の基本は知ってるのだが、何しろ役者が違う。
ゲイリー・クーパーの野暮天教授も素晴らしい(ボクシングの本を読んで仕込んだヘボアッパーを振るいまくる動きの珍妙さよ!)のだが、何と言ってもバーバラ・スタンウィックだ。めちゃかっこいいクラブでの歌唱シーンから、美脚を踊らせながらお爺ちゃん教授たちにコンガを教えるシーン、ヌボーッと背の高いクーパーの足下にまたたくまに文法書を積み上げてキスに及ぶシーンなど、きっぷのいい彼女のキャラクターが生かされた名シーンの連続で、スタンウィックのファンにはたまりません。
映画のストーリーは「白雪姫と七人の小人」に依拠しながら、少しピントのずれた老教授たちと、美男子ながらオンナの「オ」の字も知らぬゲイリー・クーパーを教育していくという、これまたホークスのスクリューボール・コメディの大傑作「赤ちゃん教育」に類似した物語をたどる。
「わしらはみんなあの子が大好きなんじゃ!」と叫ぶ老教授たちのこのチャーミングさはどうだろう?
男はみな、魅力的な女の子の前では子供と同然なのである。

もし今でも主演映画が盛んに見られていたなら、現代の女性にもっとも支持されるハリウッド女優ナンバー1はバーバラ・スタンウィックであるはずと断言して差し支えなかろう。「教授と美女」を見て女子力を高めよう、という女性誌特集があったとしても不思議はない。
ちなみにバツグンに面白いストーリーもそのはずでビリー・ワイルダーが共同脚本に入っている。「24」なみに、と言ったら誇張かもしれんが引き込まれまくるハイテンションな脚本です。

それにしても、これ書くために何年か前の「ハワード・ホークス映画祭」のパンフを読み返したら、てっきりジンジャー・ロジャースだと思いこんでいた「ヒット・パレード」の主演女優がバージニア・メイヨーだったと知って軽くショック。俺の記憶も信用ならんな…。

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9月 18, 2006

「マッチポイント」(★★★☆)

ウディ・アレン監督のイギリス映画「マッチポイント」をシネスイッチ銀座で見た。

ファーストカットの美しさと流麗な語り、美しい撮影に「いよいよ巨匠の箔がついたか?」と最初のうちは大変にワクワクさせられ、スカーレット・ヨハンソンの登場とそれに続くいくつかのシーンには大いに感服したのだが(エミリー・モーティマーの演じる、実に可愛らしくいい子ではあるが退屈な女の子との会話の後に、遂に現れるヨハンソンの妖艶さはどうだろう!)、ポロに乗馬に狩りにオペラ鑑賞・・・というこれでもかな英国上流階級っぽい展開にはちょっと恥ずかしさを覚えてしまった。
特に、映画のクライマックスともいうべき壮絶なシーンで、ヴェルディの「オテロ」が鳴り響くのは・・・。それはあまりにも直接的すぎないか?
もちろん、”ベッソン以降”のヨーロッパ映画などに比すると充分に風格があるのだけど、それでもいかばかりかの邪気の無さを感じてしまうのだった。
まあ、この邪気の無さがウディ・アレンという人なのかもしれない。とにかくスカーレット・ヨハンソンの魅力の周りを惑星のように巡る映画である。

(9/19追記....以下はネタバレを含むので未見の方は見ないほうが吉です)

続きを読む "「マッチポイント」(★★★☆)"

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「ファイナル・デッドコースター」(★★)

ジェームス・ウォン監督「ファイナル・デッドコースター」を歌舞伎町オスカーで見た。

この明らかにティーン向けなスリラー映画シリーズ、一本めの「ファイナル・デスティネーション」は着想の面白さもありめちゃくちゃ面白かったが、さすがに同じネタで三本目ともなるとマンネリの感がぬぐえない。二作目「デッドコースター」でもちょっとその兆候はあったが…。

思うに、「大事故を奇跡的に免れたティーンズを、逃れられない死の"運命"が襲う」という一作目のコンセプトの面白さは素晴らしいのだが、シリーズ化を考えた場合、この"運命"の顔のなさが祟った感がある。ジェイソンやブギーマンみたいな存在がアメリカ映画のマンネリ連作ホラーにはどうも必要なのかもしれない。マンネリでもキャラさえ立っていれば続けられるのがこの種のシリーズなのだろう。

マンネリズムに居座る代わりに今回の映画で提示されているのは心霊写真を手がかりにした謎解きなのだが、どうも生煮えの感が否めない。そもそも不自然な「毎回ティーンが大事故に遭う」といういかにも客層を考えたパターンを逆手にとって、いっそ老人を主人公にしてはどうだろうか。

ひょんなことからゲートボール仲間の源じいと喧嘩になり、朝のゲートボール大会をブッチした秀じいたち、しかし翌朝のゲートボール場を落雷が襲い参加者全員死亡ッ!幸運と秀じいの頑固さに助けられ死の運命から逃れたじじばば一派だったが、次々と奇怪な死が彼らを襲う…。

入れ歯挿入時に何故か感電!暴走する老人用電動車(おばあちゃんが買い物に出る時乗ってるやつ)!そして雑煮の中のモチ!

「たて続けに三人も…偶然にしては奇妙すぎるんじゃ!ほれ、タバコ屋のヨネばあも」
「バカ言え、ヨネばあはありゃ老衰じゃねえか。オヤジそろそろボケてきたんじゃねえの」

彼らの真の敵は「老人なら死んでも不思議ない」という周囲の無理解だ!
はたして米寿まで生き残れるのか!?秀じい!!

          カミング・スゥゥ~~~ン

篠崎誠監督でどうか。
とまあこのような妄想をもてあそんで楽しまざるを得ない残念作なのでありました。

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9月 11, 2006

「グエムル 漢江の怪物」(★★★★)

ポン・ジュノ監督「グエムル 漢江の怪物」をユナイテッドシネマとしまえんで見た。

冒頭、どうも在韓米軍所属っぽいアメリカ人医師と韓国人の医者が下水にホルマリンを捨てるの捨てないの、というので議論している。アメリカ人はホルマリンの瓶にホコリがついてるのが我慢ならないのだ。(ホームドラマの姑か!?)
韓国人は「そんなことしたら漢江が汚れます」と抗弁するが、アメリカ人は「漢江は非常にでかい川だ。君も川のように気を大きくもち給え」とかちょっとうまいこと(?)言って部下の韓国人にホルマリンを洗い場の排水溝に流させ始める。
あーこれはジョン・セイルズが脚本書いた「アリゲーター」みたいな展開(トイレに捨てられたワニの赤ちゃんが、現代の汚染された排水の中で生活しているうちに突然変異で巨大化しモンスターになる)か・・・と思ってみてると、カメラは捨て終わったホルマリンの空き瓶にズームし、パンしていく。
捨て終わったホルマリンの空き瓶はズラーっと並んでいて、その列はいつまでも続く。いつまでもいつまでも・・・いつまでも・・・って一人で捨てすぎだろ!いったい何時間ドボドボやってんだコイツは!?

というジャブ的なギャグから開始されるこのモンスターパニック映画、ジャンル映画の枠組みをゆさぶりまくるポン・ジュノ監督のしなやかな感性が働き、一瞬すら油断できない刺激的な映画になっている。爆笑と極限的緊張がシャッフル的に襲い、モンスターパニックという考え方によっては最もジャンル原則に忠実であるべき映画ジャンルであるにも関わらず、規定どおりのルートを通ることを徹底的に拒む、非常に野心的な映画である。
それでいてモンスター映画のエクスタシーはばっちり押さえた映画に仕上がっているから実に心憎い一本といえる。ポン・ジュノ監督、うまい!そしてペ・ドゥナはかわいい!

(以下、たいした点ではないがネタバレあり)

続きを読む "「グエムル 漢江の怪物」(★★★★)"

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9月 04, 2006

「40歳の童貞男」(★★★★)

ユナイテッド・シネマとしまえんで独占公開されているジャド・アパトウ監督「40歳の童貞男」を見た。主演のスティーブ・カレルは自ら脚本も書き大活躍だが、この脚本、けっこうよくできている。
主役のアンディは電器店の商品管理担当者で、まじめな働きぶりは好感をもたれているが、普段なにやってるんだか同僚には不可解な存在であり、「俺は正直、あいつは連続殺人鬼だと思う」などと言われている。実際は、家でチューバ吹いたりゲームやったり、集めたフィギュアと着色作業中会話するなど、無害きわまりないシングルライフを送っているのだが・・・。そんなアンディが同僚とのポーカーに初めて参加し、その場で始まったワイ談の最中に
「僕もオッパイは好きだ・・・あのパンパンの砂袋みたいな感触・・・」などと口走ってしまったことから、40歳にもなるのに実は童貞だと知れてしまう。
「砂袋だなんてなんで言ったんだオレのバカ~~!!」と絶叫しながらチャリンコを猛スピードで立ち漕ぎし(免許持ってないのだ)家に逃げ帰るアンディ。
翌朝出勤すると、速攻職場に知れ渡っており、上司から「よう、童貞!」などと言われて大ショックのアンディは、猛ダッシュで職場を出て行ってしまう。悪いと思った同僚たちは彼に初体験をさせてやろうとあの手この手を打つ…。

この映画、けっこう古典的なスクリューボール・コメディの枠組みにそってしっかり作られている。アンディにはついに両思いになる女性トリッシュ(「マルコヴィッチの穴」のキャスリーン・キーナー)が現れるが、アンディの躊躇や、いきなり出現するトリッシュの娘などによってセックスにはなかなか至らない。またアンディのふと口にした「自分の店を持ちたい」という希望をかなえようと、eBayへの出品代行を仕事にしているトリッシュはアンディのフィギュア・コレクションを売りに出そうとするのだが、最初は微笑みを浮かべて彼女に従っていたアンディがついに爆発。「そうだよ!そうでなくては!」と心中快哉を叫んだアンディの精神的同胞たちも多かろうが、このようなストーリー展開は実はすごく伝統あるスタイルだと思う。かのハワード・ホークス監督の傑作「赤ちゃん教育」のラストもかくやというクライマックスの象徴的アクションは、実に正統的なハリウッド映画のセオリーを体現していて素晴らしいと思う。
また、同僚に「女を尊重すべき存在だと思いすぎていないか?」と繰り返し問われるアンディの価値観と、周囲とのギャップも面白いところだ。40歳になるまで童貞のアンディの価値観は現代アメリカでは変人(スクリューボール)的なものだが、ひるがえってセックスに対して少々退廃的になりすぎている現代社会に対する批判という種も胚胎しているようである。

ということで非常にしっかり作られた良作だと思うのだが、これが2週間ばかりの限定公開というのは勿体ないと思う。もちろんギャグも相当効いていて笑えるし(なぜか日本風の脱毛サロンでの胸毛ガムテ脱毛は、実は地毛を使っているスティーブ・カレルの体当たり演技の迫力ゆえか劇場が揺れるほどの笑いを呼んだ)、エンドロールなどは爆笑しながらとても楽しい趣向で、映画的楽しさも充満している。一見の価値ある作品。

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9月 03, 2006

「太陽」(★★★★)

実はソクーロフの映画を見るのは初めてだ。銀座シネパトス2館を溢れさせるほどに客がつめかけ続けている映画「太陽」は、昭和天皇を一個人として描いた初めての映画として耳目を集め、またその中で戦争責任者として批判的な描かれ方がしておりそれに右翼的勢力の反発があるのではと心配されはしたが、映画の中の昭和天皇は穏やかで節度あり、立派な人物として描かれていた。
映画の意図は、この近代国家の元首としては異例な「現人神」というパーソナリティを持つ裕仁という一個人の内面を描くことにあるように見える。進駐してきたアメリカ人は「現人神」というものに対する対処がとれず、マッカーサーは「現人神をやっている気分というのはどんなものかね?」と質問したり、写真を撮りにきた米国人カメラマンたちは「チャップリンみたいだ」「バイ、チャーリー」などと無遠慮なふるまいに出たりするが、いまだかつて無遠慮に扱われたことのない天皇は、彼らのそぶりが無遠慮であるということにも気づかないのか、カメラにむかっておどけてみたりと稚気といえるものさえ発してみせる。
だが、イッセー尾形の名演にも裏付けられていることだろうが、この昭和天皇の軽やかで微笑ましい素振りこそ「聖性」というものではないか、と逆に思えてしまうのだ。GHQから天皇への贈り物としてダンボール箱いっぱいのハーシーズのチョコレートが送られてくるが、その処遇に侍従たちが困り果てているところに天皇がやってきて、「さあ、食べなさい」と手ずから侍従たちにチョコレートを配るシーンがあるのだが、天皇に銀紙まで剥いてもらっては口にするわけもいかず、かぶりついた侍従長が「私は、アラレのほうが好きであります」などと返答するシーンは、新しい時代と自らの新しいあり方に向けて踏み出そうとする天皇と周囲とのギャップが笑いとなって表現されていて、実に面白い。
遂に人間宣言をおこなった天皇が、最後に侍従長から手短に告げられる一言によって愁いの表情を見せるクライマックスが印象に残る。自己の神格を否定することは、天皇にとってどのような内面的意味をもっていたのだろうか?これはフィクションによってしか描きようのない境地であり、これをテーマとして選んだソクーロフ監督の目の付け所はすごいと思う。
いまだ天皇制のもとにある日本人として、必見の一作ではないだろうか。

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「トランスアメリカ」(★★★☆)

シネスイッチ銀座でダンカン・タッカー監督「トランスアメリカ」を見た。
性転換手術を間近に控えた性同一性障害の男性が、昔一度だけセックスした時に実は出来ていたという息子に会い、ともにアメリカを横断する旅に出る。「デスパレートな妻たち」は見てないので、フェリシティ・ハフマンというこの女優を観るのは初めてなのだが、実に見事に、後はペニス切断を控えるのみの"ほぼ女性"の男を演じ切っていて素晴らしい。
同じ日に見たアレクサンドル・ソクーロフ監督の「太陽」も、これまでの自分に別れを告げ、自分の真の姿を開示しようとする者が突き当たるドラマといえるのだが、「トランスアメリカ」ではお互いを完全に理解したとは言いがたいが、互いの存在を受け入れることを了解した父子(母子?)関係を築くまでの旅路が描かれ、関係性構築のドラマといえる。(いっぽう「太陽」はより個人の内面的なドラマのうちに終わる)。あるいは、ロードムービーとは目的そのものよりも関係性構築をもってドラマのクライマックスとするような映画ジャンルなのかもしれないと思った。

互いに止むを得ざる理由をもちながら、それぞれ手術による性転換や同性愛映画のポルノ男優への道を進んでいく父と子を描いた「トランスアメリカ」は、その常軌を逸した設定とは裏腹に、豊かな父子関係へと二人が進んでいくであろう希望を醸し出していると思える。悪くない一本。

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8月 21, 2006

「ユナイテッド93」(★★★★)

このところ「デスノート」といい「M:i3」といい、わざわざエントリ書く気力のおきない映画ばかり見てたが(あ、でもアニメ版「時をかける少女」はよかった)久々に傑作を見た感あり。
ポール・グリーングラス監督「ユナイテッド93」をユナイテッドシネマとしまえんで見た。
ご存知のとおり、9.11同時多発テロでハイジャックされた旅客機のうち、唯一どの目標にも到達せずに墜落したユナイテッド航空93便の機内で何が起きたか、また管制塔をはじめとする地上の状況はどのようであったかをセミ・ドキュメンタリー形式で描いた映画である。
題材が題材なのでおもしろいといってはまずいかなという気がするが、リアリティ溢れる演出にとても圧倒された。飛行機に乗ったことがあれば誰でも体験する離陸前の様々なディティールを乗員乗客の視点でつぶさに描いているのだが、離陸直後にシートベルトを外して業務につこうとする客室乗務員が靴を履くところなどを、しっかりカメラが捉えたりしている。こうしたディティールの積み重ねが「嘘のようなまこと」である同時多発テロに対する臨場感をかきたてる。また、実際に9.11の現場に居合わせた航空管制官たちが演じている連邦航空局(FAA)の管制センター、軍の防空司令部のシーンなども真にせまっている。FAAも軍も驚くほど情報が錯綜しており、判断が極端に難しい局面におかれていたことが分かる。防空司令部ではCNNの一報でワールド・トレード・センターへの一撃を知り、すぐに巨大スクリーンにCNNのライブ映像を映すが、その後も次々と乱れ飛ぶハイジャック情報に右往左往となり、イニシアチブを取れる状態にはなかなかなれなかったようだ。
この映画は迫真性がとにかく命で、「あの日」に流れていた空気を再び組成してみようとする試みに思われるが、同時に政治的な利用のされ方をしないようにうまく作られているのがポイント高い。ハイジャック犯たちはひとつの任務を果たすことを期待されて乗り合わせた一人の人間としてそれぞれ描かれ(冒頭に彼らが行う礼拝のシーンは、人間の「敬虔」という徳を一種の尊敬をもって描いているようにさえ見える。勿論、それがいかに危険な方向に彼らを導いていたかは別の問題としてだが)、ことさらに『悪の権化』や『狂信者』として誇張して描かれることはないし、ハイジャック犯に抵抗した乗客の側も、自分たちが未曾有の惨事を救うべく立ち上がろうなどと一席の演説をぶって事に及んだわけではなく、極限の中での抵抗という選択肢を自然に選んでいく。もちろん個々人の心の中には並々ならない勇気が必要だっただろうが、それは観客の想像力にまかされている。
それにしても、この映画を見て一番思ったのは全てを変えた「あの日」の空気感覚ともいうべきものが、自分の中でいかに色あせていき、過去そんな日もあった、というような位置づけに事件そのものがなりつつあるかということだった。「9.11以降」の現代人必見の一本である。

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6月 26, 2006

「プルートで朝食を」(★★★★★)

シネスイッチ銀座でニール・ジョーダン監督「プルートで朝食を」を見た。
観るまでは、正直「また英国お得意のオカマ映画かよ~。オカマの人生大変だってイギリス映画は『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』一本でたくさんだよ」という思いはちょっとあった。(大変に申し訳ない!

それでも見に行ったのは、この映画がIRAvsイギリス軍のテロ/対テロ戦争がヒートアップする60年代を舞台にし、この映画のストーリーにも関わってくるという点がひっかかってきたからなのだが、これがフタを開けてみると今年下半期ベスト1はこれだなと確信するほどできのよい、詩情あふれる素晴らしい映画で、久しぶりに掛け値なく映画を楽しんだ一本だった。

アイルランドのアルスターと国境を接する町に生まれた一人の性同一性障害をもつ青年の半生が描かれる。
町のあちこちを飛び回るコマドリが、司教館に捨てられた一人の赤子パトリックを気遣って会話を交わす(さえずりを人間語に訳した字幕が出る)。彼は成長して女装するようになるが、里親である小母さんは「なんて罰あたりな子だ!今後一切そんなことはやめて、フットボールでもやって男らしさを磨きな」と諭すのだが、言われた彼は豪奢なドレスを身にまとってボールを追う自分の姿を夢想する始末。信心深いカトリックの国アイルランドで、オカマをやるのは想像を絶する逆境のようであり、しかも彼は小間使いと神父との過ちの結果生まれた子供で、母親はそのことを悔いて彼を司教館の門前に捨てたっきり町から姿を消してしまっていた。彼は一度も自分の目で見たことのない、ミュージカル女優ミッツィ・ゲイナー似だという母親を、常に想いながら育っていく。

映画の舞台である'60年代のアイルランドは、アルスターを占領する英国の軍隊とIRAとの闘争が過激化を増していく時代にあたり、少年たちはおもちゃの銃を手に空き地で「IRAvsイングランド軍」ごっこに興じている。彼らの成長する時代は、爆弾事件や英国兵の検問などとともにあった。
パトリックは自分の名前をきらい、自分を聖パトリックの従者聖キトゥンに模して「キトゥン」と呼んで、というが、彼の通うカトリック学校の教師は「キトゥンなんて聖人はいない」と彼の夢想を否定する。
そんなキトゥンのまわりに現われるのは社会のはずれ者やはんぱ者など、ボーダーライン上の人ばかりなのだが、彼らはキトゥンに大切な詩や思い出を与えてくれる。
「オカマは帰れ」とクラブへの立ち入りを禁じられたキトゥンは、同じように入場を拒否されたヘルス・エンジェルスみたいな暴走族と2ケツで森の中にドライブ。自ら「国境の騎士」と名乗るゾクのあんちゃんは「星のハイウェイを抜けて冥王星(プルート)で朝食を食べるのさ」と詩を語ってくれる。
IRAのテロ戦争に巻き込まれながらも、幼いころから自分を大切にしてくれた友だちとの交流を忘れなかったキトゥンだが、ついに自分にとって何よりも大切な母親を探すためにロンドンに旅立つ。「世界で一番大きな町に呑まれた幻の女」を探すのだ。

「幻の女って?」
「"幻の女"は私の母のことよ。自分の人生が物語みたいに感じられるように・・。だってそうしないと、涙があふれてしまうから」

キトゥンは、信心深いアイルランドで肉親のないオカマであるという逆境と、さらにIRAの爆弾闘争が過激化する時代にアイルランド人がロンドンで暮らす、という二重の厳しさの中に置かれている。
でも彼女の人生は詩にあふれ、笑いに満ち、美しい。彼女が最後に手に入れるものを、涙なくして見ることはできないだろう。彼女が映画のはじめに語るように、これは映画を観ているこの時代の、私たちの物語なのだ。

主演のキリアン・マーフィも素晴らしいが、個人的にはアフリカ系の女の子の友人であるチャーリーを演じたルース・ネッガがとても素敵だった。映画はこれが初みたいで今後に期待。

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6月 18, 2006

「インサイド・マン」(★★★☆)

スパイク・リー監督「中の人も大変だな」...もとい「インサイド・マン」をユナイテッド・シネマとしまえんで観た。
で、あらかじめ言いますとそんなに奇想天外なコン・ゲーム作ではない。もっともこちらもそんなに構えて見ているわけではないのでそれなりに「お、なるほどそれか」と思わされるが、「よーし、見破ったるぞー」と気負いまくって劇場に行ってもそんなに満足感は得られないかもしれない。
というか↑のような映画の見方は根本的な愉しみをミスしていると私は思うが、ま、それは個人的な考え方なので(^^;)

批評的な見方をする人には、トリックの妙よりもむしろストーリーが巧妙に織り込んでいる社会性をガジェットとしてみるほうがより楽しめるかもしれない。「お、こんなところでそれ持ってくるか」というような感じで。そもそものストーリーの根幹を形作っている部分にもスパイク・リーっぽい人種差別のテーマが絡んでいるのだが、それはアフリカ系アメリカ人の抱えるものではなく・・・というあたりが面白い。色々なネタを小出しに織り込んでいるが、一貫している。

映画前半では時間帯の異なる訊問と銀行強盗事件を平行的に語りながら、徐々に謎の種を蒔き、後半でそれを展開させていく脚本はなかなか巧いが、最近よくみるスタイルといえばそうとも言える。いかようにでもエキサイトを突っ込んでいける素材ながら、スパイク・リーはそういう安手の展開を抑え、納得できるキャラクター造型により注力している感じがして好ましい。デンゼル・ワシントンの出てくる立てこもりものなので、ニック・カサヴェテス監督の「ジョンQ」を想起してしまったのだが(もっともデンゼルの立場は両作では真逆だ)、あちらはサスペンス演出自体は平板な紋切り型だったのと好対照に思われた。
役者陣では何といってもクライヴ・オーウェンだろう。この人眉毛のゲジゲジっぽい感じがどうも気になるのだが、やっぱり味があるね。
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6月 11, 2006

「明日の記憶」(★★★)

堤幸彦監督「明日の記憶」を見た。
原作の書を読んで感動した渡辺謙が制作を決意したという映画で、自ら主演し、エグセクティブ・プロデューサーとしてクレジットもされている。
どちらかというと、妻役の樋口可南子の方が、夫の状況に直面して自分はしっかりしなければ・・・というひたむきさが溢れていて、演技としてはよかった。いっぽう、熱演といえば熱演としえる渡辺謙の演技からは、アルツハイマーの進行による変化があまり伝わってこない。
「俺が俺じゃなくなっても平気か?」と妻に問う台詞があるのだが、「俺が俺じゃなくなる」瞬間というのが、台本としてしか受け取れない感を受けた。あるいは渡辺謙のオーヴァーアクト気味の演技のみならず、演出のせいもあるのかもしれないが。
(以下ネタバレあり)

続きを読む "「明日の記憶」(★★★)"

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5月 08, 2006

「隠された記憶」(★★★★)

ミヒャエル・ハネケ監督「隠された記憶」をユーロスペースで見る。

序盤からして、観客を視覚的な入れ子に落としこむようなトリックが使われており、スリラーという売り文句でありながら非常に思弁的な…さっくり言っちゃうと結構かったるい映画なのではないかと予想していた。
実際、ささやかな怖さや秘密を語り、テレビで書評番組みたいなのの司会をやるようなインテリの主人公一家をスリラーの中に落としこんでいきながらも、見る側が登場人物に共感したり、一緒に驚いたりするような演出は絶対やろうとしない。これがハリウッド映画なら今頃ハンス・ジマーかなんかの音楽がうねり、エイドリアン・ブロディは号泣しているだろう(私にとって彼は泣き顔芸人)というシーンでも、画面は非常に冷静だ。こうして徹底的に客観的な文体を保持するあたり、まあこの人にとっては妥当な演出なんだろうけど結構だるめな映画だねと思っていると、突如としてショックシーンが入ったりするので稲川淳二かこいつは!?と思うのだけど、気づけば、映画が描いているダニエル・オートゥイユの秘密と嘘は、フランスの現代社会が抱えている暗部と類縁関係にあると知れるのだ。これは巧みだ・・・!

どういうストーリーなのか語るとたぶんこれから見る人は面白さ半減だと思うのでほとんど語りませんが、ラスト近くに登場する、エレベータ内での視線の交錯を捉えたショットは一見に値する。最近なかなかみない緊迫感を体験することができます。好きなタイプの監督ではないが、見ておいて損はない一本。

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「夜よ、こんにちは」(★★★★)

ユーロスペースでマルコ・ベロッキオ監督「夜よ、こんにちは」を見る。

現代イタリア史における最も重大なテロ事件、極左組織「赤い旅団」によるアルド・モロ元首相の誘拐殺人事件を描いた映画である。公開一週目なのだが、非常にしっかりした映画であり、特にアルド・モロ役のロベルト・ヘルリッカの滋味溢れる演技にも関わらず、20人と客が入っていない(まあ休日最終回ということもあるか?)のは残念である。

連合赤軍事件の6年後に起きており、左右両派から孤立し過激化を深めた若い左翼集団の起こした事件という意味でも似た面のある事件なのだが、アルド・モロ元首相誘拐殺人を歴史として記憶している日本人はあまりいないのかもしれない。私も、ディスカバリー・チャンネルで放送された、テロの現代史をまとめた番組をかつて見ていなければ、きちんと覚えてはいなかっただろうから、あまり差はないか。

監禁場所のアパートでカナリアを飼っているなどのディティールは取材に基づきつつも、映画に出てくる「赤い旅団」のメンバーは虚構のキャラクターであり、モロと女主人公との想像上の内面的な交流がストーリーの主軸となる。アルド・モロは非常に聡明かつ敬虔な人物として描かれており、「赤い旅団」のイデオローグが突きつける教条的な要求に対して、宥和的態度で応じようとする。モロを演じている老優、ロベルト・ヘンリッカの醸し出す穏やかな雰囲気と、夢や空想を随所に織り込んだストーリーにより、殺伐とした恐ろしい事件ながら、どことなくセンチメンタルな映画になっている。

我々日本人としては、高橋伴明監督の2001年作品「光の雨」を想起せずにおれぬところだが、比較してみるといろいろ面白い。
この映画の場合、主人公の親たちの世代は大戦末期、パルチザンに身を投じることによって自らの左翼としての行動に裏づけを持っていたことが描写される。イタリアでは、とにもかくにもムッソリーニが民衆パルチザンの手で吊るされることでファシスト勢力からの解放を得たのであって、それがイタリア共産党が西欧最大の共産党として勢力を持つ存在であった由縁でもあるわけだろう。
いっぽう日本の場合は、昭和天皇を民衆が処刑するなどといった事態はそれこそ深沢七郎の「風流夢譚」のような妄想の世界でしか描かれたことがない(しかも読めない)。その意味で左翼集団が融和的な要人を殺害して自滅していく過程は、戦後史の節目としてより重大な意味を持ったことだろう。
また、ここに第三の政治勢力としてヴァチカンの法王が登場してくるのもイタリアならではのことだ。モロの手紙を読んだ法王は、取引ではなくモロの無条件での解放を呼びかけ、「赤い旅団」はモロの殺害によってそれに応える決意を固める。

モロは、おそらくは自分の命乞いも動機の半ば以上を占めていると思われるものの、「赤い旅団」に対して説く。
「私を殺しても、それは私以外の全ての人々が待ち望んでいることだ。彼ら(政府)にとって、私は既に死んでいるのだ。君たちは私を殺したあと、一層孤立していくことだろう」
自らがすでに政治的な生贄として位置づけられていることを認識し、イデオロギーによって盲目となった若者たちに翻意を説くこのシーンは悲痛である。それに同意するメンバーに対して「赤い旅団」のリーダーは無条件解放などあり得ず、モロを殺すしかないと言う。
「革命は博愛主義では成し遂げられない」と言いながらも、
「今は不合理で不条理に受け取られたとしても、主観的現実を乗り越える英雄的行為になる」とし、「これぞ博愛の極みだ」と述べるのだが、この台詞からは自らのイデオロギーによって自縄自縛となった若者の姿が描き出されているようである。
非人間的な行為へただ突き進んでいく盲目さ、これもまた人間性というものの否定しがたい側面なのだ。

ラストシーンは非常に美しい。歴史という時計の針を巻き戻すことはできないが、せめてイメージの世界でならば、このようでもあり得たかもしれぬ過去を呈示することは許されるだろう。

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5月 01, 2006

「ドラえもん のび太の恐竜2006」(★★★☆)

ひさびさのワーナーマイカル板橋で「ドラえもん のび太の恐竜2006」を見る。
結論をいえば、これだけ勝手知ったるストーリーながら、都合5回以上は泣いてしまった。
白亜紀の空を悠々と飛行する素晴らしいタケコプターでの飛行シーン、タイムマシンのメーターが「ネズミに追われながらドラ焼きを追うドラ」になっている等の細かいガジェット的遊び、久しぶりに聞いたジャイアンの「心の友よ」など、シーン的によいところはいくつもあるが、自分で卵から孵した首長竜ピー助を守ることによって成長するのび太、そしてピー助自身のためにピー助と別れる時の、何度も転倒しながらそれでも走り続けるのび太の後姿は、どんなにカッコ悪くても自分の愛する者のために何事かををなす素晴らしさを教えてくれる、藤子不二雄の素晴らしいストーリーがこの映画の主役である。

その意味で、エンドロールはドラえもんやのび太と共に成長してきた私たちへの、スタッフからの贈り物といえる。エンドロールが始まっても絶対に席を立つべきではない。

途中、アクションシーンで画が異様に荒れたり、悪の中枢である未来ブルジョワのシーンなどは何が起こっているのか把握しがたいなど、瑕もなくはないが、今回の興行実績をもとにまたクオリティの高い長編ドラえもんが作られることを願ってやまない。

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4月 24, 2006

「ナルニア国物語 第一章 ライオンと魔女」(★★★☆)

新宿ジョイシネマでアンドリュー・アダムソン監督「ナルニア国物語 第一章 ライオンと魔女」見る。

ナルニアは原作を読んでいないので、衣装箪笥のコートの間を抜けると冬の魔女に支配されたナルニアの国、という序盤の展開から、筋は存分に愉しんだ。画もパクリは多いがおおむね見れるもので、クライマックスの決戦シーンは実に血湧き肉踊るものである。(しかしこの手の平原戦を見るたびに、変なアイシャドウ塗ったローレンス・オリヴィエの「ヘンリーV世」のアジンコートの美しい騎馬戦シーンを連想してしまうのはやや穿ち過ぎというものだろうか?この種の騎馬戦闘なんてどんな風に撮ってもある程度は似るものだとも思えるが・・・)

しかし残念ながら、鑑賞後に深々と胸に残る何かがあるかというと、「ロード・オブ・ザ・リング」とか「スター・ウォーズ」にそっくりのシーンがあったなあという記憶ばかりが残る。まあ見ている間は退屈しなかったので、二作目も見るとは思うけど・・・。監督は「シュレック」シリーズの人というが、さもありなんという感じではある。

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