6月 29, 2009

実録・連合赤軍 あさま山荘への道(★★★★)

山本直樹「レッド」3巻の読了を契機に、若松孝二監督「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」をDVDで見た。

あまりにも陰惨、あまりにも残虐という印象の連合赤軍の総括リンチ殺人事件だが、若松孝二監督はたんなる残酷展覧会に陥らぬよう、彼らが陥っていった袋小路を丹念に描いていく。

連合赤軍とは革命左派(京浜安保共闘)と赤軍派(共産主義者同盟赤軍派)という系統を異にする2つの学生運動組織が、武装闘争、「銃による殲滅戦」を実行する上で統一戦線を張ったもので、双方とも結党以来の指導者はともに逮捕され、組織が弱体化する中で弱みを補い合うべく野合したものだった。映画ではこのあたりの運動史、組織の前史もふくめて描かれ、かなりの情報量だ。

連合赤軍の指導者森恒夫は、相次ぐ赤軍派の幹部逮捕や国外脱出によりリーダーのお鉢が回ってきたに過ぎない存在だった。
山岳ベース(山中の秘密基地)で合流した革命左派に対し
「山中行軍にも関わらず水筒を持ってこなかったこと、その革命的な認識の甘さに自己批判を求める!」などと主張することで主導権を握ろうとするなど、些末な問題をきっかけに己の思想的強度ぶりを誇示しまくることで、かえって怯えたリーダーのようにみえる印象。「腹を殴っていったん気絶させることで、気絶から目覚めたときに新しい革命的人間として生まれ変われる」などと同志を気絶させるほどの暴力(けっきょくその全ては死に繋がった)を正当化するあたり、なんの「科学」もない単なる精神主義的・帝国陸軍的な過剰体罰野郎であり、これが反戦・反安保から発展した新左翼運動の流脈が陥る先なのかとアゼンとする。

いっぽうの革命左派側のリーダーである永田洋子に至っては、自らの嫉妬心と猜疑心の深さを仮託した「総括要求」を次々と繰り出すスターリン的存在と思える。あらゆるメンバーの発言の背後で聞き耳をたてている永田の闇に浮かぶ顔は「呪怨」もかくやの恐怖シーンでまさに黒「家政婦は見た」だ。赤軍派の創設メンバーである遠山美枝子(坂井真紀が好演!)に対し「いつのまに着替えたの?どうして山に来てまでお洒落にこだわるの?」などと鬼姑ぶりを発揮、大槻節子が自分の男女関係を自己批判するのを聞くや「それを今まで黙っていること自体が反革命」などと決め付けていずれも死に追い遣っていくのだが、いっぽう自分と森との男女関係に関しては「私と森君が結婚するのがもっとも共産主義的に正しい」などと自己肯定する『日和見主義』ぶりをみせる(これには悪いけど笑ってしまった)。

こうした指導部を構成するメンバーがおかしなことになっているのは勿論だが、彼らを仲間内での虐殺に導くシステムは単に指導部が血を求めたということに帰するばかりなのではなく、あくまでも「これは革命戦士に生まれ変わるための指導だ」という形をとっていた。それをもって「単なる武装蜂起前の訓練の中で発生した過労死」とみる論者もいる(糸圭秀実編「1968」)ようだが、いくら何でもこの短期間に12人も"過労死"はないのではないか。
実行している内容がリンチであることは当事者も理解していたが、リンチを「総括」と言い換え、暴力を「総括の外在化」と言い換えて虐殺を正当化するシステムが組み上がり、その中で「相互の思想的強度を確かめ合う」と称した相互監視のシステムが陰鬱な山岳ベースの中で完成してしまったと考えるべきだろう。
このような言い換えのシステムはナチス・ドイツがユダヤ人の絶滅・虐殺を「最終的解決」と呼び習わした用語規定と何ら変わることがないだろうし、仲間に総括を要求する中で自らの思想的強度を高めねばならない、という考え方は、虐殺を執行するSS隊員に対してナチ親衛隊が課した内在化要求-即ち、良心の呵責にかえて「それだけ重い任務を課せられている」として"職務の重大さを感じさせる"というメカニズムと本質的に変わるところはないと思う(当事者たちからすれば、入り口は異なるのであり思想的本質は異なる、と考えるだろうが)。
おそらく、政治的要求を先鋭化させたテロリズム組織では常に現れ出る論理なのだろう。連合赤軍の場合、自ら主体的にこの組織に参加しているのだということも負い目になっていたのかもしれない。

凄惨な内ゲバ殺人の果てに残存兵士がたどりついたあさま山荘のシーンでは、圧倒的な緊張感の中で閉鎖空間の中に追いつめられた青年たちが身を寄せあうが、ここでも笑うしかないシーンが登場する。銃撃戦の中でクッキーをつまみ食いした坂東國男を吉野が難詰し、
「そんなことで同志に顔向けできるのか!お前の食ったあのクッキーこそ、反革命の象徴なんだよ」などと珍解釈を述べるが、坂東に
「ばかばかしい、クッキーに革命も反革命もあるか」と普通に(笑)返され、激昂した吉野は散弾銃を向ける。そこに坂口弘が割って入り
「坂東!お前が自己批判すりゃ済むことだろ」
と言い、坂東は「任務中につまみ食いをしたことを自己批判します」と述べて事なきを得る。
ここも思わず爆笑してしまったシーンだが、じゃあそんな「自己批判」を求められて死ぬまで殴られ続けた人々はどうなるのかと考えると一瞬で笑顔も凍りつく。実兄の虐殺に加担させられた加藤元久でなくともブチ切れずにおれないだろう。映画を見た連赤関連の人々はこのブチ切れた加藤元久が叫ぶ「勇気がなかった」というセリフを評価しているようだが、個人的にはこの笑えない喜劇としか言いようのないシーンが最も印象的だった。

大傑作ということでもないと最初は思ったこの映画だが結局は2回見たし、映画のムック本も買い、さらに新書「新左翼とロスジェネ」(鈴木英生著)、「知の攻略 1968」(糸圭秀実編)なども買って読んでしまった。さすがに問題としてデカイということか。




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4月 12, 2009

「ハリウッド監督学入門」(★★★★)

中田秀夫監督のビデオドキュメンタリー「ハリウッド監督学入門」をイメージフォーラムで見た。

http://www.bitters.co.jp/hollywood/

自作「リング」のハリウッドリメークであるゴア・ヴァービンスキー監督作のさらに続編「ザ・リング2」(ハリウッドオリジナルのシナリオなので、高橋洋脚本による日本版のように、プールサイドで『貞子~ッ!おれを食え!』とか叫ぶヘンなジジイが出てきたりはしない・・・が、それだけに印象の薄い映画だった)を監督した経験から、ハリウッド映画という産業はいかに「Movie」という商品を製造するのか、それは我々が思ってるような、また日本の映画産業がやってるようなやり方といかに違うのかということを検証していくドキュメンタリー。

数々の証言者たちが中田監督にハリウッド映画産業のさまざまな側面を語ってくれる。証言者は、ドリームワークスのプロデューサー、ウォルター・パークスから現場の編集やらグリップ担当者やら、更には違う現場で同様に日本から来た映画人として仕事した清水崇監督と一瀬隆重プロデューサーまで。

全編は、監督がこれぞハリウッド的映画作法だと考える「グリーンライト(映画の企画にスタジオからのGoが出ることを言い表した「青信号」の意)」「カヴァレッジ(監督がコレと決めたアングルに留まらず、全方位のアングルやサイズで押さえの画を撮っておく技法)」「テスト・スクリーニング(最後の編集前に一般観客に完成映画を見せ、アンケート結果によって更に編集に手を加えるためのテスト試写)」の3つに章立てされているが、やはり興味深いのは「グリーンライト」の章。

万全のシナリオと最高のスタッフを取り揃えていても、待てど暮らせど企画に青信号が灯らない。待ってるうちに企画を買ってくれていたスタジオの首脳陣が交代してしまい、また一歩めから歩き直すはめになる。なにしろ、新しい首脳陣からすれば、映画がヒットすればその企画を買った旧首脳陣の手柄に、コケればGoを出した新首脳陣にその責任がのっけられるから…というわけだ!
「日本なら、プロデューサーが家を抵当に入れて覚悟を決めれば一本の映画を作れなくはない、しかしハリウッド映画ともなると、一プロデューサーの覚悟ではどうにもならない」という一瀬隆重の証言にもみられるように、強烈にビジネスが支配し、大人の事情が充満するのがハリウッド夢工場の現場であるらしい。
コーエン兄弟の初期の傑作「バートン・フィンク」でもハリウッドに買われ西海岸に移住するも、自作シナリオの映画化はただただ遠く、ひたすら待たされるだけの脚本家の悪夢が描かれていたが、中田監督もバートン・フィンクの苦汁をなめた模様である。プロデューサーに「もうこれ以上待たされ続けるのは御免だ」と吐露し続けるも、プロデューサーの方は「そうは言うが、私からすればこの企画は前代未聞のスピードで進んでいたよ」と考えていたりする。企画は2年は結実しないのがザラであり、平気で5年やそこらは置いておかれたりする。年に3万5千本のシナリオが集まる広大な選択肢をもったハリウッド映画なのに、いや、だからこそ、なのだろうか?
しかしまあこの想像を絶するメンドクサイ環境の中にいながら果敢に映画づくりを続けるプロデューサー、エージェント諸氏の横顔は実にしたたかでたくましい。彼らの働きが映画史に残るのかどうかは別に置くとして、ハリウッド映画作りの現場で監督・制作者であり続けるということは、非常に優秀なプロジェクト・リーダーの資質がなければできないことなのだろう。その意味ではプロジェクト管理の仕事などやっている人には畑違いながら意外と面白く見れる映画かもしれない。

「カヴァレッジ」の章ではデレク・ジャーマンやケン・ラッセルとも仕事した撮影監督ガブリエル・ベリスタインのコメントが印象的だ。「アングルを決めるのは本来監督の仕事。ヴィスコンティもフェリーニもそうしていたが、ハリウッドでは全アングルからのショットをとりあえず撮っておくのが重要。そのために金があるんだから」という。
「ザ・リング2」の撮り方について尊敬すべき識見を述べ、間違いなくこの人は素晴らしい撮影監督なのだろう、と思わせる彼にしてから、こうしたハリウッド的作法を受け入れている。編集者のマイケル・クニューは「現代の映画においてDVDは重要な収入源で、我々もスクリーンより家でDVDを見る層を意識せざるを得ない」と言い「シーンがワイドショットで提示される場合、観客は見るべきポイントを発見するまで時間がかかる。クローズアップなら一目瞭然だ」という、いかにもハリウッド的な視点からの編集作法を述べる。

他にもさまざまな興味深すぎる証言が続き、飽きさせられることはない。合間合間にさしはさまれる中田監督の放浪とも見えるウォーキングのシーンや、イスラエル出身の整体師との会話も「ハリウッドで映画を撮るのがいかに疲れる作業か」というイメージを伝える役割を果たしているようでおもしろい。
日曜昼のイメフォには私含めて3人しか観客がいなかったが、なにも映画監督を目指していたり、ハリウッド進出を目論む若者だけが見るべきドキュメンタリーではなく、いち観客が見ても非常に興味深い内容と思う。

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「ヤッターマン」(★★★)

三池崇史監督「ヤッターマン」鑑賞。

・・・とにかく悪ふざけもいい加減にしろと爆笑しながら言わざるを得ない一本。
http://www.yatterman-movie.com/

素晴らしすぎる生瀬勝久のボヤッキー以外はほぼミスキャストであり、フカキョンはフカキョンという前提がなければただの空気読めてない女という感じ(正直ヤッターマン1号・2号は誰がやっても構わんとも思えるが)。
ドロンボーメカとヤッターワンの格闘がアニメの牧歌的な感じを刷新するガチンコぶりであったことや、ヤッターマン性とは全く関係のない、阿部サダヲによるスター・ウォーズごっこ+「極道恐怖大劇場牛頭」ネタが一番印象深いデキになっており(笑)、ドロンボー3人によるミュージカル風味の、もうやめてくれとロープをつかみに行きたくなる酷さも「あえてやってんだろこの野郎」と思わずにおれず、とにかく全編ナメているとしか言いようがない姿勢にはむしろこの監督らしく、拍手を贈りたくなる。
これはこれで楽しませていただいたが、これ一本で一日を終わらせたら「俺は一体一日何をやっていたんだ」と思ってしまうこと必定ではないか。不用意に見てしまったのであれば何らかの解毒手段を用意しておくか、毒食らわば皿までと「牛頭」でも見て更なる悪ふざけの毒にどっぷりと漬かるしかないだろう。
またビックリドッキリ・メカやドクロきのこ雲、ドロンボーの安い詐欺テクなどはちゃんとやっていたりするので、監督の仕込んだ非タツノコ的毒を全スルーできる胆力の持ち主であれば案外普通に楽しめたりする可能性もあるかも。

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「ザ・バンク 堕ちた巨像」(★★★☆)

ユナイテッドシネマ豊洲でトム・ティクヴァ監督「ザ・バンク 堕ちた巨像」見た。

http://www.sonypictures.jp/movies/theinternational/

トム・ティクヴァ監督の前作「パフューム」は要所要所で笑いのツボを押しまくられ、「これはギャグで撮ってんじゃねえの?」と疑わずにおれない珍作だったが、実在の金融スキャンダルを材にとって作られたアクション・スリラーである今作は非常にマジメで、ディティールのひとつひとつにも引き込まれるいい映画だった。

何しろ主演がクライヴ・オーウェン演じるインターポールの刑事。体もデカく顔のつくりもいちいち存在感強すぎるこの男が眼をガッと見開いて立ち尽くしていては、とうていお笑いの出る幕はない。
唯一笑ったのはニューヨークでの捜査シーンで、深夜の整形外科医宅をニューヨーク市警の刑事二人(プエルトリカンと東欧系っぽい二人で、身長はそれほどない)と一緒に訪問するシーン。
刑事二人は「NYPDだ、こっちは○○で俺は○○」みたいに自己紹介するのだが、その背後に立っている、二人とはダンチで背がでかく、両眼をランランと光らせた、不動明王みてえなクライヴ・オーウェンに関してはまるで説明レスなのだ!
現地での逮捕権を持たず捜査協力をするだけの立場であるインターポールの人間を紹介するわけにもいかない…ということなのか知れないが、深夜のアパートの廊下にクライヴ・オーウェンが背後に立ってて一切説明なかったらかなり怖いよ!という、デンジャラスあたりにコントにして頂きたい感じのカットでした。

まあ、別にそれは映画的なクライマックスでも何でもなくて、単に私が個人的におもしろがってただけ。国際犯罪組織のマネーロンダリング銀行であり内政干渉や紛争に積極的に関わった黒い国際銀行「BCCI」の実話をモチーフにしたストーリーは、金融や経済に関して特に詳しい描写があるわけではなく、その方向に興味がある人にはあるいはザツに見えるかもしれないのだが、ルクセンブルクの銀行本部のモダン建築や、美術館を舞台にした暗殺者との接触、ミラノやイスタンブールの空気感を捉えた画作りなどは美的にすごく凝っていて、ストーリーに原寸以上の説得力を与えているように思える。
ニューヨーク・グッゲンハイム美術館での銃撃戦はじつに壮烈。銃撃戦の舞台としてはこの上なく面白い舞台設定に、敵味方同士の二人が成り行きで強力なヒットマン集団に力をあわせて立ち向かわざるを得なくなるというシチュエーションの熱さが重なりかなり興奮させられる。

「真実は責任を伴う、だから人々は真実を耳にすることを畏れる」なんてセリフまわしもいい。細かいワザの積み上げを存分に楽しめる一本だった。

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2月 12, 2009

「ロルナの祈り」(★★★★☆)

ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督の映画「ロルナの祈り」を恵比寿ガーデンシネマで見た。水曜日割り引きで1000円也。

ダルデンヌ兄弟の映画はつい先日DVDで見た「ある子供」に続いて二本目だが、これは実にいい映画だった。

アルバニアからの不法移民のコミュニティの中で、ベルギー国籍を取得したことにより偽装結婚を行う要員として活用される女性ロルナが主人公。ロルナは国籍取得のために結婚した麻薬中毒者の夫クローディと愛のない暮らしをしている。
クローディは国籍が取得できたらもはや用済みの人間としてオーヴァードーズにより殺される運命にあるが、必死に麻薬を絶とうと努力し、妻であるロルナにも麻薬を絶つ助けを求める。
映画の冒頭から一切笑みを見せないロルナは「あとは死ぬしかないヤク中」であるクローディからの救いの求めを払いのけ続けるのだが、それでもやはり段々と、この捨てられた子犬のような男が死の定めから脱しようとする努力に報いるべきかと考え始める。

どんなにクローディが哀れみをさそう人間であっても、自分はこのコミュニティの中でしたたかに生きるほかないのだと割り切っているように見えるロルナの、「こういうふうしかありえない」という生き方の強さを描いた映画なのかな、と最初は思うのだが、映画はそこには落ち着かず、急転直下する状況の果てに自分の中の守るべきものを見出す女性の強さを鮮やかに描き出すのだ。

中盤、それまで心からの笑みを見せないままに思われたロルナが笑顔で走り出す予告編でも使われているシーンが、映画を見終わったあとも強く残り続ける。カンヌで脚本賞を受賞したのも非常に納得できる、心に迫る良いストーリーだった。


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「誰も守ってくれない」(★★★☆)

君塚良一監督・脚本「誰も守ってくれない」を109シネマズ木場で見た。

「踊る大捜査線 the Movie」の印象が強くまずスルーかと思っていた君塚良一氏の脚本・監督映画だが、評判がよいので見てみたところ非常にまともな映画であり好感を持った。
さて「少年犯罪における加害者家族の苦悩を描く映画」というと数年前に「イズ・エー」というのがあって、これは良くなかった(^^;)…まあ、加害者家族そのものが主人公の話だったりすると、もうあまりにも設定が重くて描くのが難しく、止むを得ないかなとも思わされる。
その点この「誰も守ってくれない」は、視点を加害者家族をマスコミの猛襲から守る刑事という少し離したところに置いているのが成功の一端か。
佐野史朗の上司から命じられるままによく分からず加害者家族の自宅に行った佐藤浩市演じる刑事は、十重二十重に家屋を囲んだ報道陣をかきわけてたどり着いた被疑者宅で、家を埋め尽くすばかりにあふれかえった捜査員たちの中心で消え入りそうに小さくなっている加害者の両親を見る。
そこへ豊島区役所と家庭裁判所の吏員が入ってきて、二人の前に何枚かの書類をさっさっと並べたかと思うとおもむろに
「お二人にはこれから身元を隠すためにいったん離婚をして頂きます。こちらとこちらの離婚届に署名と捺印を・・・はい、これで離婚が成立しました、今度はこちらで旦那さんに奥さんの旧姓に変えていただくため再度結婚届を出していただきます」
と淡々と進める。
疑問を抱いた妹が「お兄ちゃんはどうなるの?」と聞くと、
「被疑者は現在のままの苗字です」と捜査員が冷淡に回答する。
少年犯罪対応のマニュアルに沿って進められる一連の事務手続きの中で、家族は訳も分からずあらがいようもなく離散させられてしまう。このあたりの描写は実に見事で、本当にこうなるのかどうかはよく分からないが、非常に説得力があり引き込まれる。
これに引き続いて展開するマスコミの猛襲と、群集の潮がひいた後の現場で「少年の写真を持っている方は一万円で買いますよ~」などと呼ばわる記者の声が響くあたり、実に現場感があり圧倒されるが、やはりテレビ報道の現場はより近い立場にいるテレビ界の人だから描ける臨場感を持つものなのかと思う。

しかし、被疑者の妹である女子中学生志田未来とさまよう刑事佐藤浩市をめぐるテーマの真摯さの一方で、この後二人を包囲する「ネットの顔のない悪意」の描写がいかんせん陳腐でリアリティがないのは残念である。
匿名掲示板と際限もなくコピー&ペーストされる悪意の輪を描く映像は、なんだかウイルス対策ソフトの広告に使われてる素材集から抜いてきたみたいな平板さだし、書き込みのひとつひとつも何だか
「よく知らないけどこういう人たちは『キター!』って書くもんなんでしょ?『電車男』で見たよ」
みたいな脚本家の勝手のわからなさが露呈している感じで、これだったら黒沢清の「回路」の方が逆にリアルにさえ見えるなという感じではある。
そこが傷として残念に思われるのは加害者家族という押しても引いてもどうにもならない立場に急に追い込まれる少女の、「その立場をどう迎い入れればよいのか」という思い、そしてその境遇をどう受け止めさせればよいのかという主人公の刑事の葛藤というメインの筋が心に迫ってくるからだろう。これだけ「落ち」の難しい設定の話をきちんとストーリー的に収めたのはたいしたものだと思うし、たんなる「泣き」以上の裾野の広い感動を受け取ることができる。

フジテレビという制作の行きがかり上、マスコミの傲慢よりは「ネットの脅威」に散らさなければいけなかったのかもしれないが、(大新聞の記者である佐々木蔵之介のキャラが設定的にいいにも関わらず全然からんでこないあたりも行きがかりの微妙さがあるのではないか、と勘ぐるほどだ)、ここはTV・新聞といったマスコミを周囲に配置しておいた方がよりリアルな話に落とし込めてよかったのではないだろうか。
…ということで難点もあるにはあるが、見て損のないいい映画だった。こういう映画がもっと作られる土壌が広がると良いなと思うのだが・・・

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10月 20, 2008

「人間蒸発」「36時間 ノルマンディ緊急指令」見た

給料日前で金も枯渇し、ビデオとかDVDを見る週末に。

まずは高円寺Auvissで借りた今村昌平監督「人間蒸発」。

たしか文春の映画ベスト本かなんかで読んだんだと思うが、かなり前から見たかった作品。置いてあって狂喜乱舞したが今や上掲のように廉価版DVDも出てんのね・・・

昭和40年、プラスティックのセールスマンである大島裁という人物が蒸発。今村昌平監督は彼の妻である早川佳江と、彼女のナビゲータ役である露口茂が蒸発した大島を追う過程をまるごとドキュメンタリー映画として公開する企画を立てる。
手始めは大島の故郷である新潟県直江津市への訪問や職場の同僚へのインタビューなどで進んでいくが、早川佳江と出会う前に大島が付き合っていた女たちを訪ね、直接面談などをするうちに、どんどんスリリングになっていく。
不潔さを嫌い大島をめぐる女のだらしなさをなじる佳江だが、今村監督たちスタッフの会議(これも映画のワンシーンとして登場する)の席で、どうも佳江は同行している露口の方をだんだん好きになってきており、大島のことはどうでも良くなって来ているのではないか…という話になっていく。
失踪者大島の決定的な居場所をつかめないまま、やがてドキュメンタリーは失踪者の公開捜査という枠から染み出して、ついには事実と虚構との境界を揺さぶる境地をみせる…という、ひたすらコワイ作品である。
全くすっきりした解決をみない映画なのだが、その分心に残ってしまう。高校生くらいに観たら多分トラウマになっていたのではないか。

ずいぶん前にビックだかのポイントで買ったジョージ・シートン監督「36時間 ノルマンディ緊急指令」も面白い映画だった。

1944年、連合軍のノルマンディ上陸前夜、最後まで上陸地点を極秘にしようとする連合軍と、何とか上陸地点の情報を得ようとするドイツ軍の間では熾烈な諜報作戦が展開している。そんな中、上陸作戦の内容について知悉した米軍の情報将校パイク少佐(ジェームズ・ガーナー)がリスボンの街中で眠り薬を飲まされ、姿を消してしまう。
パイク少佐が眠りから覚めると、そこは1950年、連合軍がドイツ軍に勝利した後、米国占領軍がドイツの地に建設した米軍陸軍病院の病室だった。
自分は6年もの間眠りこけていたのか?と周りに問うと、いや、君はリスボンでドイツ軍に拷問され、秘密を守るために潜在的な意識の働きで記憶喪失を自ら引き起こしたのだ、それが前向性健忘という君の病気だよと説明される。

親切な米軍軍医のセラピーの中で、記憶している最後の仕事について話し始めるパイクだが、実はこの米軍陸軍病院は全てが巧妙に偽造されたドイツ軍の施設であり、周囲の傷病兵や軍医は全て英語を訓練されたドイツ兵である!
時はいまだ1944年6月のDデイ前夜。ドイツ軍は「今が終戦後である」と一片の疑念もなく信じているパイクが、上陸作戦の全貌を自分から話し始めるのを今か今かと待っているのだった…。
(※ちなみに、この設定は映画が始まってすぐに明かされるのでネタバレではないです(^^;)

映画はパイク誘拐後いったんドイツ側の視点で描かれ、パイクがいつ話し始めるのかを待つ軍医の側に立つのだが、この軍医はパイクを拷問しようとする武装親衛隊に反対し、36時間の制限時間内で機密を聞き出すように言われている。この制限時間が映画のタイトルの元ネタ。
ところで、ハリウッドの戦争映画において
 ”ドイツ軍の中にも人間的な奴と非情な奴がいて、残酷で非情な人間は大体武装親衛隊の奴である”
 的なステレオタイプが適用されている例は数多いが、この映画のそれは実に際立っている。
 ロッド・テイラー扮する軍医将校は、元々戦場の影響で精神を病んだ人を治療しようとしてこの方法を発案したという・・言わば時勢の中で止むを得ず主人公の敵役となったが本来はいい人間として描かれているのに対し、親衛隊の大佐(ワーナー・ペータースというドイツ人の俳優が演じている)は上には媚へつらい、下には強圧的で残虐な俗物であり、ロッド・テイラーが成功するならばその手柄は独り占めにし、失敗すればロッド・テイラーに全責任をなすりつけて処刑しようと待ち構えている。
そういう状況なので、パイクが機密を喋ってしまうかどうかというメインのサスペンスに、さらにロッド・テイラー扮するドイツ軍医将校が成功するのかどうかというサスペンスも加味され、サスペンスが二重構造になっているのがこの映画の面白さであろう。
映画の終盤で不意に出てくるナイスなノリの義勇兵のオヤジなどキャラも立っていて楽しめる映画だった。ヒロインのエヴァ・マリー・セイントにあまりに華がないのは寂しいが、まあアウシュビッツから任務のために出されたユダヤ女性という設定上、致し方ないところか・・・

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3月 30, 2008

「魂萌え!」(★★★★)

最近なにかと物入りで映画館に行く財力が(涙)
ということで日々ケーブルテレビの放送録画をした海外ドラマとか映画を見てたりするが、
阪本順治監督「魂萌え!」を見た。

桐野夏生の原作は読んでいないのだが、貞淑な妻が夫の死をきっかけに自立した女に変わっていく・・・という筋だけ聞けばなんだかありがちな話のようにも思える。が、このディティールがまこと絶妙にスリリング。
風吹ジュン演じる妻は突然の夫の死に直面し、それまでの夫を支える妻としての役割から急に離れたことで面食らってしまうのだが、忌中の家に訪れた「杉並手打ちそばの会」の会長のふとした一言から、急逝した夫は実は10年もの間社食の栄養士だった女性と浮気を重ねていた事実が判明し、驚天動地の感覚を味わう。
折も折、アメリカで事業に失敗した息子が、帰国して再び商売を始めたいのだがついてはこの戸建てに住まわせてくれと言い出すのだが、息子の思いのほかに横柄な詰め寄りに加えて「お兄ちゃんの自分勝手を許しちゃだめ」と言張る娘の、それはそれで母親の立場を思い遣らない不平に板ばさみになってしまい、耐えかねた風吹ジュンは家を飛び出して立川のカプセルホテルに流れ付くが・・・。

このストーリー、淡々とした描写ながら次から次へと逆境や出会い・別れが連続し、いっこうに飽きることがない。それに、めまぐるしい状況の転化の中でみるみると花開いていく女性を演じる風吹ジュンの輝かしさはどうだろう。麿赤児扮する映写技師のもとに弟子入りしようとピンク映画館に飛び込むシーンの風吹ジュンはもはや少女にすら見えてきさえする。帰りの電車の中で、飲みすぎてバッグにゲロするシーンとかも好き。脇を固める加藤治子、由紀さおりら熟年女優陣も良い。

阪本監督ので最近見てきたのは「KT」「亡国のイージス」などは大作ではあるがちょっとキュウクツな映画だなと思う作品ばかりだったが、この映画は久々に率直に好きな作品だった。同様に女性にフォーカスした「顔」よりちょっとこっちの方が個人的には良かったかも。

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8月 07, 2007

「怪談」(★★★★)

中田秀夫監督「怪談」をユナイテッド・シネマとしまえんで見る。

いや~かなり面白かった。円朝の原作「真景累ヶ淵」とか昔の映画とかは見てないので本筋がどうかは知らないのだが、怪異そのものはかなり古典的な感じながらも、視線のこわさなど(病死し死装束に着せ替えられる黒木瞳の眼が尾上菊之助を見詰めているように見えるシーン、かなりうまい)中田秀夫チックなこだわりがすごく効いていて、こわ面白い一本。尾上のなんかちょっと気持ち悪い美男子ぶりが非常に日本的怪談にマッチしていて良いが、一方井上真央にはじめっとしたとこが無くてミスマッチな感じはする。(かわいいはかわいいんだけどね)
麻生久美子はさすがに持ってこいの空気感があり、彼女とお化けの対決シーンは最大の見せ場かと。

最後には累ヶ淵でとり殺されて終りだろうというネタが割れてる中で、どうクライマックスをおもしろくするかが最も困難なところだろうと予想するが、監督はまさかの見せ場を作っており、これがあまりにも面白くつい声をあげて笑いそうになったがさすがに周囲からにらまれそうなんでやめた。尾上がびっくりしたみたいな顔してやるんでホント腹痛いくらい笑えるのだが・・・。ヒントは「鎌、大活躍」。
ところが↑の直後にくるラストの美しさは実に印象的。セットが実にセットっぽい感じで逆に昔の怪談映画らしさを醸し出しつつ、これでしかできない美しい画を見せてくれて脱帽としか言いようがない。ひさしぶりにいい画を見た心持。
そんな余韻をエンドクレジットに流れる浜崎あゆみがぶち壊してくれた。ここは川井憲次お得意の太鼓をドロドロ効かせた音楽であるべきだろう!
浜崎さんは累ヶ淵に沈んでください。(←「エンタの何様」風に)

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6月 18, 2007

「仕組まれた罠」または「人間の欲望」Human Desire

[mixiにポストしてるレビューの再掲です]

DVDでフリッツ・ラング監督「仕組まれた罠」("Human Desire")見た。
傑作「復讐は俺に任せろ」("The Big Heat")の翌年1954年の作品で、ボグダノヴィッチのインタビュー集「映画監督に著作権はない」などで「人間の欲望」という(まんまの)訳題になっている作品。
「復讐は俺に任せろ」に続いてグレン・フォードとグロリア・グレアムが主演している。

朝鮮戦争帰りのジェフ(グレン・フォード)は、戦場でふたたび戻りたいと願っていた機関士の日常に戻ることができ、日々平穏な思いで機関車を走らせていた。そんな中操車場で操車場長助手であるカール(ブロドリック・クロフォード)に出会うが、このカールは温和な仕事場での姿とは裏腹に、操車場長と対立し、妻のヴィッキー(グロリア・グレアム)にはDVをふるう二面性のある男である。感情的対立から操車場長にクビにされたカールは妻ヴィッキーがかつて家政婦時代に雇用主だった富豪にとりなしを頼むが、富豪とヴィッキーとの男女関係に疑念を抱いたカールは列車の個室中で富豪を殺害してしまう。
その個室に居合わせたヴィッキーは、同じ列車内でジェフと遭遇。平穏な生活を満喫していたジェフは、この殺人から織り成される疑惑と欲望の渦中に巻き込まれていく・・・。

「復讐は俺に任せろ」ではリー・マーヴィンのギャングによって顔に煮えたぎったコーヒーをぶっかけられるという、50年後の現在に見ても壮絶すぎるDVをくらっていたグロリア・グレアムだが、本作でも飲んだくれの夫にDVされている。しかし実はその中でしたたかに逆襲を狙って…という役まわりまで「復讐~」と共通していたりするのだが、このグロリア・グレアムという女優さん、こういう役回りのとき実に光る人です。”新カテゴリー美女”風にいえば「DVされただけで終わらネーゼ」とでもいえようか。グレン・フォードに殺人教唆をするシーンの眼のギラギラした感じはラング一流のフィルム・ノワール調明暗法とあいまって、まさしく心胆寒からしめる力がある。

http://us.imdb.com/gallery/mptv/1206/Mptv/1206/10181_0001.jpg?path=pgallery&path_key=Grahame,%20Gloria
グロリア・グレアム(IMDB)

また、グレアムとの疑いに満ちた関係に対比される、居候先の娘ヴェラ(Diane DeLaire)がグレン・フォードに寄せる片思いの切なさの表現もまばゆい。

エミール・ゾラの原作とはラストが改変されているようなのだが、そのせいなのかなんというか、とってつけたような落ちになってしまっており、映画としては正直微妙な出来なのだが、楽天的な音楽と平和な機関士たちの生活情景が、グレン・フォードが疑念にとらわれはじめるに従って徐々に陰影を帯びノワールの空気が漂ってくるあたり、フリッツ・ラング好きとしてはけっこう楽しめた。

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3月 18, 2007

「龍が如く 劇場版」(★★☆)

びっくりするほどつまらないと評判の三池崇史監督「龍が如く 劇場版」だが、とはいえ終わる前に見ておくべと思い歌舞伎町の新宿オスカーに足を運ぶ。
…でまあ確かにつまんなかった(笑)

ゲームストーリーの流れをなめるだけなめた感じな上に、流れに悪影響を与えてるとしか思えぬ新要素がつっこまれた脚本がとにかく何だそりゃ感連発でひどいのだが、どうもこれ、セガと並んで制作に韓国資本、CJ Entertainmentが加わっていることの影響なのではないか。そう考えるとあのあり得ないラストも合点が行くという単にそれだけの事だが…。

そんなわけだかどうか知らないがメインのストーリーは限りなく適当にユルく処理されているのに対し、全く関わりのない部分はけっこう楽しい。岸谷五朗演じる「真島の兄さん」は素晴らしかったし、ゲーム中に登場するドリンク剤「スタミナンスパーク」の“え、こんなとこでゲーム感出すのかよ!”と叫ばずにおられぬ使い方や、荒川良々の情報屋がドMなので真島に指を潰されるたびに喜びに悶えるというシーンのキモさも良かった。サエコのサブストーリーはもうちょっと見たかったな。彼女の特徴的なキーキー声は確かに「あっついから強盗しよう」とか言い出す歌舞伎町スケールのボニー&クライドストーリーに合ってる感じ。

とは言うものの見るべき映画とは言いがたい出来で残念。

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3月 04, 2007

すごいぞ!「マーダー・ライド・ショー2 デビルズ・リジェクト」

ロブ・ゾンビ監督の「マーダー・ライド・ショー」ならびに続編「マーダー・ライド・ショー2 デビルズ・リジェクト」続けてDVDで見た。

一作目はあのダンジョン的なところに行くあたりからかなり引き込まれたもののすぐさま終わってしまい、正直スラッシャーな映画にあまり親しまない自分としては、数々の引用にニヤリとはさせられたとは言えさほどの好印象はなかったが、続編「デビルズ・リジェクト」には驚いた。

話としては人殺し一家がやはり惨殺を繰り返しながら逃亡するという狂ったストーリーであることは間違いないのに、冒頭の銃撃戦シーンとタイトルバックからして物凄くレベルの高い画を見せまくり、自由に向けて突入するクライマックスではセンチメンタリズムすら感じてしまう。
冥府魔道的テルマ&ルイーズというか暗黒街の弾痕というか、その中間を埋めるべきアメリカン・ニューシネマの語彙に乏しい自分がもどかしくもあるが、とにかく恐るべき冥府への血まみれ疾走が意外なる感動を呼ぶ、怒涛の映画。
いやーこれは凄い。「ザ・ワールド・イズ・マイン」とか好きな人はすごい入り込める映画なのではないでしょうか。

個人的には、狂った保安官が鏡に向かって「タクシー・ドライバー」よろしくキメるところと、殺人一家のニックネームが実はマルクス・ブラザーズ映画の引用であったことが分かって意見を聞くべく呼んだ映画評論家が
「映画史上の最もくそったれな事態だ!エルビスの野郎、グルーチョが死ぬ三日前に死んで話題をかっさらいやがって」
などとオタク的叫びをあげるや
「俺の前で二度とエルビスの悪口を言うな!」
とかって保安官がマジギレするシーンにかなり笑った。

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「松ヶ根乱射事件」(★★★★)

つい先日「ゆれる」を見たとき、新井浩文があいかわらずいい感じ出してたのでその流れで、彼の主演作である山下敦弘監督「松ヶ根乱射事件」を見た。

「リンダリンダリンダ」とかは見てないんで山下敦弘監督の映画は初めて見たが、実にゆるい感じに田舎のスケッチを積み重ねていき、序盤は何やら緊張感がねえ映画、とさえ一見思えるのに、そのままのノリでこの「イノシシの町松ヶ根」に点在する狂った部分…
 散髪に追加5000円で頭の弱い娘とやらせる烏丸せつこの理容店、
 その娘をはらませて妻に「恥ずかしくて表を歩けない」と罵倒される三浦友和演じる父親、
 ビニ傘で山中崇を殴りつける謎の暴力中年キム兄
 …などを綴っていき、もっともマトモな人物として位置づけられている新井浩文が「乱射」に至るまでのルートに巧妙に観客を引き込んでいく。
 観客に感情移入をさせるようなことは殆どやってないのに、我々はいつの間にやら映画内に、どうしようもなく閉塞してもう笑うしかない的田舎町松ヶ根の状況に入り浸ってしまっているのだ。

 やはり怖いのは、この話が別に終わってもいないという事だろう。
 カタストロフな事でも何でもないようなねじれであるのに、閉じた田舎町の中であるが故に状況の出口もなく終わりも来ないという怖さ。基本、笑える映画なのだが見終わった後になんとも考えさせられる。全・田舎者必見の一本。

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2月 25, 2007

「叫」のブログパーツを貼ってみた

昨日見てきた黒沢清監督の新作映画「叫」。
かなりすごい画が連発。シャワーとか浴びててもいくつかのシーンを思い出してしまう傑作です。必見。

ということで当ブログに、公式サイトで配布されているブログパーツを貼ってみたよ。



いまだ「まもなく公開!」とかになっているが…(^^;)
それと黒沢清映画が好きな人とブログパーツ貼って面白がる人たちの層って重なってるのだろうか?というあたりも気になるが、まあここに一人おるぞということで。

また、公式ブログも立ち上がっているが、赤い服の女が書いている、ということになっている(^^;)うむむ~。

ま、それはともかくとしてとにかく映画はすごい。
以下、mixi日記に書いたメモをとりあえず転載。

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いや~またとんでもない映像を見せてくれた。葉月里緒菜の怪演に感激させられる日が来るとは!超やべえ。「パラサイト・イブ」では爆笑だったのにね。(とはいうものの「叫」でも何度か笑えるポイントあり。確信犯だろうけど)

一筋縄でいかないことで定評の黒沢清作品がメジャー系でかかるとかならず聞かれる「何この映画」という終演後の感想は今回もやはりそこらから聞こえてきたのだけど、とはいえ今作は「CURE」と同じくらい素直に面白い黒沢清映画ではないか、と思う。日頃「責任をなしにし」まくってる人は上空に注意、という映画(…なのか?)

ついこないだチャリで行った有明あたりが出てくるんでかなり気になった。ああ、あのドーム有明スポーツセンターだ、みたいな。変な場所あるなあと思っていた空間が事件の舞台になってるんでそのあたりもかなり個人的に興奮ポイントでした。

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一夜あけた今もいまだ興奮さめやらぬので、そのうち再見しに行くかも。ものすごい「叫び」のシーンがあるのだけどあれは劇場でないと出せない音響効果ではないかと思うので、もう一度見るなら劇場にかかっている間になんとか行きたい。

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12月 05, 2006

「麦の穂を揺らす風」(★★★☆)

アイルランド独立闘争を背景にした映画といえば今年前半見たものすごい良作「プルートで朝食を」が印象深いが、続けざまとばかりにやはり同じキリアン・マーフィが主演した「麦の穂を揺らす風」が公開されたので見てきた。
反骨の巨匠ケン・ローチだが、この映画は明白に彼の母国イギリスのかつてのアイルランド統治を差別と暴力に満ちた非人道的行いとして糾弾するものであり、きわめてラディカルな映画といえる(日本で、仮に八路軍だの三・一独立運動だのの闘争を被支配者の視点から描いた映画を、日本人の監督が撮り得るだろうか?)。
彼の真摯なメッセージはカンヌ映画祭で評価され、パルム・ドールを受賞した。

「プルートで朝食を」は、闘争続くアイルランドでオカマとして生きる主人公を通して、血で血を洗う戦争の光景の中でそれでも希望を失わずに生きようとする姿が涙を絞る、言うなればアウトサイダーから見たアイルランド闘争映画だったが、いっぽうケン・ローチは闘争のど真ん中に身を投ずるアイルランドの名もない若者たちの姿を等身大で描き、彼らのひたむきさと、しかしそれが武力政治闘争であるが故に帰着する悲劇を訴えるインサイダー側からのアイルランド闘争映画を撮っている。
それにしてもアウトサイダー側インサイダー側のいずれをも堂々と演じきっているキリアン・マーフィは素晴らしい。

冒頭で印象的なシーンがあった。
ハーリング(なんかホッケーみたいなアイルランドのスポーツ)の試合で集まっているアイリッシュの若者たちの所に「全ての集会は禁止だっ!」とか叫びながら英国の治安部隊ブラック・アンド・タンズが殴り込んで来、壁に並ばせた若者たちに名前を名乗らせる。
うちの一人が「マホールだ」と名乗ると、治安部隊は「何を言っている!?英語で名乗るんだ!」と彼を殴打しまくり、死に至らしめてしまう。
「マホール」とはアイリッシュのルーツであるゲール語での名前であり、英語で発音すれば「マイケル」なのだ。
マホールは英語で自分の名を言わなかったために殺されてしまったのだ。これってどっかで聞いたような話ではないか?
映画に登場するイギリス人は全く糞としか言いようのない圧政ぶりを見せるのだが、彼らの統治手法をなぞるように隣国文化や民族を見下す行為を歴史的に行ってきたわが国の来歴を思うや、映画中で悪の限りを尽くすイギリス軍の非道行為に憤懣を感じるいっぽうで、なにかひとごとならぬ思いも抱いてしまわずにおれない。

ニール・ジョーダンの「マイケル・コリンズ」でも描かれた条約後の内戦は、救いようのない悲劇としてこの映画でも影を落としてくる。銃を向け合う者同士が同じ釜の飯を食った同胞という状況下、彼らは名前を呼び合いながら銃撃しあう。
武力による政治闘争の末路としてみれば普遍的なストーリーともいえるものの、「おれたちは不思議な民だな」という台詞には味わい深い重みがある。

話の筋は圧倒的に重いが映像は美麗で、風光明媚なアイルランドの山並みが目に焼き付く。
音楽は「ディープ・ブルー」とか最近やってたジョージ・フェントンだ。この人「メンフィス・ベル」の作曲した人という印象を持っていたのだけど、実は「レディバード・レディバード」以来すべてのケン・ローチ作品の音楽をやっているとか。知らなかったな~。

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11月 25, 2006

「UNKNOWN」(★★★)

立川シネシティでサイモン・ブランド監督「UNKNOWN」見た。

廃工場の床にだらしなく転倒しているジム・カヴィーゼルが目覚めると、血の付いたスコップと自分同様に床に倒れて気絶している男、肩を撃たれて手錠に繋がれている男、椅子に縛り上げられたジョー・パントリアーノ(パントリアーノだというだけでいかにも縄を解いてはいけない感じがする・・・笑)がいる。
工場は暗号キーで密閉されており出られず、しょうがなくカヴィーゼルがジョー・パントリアーノの縄を解こうとすると、「やめろ!縄を解くな!」と、足を引きずりながらバリー・ペッパーが登場。

密室空間での異常状況の中、その場になぜ自分がいるのか、自分はいったいどこの誰なのか、誰ひとりとして思い出せない…。

という最初のシチュエーションはすごく面白そうなのに、実際には中途半端な映画だった。どうも「その場にいる誰が敵で誰が味方か分からない状況」というのが、うまいこと緊張感に繋がってない感じ。どうでもいいがこういうシチュエーションって「SAW」からの流行なのかね?見てないけど。
バリー・ペッパーとかピーター・ストーメアなど通好みのキャスティングではあるのだが…。

シネシティは雰囲気よくていい箱だなと思った。切符売り場のお姉ちゃんの笑顔とかも、マニュアルに書いてあるんでそうしてマス、って感じではない。職場の雰囲気がいいのかな?…と、「ホテル・ルワンダ」上映を最初に申し出てくれた劇場だからかもしれないが、何か好印象。

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11月 19, 2006

「トンマッコルへようこそ」(★★★★)

パク・クァンヒョン監督の韓国映画「トンマッコルへようこそ」をシネ・リーブル池袋で観た。

朝鮮戦争の真っ最中、韓国の山奥にある全く近代から忘れられたような呑気な村トンマッコルに、韓国・米国・北朝鮮の3軍の兵隊たちがそれぞれ別な理由で流れ着く。

墜落した米国の偵察機パイロットは、負傷した体を横たえたまま
『誰か英語のできるやつはいないのか』
と村人に聞くのだが、ひもで綴じられた英会話の本を持ってきた村の寺子屋の先生は、本をかっきとにらみつつ
「ハウ・アー・ユー?」と聞くばかり。
『おい、おれのこのざまをちゃんと見て言ってるのか?最悪の気分だよ!』
「おかしいな。ここで『ファイン・サンキュー。アンドユー』って返してくれないと、会話にならないはずなんだけど・・」
という調子で、1950年代なのにたいがい江戸時代級のノリの村である。どうもこの村、朝鮮戦どころか日本による占領も関係ないまま過ごしてきたのであろう。

この村人たち、銃すらも見たことがないため村の真ん中で南北の兵隊が銃を構えての睨み合いとなり、その間に挟まれても、双方が何やってるのか今いちよく理解していない。
「手をあげろ!」
「右手だけでいいの?」
そのうち畑から帰ってきたオヤジが「大変だ、またイノシシがおらたちの畑荒らしてるだ」というと「そりゃ大変だ」と、すっかり手をあげるのも忘れてイノシシ問題を討議しはじめる始末。


この映画、「トンマ…」という語感がなんかバカっぽいとか、いがみ合う敵同士が無垢な魂に触れて休戦、なんてありがちでいかにも泣かせにきてる感じだよな…と思って敬遠するのは損な映画といえる。

そりゃあ最後は私も泣きに泣かされ、売店で鼻水をすすりながら「バンフレッドぐださい」というザマではあったが、大事なのはこれが分断をめぐる現代史において彼らが「本当はこうするべきだったのに」と考えているであろう選択をファンタジーとして描いている点だ。
イム・グォンテク監督の「太白山脈」に代表されるハードな戦争映画で描かれるように、連合軍と人民軍がかわりばんこに民間の村を支配下に置き、その都度異端審問のようなアカ狩りや政治教育を通して圧迫や戦禍をもたらす地獄の状況が実態としての朝鮮戦争だったのだとすれば、彼らが破壊してきたイノセンスのまさにそのもののような村が現前するというファンタジー(劇中、トンマッコルという村の名は「子供のように純粋」を意味するとされる)は、登場人物たちに深く影響をおよぼし、やがてある選択を迫ることになる。

同民族内での戦争という惨劇の歴史をふりかえって「自分たちが本当に守るべきものは何だったのか?」と問う、そうした悲痛な問いがこの感動には底流として流れているのだろう。
それ故に通りいっぺんの泣かせ韓流ムービーとは一線を画した良作といえる。

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10月 10, 2006

「弓」(★★★★)

今、おそらく世界でもっとも面白い映画(見たらすぐに忘れる快楽装置としての意味ではなく)を撮る10人を挙げたら間違いなく入るであろう韓国の映画監督キム・ギドクの新作「」をル・シネマで見た。

エンジンの壊れた釣り舟に釣り客を招き、少ない乗船代だけを得て慎ましやかに生きる老人。彼にはどこからか拾ってきたと噂されている、16歳の美しい娘がついている。
あどけなくも奔放で、かつ魅惑的な彼女が17歳になった日、妻としてめとることだけを希望として、老人は船上で弓を鍛えながら生活している・・・。

浮き世離れした海上の世界で展開する話だが、「春夏秋冬そして春」ほど寓話的な難解な映画ではない。とはいうものの不可解なことは起きるので、多人数で見た人は解釈を巡って議論必至だろう。

監督の最近作「サマリア」(主演のこの世ならぬ美少女ハン・ヨルムはこの映画で援助交際に身を投じる少女を演じているが、どこか聖性を漂わせた魅力は本作とも通ずるものがある)や「うつせみ」も、これまで見たことのないような美しいラストシーンが印象深かったが、今回も「おおっ」と思わされた。
未見の方はお楽しみに。

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「教授と美女」(★★★★★)

ハワード・ホークス監督の伝説的傑作「教授と美女」は、ずっと見たかった一本ながらビデオがなかなか見当たらず、TSUTAYA恵比寿店で何年か前に目撃したきりだったのだが、中野のピープルになんということもなく置いてあるのを発見、早速借りて見たが、いやはや素晴らしい。

今世紀に誇る百科事典を編纂するべく洋館に集められた8人の教授たちは、人類の啓蒙という大テーマに挑む、浮世離れしたいい味出まくりのプリティー親父連だ。そこにクッキーの懸賞クイズの解答を知りたがったゴミ収集人が飛び込んできて、クレオパトラの死の理由は何というクイズの解答を教えてもらう。
ところが「俗語」の章を担当する英語学者ゲイリー・クーパーはゴミ収集人との会話の中に出現したスラングが実はさっぱり分からぬことに愕然とし、「本で学んでもダメだ、生きた俗語を吸収せねば!」と夜の街にフィールドワークに出かけ、そこでクラブの魅惑的な歌手バーバラ・スタンウィックに出会う・・・。

ダニー・ケイとバージニア・メイヨー主演によるリメーク「ヒット・パレード」(こちらも監督はホークス)は見ていたので筋の基本は知ってるのだが、何しろ役者が違う。
ゲイリー・クーパーの野暮天教授も素晴らしい(ボクシングの本を読んで仕込んだヘボアッパーを振るいまくる動きの珍妙さよ!)のだが、何と言ってもバーバラ・スタンウィックだ。めちゃかっこいいクラブでの歌唱シーンから、美脚を踊らせながらお爺ちゃん教授たちにコンガを教えるシーン、ヌボーッと背の高いクーパーの足下にまたたくまに文法書を積み上げてキスに及ぶシーンなど、きっぷのいい彼女のキャラクターが生かされた名シーンの連続で、スタンウィックのファンにはたまりません。
映画のストーリーは「白雪姫と七人の小人」に依拠しながら、少しピントのずれた老教授たちと、美男子ながらオンナの「オ」の字も知らぬゲイリー・クーパーを教育していくという、これまたホークスのスクリューボール・コメディの大傑作「赤ちゃん教育」に類似した物語をたどる。
「わしらはみんなあの子が大好きなんじゃ!」と叫ぶ老教授たちのこのチャーミングさはどうだろう?
男はみな、魅力的な女の子の前では子供と同然なのである。

もし今でも主演映画が盛んに見られていたなら、現代の女性にもっとも支持されるハリウッド女優ナンバー1はバーバラ・スタンウィックであるはずと断言して差し支えなかろう。「教授と美女」を見て女子力を高めよう、という女性誌特集があったとしても不思議はない。
ちなみにバツグンに面白いストーリーもそのはずでビリー・ワイルダーが共同脚本に入っている。「24」なみに、と言ったら誇張かもしれんが引き込まれまくるハイテンションな脚本です。

それにしても、これ書くために何年か前の「ハワード・ホークス映画祭」のパンフを読み返したら、てっきりジンジャー・ロジャースだと思いこんでいた「ヒット・パレード」の主演女優がバージニア・メイヨーだったと知って軽くショック。俺の記憶も信用ならんな…。

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9月 18, 2006

「マッチポイント」(★★★☆)

ウディ・アレン監督のイギリス映画「マッチポイント」をシネスイッチ銀座で見た。

ファーストカットの美しさと流麗な語り、美しい撮影に「いよいよ巨匠の箔がついたか?」と最初のうちは大変にワクワクさせられ、スカーレット・ヨハンソンの登場とそれに続くいくつかのシーンには大いに感服したのだが(エミリー・モーティマーの演じる、実に可愛らしくいい子ではあるが退屈な女の子との会話の後に、遂に現れるヨハンソンの妖艶さはどうだろう!)、ポロに乗馬に狩りにオペラ鑑賞・・・というこれでもかな英国上流階級っぽい展開にはちょっと恥ずかしさを覚えてしまった。
特に、映画のクライマックスともいうべき壮絶なシーンで、ヴェルディの「オテロ」が鳴り響くのは・・・。それはあまりにも直接的すぎないか?
もちろん、”ベッソン以降”のヨーロッパ映画などに比すると充分に風格があるのだけど、それでもいかばかりかの邪気の無さを感じてしまうのだった。
まあ、この邪気の無さがウディ・アレンという人なのかもしれない。とにかくスカーレット・ヨハンソンの魅力の周りを惑星のように巡る映画である。

(9/19追記....以下はネタバレを含むので未見の方は見ないほうが吉です)

続きを読む "「マッチポイント」(★★★☆)"

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「ファイナル・デッドコースター」(★★)

ジェームス・ウォン監督「ファイナル・デッドコースター」を歌舞伎町オスカーで見た。

この明らかにティーン向けなスリラー映画シリーズ、一本めの「ファイナル・デスティネーション」は着想の面白さもありめちゃくちゃ面白かったが、さすがに同じネタで三本目ともなるとマンネリの感がぬぐえない。二作目「デッドコースター」でもちょっとその兆候はあったが…。

思うに、「大事故を奇跡的に免れたティーンズを、逃れられない死の"運命"が襲う」という一作目のコンセプトの面白さは素晴らしいのだが、シリーズ化を考えた場合、この"運命"の顔のなさが祟った感がある。ジェイソンやブギーマンみたいな存在がアメリカ映画のマンネリ連作ホラーにはどうも必要なのかもしれない。マンネリでもキャラさえ立っていれば続けられるのがこの種のシリーズなのだろう。

マンネリズムに居座る代わりに今回の映画で提示されているのは心霊写真を手がかりにした謎解きなのだが、どうも生煮えの感が否めない。そもそも不自然な「毎回ティーンが大事故に遭う」といういかにも客層を考えたパターンを逆手にとって、いっそ老人を主人公にしてはどうだろうか。

ひょんなことからゲートボール仲間の源じいと喧嘩になり、朝のゲートボール大会をブッチした秀じいたち、しかし翌朝のゲートボール場を落雷が襲い参加者全員死亡ッ!幸運と秀じいの頑固さに助けられ死の運命から逃れたじじばば一派だったが、次々と奇怪な死が彼らを襲う…。

入れ歯挿入時に何故か感電!暴走する老人用電動車(おばあちゃんが買い物に出る時乗ってるやつ)!そして雑煮の中のモチ!

「たて続けに三人も…偶然にしては奇妙すぎるんじゃ!ほれ、タバコ屋のヨネばあも」
「バカ言え、ヨネばあはありゃ老衰じゃねえか。オヤジそろそろボケてきたんじゃねえの」

彼らの真の敵は「老人なら死んでも不思議ない」という周囲の無理解だ!
はたして米寿まで生き残れるのか!?秀じい!!

          カミング・スゥゥ~~~ン

篠崎誠監督でどうか。
とまあこのような妄想をもてあそんで楽しまざるを得ない残念作なのでありました。

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9月 11, 2006

「グエムル 漢江の怪物」(★★★★)

ポン・ジュノ監督「グエムル 漢江の怪物」をユナイテッドシネマとしまえんで見た。

冒頭、どうも在韓米軍所属っぽいアメリカ人医師と韓国人の医者が下水にホルマリンを捨てるの捨てないの、というので議論している。アメリカ人はホルマリンの瓶にホコリがついてるのが我慢ならないのだ。(ホームドラマの姑か!?)
韓国人は「そんなことしたら漢江が汚れます」と抗弁するが、アメリカ人は「漢江は非常にでかい川だ。君も川のように気を大きくもち給え」とかちょっとうまいこと(?)言って部下の韓国人にホルマリンを洗い場の排水溝に流させ始める。
あーこれはジョン・セイルズが脚本書いた「アリゲーター」みたいな展開(トイレに捨てられたワニの赤ちゃんが、現代の汚染された排水の中で生活しているうちに突然変異で巨大化しモンスターになる)か・・・と思ってみてると、カメラは捨て終わったホルマリンの空き瓶にズームし、パンしていく。
捨て終わったホルマリンの空き瓶はズラーっと並んでいて、その列はいつまでも続く。いつまでもいつまでも・・・いつまでも・・・って一人で捨てすぎだろ!いったい何時間ドボドボやってんだコイツは!?

というジャブ的なギャグから開始されるこのモンスターパニック映画、ジャンル映画の枠組みをゆさぶりまくるポン・ジュノ監督のしなやかな感性が働き、一瞬すら油断できない刺激的な映画になっている。爆笑と極限的緊張がシャッフル的に襲い、モンスターパニックという考え方によっては最もジャンル原則に忠実であるべき映画ジャンルであるにも関わらず、規定どおりのルートを通ることを徹底的に拒む、非常に野心的な映画である。
それでいてモンスター映画のエクスタシーはばっちり押さえた映画に仕上がっているから実に心憎い一本といえる。ポン・ジュノ監督、うまい!そしてペ・ドゥナはかわいい!

(以下、たいした点ではないがネタバレあり)

続きを読む "「グエムル 漢江の怪物」(★★★★)"

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9月 04, 2006

「40歳の童貞男」(★★★★)

ユナイテッド・シネマとしまえんで独占公開されているジャド・アパトウ監督「40歳の童貞男」を見た。主演のスティーブ・カレルは自ら脚本も書き大活躍だが、この脚本、けっこうよくできている。
主役のアンディは電器店の商品管理担当者で、まじめな働きぶりは好感をもたれているが、普段なにやってるんだか同僚には不可解な存在であり、「俺は正直、あいつは連続殺人鬼だと思う」などと言われている。実際は、家でチューバ吹いたりゲームやったり、集めたフィギュアと着色作業中会話するなど、無害きわまりないシングルライフを送っているのだが・・・。そんなアンディが同僚とのポーカーに初めて参加し、その場で始まったワイ談の最中に
「僕もオッパイは好きだ・・・あのパンパンの砂袋みたいな感触・・・」などと口走ってしまったことから、40歳にもなるのに実は童貞だと知れてしまう。
「砂袋だなんてなんで言ったんだオレのバカ~~!!」と絶叫しながらチャリンコを猛スピードで立ち漕ぎし(免許持ってないのだ)家に逃げ帰るアンディ。
翌朝出勤すると、速攻職場に知れ渡っており、上司から「よう、童貞!」などと言われて大ショックのアンディは、猛ダッシュで職場を出て行ってしまう。悪いと思った同僚たちは彼に初体験をさせてやろうとあの手この手を打つ…。

この映画、けっこう古典的なスクリューボール・コメディの枠組みにそってしっかり作られている。アンディにはついに両思いになる女性トリッシュ(「マルコヴィッチの穴」のキャスリーン・キーナー)が現れるが、アンディの躊躇や、いきなり出現するトリッシュの娘などによってセックスにはなかなか至らない。またアンディのふと口にした「自分の店を持ちたい」という希望をかなえようと、eBayへの出品代行を仕事にしているトリッシュはアンディのフィギュア・コレクションを売りに出そうとするのだが、最初は微笑みを浮かべて彼女に従っていたアンディがついに爆発。「そうだよ!そうでなくては!」と心中快哉を叫んだアンディの精神的同胞たちも多かろうが、このようなストーリー展開は実はすごく伝統あるスタイルだと思う。かのハワード・ホークス監督の傑作「赤ちゃん教育」のラストもかくやというクライマックスの象徴的アクションは、実に正統的なハリウッド映画のセオリーを体現していて素晴らしいと思う。
また、同僚に「女を尊重すべき存在だと思いすぎていないか?」と繰り返し問われるアンディの価値観と、周囲とのギャップも面白いところだ。40歳になるまで童貞のアンディの価値観は現代アメリカでは変人(スクリューボール)的なものだが、ひるがえってセックスに対して少々退廃的になりすぎている現代社会に対する批判という種も胚胎しているようである。

ということで非常にしっかり作られた良作だと思うのだが、これが2週間ばかりの限定公開というのは勿体ないと思う。もちろんギャグも相当効いていて笑えるし(なぜか日本風の脱毛サロンでの胸毛ガムテ脱毛は、実は地毛を使っているスティーブ・カレルの体当たり演技の迫力ゆえか劇場が揺れるほどの笑いを呼んだ)、エンドロールなどは爆笑しながらとても楽しい趣向で、映画的楽しさも充満している。一見の価値ある作品。

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9月 03, 2006

「太陽」(★★★★)

実はソクーロフの映画を見るのは初めてだ。銀座シネパトス2館を溢れさせるほどに客がつめかけ続けている映画「太陽」は、昭和天皇を一個人として描いた初めての映画として耳目を集め、またその中で戦争責任者として批判的な描かれ方がしておりそれに右翼的勢力の反発があるのではと心配されはしたが、映画の中の昭和天皇は穏やかで節度あり、立派な人物として描かれていた。
映画の意図は、この近代国家の元首としては異例な「現人神」というパーソナリティを持つ裕仁という一個人の内面を描くことにあるように見える。進駐してきたアメリカ人は「現人神」というものに対する対処がとれず、マッカーサーは「現人神をやっている気分というのはどんなものかね?」と質問したり、写真を撮りにきた米国人カメラマンたちは「チャップリンみたいだ」「バイ、チャーリー」などと無遠慮なふるまいに出たりするが、いまだかつて無遠慮に扱われたことのない天皇は、彼らのそぶりが無遠慮であるということにも気づかないのか、カメラにむかっておどけてみたりと稚気といえるものさえ発してみせる。
だが、イッセー尾形の名演にも裏付けられていることだろうが、この昭和天皇の軽やかで微笑ましい素振りこそ「聖性」というものではないか、と逆に思えてしまうのだ。GHQから天皇への贈り物としてダンボール箱いっぱいのハーシーズのチョコレートが送られてくるが、その処遇に侍従たちが困り果てているところに天皇がやってきて、「さあ、食べなさい」と手ずから侍従たちにチョコレートを配るシーンがあるのだが、天皇に銀紙まで剥いてもらっては口にするわけもいかず、かぶりついた侍従長が「私は、アラレのほうが好きであります」などと返答するシーンは、新しい時代と自らの新しいあり方に向けて踏み出そうとする天皇と周囲とのギャップが笑いとなって表現されていて、実に面白い。
遂に人間宣言をおこなった天皇が、最後に侍従長から手短に告げられる一言によって愁いの表情を見せるクライマックスが印象に残る。自己の神格を否定することは、天皇にとってどのような内面的意味をもっていたのだろうか?これはフィクションによってしか描きようのない境地であり、これをテーマとして選んだソクーロフ監督の目の付け所はすごいと思う。
いまだ天皇制のもとにある日本人として、必見の一作ではないだろうか。

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「トランスアメリカ」(★★★☆)

シネスイッチ銀座でダンカン・タッカー監督「トランスアメリカ」を見た。
性転換手術を間近に控えた性同一性障害の男性が、昔一度だけセックスした時に実は出来ていたという息子に会い、ともにアメリカを横断する旅に出る。「デスパレートな妻たち」は見てないので、フェリシティ・ハフマンというこの女優を観るのは初めてなのだが、実に見事に、後はペニス切断を控えるのみの"ほぼ女性"の男を演じ切っていて素晴らしい。
同じ日に見たアレクサンドル・ソクーロフ監督の「太陽」も、これまでの自分に別れを告げ、自分の真の姿を開示しようとする者が突き当たるドラマといえるのだが、「トランスアメリカ」ではお互いを完全に理解したとは言いがたいが、互いの存在を受け入れることを了解した父子(母子?)関係を築くまでの旅路が描かれ、関係性構築のドラマといえる。(いっぽう「太陽」はより個人の内面的なドラマのうちに終わる)。あるいは、ロードムービーとは目的そのものよりも関係性構築をもってドラマのクライマックスとするような映画ジャンルなのかもしれないと思った。

互いに止むを得ざる理由をもちながら、それぞれ手術による性転換や同性愛映画のポルノ男優への道を進んでいく父と子を描いた「トランスアメリカ」は、その常軌を逸した設定とは裏腹に、豊かな父子関係へと二人が進んでいくであろう希望を醸し出していると思える。悪くない一本。

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8月 21, 2006

「ユナイテッド93」(★★★★)

このところ「デスノート」といい「M:i3」といい、わざわざエントリ書く気力のおきない映画ばかり見てたが(あ、でもアニメ版「時をかける少女」はよかった)久々に傑作を見た感あり。
ポール・グリーングラス監督「ユナイテッド93」をユナイテッドシネマとしまえんで見た。
ご存知のとおり、9.11同時多発テロでハイジャックされた旅客機のうち、唯一どの目標にも到達せずに墜落したユナイテッド航空93便の機内で何が起きたか、また管制塔をはじめとする地上の状況はどのようであったかをセミ・ドキュメンタリー形式で描いた映画である。
題材が題材なのでおもしろいといってはまずいかなという気がするが、リアリティ溢れる演出にとても圧倒された。飛行機に乗ったことがあれば誰でも体験する離陸前の様々なディティールを乗員乗客の視点でつぶさに描いているのだが、離陸直後にシートベルトを外して業務につこうとする客室乗務員が靴を履くところなどを、しっかりカメラが捉えたりしている。こうしたディティールの積み重ねが「嘘のようなまこと」である同時多発テロに対する臨場感をかきたてる。また、実際に9.11の現場に居合わせた航空管制官たちが演じている連邦航空局(FAA)の管制センター、軍の防空司令部のシーンなども真にせまっている。FAAも軍も驚くほど情報が錯綜しており、判断が極端に難しい局面におかれていたことが分かる。防空司令部ではCNNの一報でワールド・トレード・センターへの一撃を知り、すぐに巨大スクリーンにCNNのライブ映像を映すが、その後も次々と乱れ飛ぶハイジャック情報に右往左往となり、イニシアチブを取れる状態にはなかなかなれなかったようだ。
この映画は迫真性がとにかく命で、「あの日」に流れていた空気を再び組成してみようとする試みに思われるが、同時に政治的な利用のされ方をしないようにうまく作られているのがポイント高い。ハイジャック犯たちはひとつの任務を果たすことを期待されて乗り合わせた一人の人間としてそれぞれ描かれ(冒頭に彼らが行う礼拝のシーンは、人間の「敬虔」という徳を一種の尊敬をもって描いているようにさえ見える。勿論、それがいかに危険な方向に彼らを導いていたかは別の問題としてだが)、ことさらに『悪の権化』や『狂信者』として誇張して描かれることはないし、ハイジャック犯に抵抗した乗客の側も、自分たちが未曾有の惨事を救うべく立ち上がろうなどと一席の演説をぶって事に及んだわけではなく、極限の中での抵抗という選択肢を自然に選んでいく。もちろん個々人の心の中には並々ならない勇気が必要だっただろうが、それは観客の想像力にまかされている。
それにしても、この映画を見て一番思ったのは全てを変えた「あの日」の空気感覚ともいうべきものが、自分の中でいかに色あせていき、過去そんな日もあった、というような位置づけに事件そのものがなりつつあるかということだった。「9.11以降」の現代人必見の一本である。

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6月 26, 2006

「プルートで朝食を」(★★★★★)

シネスイッチ銀座でニール・ジョーダン監督「プルートで朝食を」を見た。
観るまでは、正直「また英国お得意のオカマ映画かよ~。オカマの人生大変だってイギリス映画は『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』一本でたくさんだよ」という思いはちょっとあった。(大変に申し訳ない!

それでも見に行ったのは、この映画がIRAvsイギリス軍のテロ/対テロ戦争がヒートアップする60年代を舞台にし、この映画のストーリーにも関わってくるという点がひっかかってきたからなのだが、これがフタを開けてみると今年下半期ベスト1はこれだなと確信するほどできのよい、詩情あふれる素晴らしい映画で、久しぶりに掛け値なく映画を楽しんだ一本だった。

アイルランドのアルスターと国境を接する町に生まれた一人の性同一性障害をもつ青年の半生が描かれる。
町のあちこちを飛び回るコマドリが、司教館に捨てられた一人の赤子パトリックを気遣って会話を交わす(さえずりを人間語に訳した字幕が出る)。彼は成長して女装するようになるが、里親である小母さんは「なんて罰あたりな子だ!今後一切そんなことはやめて、フットボールでもやって男らしさを磨きな」と諭すのだが、言われた彼は豪奢なドレスを身にまとってボールを追う自分の姿を夢想する始末。信心深いカトリックの国アイルランドで、オカマをやるのは想像を絶する逆境のようであり、しかも彼は小間使いと神父との過ちの結果生まれた子供で、母親はそのことを悔いて彼を司教館の門前に捨てたっきり町から姿を消してしまっていた。彼は一度も自分の目で見たことのない、ミュージカル女優ミッツィ・ゲイナー似だという母親を、常に想いながら育っていく。

映画の舞台である'60年代のアイルランドは、アルスターを占領する英国の軍隊とIRAとの闘争が過激化を増していく時代にあたり、少年たちはおもちゃの銃を手に空き地で「IRAvsイングランド軍」ごっこに興じている。彼らの成長する時代は、爆弾事件や英国兵の検問などとともにあった。
パトリックは自分の名前をきらい、自分を聖パトリックの従者聖キトゥンに模して「キトゥン」と呼んで、というが、彼の通うカトリック学校の教師は「キトゥンなんて聖人はいない」と彼の夢想を否定する。
そんなキトゥンのまわりに現われるのは社会のはずれ者やはんぱ者など、ボーダーライン上の人ばかりなのだが、彼らはキトゥンに大切な詩や思い出を与えてくれる。
「オカマは帰れ」とクラブへの立ち入りを禁じられたキトゥンは、同じように入場を拒否されたヘルス・エンジェルスみたいな暴走族と2ケツで森の中にドライブ。自ら「国境の騎士」と名乗るゾクのあんちゃんは「星のハイウェイを抜けて冥王星(プルート)で朝食を食べるのさ」と詩を語ってくれる。
IRAのテロ戦争に巻き込まれながらも、幼いころから自分を大切にしてくれた友だちとの交流を忘れなかったキトゥンだが、ついに自分にとって何よりも大切な母親を探すためにロンドンに旅立つ。「世界で一番大きな町に呑まれた幻の女」を探すのだ。

「幻の女って?」
「"幻の女"は私の母のことよ。自分の人生が物語みたいに感じられるように・・。だってそうしないと、涙があふれてしまうから」

キトゥンは、信心深いアイルランドで肉親のないオカマであるという逆境と、さらにIRAの爆弾闘争が過激化する時代にアイルランド人がロンドンで暮らす、という二重の厳しさの中に置かれている。
でも彼女の人生は詩にあふれ、笑いに満ち、美しい。彼女が最後に手に入れるものを、涙なくして見ることはできないだろう。彼女が映画のはじめに語るように、これは映画を観ているこの時代の、私たちの物語なのだ。

主演のキリアン・マーフィも素晴らしいが、個人的にはアフリカ系の女の子の友人であるチャーリーを演じたルース・ネッガがとても素敵だった。映画はこれが初みたいで今後に期待。

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6月 18, 2006

「インサイド・マン」(★★★☆)

スパイク・リー監督「中の人も大変だな」...もとい「インサイド・マン」をユナイテッド・シネマとしまえんで観た。
で、あらかじめ言いますとそんなに奇想天外なコン・ゲーム作ではない。もっともこちらもそんなに構えて見ているわけではないのでそれなりに「お、なるほどそれか」と思わされるが、「よーし、見破ったるぞー」と気負いまくって劇場に行ってもそんなに満足感は得られないかもしれない。
というか↑のような映画の見方は根本的な愉しみをミスしていると私は思うが、ま、それは個人的な考え方なので(^^;)

批評的な見方をする人には、トリックの妙よりもむしろストーリーが巧妙に織り込んでいる社会性をガジェットとしてみるほうがより楽しめるかもしれない。「お、こんなところでそれ持ってくるか」というような感じで。そもそものストーリーの根幹を形作っている部分にもスパイク・リーっぽい人種差別のテーマが絡んでいるのだが、それはアフリカ系アメリカ人の抱えるものではなく・・・というあたりが面白い。色々なネタを小出しに織り込んでいるが、一貫している。

映画前半では時間帯の異なる訊問と銀行強盗事件を平行的に語りながら、徐々に謎の種を蒔き、後半でそれを展開させていく脚本はなかなか巧いが、最近よくみるスタイルといえばそうとも言える。いかようにでもエキサイトを突っ込んでいける素材ながら、スパイク・リーはそういう安手の展開を抑え、納得できるキャラクター造型により注力している感じがして好ましい。デンゼル・ワシントンの出てくる立てこもりものなので、ニック・カサヴェテス監督の「ジョンQ」を想起してしまったのだが(もっともデンゼルの立場は両作では真逆だ)、あちらはサスペンス演出自体は平板な紋切り型だったのと好対照に思われた。
役者陣では何といってもクライヴ・オーウェンだろう。この人眉毛のゲジゲジっぽい感じがどうも気になるのだが、やっぱり味があるね。
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6月 11, 2006

「明日の記憶」(★★★)

堤幸彦監督「明日の記憶」を見た。
原作の書を読んで感動した渡辺謙が制作を決意したという映画で、自ら主演し、エグセクティブ・プロデューサーとしてクレジットもされている。
どちらかというと、妻役の樋口可南子の方が、夫の状況に直面して自分はしっかりしなければ・・・というひたむきさが溢れていて、演技としてはよかった。いっぽう、熱演といえば熱演としえる渡辺謙の演技からは、アルツハイマーの進行による変化があまり伝わってこない。
「俺が俺じゃなくなっても平気か?」と妻に問う台詞があるのだが、「俺が俺じゃなくなる」瞬間というのが、台本としてしか受け取れない感を受けた。あるいは渡辺謙のオーヴァーアクト気味の演技のみならず、演出のせいもあるのかもしれないが。
(以下ネタバレあり)

続きを読む "「明日の記憶」(★★★)"

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5月 08, 2006

「隠された記憶」(★★★★)

ミヒャエル・ハネケ監督「隠された記憶」をユーロスペースで見る。

序盤からして、観客を視覚的な入れ子に落としこむようなトリックが使われており、スリラーという売り文句でありながら非常に思弁的な…さっくり言っちゃうと結構かったるい映画なのではないかと予想していた。
実際、ささやかな怖さや秘密を語り、テレビで書評番組みたいなのの司会をやるようなインテリの主人公一家をスリラーの中に落としこんでいきながらも、見る側が登場人物に共感したり、一緒に驚いたりするような演出は絶対やろうとしない。これがハリウッド映画なら今頃ハンス・ジマーかなんかの音楽がうねり、エイドリアン・ブロディは号泣しているだろう(私にとって彼は泣き顔芸人)というシーンでも、画面は非常に冷静だ。こうして徹底的に客観的な文体を保持するあたり、まあこの人にとっては妥当な演出なんだろうけど結構だるめな映画だねと思っていると、突如としてショックシーンが入ったりするので稲川淳二かこいつは!?と思うのだけど、気づけば、映画が描いているダニエル・オートゥイユの秘密と嘘は、フランスの現代社会が抱えている暗部と類縁関係にあると知れるのだ。これは巧みだ・・・!

どういうストーリーなのか語るとたぶんこれから見る人は面白さ半減だと思うのでほとんど語りませんが、ラスト近くに登場する、エレベータ内での視線の交錯を捉えたショットは一見に値する。最近なかなかみない緊迫感を体験することができます。好きなタイプの監督ではないが、見ておいて損はない一本。

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「夜よ、こんにちは」(★★★★)

ユーロスペースでマルコ・ベロッキオ監督「夜よ、こんにちは」を見る。

現代イタリア史における最も重大なテロ事件、極左組織「赤い旅団」によるアルド・モロ元首相の誘拐殺人事件を描いた映画である。公開一週目なのだが、非常にしっかりした映画であり、特にアルド・モロ役のロベルト・ヘルリッカの滋味溢れる演技にも関わらず、20人と客が入っていない(まあ休日最終回ということもあるか?)のは残念である。

連合赤軍事件の6年後に起きており、左右両派から孤立し過激化を深めた若い左翼集団の起こした事件という意味でも似た面のある事件なのだが、アルド・モロ元首相誘拐殺人を歴史として記憶している日本人はあまりいないのかもしれない。私も、ディスカバリー・チャンネルで放送された、テロの現代史をまとめた番組をかつて見ていなければ、きちんと覚えてはいなかっただろうから、あまり差はないか。

監禁場所のアパートでカナリアを飼っているなどのディティールは取材に基づきつつも、映画に出てくる「赤い旅団」のメンバーは虚構のキャラクターであり、モロと女主人公との想像上の内面的な交流がストーリーの主軸となる。アルド・モロは非常に聡明かつ敬虔な人物として描かれており、「赤い旅団」のイデオローグが突きつける教条的な要求に対して、宥和的態度で応じようとする。モロを演じている老優、ロベルト・ヘンリッカの醸し出す穏やかな雰囲気と、夢や空想を随所に織り込んだストーリーにより、殺伐とした恐ろしい事件ながら、どことなくセンチメンタルな映画になっている。

我々日本人としては、高橋伴明監督の2001年作品「光の雨」を想起せずにおれぬところだが、比較してみるといろいろ面白い。
この映画の場合、主人公の親たちの世代は大戦末期、パルチザンに身を投じることによって自らの左翼としての行動に裏づけを持っていたことが描写される。イタリアでは、とにもかくにもムッソリーニが民衆パルチザンの手で吊るされることでファシスト勢力からの解放を得たのであって、それがイタリア共産党が西欧最大の共産党として勢力を持つ存在であった由縁でもあるわけだろう。
いっぽう日本の場合は、昭和天皇を民衆が処刑するなどといった事態はそれこそ深沢七郎の「風流夢譚」のような妄想の世界でしか描かれたことがない(しかも読めない)。その意味で左翼集団が融和的な要人を殺害して自滅していく過程は、戦後史の節目としてより重大な意味を持ったことだろう。
また、ここに第三の政治勢力としてヴァチカンの法王が登場してくるのもイタリアならではのことだ。モロの手紙を読んだ法王は、取引ではなくモロの無条件での解放を呼びかけ、「赤い旅団」はモロの殺害によってそれに応える決意を固める。

モロは、おそらくは自分の命乞いも動機の半ば以上を占めていると思われるものの、「赤い旅団」に対して説く。
「私を殺しても、それは私以外の全ての人々が待ち望んでいることだ。彼ら(政府)にとって、私は既に死んでいるのだ。君たちは私を殺したあと、一層孤立していくことだろう」
自らがすでに政治的な生贄として位置づけられていることを認識し、イデオロギーによって盲目となった若者たちに翻意を説くこのシーンは悲痛である。それに同意するメンバーに対して「赤い旅団」のリーダーは無条件解放などあり得ず、モロを殺すしかないと言う。
「革命は博愛主義では成し遂げられない」と言いながらも、
「今は不合理で不条理に受け取られたとしても、主観的現実を乗り越える英雄的行為になる」とし、「これぞ博愛の極みだ」と述べるのだが、この台詞からは自らのイデオロギーによって自縄自縛となった若者の姿が描き出されているようである。
非人間的な行為へただ突き進んでいく盲目さ、これもまた人間性というものの否定しがたい側面なのだ。

ラストシーンは非常に美しい。歴史という時計の針を巻き戻すことはできないが、せめてイメージの世界でならば、このようでもあり得たかもしれぬ過去を呈示することは許されるだろう。

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5月 01, 2006

「ドラえもん のび太の恐竜2006」(★★★☆)

ひさびさのワーナーマイカル板橋で「ドラえもん のび太の恐竜2006」を見る。
結論をいえば、これだけ勝手知ったるストーリーながら、都合5回以上は泣いてしまった。
白亜紀の空を悠々と飛行する素晴らしいタケコプターでの飛行シーン、タイムマシンのメーターが「ネズミに追われながらドラ焼きを追うドラ」になっている等の細かいガジェット的遊び、久しぶりに聞いたジャイアンの「心の友よ」など、シーン的によいところはいくつもあるが、自分で卵から孵した首長竜ピー助を守ることによって成長するのび太、そしてピー助自身のためにピー助と別れる時の、何度も転倒しながらそれでも走り続けるのび太の後姿は、どんなにカッコ悪くても自分の愛する者のために何事かををなす素晴らしさを教えてくれる、藤子不二雄の素晴らしいストーリーがこの映画の主役である。

その意味で、エンドロールはドラえもんやのび太と共に成長してきた私たちへの、スタッフからの贈り物といえる。エンドロールが始まっても絶対に席を立つべきではない。

途中、アクションシーンで画が異様に荒れたり、悪の中枢である未来ブルジョワのシーンなどは何が起こっているのか把握しがたいなど、瑕もなくはないが、今回の興行実績をもとにまたクオリティの高い長編ドラえもんが作られることを願ってやまない。

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4月 24, 2006

「ナルニア国物語 第一章 ライオンと魔女」(★★★☆)

新宿ジョイシネマでアンドリュー・アダムソン監督「ナルニア国物語 第一章 ライオンと魔女」見る。

ナルニアは原作を読んでいないので、衣装箪笥のコートの間を抜けると冬の魔女に支配されたナルニアの国、という序盤の展開から、筋は存分に愉しんだ。画もパクリは多いがおおむね見れるもので、クライマックスの決戦シーンは実に血湧き肉踊るものである。(しかしこの手の平原戦を見るたびに、変なアイシャドウ塗ったローレンス・オリヴィエの「ヘンリーV世」のアジンコートの美しい騎馬戦シーンを連想してしまうのはやや穿ち過ぎというものだろうか?この種の騎馬戦闘なんてどんな風に撮ってもある程度は似るものだとも思えるが・・・)

しかし残念ながら、鑑賞後に深々と胸に残る何かがあるかというと、「ロード・オブ・ザ・リング」とか「スター・ウォーズ」にそっくりのシーンがあったなあという記憶ばかりが残る。まあ見ている間は退屈しなかったので、二作目も見るとは思うけど・・・。監督は「シュレック」シリーズの人というが、さもありなんという感じではある。

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3月 23, 2006

「モンスター」(★★★)

「美しき野獣」がつまんなかったので、リベンジとばかりにパティ・ジェンキンス監督「モンスター」をDVDで借りてきて見た。
実在の連続殺人犯アイリーン・ウォーノスの事件を映画化したこの映画、モデル出身という前歴をかなぐり捨てるようなシャーリーズ・セロンの化けっぷりがとかく取りざたされるが、そう思ってみなければさほど感心するものでもなく、どちらかというとクリスティーナ・リッチの魔性ぶりの方が印象的である。こいつはレズ版ファム・ファタルだ。

道路わきに立ち売春によって身を立て、この上ない貧困の汚泥に沈んだ主人公ウォーノスが、唯一自分の心の拠り所となるべきリッチを得るに伴って、自分がすすんで殺すマッチョな男たちのような風貌、行動をしていくのは痛々しい。
シリアルキラー・ウォーノスに対する同情的な描写は一切なく、どう考えても罪のない老人を射殺するシーンには許しがたさすら覚える。
甘さは一切ないぶん、売春という経済行為を利用しながら、自分を痛めつける暴力的な男たちに復讐する主人公、その地獄への道行に、監督の主張が仮託されているようにも思える。

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「美しき野獣」(★★)

シネマスクエアとうきゅうでキム・ソンス監督「美しき野獣」を見る。
「恋する神父」を以前に見ており、まあこの人は演技の幅がなさそうだなと思っていたクォン・サンウであるが、堂々たるチンピラ刑事ぶりを見せてくれた。
(「おれの嫌いなのはゴキブリとチンピラだ!」というセリフが劇中にあるのだが、どう見ても本人、チンピラにしか見えません)

最初のカーチェイスと茶畑みたいなとこでの格闘は迫力であり、また買収に負けない一本気な警官と組みたい、という検事のユ・ジテと野獣派デカのクォン・サンウが友誼を結ぶシーンはなかなかよく出来ていた。
が、後半になると脚本がどんどんひどくなっていき、窮地に追い詰められるものの冷静に事態を収拾しようとするユ・ジテに対してひたすらジタバタして状況を悪くするクォン・サンウに、いい加減うんざりさせられてくる。製作の途中で何かあったのだろうか。
かなり投げやりな形で映画は結末に至るのだが、どう見てもクォン・サンウは買収に強いというよりも単なる頭の弱い刑事でしたというお話である。
残念ながら凡作。これに比べると「甘い生活」は敵役の狂気が際立っていてキレた映画だったなあ。

あ、音楽の川井憲次大先生には今後ともこの調子でバリバリ世界進出してほしいです。

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「シムソンズ」(★★★★)

言う人に言わせると「クール・ランニング」のパクリ、らしい佐藤祐市監督「シムソンズ」を見た。

「クール・ランニング」のファンの方には大変に申し訳ありませんが、私は「クール・ランニング」を見ておらず、また加藤ローサがあまりにかわいく、そして大泉洋に号泣したので星4つです。

お前のその姿勢には問題があると言うならば言うがよい。でもこれ、ほぼ80%くらいが元気印な女の子たちの活力を楽しむ映画であり、まあ言うなれば眼福映画とでもいうべきジャンルに属する一本であって、先行するスポーツ映画の名作を参照しているか否かという点はあまり問題にならないのではないか、という気がせんでもない。

カーリングのことなど何も知らぬ女子高生が「とりあえず見ようや」とまわし始めたVHSの教則ビデオの中に、いきなり夏八木勲が「伝説のカーラー ガミさん」として出てきたときは流石に吹いた。

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「網走番外地 北海篇」(★★★)

故・石井輝男監督の大人気シリーズ「網走番外地」4作目「北海篇」をDVDで見る。
石井輝男は異常性愛もの、エロ・グロ・ナンセンスが非常に有名になってしまったが、網走番外地は普通にめちゃくちゃ面白いシリーズであり、これまで見た3作とも娯楽傑作の名に恥じぬ。リアルタイムで見ていたならば新作が封切られる度に通い詰めていたに違いないシリーズだ。
今回の北海篇で健さんは、網走で同室だった男の遺志を継ぎ、貸金を回収して故人の母親に送るべく北海道の原野を東奔西走。運送会社に一台だけ残ったトラックを駆って雪の山道を走るのだが、はじめから積んでいた安部徹と藤木孝というあからさまに怪しい二人組(いまどきでいえば「ローレライ」に石黒賢が乗り組んでいる時点でストーリーのある部分は確実に読み取れてしまう、というようなあたりか)に加えて、さすらいの男杉浦直樹(めちゃくちゃカッコいい)に、運送会社の社長令嬢などが次々と乗車して来、どんどんとトラックの荷台が奇妙な寄り合い所帯となっていくあたり、実にワクワクさせる展開である。これらを積んで走る健さんのトラック運転ぶりが、ちょっと「恐怖の報酬」を思わせる豪快さであることもテンポを決定づけて、観る者をして「どこに連れて行かれるのだろう?」というスリラーにのめり込ませてくれる。まさに一級娯楽監督の至芸と言うべきであろう。
ラストはちょっとデタラメな感じで(まあいつもそうだといえばそうだが)、ちょっといただけないが、唐突にマタギ姿のアラカンが出てくるのに笑えたのでよしとしたい。

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3月 06, 2006

「シリアナ」(★★★☆)

丸の内TOEIでスティーヴン・ギャガン監督「シリアナ」を見た。

インスパイア元の暴露本「CIAは何をしていた?」(ロバート・ベア著)は読んでいたのだが、基本的にはあまりこの本の内容とは絡みの少ないストーリー。原作は、アナリストの支配する情報本部に対して、現地で諜報活動を行う工作部に属する工作員である著者、という視点が大きく作用しており、本の後半ではアナリストたちの官僚主義が著者を包囲していく様がスリリングに描かれる。石油をめぐる陰謀はその中で語られる重要なエピソードであるのだが、映画「シリアナ」は、諜報員ロバート・ベアそのものがストーリーの中心になることはなく、石油という巨大な利権の周りで渦を巻くアラブの政治的策謀が主人公の座を占めている。
ベアを演じるジョージ・クルーニーの存在感はかなり薄くとどまっており、大きな流れの中に巻き込まれる木の葉の一つであるかのように頼りない。その分リアルでもあり、これに比べるとベアの著書はなんとなく池上遼一のマンガみたいに思えるくらいだ。情報量があまりにも多いので一見しても十分にストーリーの全体を見渡しづらいが、そも現実というのはそういうものだろうというのが監督のメッセージなのかもしれない。それにしてもクライマックスはあまりにあっけない感じがした。

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2月 27, 2006

「WARU<ワル>」(★★★★)

三池崇史監督「WARU<ワル>」を銀座シネパトスで見る。

これ、Vシネのシリーズを無意識にチャンネルNECOかなんかで見てる気がする。萩原流行のキャラと哀川翔との対立軸がなんか既視感を催すんだよな。

シリーズもの故に良く分からん設定もあり、また格別も説明パートもなく筋が進んでいくので最初はついて行きづらいが、後半は三池節に乗って盛り上がりまくる。武知脚本作の「許されざる者」ではしごくまじめに展開していた、ジャンプ的ないわゆる「敵役のインフレ」状況が現前するのだが、「許されざる者」ではひたすらカッコよさを助長する装置として働いていたのに、こっちのはほとんどギャグにしか思えない。
遂に登場する最悪の敵、その名もジャパン・アルカイダ!…の存在がガッツ石松の証言で明らかになるというバカバカしさも期待を満たす出来だ。

その一方で、剣術の達人哀川と、ブラジリアン柔術の使い手小沢仁志による、マキノ任侠映画の如き「二人道行き」→「殴りこみ」のカッコ良さはすごい。
特に、続々迫る敵とかなり非現実的なワザの数々で渡り合う二人のシーン。とても短いシーンだが、凝縮され編集されたアクション描写のエッセンスが詰まっているように見える。

「こいつはめちゃくちゃ、くだらなかっこいいぜ!」と魔神英雄伝ワタル(懐)のごとく口ずさんでおきたい一本。

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「アメリカ、家族のいる風景」(★★★☆)

ふしぎと縁の薄い劇場、シネスイッチ銀座でヴィム・ヴェンダース監督「アメリカ、家族のいる風景」を見る。

サム・シェパードとヴェンダースのコラボレーションは1984年の「パリ、テキサス」以来というが私は不幸にもこの映画を見ていない。

サム・シェパードは、以前読んだ「モーテル・クロニクルズ」でも明らかなように、現代の文明化された世界へ不適応を感じ、そこからの逸脱を目指す人物のようだ。映画は、シブ色気をかもし出す往年の西部劇スターが、撮影現場を飛び出して母(これが何と「北北西に進路をとれ」エヴァ・マリー・セイントだ)の元に向かい、その中で知った「自分には実は子供がある」という事実に心動かされ、何をしたがるでもjなくただ息子の顔を見にビュートの街に向かう。そんな彼のもう一人の子供がサラ・ポーリーだったりするのだが、彼女が出ていると思わずそのことだけで頭が一杯になってしまうので、個人的には巡り合わせのよろしくない気がした。

現代に、もはや居場所はなく、探偵ティム・ロスに手錠かけられて銀行支配下の映画撮影現場に連れ戻されざるを得ないサム・シェパードの演じるカウボーイ・スターが、刹那の時間に今まで見も知らなかった息子・娘に急に出会うことになり、何と言うかひたすら「接しあぐねる」映画である。

映像は最近ヴェンダースがハマっていること間違いないアメリカ現代絵画的な空間の中で、ビビッドな色彩とともに繰り広げられる。撮影は本当に素晴らしい。

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2月 21, 2006

「クラッシュ」(★★★★☆)

仕事をはやめにあがって、新宿武蔵野館でポール・ハギス監督「クラッシュ」を見た。
昨日みた「ミュンヘン」にひきつづき、こんなにいい映画ばかりタテ続けに見てしまうと目が肥えちゃってまずいなと思うほど良かった。

映画「クラッシュ」の舞台となる、人種差別の緊張と9.11以後の不穏さを胚胎したロス・アンジェルス(この映画ではその街の名前も重要なキーワードとしてストーリーに影響する)では、人はみな全て語るに値する物語をもち、自分なりの物語を展開する動機を持っている。それら複数の物語が焼け付くような緊張感を保ちながらこすれあい、交通事故さながらに衝突しあうことで、さらに一層パワフルなストーリーが生み出されていく。「こういう映画に出会うために自分は劇場に通っているのだ」と言う人は多いだろうし、そういう人にとってはまさに待望の一本になるはずだ。

ドン・チードルが主演という以外はほとんど何の予備知識も入れずに行ったところ、豪華でツボをおさえた俳優陣で驚き。
以下、同様に情報を入れずにみたいという人のために、俳優名は19世紀小説風の伏せ字で表記したい。
何といっても印象に残るのは、最近イーサン・ホークにすっかり同系のいい男としてお株を持ってかれた感のあるマ**・****だ。彼の物語はいかに人間は一面でとらえることが難しいか、いや、人間はいかに移ろいやすくふとしたきっかけで善をなすこともあれば悪をなすこともあるという深みを伝えており、またその描出のされ方も唯一無二のものである。私は大してこれまで気にかけていなかった役者だが、この一本で大いにマ**・****を見る目が変わったと告白したい。対照的なラ****・*****の物語も同じ理由から印象的ではあるが、描写が傾注されているのはマ**・****の方である。サ***・****はこれまでの彼女の印象からは想像のつかない配役で、たしかに演技だけとれば同じ役をジュリアン・ムーアが演じたほうが30倍くらい良かっただろうと思われるものの、夫君役であるブ****・*****とともに、地位と栄誉を持ちいっぽうで内容を持たない金持ち夫婦という役柄にハマってみせ、逆に他の女優ではこううまくいっただろうか?と思わせる絶妙さを醸し出していたと思う。
ほかにも、幼い愛娘とベッドの下で語らうシーンが素晴らしいマ***・***、ぶちキレてのちに哀しいテ***・****も感涙を誘うが、なにより、この映画に製作から関わったドン・チードルの、砂漠の寒風の中でマフラーを揺らしながら孤独に屹立する姿が印象的である。

映画「クラッシュ」は、なによりも人間のストーリーであり、彼らの会話、立ち姿、視線がドラマを創造するという意味で、まことに映画らしい楽しみを満喫できる一本だ。

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2月 20, 2006

「ミュンヘン」(★★★★☆)

続けて新宿ピカデリーにてスティーヴン・スピルバーグ監督「ミュンヘン」を見る。
涙あふれるような映画ではないけれども、限りなく映画の力を感じさせる傑作。
ミュンヘン・オリンピックの選手村で起きる虐殺、それに続くヨーロッパでの暗殺行、ベイルートでの「地獄に堕ちた勇者ども」をも彷彿とさせる襲撃シーンなど、詰めに詰めた充実したスリラーの時間が流れる。'70年代の空気を醸し出す映像の力にひたすら圧倒され続ける2時間44分。
それを通して、人に知られることもない世界で、敵の息遣いを聞きながら人を殺すテロリズムの暗黒が丹念に焙り出されていく。
大義のために人を殺し、続く者たちに復讐され、やがて「大義」とはそもそも何なのか?という問い直しに迫られるエリック・バナ。彼にモサドの高官であるジェフリー・ラッシュは「この任務に就いているのが君たちだけだと思うのかね?」と、これが終わりなのではないことを告げる。
彼らの背景に屹立する、ありし日の世界貿易センタービル。

間違いなくもっと多く見られて然るべき傑作だ(ピカデリーはけっこう空いてた)。
「反ユダヤ映画」という汚名が米国で着せられているというが、残念なことである。

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「オリバー・ツイスト」(★★★)

新宿文化でロマン・ポランスキー監督「オリバー・ツイスト」見る。

オリバーを演じるバーニー・クラーク君の瞳の美しさ、ロンドンのセットも素晴らしいし、さわやかなスコアを書かせて右に出るもののない当代随一の女流レイチェル・ポートマンの音楽も素敵だった(彼女のスコアを劇場で聴いたのは「ショコラ」以来ではないか?・・・と思ったが、今調べたら「クライシス・オブ・アメリカ」という彼女のキャリアからは異色な作品で耳にしていた)。
しかしそれらを上回って素晴らしいのは、オリバーがロンドンに出るまでのイギリスの片田舎の風景で、行き倒れになりかけたオリバーを介抱する心優しい老婆の家から再び旅立つオリバーの背負う焼けきった空などは特に心に染み入る。

これに比べると、瘴気漂うロンドンで展開するドラマは、ベン・キングスレー演じる盗賊団の首領フェイギンの熱演と、盗賊団とまっとうな道の間で惑うオリバーをめぐる葛藤にもかかわらず、どこかしら通り一辺な文芸大作という感をまぬがれない。原作を読んでいないのでわからないが、こういう話だからしょうがないということなのかもしれないけれども、もっとフェイギンとオリバーとの対話がめぐらされると良かった。

イギリスのこの頃の小説を読んでいると、いかに治安判事が権力を持っているのかということがうかがわれるのだが、この映画に出てくる判事はとにかく強烈である(出てくるのはワンシーンだけだが)。こうまで傲慢で、独善的なキャラクターを久しぶりに見た。今度イギリス小説を読むときにはこの映画の判事が頭をちらつき続けることだろう。

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1月 09, 2006

【再延期】ニュース10での「ホテル・ルワンダ」ネタ放送が延期になりました

7日にお伝えした「『ホテル・ルワンダ』日本公開を応援する会」のNHK「ニュース10」での放送ですが、再度延期になったそうです。
(※1/11(水)無事に放送されました。NHKの皆様ありがとうございました)

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1月 07, 2006

NHKニュース10で「ホテル・ルワンダ日本公開を応援する会」が紹介される、っていうか代表のユータ君が紹介される

ということになりました。

ホテル・ルワンダ日本公開を求める会 改め ホテル・ルワンダ日本公開を応援する会 のサイトはこちら

1/9のNHK総合テレビ「ニュース10」です。
ニュース10ってくらいだから夜10時からの放送です。11時までのようです。

もしシャロン首相が死んだりしたら、飛ばされてしまうと思いますが・・・・。
何もなければ放送されるはずです。

番組の中心は代表のユータ君で、会議出席の模様も取材されていました。
私も会議にThinkPad を持って出席してたので、指くらいは映るかもしれません。

また、ユータ君は中野区のケーブルテレビ、シティテレビ中野(1/1より通称変更し、JCN中野)のニュース番組にも出ます。

シティテレビ中野 改め JCN中野 の番組サイトはこちら

ケーブルテレビという性質上、中野区の、またケーブルが導入されている建物に住んでいる人しか見られないのですが(私は見られません)、1/10の昼12時に生放送の他、夕5:00〜 後7:00〜 後8:45〜 後11:00〜、翌1/11の前8:00〜に再放送されます。都合6回というところでしょうか。
10分くらいの番組です。

さて、それとは多分関係ありませんが、同じ1/9に週刊ココログガイドで当ブログが紹介されることになりました。

なぜ当ブログのような中心の見えない、紹介しにくいブログが紹介されるのか不明ですが、無作為抽出なのか、あるいは選んでいる担当の方がホテル・ルワンダのサポーター、もしくはヘイト・ハリーポッターの方だったのではないかと思います。

しかし、いざ紹介されると知るや、映画を愛する全国幾千万のハリー・ポッターファンブロガーが私の「いつもほどつまらなくはない」という炎のゴブレット評を見て怒りのコメントをぶち込みまくる様子が手に取るように見えたため、あわててエントリを積み重ね、「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」(★★★☆) という比較的穏健なタイトルだけが見えてる状態にしたかったのですが、本日風邪でダウン、とても無いところからエントリの種をひねり出すような気力はありません。
前に書きかけてたやつのつづきを書こうかと思って開いたら、最後のかきかけのやつは「『オリジナル・サイコ』 読了」というものでした・・。
いくら私がいい趣味をしており、事実、布団の中にもぐりこみながら見ていたのが君塚良一監督「感染」テレビ録画であっても(実に不快な映画でした)、「サイコ」のノーマン・ベイツのモデルとなった、人皮チョッキ女装趣味の殺人者エド・ゲインについて思いをはせながら病気の体をおしてエントリを書く気はありません。

そのようなわけで、ここはお知らせエントリだけにとどめます。
当blogを選んでくださったココログスタッフの皆様、ありがとうございます。
寒い日が続いておりますので、どうぞお体ご自愛ください。

(↑熱と頭痛のため支離滅裂になってる)

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1月 03, 2006

「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」(★★★☆)

新潟でのラスト一本ということで、レイトショーでマイク・ニューウェル監督「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」見る。
このシリーズ、結局毎回見ながらも、「原作本ファンの人以外で100%満足する観客なんかいるのか?」と思われるデキなのだが、「いつもよりはマシ」という評判もあるため、また今回もスルーせずに見てしまった。
前半のクィデッチ・ワールドカップと、ドラゴンとの対決はかなりの映像効果をかけてワクワクさせてくれ、そこに主人公たちの淡い初恋などもからんできて中々盛り上がるのだけど、後半でメインのストーリーが語られるようになると、いきなりつまらなくなる。

このシリーズ、格別にキャラクター造形が深いわけではない。4作目にいたっても主人公は人間的成長を遂げたというよりも単に背が伸びてるだけという印象しか得られない。(前作の感想書いたときも「出木杉のところにドラえもんが来たみたいな話」などと表現していた)なので、キモは「魔法学校」とか「魔法省」とかいった設定をうまく使いつつ、魔法使いだけのパラレルワールドが現実世界の裏面に存在するという存在感をいかに語れるかにかかっているのではないか・・・という気がするのだが(ロンドンの駅の一本の柱に突っ込むと、そこは別の駅につながっている、という一作目のシーンは魅力的だった)、いかんせんそれが浅薄で世界的な奥行きを感じないため、危機や試練が切迫したものとして感じられず、なんだがお話の世界の中の決まりごとの中で予定調和しているように受け取れてしまううらみがある。
魅力的なファンタジー映画を作れるどうかは、ストーリーの展開する世界がいかに幅広く裾野の広い世界であるかということを、観客のイマジネーションを刺激しながら呈示できるどうかにかかっているのではないか。その意味では、画面にどんなものを映すかというより、画面に映っていないものの方が重要なのではないかと思える。

ストーリーの主線とあまり関係ないワールドカップの開会式や、ドラゴンがどこ産であるか(中国産のドラゴンよりもハンガリー産のドラゴンの方が気性が荒い)などといった細かい箇所の方が面白く、いっぽう一作目からずっと語られている闇の魔法使いヴォルデモート周囲の話はつまらなくなってしまうのは、この辺に理由があるのではないだろうか。

もっとも原作ファンからすると映画だけ見てこういう裁断を下す向きには文句もあると思うけど。
実際「指輪物語」を読まないで「ロード・オブ・ザ・リング」を見た人が、エルフ語を創作するまでに徹底していた言語学者トールキンの世界創造の裾野の広がりに感応できたかどうかは不明である。
とりあえず私の周囲では「長い」とか「意味が分からない」とか冷たい感想が百出していたしなあ・・・。

いろいろ言ったが、少なくとも前半は今までのシリーズよりは確かにマシだったので星3つと半分あげることにしました。
なお、今回は音楽がジョン・ウイリアムスからパトリック・ドイルにバトンタッチしてました。まあドイルは嫌いじゃないんだけど、やっぱこのシリーズはジョン・ウイリアムスの方が良いような気がする。

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1月 02, 2006

「Mr.&Mrs.スミス」(★★★☆)

レイトショーでダグ・リーマン監督「Mr.&Mrs.スミス」を見る。

こちらは、ホッントーに他愛ないハナシを小技で楽しんで撮った映画という印象。
おそらく全世界男子の何分の一かは確実に心の中で求めていたであろう(私ゃ違うが)、アンジェリーナ・ジョリーの女王様コスプレはいうに及ばず、ほかにも、出てくる眼鏡っ娘がやたらお洒落で可愛いとか、ブラピが尋問する相手の若僧が「ファイト・クラブ」のTシャツを着ているのだが、殴るのは妻のジョリーの方・・・などなど、
些細なオブセッションや小ネタで充満している、ウェルメイドな暇つぶし映画だった。

細かいスナップが効いているので、飽きずに最後まで楽しめる一本。
でもまあ星つけるなら三つと少し?といったところ。

「ハンマーでぶんなぐられるような一撃を常に映画に求めてる」
っていう血の気の多い方には不向きな一本です。

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「ロード・オブ・ウォー」(★★★★)

映画見初めはアンドリュー・ニコル監督「ロード・オブ・ウォー」@ワーナーマイカル新潟。

いやー面白いね。
アンドリュー・ニコル監督はこの映画を撮るのに色々な武器商人にインタビューしたそうだが、彼らは総じて人好きのする普通の人で、彼らが人殺しの道具を扱って旨みを吸っている者どもだと認識し、好きになろうとしないように気をつけなければいけなかったそうである。

http://www.eiga.com/special/lordofwar/

この映画のニコラス・ケイジは吸血鬼ではない。
妻のはじめた素人絵画を身分を隠してギャラリーから買って妻を喜ばせたり、子供に銃器のおもちゃを買い与えることを避けたりする。
彼は家族を愛しているが、自分の売却するカラシニコフが民族虐殺に使用されること(それはすなわち、彼の妻や子供と同じような年齢の女子供もまとめて射殺されるということにも関わらず)は、「仕方ない」とドライに受け止める。
"It's not my business."というわけだ。

きっとその非人道性を責めたならば「どうして悪い、くそだめのようなスラム生活から脱するために、武器に関わる商才を使っていこうと決めただけだ」と、この武器商人はうそぶくに違いないだろう。
彼が人生初めてUZI短機関銃を扱って以来、元ソ連軍の戦闘ヘリまで売りさばくグローバルな死の商人になっていく生き様を、映画はテンポよく、ユーモアさえも織り交ぜながらスピーディーに描いていく。
彼らのビジネスがグローバルに、スピーディーに展開している様をなぞるかのように。

「もう停戦だって!?和平交渉?出荷した荷物はどうなる、すぐに別の配送先を探せ!
くそっ、一度始めたんなら、ちゃんと最後まで戦争しろよな」

タイトルバックも鮮烈である。一発の銃弾を出荷することはどのような非人道的な結果を引き起こすのか、をラインの中にいる人々は殆ど考えることはなく、「ただの仕事」として関わっていることだろうけれども、その多くの無自覚な手を渡って流れ行く銃弾がどこに行き付くか…。
映画のタイトルバックはその「着地点」を実に明快にコンパクトに、冷酷に示す。

この種の、工場の流れ作業をタイトルバックに流してリズムを作っていくのは「クラッシュ・バイ・ナイト」のフリッツ・ラングや「虎鮫-タイガーシャーク-」のハワード・ホークスもやっていた古典的な手法だが、この映画ではリズムの中に風刺が効いていて新しい。フランスのCM会社が作ったそうだけど、うまいなぁ。

インターポールの捜査官役イーサン・ホークの「戦争犠牲者の9割は銃で死んでる、核兵器ではなく小火器こそが真実の大量破壊兵器だ」というセリフが印象的。
そして、業界の大物(イアン・ホルムじゃない方)の登場ぶりには本当に震撼させられます。

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12月 31, 2005

2005年映画ベストはつけられん

それにしても、今年は本当に映画見てない年だった・・・。反省。
どっちかというと「24」シーズン3&4を一気に見たことの方が印象的なくらい。

今年、とりあえず記憶にとどめておきたい映画は
クリント・イーストウッド監督「ミリオンダラー・ベイビー」一本くらい。
これは本編の上映が開始すると同時に泣きそうになるくらい、完全に映画にシンクロしてしまった。
あと一本あえて加えるなら、こうした共感と地平とはまったく隔絶された「女子高生の援助交際」という世界を描出しつつ、思わぬ仕掛けを使ってこの上なく哀切な「別れ」のシーンを演出したキム・ギドク監督「サマリア」を挙げたい。
あのラストは本当に切なかった。

よくできた映画、気に入った映画ということでいえば、トニー・スコット監督のセンチメンタルな冒険活劇「マイ・ボディガード」(むしろ去年の映画かな?)とか、デヴィット・エリス監督のスリラー「セルラー」とか、アレクサンダー・ペイン監督のダメ男それなりにがんばろう映画「サイドウェイ」とか、生命倫理について考えさせられるアレハンドロ・アメナーバル監督の「海を飛ぶ夢」、何かこれからもおもしろいものを見せてくれそうなジョニー・トー監督の「PTU」「ブレイキング・ニュース」とかあったけど、ムリしてベスト5とかベスト10とか数えるほどの体力はないです。

いっぽう、ひどい映画はたくさんあった。期待させといて何だという腹立ちを抑えられぬクリストファー・ノーラン監督「バットマン・ビギンズ」、危惧していた通りのゴミ映画だった「戦国自衛隊1549」、単に染五郎見せるだけの映画だった「阿修羅城の瞳」など、特に邦画方面で駄作ばっか見ちまった。やっぱシネコンばっか行ってちゃだめですかね。

いっぽう、DVDで見たクラシックな映画には感銘を受けるものが多かった。レオ・マッケリー監督の「邂逅(めぐりあい)」、ロベール・ブレッソン監督の「ブローニュの森の貴婦人たち」、アルフレッド・ヒチコック監督の「ファミリー・プロット」などは特に印象深い。まあ、おもしろくて当たり前のタイトルばかりだと言われてしまいそうだが・・・。

やはり本数をある程度見ないと面白い映画に当たる確率も少ない。来年はもう少し劇場に足をまめに運びたいと思う。

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12月 26, 2005

「キング・コング」(★★★)

新宿オデヲンでピーター・ジャクソン監督「キング・コング」を見る。

1)・・・・・・長いよ。
2)髑髏島の原始時代シーン見てるときは、星野之宣の「ブルー・ホール」実写化って感じだった。
3)ナオミ・ワッツは良い。
4)映画の中に出てくる、1930年代ニューヨークにおける下層市民の貧困さが、なんか他人事じゃないように思えた。
5)ブロードウェイの劇場でコングが見世物にされてる時にオーケストラ・ピットで演奏してる音楽がマックス・スタイナーのオリジナル・スコアだったのが嬉しかった。(こういうのを品のいいリスペクトと呼ぶべき)

という以外のことを語れないのは残念。

仕事上の悩みが頭から離れず、ふと気付くと映画から離れてそっちのことばかり考えていたこちらも悪いのか、
いやいや、仕事ごとき忘れられるような力が映画になかっただけかも、などと、せんもないことを考えてしまいました。

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12月 11, 2005

映画「ホテル・ルワンダ」は1月14日より公開です

もう多くの方がご存知かと思いますが、当ブログで再三告知してきました映画「ホテル・ルワンダ」(ドン・チードル主演、テリー・ジョージ監督)は、2006年1月14日(土)よりシアターN渋谷でのロードショー公開、またその後全国順次ロードショー公開が決まりました。
公式サイト(↑リンク先)でも、私自身たずさわった「ホテル・ルワンダ日本公開を応援する会」(←「求める会」から名称変更しました)が紹介されてます。

ん・・・・?

公開のめどが立っていなかった日本にもその興奮は飛び火。「この作品を日本でも観たい!」と20代の若者たちが立ち上がり、インターネットで署名運動を展開。

すいません・・・・。(←三十路)

ともあれ、20世紀最後の人類史的悪夢と、それと戦った20世紀最後の勇気あるイッパン人の物語、感動必死です。
それになんといっても、この映画のドン・チードルはまったくもって役者魂爆発の名演。ポールトーマスアンダーソン映画ファンをはじめとする映画を愛する諸兄、同時代随一の役者職人チードルの桧舞台を見逃す勿れ。

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「エンパイア・オブ・ザ・ウルフ」(★★☆)

シネマミラノでクリス・ナオン監督「エンパイア・オブ・ザ・ウルフ」を見る。
ジャン・クリストフ・グランジェ原作/ジャン・レノ主演という「クリムゾン・リバー」大当たりの柳の下ドジョウ映画のようだが、「クリムゾン〜」は私はまだ見ていない。しかしまあ、「クリムゾン〜」も見ておいたほうがいいかな〜・・・と思うような出来の映画では到底なかった。トニー・スコットの映画でよく見るようなMTVチックなカメラワークでパリのトルコ人街を舞台にした迷宮的なストーリーを語るのだが、いたって単調なハナシである。主演女優のアーリー・ジョーヴァーが美人じゃなかったらカッタるくなっていたこと必定。やれやれ。

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「ブレイキング・ニュース」(★★★★)

ジョニー・トー監督「ブレイキング・ニュース」(大事件)見る。
ちょっと前にマイケル・マン監督の「ヒート」ってのが「映画史に残る銃撃戦」というコピーで出てたが、この映画の冒頭の銃撃戦の方がそれにふさわしい。大陸の犯罪集団と香港警察との間に交わされたこの銃撃戦で完全に敗北した警察権力が、マスコミに流れたバッドイメージを覆すために犯人逮捕を完全TV中継する・・・というストーリー。
 九龍城みたいにゴテゴテと迷路のように増築された大規模集合住宅に立てこもった犯人側は、「PTU」で腐った魚に滑って二回も転ぶマヌケ刑事を演じたラム・シューの家に入り込み、子供をたてにとって部屋を根城にする。騒ぎまくる娘を別室で脅しつけようとする犯人に、ラム・シューがすがりつき、

「やめてくれ!娘はカトリックなんだ!」
「それが何だ!」
「いや 関係ないけど」

という応酬には爆笑。
そのうち犯人と家族は緊張の中にありながら奇妙に空気を共有するようになり、犯人の手作りの中華料理で食卓を囲んだりする。またこのメシが実にうまそう。

包囲する警察にも見せてやれ、と豪華な食卓をネット中継する犯人をみて、警察側のメディアプロデューサーであるケリー・チャンは
「負けるな!われわれも警官隊に豪華弁当を出すのよッ!」

ケリー・チャンってなんか「かわいいだけの人」という印象がぬぐえないが、今回は完全なバカを演じておりあの中身のない美しさを生かしている気がする。
強盗団のリーダー役、リッチー・レンもなかなかよい。途中から事件に巻き込まれる殺し屋、ユウ・ヨンは大木実にそっくりだった。

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11月 28, 2005

「奇談」(★★★)

今日も休日出勤となったが、仕事の目端もついたので久しぶりにレイトで映画を見ることに。
選んだのは小松隆志監督の「奇談」だ。
かくれキリシタンの間で語り継がれてきた、異説の創世記をテーマにした諸星大二郎一流の魅力的な伝奇漫画が原作である。
映画は主人公を神隠しに遭った少女に変え、藤澤恵麻を配する。この人よく知らないんですけど、連ドラ女優なんですってね。(<ってなんでおばちゃんみたいな口調なんだ)
妖怪ハンター稗田礼二郎を演じるのは、胡散臭い男役をやらせたら今日本で一番似合う男、阿部寛。音楽は川井憲次で、すっかりJホラーの音楽といえばこの人という感じになっちゃったみたい。清水崇の新作もやってるようです。

映画そのものは、原作がすげー短編なのでいろいろと肉付けしつつ超・圧巻のクライマックスまで持っていってるのだが、全体的にはまじめに映像化している。
まあなんといってもこのプロジェクト自体が絶賛されるべき大冒険であって、劇場は心配されていたとおりガラガラであった。(日曜のレイトということもあるけど)
応援したい気持ちはやまやま・・・しかし原作を読んでる身としては、もっといろんなアプローチがあるともっと良かったと思う。どうしても「ただの映像化」という気持ちを免れない。ごめんなさい。しかしクライマックスのアレはやっぱり圧巻でありました。

映画で初めてこのストーリーに触れる人はどう思うのだろう?かなりスゴイ話なので、ショックはでかいと思うんだが・・・。

ところで、あなたがエデンにいたならば、「知恵の樹の実」と「生命の樹の実」b、どちらを食べますか?

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11月 07, 2005

「イエスタデイ、ワンスモア」(★★★☆)

「P.T.U」という妙な味わいをもつポリス映画で気になっていたジョニー・トー監督の「イエスタデイ、ワンスモア」を池袋のシネ・リーブルで見た。

あまり事前情報なく、チラシの雰囲気から勝手に金持ち男女の恋物語かと思っていたのだが、オープニングの'70年代風味、金は余るほどあるのに盗みをやめられない男女が主人公ということで、ようはノーマン・ジュイソン監督の「華麗なる賭け」(最近ではリメイクの「トーマス・クラウン・アフェア」の方が有名か)をやってみたかったのだろう。音楽もミシェル・ルグランの名スコアには及ばないが、'70年ころのジャズっぽい感じ。(なお、「華麗なる賭け」は68年の映画)

困ったことに、私はこういう設定には毛ほども興味がない。セレブリティの華やかな世界と危険な火遊びなど見ているくらいなら、歌舞伎町の裏通りのドブ板でも見ていたほうがよほど面白いという人間なので、当然のことながら(?)「華麗なる賭け」もビデオで見てて途中で寝た。なのでこの映画も筋自体はかったるかったのだが、今日びコレやるか〜?というようなベタベタな筋をしごく真面目に面白い仕掛けを仕込みつつ撮っているのが意外と楽しめて、寝もしないで最後まで見てしまった。

アンディ・ラウとサミー・チェンの離婚夫婦がお互いの家を訪れるのだが、片方がワインを取りに地下蔵に行っているスキに、自分は別れている間に別の相手と付き合っていたのだヨと言わぬばかり、ものすごい勢いで風呂まわりやベッドまわりに異性のいる痕跡を演出していくシーンはかなり面白かった。あわてて洋式便器の便座を上げ、コンドームの袋をやぶるサミー・チェン。さすがにテーブルの上に空き袋を置いとくのはやりすぎだろ!と思うのだが、それを見たアンディ・ラウは一言
「バナナフレーバーかい?」

・・・まあ後味としては星3つプラスαくらいで、相変わらず妙な映画を撮る人だなあという感じ。
ノワールがすごく面白いらしいので、次回かかる「ブレイキング・ニュース」を楽しみにする間、「暗戦−デッド・エンド−」とか「ザ・ミッション〜非常の掟」とか借りてみようかなとも思う。

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10月 31, 2005

「チャーリーとチョコレート工場」(★★★☆)

新宿ピカデリーでティム・バートン監督「チャーリーとチョコレート工場」をようやく見る。
公開してからけっこう長いと思うが、隣の劇場で「コープス・ブライド」をやっているせいもあるのか、満席立ち見状態で通路に座って見るハメに。

私は正直言うと、小学生のころに妹の誕生日でチョコケーキ食って吐いた以来のチョコ嫌いであって、チョコレート工場という題材にはほとんど何一つヒットするものがない。これが「チャーリーとさば塩工場」、ならちょっと惹かれたかも知れぬななぞとどうでもいい仮定をしてみるくらいで、まあいくらティム・バートン/ジョニー・デップの手堅いコンビであろうと、素晴らしいらしいという世評がなければ見にはいかなかったと思う。

内容としては、ティム・バートンが個人的に今後の世界のためにはためにならないと思う連中を地獄に送り込む、「マーズ・アタック」系映画(へんなミュージカル風味が加えられているあたりも似てる)で、そこはそこで「クソガキどもザマミロ!」という感じでとっても楽しいのではあるが、最もイイのはウィリー・ウォンカを主人公の少年が諭すシーンである。教訓垂れてる感じがない。この前日テレビで見た「スパイキッズ3 ゲームオーバー」が、一作目のファミリームービー的傑作ぶりからかけ離れ、単なるロドリゲス一家のパーティームービーに堕していたのと比べ、よほど家族の暖かさを感じる作品。セットもすごい。

めっちゃおすすめというほどでもないが、そこそこおすすめです。

予告編ではじめて知ったが、なんとあの「ナルニア国物語」が映画化されるんですな。
ディズニーの「名作ファンタジーは金になる」という打算がスケスケで、正直ディズニー死ねという感じもするが、この勢いでピアズ・アンソニイの「魔法の国ザンス」とか、願わくばダンセイニの「魔法使いの弟子」とかが映画化されたりするとそれはそれで楽しい気がする。

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10月 19, 2005

「セブン・ソード」(★★★)

渋谷東急にてツイ・ハーク監督「セブン・ソード」を見る。井筒監督の星ゼロ評価以来最初の週末であるせいかどうか知らないが劇場はかなり空いていた。
まあストーリーはあってなきがごとしで、アンディ・ラウの石黒賢化が心配な今日この頃・・と言わざるを得ない感じではあるものの、やはり特筆すべきは「最後の本格派」ドニー・イェンのガチンコアクションの素晴らしさ、それに川井憲次の音楽だ。かねてから押井守・中田秀夫ら、今や日本を代表するフィルムメーカーとの熱い関係から世界進出の機が熟したともいえる川井劇伴音楽だが、ワーナー制作のこうした大作で川井節が鳴っている事実は「劇場版 機動警察パトレイバー」以来の川井音楽ファンとしてはやはり感慨深いものがある。
ツイ・ハークは「イノセンス」を観て川井憲次にオファーしたそうだけど、アクションスコアぶり炸裂でかっちょいいっす。

今回ドニーはほぼ主役といっていい役どころなのだけど、あの濃ゆい顔がツイ・ハークの配慮あってか、くそ長い前髪でほぼ隠されていたのが気になった。
やはり大衆向けではないと判断されたのか!?(かつて「ドニー・イェンのCOOL」という映画があったが、主役の顔そのものがタイトルを完全に裏切っていたのが思い出深い)
あの顔で「フォーッ!」みたいなクドさがドニーの味だと個人的には思ってるんですがね。

それと、武侠映画で武人がいっぱい出てくると誰がどれやらわからなくなる現象が発生するので、七剣の衣裳はすべて色分けしてほしい。と、言うか戦隊もののコスチュームが5色moreに色分けされている理由が分かった気がした。あと空とぶギロチンをもっと活躍させてほしかった。

とまあ、注文つけるといっぱい出てくるので星は3つにとどめておきます。

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10月 11, 2005

「ベルベット・レイン」と「ランド・オブ・ザ・デッド」

久しぶりに、映画二本みた。

ひとつめはタダ券もらったんで・・・というダメな理由で見に行ったウォン・ジンポー監督「ベルベット・レイン」。
「インファナル・アフェア」シリーズは実は一本も見てないんですが、たぶんその流れを受けて作られたであろうノワール映画・・・かと思うとノワールの皮をかぶったアイドル映画って感じ。正直、イケメンが画面に映っていさえすれば良い、という方でないとちょっとラストまで間が持たない危険もあるのではないかと勝手に危惧。全体的にダルい。いちおう、「甘い人生」はたまにアイドル映画臭が鼻につく以外は特に差し障りなく映画そのものを楽しめたのにくらべると、ちょっと弱い感じかな・・・。私がギリギリ耐えられたのは他ならぬ、エディソン・チャンが終始着ているなんともいえずヘンな服のおかげであった。
ラストはちょっとひねっていてホホウとなるが、ありがちなオチともいえる。いずれにせよ、イケメンをご覧になりたい方むけの映画かと愚考する次第。(★★☆)

ふたつめは「もうすぐ終わってしまう!っていうかもう終わってるかも!?やばい!」ということで見に行ったジョージ・A・ロメロ監督の「ランド・オブ・ザ・デッド」。もうアーシア・アルジェント姐さんがあまりにも素晴らしくもう釘付けだった、という以上に取り立てて述べることもないのだが、滅びに直面した世界などどこ吹く風とばかり、清潔な環境でのうのうとブルジョワ暮らしをしている金持ちどもがゾンビの大群に次々喰われていく構図がこの映画のキモなのではないかと思う。もっとここをゴリゴリに描いてほしかった。
なんかでも十数年立ったら「ゴースト・オブ・マーズ」とごっちゃになりそうだなー。
「行き場所を探してる・・俺たちと同じだ」という主人公のセリフはじつに意味深くて良。(★★★☆)

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「24」シーズンIV見始めました

「24」シーズンIVを見始めた。

シーズンIIIはようやくDVD見終わったら間もなくフジの深夜放送が始まってしまいオイオイと思ったが、今度は最新作扱いだし、容易にオンエアには到らないだろう。
正直、段々ボルテージが下がってるのではないか?という感は否めない。危機馴れ、スピード馴れしちゃっているのも正直あるが、やっぱり長期シリーズ化と切っても切り離せない「ヤなヤツがみんなイイ奴化現象」にこのシリーズも浸っているのであろう。
この現象は劇的緊張を弛緩させる連続ドラマの天敵ともいうべきものであり、分かりやすいところではマンガ「美味しんぼ」がこの現象にグダグダに浸りまくり、単にひねた食通が好々爺と化したり何だか分からんが女と結婚したりするだけの気持ち悪いドラマと化しているのは周知のとおりである。(って最近読んでないけど)
同じ事で、「24」も、やはりジャック・バウアーと組織内部に潜んだ矛盾や裏切りなどの暗闘が最大のみどころのひとつであって、そのためにはCTU内部に強烈にイヤ〜な上役がいないといけない。固いとかなんとかではなく、端的に言って鼻持ちならないクソ野郎が必要なのである。そこで私としてはやはりライアン・シャペル氏に大いに期待していた。あのシャツとネクタイのコンビネーションからすらいかにもヤな奴という空気を醸し出していたのは特筆すべきことである。

シーズンIVはようやく5巻まで見終えたところ。あれがあーでこーで・・という話をしたいところだけど、ネタバレに気を使うのがめんどくさいのでまたいずれ。

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10月 03, 2005

映画「ホテル・ルワンダ」日本公開が決定しました!

取り急ぎはご報告ということで・・・

私がここ数ヶ月、たいした力でもないながら支援してきた『「ホテル・ルワンダ」日本公開を求める会』ですが、映画ファンの非力ながらも熱い願いが成就して、ついに日本公開が決定しました!!

英断してくれた配給会社は、ウォーレン・クロマティから訴えられたことでも有名な「魁!!クロマティ高校」などの映画化や、王家衛の「花様年華」の配給などを手がけるメディア・スーツという会社さんです。
劇場は、渋谷のユーロスペースが改装されてできる「シアターN渋谷」という劇場で、来春公開に向けて準備中とのこと。
詳しくは、『ホテル・ルワンダ』日本公開を求める会のWEBサイトをご覧ください。

http://rwanda.hp.infoseek.co.jp/

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<急にいつもの文体に戻るが・・・>

いや、こんな風に急遽結果が出るとは正直思わなかった。
4,000名以上の署名が集まりながらも、当初予定の30,000名にはなかなか届かず、長期戦の可能性もあるかと思っていたところだったが、配給会社さんとしてもこれはけっこうな賭けなのだろうと思う。

思えば、数ヶ月前に劇場公開ナシが決定の報を受け、mixiで急遽立ち上がったコミュニティに本当に微力な賛意表明のつもりで「コミュニティに参加する」のボタンを押し下げたことがきっかけで、モデレーターの一人が実は大学時代の友人であったことが発覚し、ちんけな私の日常の時間のいくぶんかをこの活動のために捧げる事態に立ち至ったわけだが、これがこんなに早く実を結ぶことになるとは・・・、と感慨深い気持ち。

実社会では本当にささやかな声なき声でしかない、映画ファンという政治力も社交性もない一群の挙げた一声がこうして結果を呼び込んだのを目撃できたことは、個人的にも幸せだった。

という私はたいして苦労らしき苦労はしていないいっぽうで、主要メンバーの奔走は大変なものであって、4000名以上の署名を集め、ルワンダ大使閣下のメッセージをいただき、「ほぼ日刊イトイ新聞」で取上げられ、と、息のつく暇もない日々をすごしていたものと思う。
本当にお疲れ様でした。

このblogでも何度も取上げたように素晴らしい映画なので、公開のあかつきには、是非みなさん劇場に足をお運びください。
その「見る」という行動自体が、もちろん価値ある映画を見るという行動であると同時に、「価値ある映画を公開することの価値」を、わが国に根付かせる一助になる行動につながる・・・と愚考する次第。

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9月 25, 2005

サム・シェパード「モーテル・クロニクルズ」読了

さいきん映画のことをめっきり書いてなく、実際のところ見る時間もなくて映画とはごぶさたの状態なのだが、ちょっと関連記事ということで、劇作家にして名優・監督でもあるサム・シェパードの自伝的エッセイ集を読み終わったのでその記録など。

サム・シェパードはヴェンダースの「パリ、テキサス」脚本という仕事がもっとも映画界的には有名なのだが、しぶく脇を締める名優としても数々の映画に出ている。私の見た中での最近の仕事ではニック・カサヴェテス監督の泣かせラブストーリー「きみに読む物語」など。言われてみると「あー、いい味の人いた!」と気付く、こういう人こそ一編の映画においては重要である。ほかに「ブラックホーク・ダウン」、「ヒマラヤ杉に降る雪」、私は見ていないが「ソードフィッシュ」「プレッジ」「すべての美しい馬」など。もう公開しているのかよく知らないが最新作は「ステルス」である。

この本「モーテル・クロニクルズ」は、後ろ盾のない一介のドサ周り俳優としてN.Yに出てきたサム・シェパードが、やがて劇作家として身を立てていき、また映画俳優として数々の現場に入りながら、泊まったモーテルの部屋で書き綴られた詩やメモのような短文をファイルしたものとして上梓されている。

印象深いのは、夢遊病を親に心配されたりした幼少期の思い出、自転車を盗んで干上がった水路をLAまで走ろうとした悪ガキ時代のこと、物寂しいアメリカ中西部の荒れ野のほとりでの感覚、そして義母のくも膜下出血にあたって家族全員が経験した不安の描写である。
ふたつめに挙げた小さな自転車泥棒たちの思い出から引こう。

午後中、野山を駆け回って蛇を捜した。それから兄弟のうちの一人が、自転車を干上がった水路に下ろしてそのままロスアンジェルスまで走って行こうと提案した。ぼくは何を言われても「うん、そうしよう」と答えた―ロスアンジェルスまでは少なくとも一〇〇マイルはあるような気がしたのだけれど。
ぼくらはそれから、その巨大なセメントの廊下を何マイルも走り続けた。セメントの継ぎ目にタールで詰め物をした茶色の線を越えるたびに、車輪がはね上がった。その継ぎ目をのぞけば、それはぼくがそれまでに自転車で走ったことのある、最もなめらかで平らな表面だった。
走っていくぼくらの両脇を色々な物が通り過ぎていった。日光で色あせたショットガンの赤い薬莢、オポッサムの死骸、ビールの缶、クルミの殻、キャロブの莢、アライグマと二匹の子アライグマ、ポルノ雑誌の破れたページ、ロープのかたまり、タイヤのチューブ、自転車のホイールキャップ、壜の栓、ひからびたサルビア、釘がついたままの板、切り株、粉々になったガラス、黄色に赤のストライプのゴルフ・ボール、ラグレンチ、女物の下着、テニス・シューズ、ごわごわになった靴下、犬の死骸、ねずみ、宙を舞うトンボ、目を飛び出させた、しなびたカエルの死骸。何マイルも走った後に、大きな長いトンネルのようになった部分の入り口に来た。覗き込むと、向こう側に光は見えなかった。

この部分など、いっかな装飾もなく、ただ目に見えていることを書き綴っただけに過ぎないのに、そこからは行ったこともない中西部の空気と詩情があたかも匂ってくるかのようだ。なんだかつかみどころのない文章もないわけではないのだけど、主に、こうした物象の中の詩を引き締まった文体で描き出す素晴らしい文章が多く、古本屋で100円で購入した本としては破格の感銘を受けた。
都市のよどんだ日常の中に一編の詩がほしくなったとき、カバンの底に思いがけず潜んでいたりすると嬉しい一冊である。

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8月 22, 2005

「亡国のイージス」(★★★☆)

SWエピソード3を見た話も全然書いてないのだが、まあ近いうちに再見すると思うのでその時にとっておこうと思う。

んで、土曜日に見た阪本順治監督「亡国のイージス」。
原作にはさぞ、膨大な情報量ならびに、憂国者の繰言が詰め込まれているのだろうと思う(ちょっと手をつけたのだがかったるくて投げ出してしまった)が、この映画の時間でそれらをバーッと語るのは監督のシュミに合わなかったのかもしれず、物語は、真田広之演じる主人公のひたすらな愚直さを語るのに終始している。
とにかくこの男、どこにでも出現し、土下座はするわ、余計な手出しで通信機は壊すわ、海に潜って部下を助けるわ、やたらに逞しい。そしてそんな彼の行動を支える原理は実にシンプルイズベストで、「船と乗員を守る」それだけである。
佐藤浩市、寺尾あきら、中井貴一ら、政治と思想をめぐって暗闘する男たちの屈折と妄執と対比し、真田の演じる愚直な現場主義には爽やかささえあるのだが、それだけとも言い難い。
真田が、敵側に立った同じ船の自衛官を躊躇なく射殺する部下に対して「相手だって人間なんだ、撃つ前に考えろ」と言うシーンは全編でも最も涙を絞るシーンなのだが、その舌の根も乾かぬうちに「撃つ前に考えていたら撃たれた」という部下に「バカヤロウ、考える前に考えるんだよ」と言いのけてしまうシーンがあるのには驚く。戦争で生き残るのは思想や論理性を超越した、こういう「シブとさ」を持った人間なのだろうと思うのだった。
というわけで、ほぼ90%くらいは真田広之の演じるこの魅力的なキャラクターを見るための映画といえる。あとのちょっとは、同様に政治の世界で強かにのさばる総理大臣を演じた原田芳雄に捧げたい。これは最近の日本映画では出色の総理大臣役ではなかろうか。
海戦シーンは、正直それを期待していくと肩すかしを食うだろう。ハリウッドから名匠トレヴァー・ジョーンズを迎えてつけられた劇伴音楽には胸躍るが、戦争映画的高揚感は巧みに抑えられている。

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8月 15, 2005

「ヒトラー/最期の十二日間」(★★★☆)

出版界では「不況の時にはナチものが流行る」という定説があるのだと、以前某K社に就職を決めた同い年の学生から聞いたことがある。このご時世、アドルフ・ヒトラーという人種差別主義者と愛人エヴァ・ブラウンのあまりにも有名な総統地下壕での自決をめぐる話など、どれほどの人が興味を持つのだろう?と思うのだが、渋谷シネマライズだけでなくユナイテッド・シネマとしまえんでも公開されるのだから、それなりに売れると踏まれたのだろう。これも不況ゆえだろうか。

このオリヴァー・ヒルシュビーゲル監督の映画「ヒトラー/最期の12日間」でヒトラーを演じるのはドイツの誇る名優ブルーノ・ガンツ。なかなかのうまさを見せる。単なる戯画化の対象ではなく、健康のために酒もタバコもやらなかった菜食主義者のヒトラーが、帝国の崩壊と何千万もの人々の怨念を受け、体躯と精神を蝕まれていく様を一種のリアルさをもって描き出してみせた。感銘を受けるという類の演技ではないのだが、それもそういうやり方を選んだということだろう。
ブルーノ・ガンツの演技よりも、もう一人の主人公である女秘書役のアレクサンドラ・マリア・ララの際立った美貌が印象に残る。エヴァ・ブラウンが彼女と別れるシーンは、殉死者のある種いさぎよい諦観をうかがわせて意味深い。一方で総統と一家もろとも運命と共にするべく子供達に毒を飲ませるゲッペルスと夫人の行動にはおぞましいものがあるが、オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督はそれらを特に持ち上げたり引き下げたりすることなく、淡々と描いていく。総統地下防空壕の中は、いっとき世界を支配しようとした独裁国家が終焉に向かって運動する様の、抽象化された縮図のようである。
しかしその外、ベルリンの街路では、迫り来るソ連軍と絶望的な決戦を戦う首都防衛のドイツ兵がおり、一方でゲッペルスの命で、無力な年寄りを民兵に参加しないかどで銃殺していく親衛隊が跋扈している。抽象化された政治の殿堂で「ドイツ民族は最後の一人まで戦闘する、戦争下に市民などいない、それで死ぬ者は所詮それだけの弱者だ」と語るヒトラーとその側近には、その抽象がもたらした、何千万のドイツ民族と何百万のユダヤ民族の死の意味に、考えを及ぼし得る能力があったのだろうか?
そして、それが彼らにもとより不可能なことだったのであれば、それほどまでに政治権力を極大化させ、人としての人智を越えた神学めいたものへと政治を変貌させた罪は、一体だれに、何に対して問えば良いのだろう。

そんなような思いも致してしまう、堅いが意味のある映画だった。

 (余談)

映画のモデルとなった秘書、故トラウドゥル・ユンゲ女史は、戦後自分たちの罪に対して向き合うことをしないままに過ごしてきたが、ある時、自分と同い年の少女の墓碑銘を見て自らの「無自覚」の罪を悟ったという。
少女の名はゾフィー・ショル。ミュンヘンの大学生時代に、ナチスが支配するドイツの中にあって兄弟たちとともに「白バラ」抵抗運動を行い処刑された少女である。
映画の中で彼女の名前は唐突に出てくるので、未見の方はゾフィー・ショルの名前くらい覚えておくと、クライマックスでの感銘が増すかと思う。

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8月 12, 2005

「徳川いれずみ師・責め地獄」の石井輝男監督が死去

肺ガンで死去、享年81歳だそうです。

http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/f-et-tp0-050812-0012.html 「網走番外地」の石井輝男監督死去

ショックだ(;;)

というか、「輝男が亡くなったらショックだろうなあ」なんてことは事前に想像したりさえしていなかったせいもあるが、いざ亡くなってみるとショックだということ自体に戸惑っている。

膨大な作品を残したこの娯楽映画の鬼才について、代表作を一本挙げるというのはなかなか難しい。
でも、上掲日刊スポーツの記事タイトルをみると、やっぱり『「網走番外地」の・・・』というククリで表記されてしまうのかというのが、何となく残念な気もする。
ということで、このエントリでは表題を「『徳川いれずみ師・責め地獄』の・・」としてみた。

別に「『江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間』の・・」でも「『実録三億円事件・時効成立』の・・」(<けっこう面白い)でもかまわないのだが、この鬼才の多面性を一つにブチ込んだ闇ナベ風味映画として「徳川」を推した。
一見主人公かと思われた女が中盤あたりで「海上で磔のうえ火刑される」というものすごいシチュエーションで死亡することで観客はカオスの中に放り込まれ、ただちに、どこに展開していくのか分からないがヤタラとハイテンポで面白いストーリーが観客を油断させることなく進む、あげくにフィルム全体のラストカットたるや、ストップモーションで見せられる「悪女股裂きの刑」!という、この絶後のキッチュ作品こそ、石井輝男という監督の野放図なイマジネーション世界をある種スナップショット的に捉えた名編なのではあるまいか。
「徳川いれずみ師」のクライマックスでは、これまでさんざん極悪いれずみ師(笑)ぶりを見せた兄弟子役の小池朝雄が、最後のドタン場に吉田輝雄をかばって致命傷を負う。(ダース・ベイダーもこの類型を踏襲している)
ふつうこのシチュエーションでいくと弟は「兄さん・・!」とか言って兄弟子に駆け寄るのがセオリーというものだが、そこはさすがに輝男映画で、死にゆく兄弟子なぞお構いなしに敵のトドメ刺しに夢中になっている吉田輝雄が次のカットで大写しになるのには、心底爆笑させられた。

それにしても、バタ臭い原色の色使いと闇市的アトモスフィアに満ちたあの輝男映画の時間が再び生み出される日はないのかと思うと、そんな笑えるシーンの印象にも一抹の寂しさが漂うものである。
合掌。

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7月 26, 2005

「ほぼ日」で「ホテル・ルワンダ日本公開を求める会」が紹介された

「ほぼ日刊イトイ新聞」の1コーナー「翻訳前のアメリカ」(by鈴木すずきちさん)で、映画「ホテル・ルワンダ」とその公開運動「『ホテル・ルワンダ』日本公開を求める会」WEBサイトが紹介された。

鈴木さんのコラムは、町山さんのものとは違った側面で映画「ホテル・ルワンダ」を紹介したもの。こうした問題を取り上げる映画を企画し、その問題を語るのに適した役者をハリウッド的スター主義に堕することなくキャスティングする、そうした映画が作られる余地があるアメリカの映画市場の「底力」を賞賛している。(ただし、映画作品としてはイギリス/イタリア/南アフリカ合作)

また役者たちがその役柄を演じるにあたって貫いたプロ根性を誉め、主演のドン・チードルの言葉を引いた箇所は感動モノだ。

「目立とうと思って映画にでたことはないんだ。
 まったく正反対で、そういうのは関係ない。
 作品総体としてベストなものにしたいんだ。
 あとで自分の出演歴を振り返ったときに、
 “これはいい映画だったな”って思いたいんだ。
 “あ〜、このあたりの4作品は最低だったけど、
 俺様はうまかったよな”じゃなくてね。
 素晴らしい作品の一部でいたいんだよ」

最後のくだりは、昼休みに職場のPCで読んでちょっと泣けたくらい。
熱いですな−。

やはり「ほぼ日」効果はすごいもので、続々とWEB署名が集まっているようだ。感激。

あと、今日はジム・トンプソン著「おれの中の殺し屋」を読了。

いやー狂った小説だった。
もとい、小説自体は狂っていないが、内なる狂気を抱えた表面的には論理的で冷静な主人公が殺人を繰り返していくストーリー、それが当の殺人者本人の一人称で語られるという小説のコンセプトがやばい。文芸小説ともサイコパスものスリラーとも言えない小説の立ち位置自体、読者がこの小説を既存の類型にはめこんで適当に忘却処理することを妨げるのだ。うちの田舎にもこんなやつはいないか?
チラチラと見えかくれする主人公の過去をめぐる悪夢もおっかない。(★★★☆)

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7月 25, 2005

「『ホテル・ルワンダ』日本公開を求める会」サイト上で電子署名開始

臨時で代打WEB管理をやっている「『ホテル・ルワンダ』日本公開を求める会」のWEBサイト上で、遂に電子署名が可能になった。
署名のCGIプログラムはもとより私が組んだものではなく、この映画に熱い思いを寄せているanemoneさんの手になるもの。私は単にWEBサイト上にリンクを設置したにすぎない。ということでこれについての私の働きはといえば、製造業でいえばせいぜいが出荷を担当したに過ぎない程度ではあるものの、オンラインでの署名が可能になったことで、格段にお願いできる相手が増えたことは事実で、なんかいいことできた気分、というのが偽らざるところ。

当サイトをご覧いただいているみなさんも、ぜひ「『ホテル・ルワンダ』日本公開を求める会」サイト、または当サイト過去記事(→これとか→これとか)を読んで興味を惹かれたようであれば、ぜひ電子署名にご協力ください。

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7月 20, 2005

伊坂幸太郎新刊「死神の精度」(★★★☆)/akiko"simply blue"

伊坂幸太郎の新刊「死神の精度」読了。

死神といえば今日びはデスノートだが、死神のお仕事的側面に多少インスピレーションを与えられたのかもと思いつつ、冷静沈着だけどズレたスクリューボール・コメディ的キャラクター造型を使った、いつもの伊坂風味連作集になっていた。
さすがにストーリーの運びはうまいのだが、ひとつひとつの話が小粒で、長編小説読みの私にしてみるといささか合わない・・・こりゃ宮部みゆきパターンかなと思っていたのだが、最後にウウムと嬉しくなる展開を用意してくれており、伊坂ファンにとっては読みやすくも良くできた格好のプレゼントを受け取った印象である。
★★★☆。

「死神の精度」に登場する死神は、仕事の合間にCDショップで音楽の試聴をするのが何よりの楽しみという奴。そんな彼に捧げたいのが個人的に大好きなJAZZシンガー、akikoの新盤である。

「Old Devil Moon」など以前のアルバムにも収められていた曲だが、この盤におさめられたライブはまた一味違った歌唱で、とても楽しめる。「Night and day」も素敵。
ちょうどジャケの色味も似てるなー。

昨日劇場に忘れてきたポーチを取りにユナイテッド・シネマとしまえんに再訪、ついでに実相寺昭雄監督「姑獲鳥の夏」を見た。
かったるくなって途中で放り出した原作を見直すきっかけになるかなと思ったのだが、結局うなずけたのは京極演じる水木しげるの登場シーンのみ(^^;)。たぶん今後も当面、京極堂シリーズとは縁がなさそうだ・・・。
演出はいつもの実相寺流。お好きな方はどうぞという感じ。

ひょんなことから入った「ホテル・ルワンダ」日本公開を求める会のホームページ、ひょんなことから今メンテ担当してます(制作したのは別の友人)。
よければ、ちょくちょく見てみて下さい。
実をいえば、US版のDVDで映画「ホテル・ルワンダ」を見た(英語字幕つき)のだが、号泣シーンがけっこうある、かなりの感動作だった。民兵が人々を虐殺するシーンは意外と抑えた演出で、米国のレーティングもPG-12程度だったと聞く。
ドン・チードルはとにかく入魂の、ヒューマニティ溢れる素晴しい演技。どうしてこれでアカデミー主演男優賞が取れなかったのか全く不可思議なくらいだ。(もっとも「レイ」の方は見ていないので、トピック的な部分以外にジェイミー・フォックスにイニシアティブがあったのかどうかは良く分からないが)
ぜひ公開にこぎつけて、一人でも多くの人に見てほしい作品である。

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7月 19, 2005

「宇宙戦争」(★★★★)

暑くてやだなーという気分をおして出社してみたら、出てきてるのは自分しかいなかったので茫然。みんな仕事だいじょぶか!?それとも暑さに勝ったのはオレだけか?(って言いながら自分も出てきたの結構遅かったけど)
ヨドバシカメラで、どこの国のだか良く分からないメーカーの液晶ディスプレイを購入してから、スティーブン・スピルバーグ監督「宇宙戦争」ユナイテッドとしまえんで見てきた。

世間的には「スピルバーグにしてはふさわしくない凡作」とか「内容がない」とか言われている本作ですが、なんの、「ガメラ 大怪獣空中決戦」以来、最高に楽しめる怪獣映画でしたぞ!
しょっぱなの1時間SFドラマみたいな安い始まりから、エンドロールの明らかに仕込んでる安っぽいジョン・ウイリアムスのスコアと、スタッフロールの出し方たるや、およそビッグバジェット映画とは思えない入魂の仕上がり。
これ、東宝東和配給作品じゃないの?

「ガメラ2 レギオン襲来」チックな三本足ロボット出現シーンとか、ピーナッツバターで窓に貼り付くパンとか、「影武者」みたく敢えて破壊シーン見せないとか、色々と突っ込みまくった感のある映画だが、「タイタンの戦い」の対メデューサ戦を思わせるシーンが個人的にはツボだった。あの緊迫感は子供ながらにたまらんかったよなー。
まさに、「ゴジラ」をエメリッヒに持っていかれたスピルバーグの抑圧された欲望が炸裂!という感のある映画でした。もちろんあのラストは、原作がそうなんだからしょうがないっつーことで。

というわけでDVD等待たず、ぜひ音響の良いシネコンか何かでビール片手に見るべき映画だが、この映画における最高の視聴環境は実はドライブインシアターなのではないかと思われる(行ったことないけど)。
背後の夜闇に三本足がヌーッと立ち上がるのではッ?などといった妄想含めて楽しめることうけあい。
多分あっちでもドライブインシアターでヘビロテな映画なのではないでしょうか。

ぜひ続編切望!もちろんタイトルは「ゴジラvsガメラvsトライポッド 三大怪獣地球最大の決戦」で決まりでしょ。

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6月 26, 2005

「リング2」「バットマン・ビギンズ」(両方★★)

ひきこもりノリでずっと在宅してたが、夜からチャリ外出。
今日はユナイテッドシネマとしまえんまでチャリで行ってみる。
地図もろくに確認しなかったが、恐らく練馬駅から豊島園線の線路を辿れば到着するハズ、というあらかた目星のうえでGO。
途中幾度か住宅地を縫って進む線路を見失いそうになるが、なんとか到着。道をつかめば自宅からチャリで25分かそこらで着くことがわかった。ワーナーマイカル板橋よりチョイ近いような印象。

せっかくチャリで来たので、レイトショーに続き土曜夜のスーパーレイトショーを使って2本見ることに。
「スター・ウォーズ エピソード3」の先先行上映は非常に惹かれたのだが、既に一緒に見る約束をしている人がいる(男ですが)ので、中田秀夫監督「リング2」、クリストファー・ノーラン監督「バットマン・ビギンズ」の2本を選択。
「リング2」はかの美女ナオミ・ワッツをちっとも可愛く撮ってやらない中田監督の底意地の悪さ以外に印象に残らず、「バットマン・ビギンズ」に到ってはクリスチャン・ベール、ケイティ・ホームズ、リーアム・ニーソン、マイケル・ケイン、ルトガー・ハウアー、モーガン・フリーマン、トム・ウィルキンソン、ゲイリー・オールドマンとあと誰かいたっけ、ああそうそう渡辺謙という何だか訳が分からないくらい豪華なキャスティングから危惧されるとおり、見事なまでに総花的に散っていて実に退屈な映画だったことを書き留めておく。

2本の間時間が空いたので深夜のファミレスに入り余計な金を使ってしまったのだが、そこで滝本竜彦/大岩ケンヂによるマンガ版「NHKにようこそ! <1>」、舞城王太郎「煙か土か食い物」を読了。
「NHK〜」は多分2巻は読まないと思う。
舞城は中断していた期間が長かったせいか、後半〜ラストのへんな落ちにガックシ。中盤までがもっとも面白かった。
ほかにこれは半ば仕事絡みだが、Peter Van Dijck著「Webデザイナーのための情報アーキテクチャ入門」を読了。情報デザインのやり方にアウトラインを与える系の本で、目からウロコ的発見があるということでもないが、よくまとまっている。

↓例によってamazonリンク貼っときます

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6月 24, 2005

「『ホテル・ルワンダ』の日本公開を求める会」のHPができた

以前このエントリでもお知らせしたが、ドン・チードル主演による、ルワンダ虐殺を材にとった映画「ホテル・ルワンダ」の日本公開を求める会がmixi上で出来ている。
ついにWEBサイトが立ち上がったということなので当blogでも告知をば。

rwanda
『ホテル・ルワンダ』日本公開を求める会

どのような映画かについては、既出ながら以下。
「ホテル・ルワンダ」は現実版「ドーン・オブ・ザ・デッド」だ - 町山智浩アメリカ日記
現状、公式WEBサイトにはトップとBBSしかコンテンツがないが、これから具体的な署名の方法なども詰めながらコンテンツを追加していくという。

mixi上の当会コミュニティに参加してから判明したことなのだが、運動の主要メンバーの1人が実は私の大学時代の同期だったりして、もちろん個人的にこの映画が見たいという思いが主動機ではあるけど、その意味でも他人事には思えない。
私はこの運動、できるだけ協力していくつもり。

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6月 19, 2005

映画「ホテル・ルワンダ」を日本で上映させよう運動

というのを趣旨にしたコミュがmixi上にあって、入ってみた。

mixiコミュ「ホテルルワンダ」

映画好きなmixiピープルのみなさんはぜひ入りましょう。

アフリカの小国ルワンダで起きた、多数派フツ族の少数民族ツチ族に対する民族浄化(ジェノサイド)。
その中で、普通のホテル副支配人が自らの知恵・世渡り術だけを頼みに、自動小銃を持った虐殺者たちを騙しすかしながらサバイバルしていくのだが、
その過程で1,000人以上の同胞の生命を救う羽目になっていく、という。
しかも実話が元になっている!
フツ族、ツチ族という名前はずっと昔のニュースで聞いたような、って人は多いと思うが、映画評論家でもある柳下毅一郎氏の訳本「ジェノサイドの丘」ではこの民族浄化の悲惨が綴られている。

次の給料でまず買う本はこれだな。(あとは「59番目のプロポーズ」?^^;)

この映画については、以下の町山智浩氏の日記を一度読めば、映画が好きな人であれば誰でも見たくなると思います。

「ホテル・ルワンダ」は現実版「ドーン・オブ・ザ・デッド」だ - ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記

また以下も参照。

「ホテル・ルワンダ」の日本公開について - ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記

・・見たくなったでしょ。
ちなみに上記記事の最後で町山氏が触れている「売春窟に生まれついて」という映画も激しく見たい。
→町山氏によるレビューはこちら

mixiをやっている人はぜひ「ホテルルワンダ」コミュに入ってほしい。
また、そうでない人向けにも、署名集めサイトなどが立ち上がる情報があれば、当blog上でお知らせをするのでご協力ください。

それにしても・・・

上記記事中で触れられている「エド・ウッド」配給の経緯などを見ていると、おもしろい映画を見分ける能もないオッサンが仕入れ口シメてんのかなあと不安にもなる。
そういう能無しをもプレゼンで落とせるようにマーケティングばっちりやって作りました♪的ハリウッド映画を金払って見させられることもあるが、そんな能無しもマーケティング映画も、全部まとめてゴミ箱に放り込んで火を付けたい。
「映画とは何か」、なんて神学的問いに発展させるつもりはないが、映画はまかり間違っても工業製品じゃねえし、ましてや保険やなんかのサーヴィスでも、ディズニーランドのライドでもないからだ。そんなことは至極当然のこと(南伸坊にならって言えば、アッタリマエのキマリキンタマ)なのだが、不思議と分かっている人はあまりいない。
逆に、そこが分かってると自覚できる人は十二分に「映画好き」なのでしょう。

全然話がそれたが、そんなわけで「映画好き」を自覚できる同志諸兄は、私とともに「ホテル・ルワンダ」の日本公開を希望する声を上げましょう(^^)

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6月 12, 2005

QBB個展〜「戦国自衛隊1549」(★★☆)

今日はえのちんの誕生日祝いブランチ会@ル・カフェ・ベルトレ。
たくさんの人が集まり、みんなでランチをつつく。鴨のコンフィ美味しかった。
さいきん、えのちんはお疲れの様子。編集者は大変ですな〜。
という自分もなんとなくローテンションで「疲れてる?」なんて聞かれたり。昨日のINTEROP疲れかも。

終了後、りいさんとお茶の水で開かれている個展「QBB ART OF MANGA」へ。
久住昌之氏と弟の卓也氏によるマンガユニット「QBB」の個展。
卓也氏は「小説 中華そば『江ぐち』」に出てくるラーメン職人タクヤの名付け元になった人でもある。小さなギャラリーの中で自らウクレレを爪弾きながら来訪者たちのお相手をされていた。
顔を書いたトイレットペーパーの芯に、髪に見立てたみかんの皮をのっけた「みかん毛太郎」が面白かった。

泉昌之時代の作品は何冊か読んだことがあったが、QBBとしての作品は読んだことがなかったので、神保町で「中学生日記」を買う。それから、かねて読もうと思っていた村松友硯「ヤスケンの海」。先年亡くなったカリスマ的編集者安原顕を描いた評伝。神保町の喫茶店でちょっと読んだが、中公時代の同志村松氏ならではの視点がおもしろい。文芸編集者がみる文芸編集者像・・という点でも興味津々。
神保町ではあと、ササキレコード社という中古のお店でパーセルの歌劇「ディドーとエネアス」中古盤を買う。ほぼ、クラシックCD専門のお店で、なかなか品揃えがよかった。もう少しお金のある時にまた行きたいもの。

いったん帰宅してから再外出、ユナイテッドシネマとしまえんで映画「戦国自衛隊1549」を見る。
監督が「ゴジラ対メカゴジラ」の俊英(笑)手塚昌明監督だけに、演出のデキには全く期待していなかったが、はたして、声高らかに「未来とは人々の『望み』だ!」などと適当にデッチ上げたテーマが青空に向かって叫ばれるシーンの子供だましぶり、たとえようもなく気の抜けたラストカット等々にドン引きさせられた。
タイムスリップした自衛官、鹿賀丈史が織田信長になりかわってました!というコンセプトはおもしろいのだけど、なんというかそのコンセプトから膨らまされるイマジネーションが、見事にプシューと縮小するヘッポコなデキである。
歴史改変をしようとする鹿賀の根底にある現代社会批判も、びっくりするくらい浅薄な感じなのだが、まあ自衛隊が協力する関連でうっかりした事は言えないよ、ってことだったのかも。
そこは上手いこと自衛隊だまくらかして過激思想ぶち上げてほしいところでした。

ホンモノの90式戦車、AH-1コブラ等は迫力があるので、見てらんないほどではない。
しかし、ミリオタがたぶん期待しているほどには活躍しません。

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6月 05, 2005

「ザ・インタープリタ−」(★★★)見たり「青い車」読んだり

土曜のレイトショーでシドニー・ポラック監督「ザ・インタープリタ−」見た。

これはもうしょうがないのだが、つい一週間以内に「ミリオンダラー・ベイビー」のような極上の寿司を食べてしまった関係上、この程度の映画は「だらしなくなった蛸の刺身みたい」に感じられてしまう。

悪ノリして寿司レビュー風に書けば、

シャリは悪く無いのだが、ネタ握りがどうもよろしくない。
数日前に極上の職人のワザを心ゆくままに楽しんだ後とあっては、つい比べてしまうのも致し方ないが・・。
もっとも後半、いいにのっけて出してくれたので、見た目は楽しませてもらった。

シャリ=役者
ネタ=プロット
握り=演出
=ロケ地(いい皿ってのは国連本部のことです)

国連通訳のキッドマンが巻き込まれる陰謀というのが、どうもとってつけたようにできあがったショボーンな内容であるのにガッカリ。キッドマンのもつ秘密についても、それが明かされる展開はどうも説明的で、いまいち説得力が湧かない。
脚本は「シンドラーのリスト」でオスカー受賞歴のあるスティーブン・ザイリアンだが、他にも何人かの脚本家がクレジットされている。みんなで味つけしたつもりが、最終的にゴテゴテして芯のないプロットになってしまったものだろうか。
ポラックのサスペンス演出はありがちなもので特に面白くないが、プラトニックな愛情を感じさせるシーンの演出はうまいと思う。
ニコール・キッドマンは凛とした雰囲気をもっているので、こういう「才媛」をやらせて光る女優であり、なかなかよかった。
ショーン・ペンはピンで立ってると実にいいのだが、キッドマンと並べるといささかちんぴらくさい感がある。きっとこの人、年とってくるとピーター・フォークみたいな雰囲気になっていくのだろう。もっとも、フォークのように善人っぽい役はできなそうにも思えるが・・。
中盤までは眠気と戦う感じだったが、クライマックスの国連本部のロケシーンは圧巻で、いっきに目が覚めた。

日曜
塩出さんから借りた「太陽伝」(日野日出志)、「愛がなくても食ってゆけます」(よしながふみ)など読了。もう読み待ちのマンガはないかと思ってたら、ちょっと前にBOOK OFFで買った「青い車」(よしもとよしとも)があった。
これはなかなかの傑作。映画化もされているんですな。

それにしても「恋の門」といい、最近ここらあたりのライン(って何だよw)のマンガを映画化するパターンが多いな。

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6月 03, 2005

「ミリオンダラー・ベイビー」(★★★★☆)

クリント・イーストウッド監督「ミリオンダラー・ベイビー」を見た。
観賞後、電車を二本乗り継いでもなお鼻から涙が出てくるくらい、胸を締め付けられる映画だった。
イーストウッドの映画は、もう死ぬまでよくなっていくばかりだろう。一作一作ごとに丹念に美的充実を深め、高密度に結晶するようになってきている。
オープニングの少し懐かしい映画のようなフイルムの発色から始まって、全編ワンシーンワンシーンあまりの素晴しさに浸り切り、映画を見ることの幸せにただ眼球を震わせ、劇の中盤ではやくも感極まって涙落ちるような映画だった。

以下、未鑑賞の方はあんまり読まない方がいいかも。

続きを読む "「ミリオンダラー・ベイビー」(★★★★☆)"

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5月 23, 2005

「独立愚連隊西へ」

シルクロード展に行く予定だったがキャンセルとなり、なんか時間が浮いたので新・文芸座で行なわれている特集上映「追悼・岡本喜八監督の軌跡」を見に行くことに。
行く途中で友人Mとの夕食を設定してしたため、見たのは「独立愚連隊西へ」のみだった。

池袋文芸座は私が大学1年〜2年の青春の大半を注ぎ込んだ小屋だったのだが、閉館となり、建物が取り壊されてのち何年かして「新・文芸座」として復活した・・とは聞いていたものの、実地に小屋に行くのは初めて。
大学のころよりも幾分か風俗店が増えたような気がする東口ビックカメラ裏の、パチンコビルの3Fに現在の文芸座はあった。
この日は「独立愚連隊」シリーズ二本立てということもあり、客層の大半がリタイア組のシニア、もしくは、シニアじゃないけど既に社会をリタイアしているような雰囲気の(^^;)良く言えばシネフィル男たちで埋め尽されていた。
何しろ休憩時間でも女子便はガラ空き、男子便は長蛇の行列。何となくそれを見て頼もしい気分になってしまったのは私だけだろうか?

・・・映画の感想についてはまた追記します・・・

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5月 15, 2005

今日もタイフェス〜「海を飛ぶ夢」

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今日もタイフードフェスティバルに行ってきた。

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やっぱり今日もすごい人出。

スタジオパーク売店のお便所を今日も何度か使わせて頂いたのだけど、スタジオパークの壁にBSのキャラクター「ななみちゃん」のプロフが貼ってあったので記録。
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「怒った時はしっぽが腫れあがり、けばだつ。」
のだそうです。

シンハービールでしこたま酔った頭をふりながら新宿に出ると、急に雷雨→天気雨の状態に。
なんとも不思議な天気でした。
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新宿武蔵野館でアレハンドロ・アメナーバル監督「海を飛ぶ夢」を見た。
SFめいた「オープン・ユア・アイズ」、ホラー映画的な「アザーズ」などの作品を上梓し、今回は尊厳死を願う四肢麻痺の男性を描くヒューマンドラマを撮ったアメナーバル監督。
こうした様々なジャンルのスタイルを駆使しながらも、この監督は一貫して価値観・世界観の転倒という主題に魅了されているように思える。

海に飛び込んだ時に首の骨を折って以来4本の手足ともが麻痺、ベッドの上から一歩も動けない状態で28年を生き続けてきた船員ラモン・サンペドロ(ハビエル・バルデム)は「自分の尊厳の為に死を選ぶ」ことを決意する。
法的に認められていないカトリック国スペインで、尊厳死の権利を勝ち取ろうと裁判に臨むラモンは
「私のような境遇の他の人が生き続けようとすることを、私は批判しない、だから私のこの選択も否定しないでほしい」と語る。
そんな彼の前には「人生は生き続ける価値がある」「生き続けることは素晴しいことだ」と説く人々が現れる。
その中の一人であるロサ(ロラ・ドゥエニャス)はラモンを愛しはじめるのだが、「あなたは私に生きる力をくれたわ」と言うロサは、ラモンが死を選択することをかたくなに拒み続ける。
そんなロサに対してラモンは「私を愛しているのなら、私の選択を理解するべきだ」と語るのだが、
この言葉は「愛」についての非常に深い洞察を含んでおり、わたしたちに「愛する」とは何かについて再検討を催させるものだ。
そんなラモンは、杖つく女性弁護士フリア(ベレン・ルエダ)を愛するが、彼女も自らの生について、困難な選択に迫られているのだった・・。

宗教心の希薄なわが国に住んでいても、やはり我々には「生き続けることには意味がある」とラモンに語りたくなる衝動がある。敬虔なカトリック国スペインでは、尊厳死はさらに一層ハードルの高いことなのかもしれない。
私にも正直、ラモンの行動を肯定していいのかどうかは分からない。
彼が死後の世界を信じていないことは後半で語られるが、彼にとっては死ぬことによって自らを解き放つ行動こそが重要であり、いわば、死ぬことによって生きようとしたのだともいえる。
そうした彼が裁判に出廷するため外出するシーンで、救急車の窓から眺められる世界がじつに生に満ちていて美しいのは、切ないことである。

ラモンが尊厳死団体の女性に「これ以上私と関わることによって君に迷惑が及ぶかもしれないから、今後は一切連絡をとらないことにしよう、お別れだ」と電話をかけると、女性は、あなたの決断で非常に多くの物事が動いているけれども、それだからといって決断を翻していけないことはないから、もう一度よく考えてと呼び掛ける。
「君も他のみんなと同じだね」
と返すラモンの言葉は、自分の信念を他人に伝えることがいかに難しいかの悲しみに満ちており、いっぽう、土壇場にきて生きる道を選ばせようとする女性側の弱さをも露呈させる、酷な言葉である。

非常に重いストーリーであるが、映像は非常に美しく、かつ、私たち観客に多くを考えさせる映画だった。「アザーズ」で見せたあのヴェラスケス絵画のごとき明暗のワザは、この映画でも効果的に使われている。(★★★★)

終映後いろいろ考えながら壁に貼ってある同館上映中の「甘い人生」の雑誌記事を見てたら、「甘い人生」のキム・ジウン監督は「クワイエット・ファミリー」「反則王」のキム・ジウン監督と同じであることが分かった。
そうだったのか!今まで全然結びついてなかった。不覚・・・。
「反則王」は遅刻ばかりで上司にどやされまくるダメ銀行マンが、夜は反則プロレスラーとして大活躍というマンガみたいな話なのに、ものすごくハイセンスな画作りが抜きん出た映画で感心しきりだったのだが、あの映画の監督であれば「甘い人生」のあのうまさも納得。
こうなってくると「箪笥」が無性に見たくなる。
他に「ビョンホンの新作はノワールを一新した"優ノワール"」なんて感じの見出しも目に入ったが、「"優"なんぞノワール映画には必要無い。ノワール映画とは我々の血を凍らせるがごとき、酷薄な美に満ちたものであるべきだ」・・などと思ってしまう私は頭がカタいのでしょうか。
もっとも「甘い人生」が優しい映画だとは私にはあまり思えない。特にヒロインがビョンホンからの贈り物を開封した時に「は?」という顔をするカットは残酷に思われる。「報われない愛情は本人にとって(だけは)美しい」と書いた理由はここにある。

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タイフェスで買ってきた調味料類。
まんなかのはエビペースト。パスタなんかに入れるとめっちゃ旨そうである。800円のところが300円。安ッ。
パスタはトムヤムスープ買ったらおまけでつけてくれたものだけど、「イタリア製」だそうである(笑)この適当さがたまらなくいい。

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さっそくエビペーストを使い、晩飯はチャーハン。
もうちょっといっぱい入れたらよかったかもとは思いつつ、ほのかに隠し味的にエビ味が効いてて。おいしかった。

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「邂逅(めぐりあい)」最高に美しいアイリーン・ダンを涙なくしては見られない

DVDでレオ・マッケリー監督「邂逅(めぐりあい)」を見た。

1939年、ハリウッド黄金期のアメリカ映画。
元ナイトクラブの歌手であるアイリーン・ダンと、浮気者の画家シャルル・ボワイエは、ナポリからアメリカに渡る客船の船上でふとしたことから出会う。
2人ともそれぞれ、新大陸に自分を養ってくれる金持ちの婚約者を待たせている身。
長い船旅の暇つぶしに大人の男女同士で軽い会話を楽しむが、段々とお互いの心の深い通じ合いを確信していく。
マディラ島の寄港地でボワイエの祖母宅に訪問し一日を過ごした2人は、やがてニューヨークに到着する時に約束する。
「お互いに身辺を整理して、半年後、あのエンパイア・ステート・ビルの102階で再会しよう」
そして2人はそれぞれに旅の前からもっていた婚約を破棄し、独立して身を立てるべく奮闘する。
アイリーン・ダンはふたたび歌を歌いはじめ、ボワイエは看板のペンキ塗りから始めて糊口をしのいでいく。
しかし6ヶ月後、エンパイア・ステート・ビル102階で彼女を待つボワイエの前に、アイリーン・ダンは現れない・・
ビルに駆付けようとして交通事故に遭ったアイリーン・ダンは、二度と歩けない体になるかも知れないと医者に宣告されている所だった。

と、粗筋を書いてみると韓流の風吹きすさぶ昨今、いまさら珍しくもなく陳腐なストーリーに思われるかもしれないが、この映画がテレビドラマとは全く一線を画しているのは、見ればだれでもアイリーン・ダン演じる歌い手を好きになるような、充実した台詞の数々、そして女優の輝かしい演技の賜物だろう。

特にマディラ島の丘の上にあるボワイエの祖母宅でのお茶のシーンは素晴しく、女性の魅力を深く深く描き切った描写は涙なくしては見られないものだ。もちろんシャルル・ボワイエも素晴しいのだけど、この映画を輝かしいものにしているのはアイリーン・ダンが演じるキャラクターの魅力に尽きる。

劇後半のところどころに挿入される歌の数々も素敵で、ナイトクラブでの歌唱で見せるダンの気っ風の良さなどは最高だが、挫折の中に暮らしつつも、孤児院の子供たちに歌を教えるシーンはさらに一層感動的である。

"願い"とは起きている間に見る夢のこと
夜のカーテンが静かに降りてくる
心の中に確かな夢を抱いていれば
だから ずっとずっと強く願い続けよう

子供たちがクリスマス・イブの合唱の練習をするのを見つめながら、ふと形にならない「夢」を追うように視線をさまよわせるアイリーン・ダンの演技のニュアンスに、限りなく胸を打たれる。

1994年にリメイクされた同名(「めぐり逢い」原題"Love affair")の映画ではアネット・ベニングが演じているようだけれど、とても期待する気にならない。
この魅力的なキャラクターを演じられる女優が他にいるとすれば、ひとりバーバラ・スタンウィックくらいしかいないのではないかと思う。

本当に素晴しいラブ・ロマンス映画だった。(★★★★☆)

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5月 11, 2005

ロッセリーニ監督によるスタンダール映画化作品-「ヴァニナ・ヴァニニ」

ずっと前にWOWOWで放映されたのを録画してあった、ロベルト・ロッセリーニ監督の1961年作「ヴァニナ・ヴァニニ」を見た。
ロッセリーニといえば「無防備都市」などレアリスモの旗手として有名だが、この映画はフランスの文豪スタンダールのロマンティックな短編小説「ヴァニナ・ヴァニニ」の映画化という珍しいものだ。

この「ヴァニナ・ヴァニニ」、私の最愛のフランス小説であり、この映画化作品があるということを「映画千夜一夜」で知り、しかもそれがロッセリーニ監督だと読んでますます興味をそそられたものだが、いざWOWOWで放映されたのを録画して以来今まで見ていなかった。
なかなかこういうのはタイミングを逃すと後まで引き摺るものなのである・・・

原作はリソルジメント前夜のイタリア、ローマ〜教皇領を舞台に展開する。
ローマの貴族令息たちの偽善と退屈さにあきあきしていた美しいヴァニナ・ヴァニニは、ある日父親が秘かに屋根裏部屋に傷ついた婦人をかくまっているのを見掛け、その不可思議に好奇心をそそられて屋根裏部屋に会いに行くが、そこに居たのは刑務所を女装して脱獄した若き炭焼党(カルボナリ=貴族制と外国勢力支配に反抗する反体制組織)のリーダー、ピエトロ・ミッシリッリだった。彼女は貴族の身でありながら、自分達が属する貴族制を崩す活動をしている炭焼党員の多大なる情熱に心を動かされ、恋の炎に身を焦がしていく・・というストーリー。
とにかく、ヒロインであるヴァニニ公令嬢ヴァニナ役のサンドラ・ミーロの美しさが素晴しく、またリソルジメント期のイタリアを再現する美術も質の高いものである。
原作の端正かつ省略の多い文章では描かれていない、炭焼党vs政府軍の戦いが描かれているのも注目どころで、原作ファンとしてはかなり楽しめるものだった。
ミッシリッリの女装が即バレするところ、また後半でヴァニナが男装して警視総監を脅迫するくだりが変更されているあたりは逆に原作ファンとしては残念。ここがかっこいいのにね。手元にある岩波文庫版(生島遼一訳)から該当部分を抜粋すると

閣下はあわてて寝台に走りより短銃を握った。そうして窓のそばにおずおず歩みよろうとすると中から家のお仕着せをきたたいそう若い男がやはり短銃を持ってあらわれた。それを見るや、総監は短銃にねらいをつけて射とうとした。と、青年は笑いながらこういった。

「なんですか閣下。ヴァニナ・ヴァニニがおわかりになりませんか」

「こ、これは何のためのいたずらだ!」総監はすっかり腹を立ててとがめた。

「まあ落ちついてお話しましょうよ。それにあなたの短銃の弾丸はぬいてありますから」


このあたりのやり取りはぜひ映画版で見たかったところである。冒頭のミッシリッリの女装/終盤のヴァニナの男装という対照の妙はスタンダールも狙ったところではないかと思うのだが、ロッセリーニにとってはちょっと荒唐無稽にすぎると思われたのかもしれない。(★★★★)

原作小説は削りに削って凝縮された文体と情炎ほとばしるストーリーが素晴しいもので、スタンダールをこれから読む人や、何か読んだことあるけど今イチだったなという人にもぜひ読んでほしい名編である。
現在比較的手に入りやすいのは前掲の岩波文庫版だと思うが、個人的には角川文庫から出ていた宗左近訳を推したい。

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5月 08, 2005

「エレニの旅」は3部作の今後に期待/で、DVDで「忘れじの面影」観ました

何度か「見れなかった」ばかりエントリに書いてきたテオ・アンゲロプロス監督の最新作「エレニの旅」
いいかげん見ようぜ、検索ワードでこのblog来てる人もいるわけだし、ということで午後から日比谷シャンテ・シネへ。
思い返してみるとこの現代ギリシアの巨匠の映画、それほど観ているわけではなく、一番最初に観たのはやはりシャンテ・シネで「ユリシーズの瞳」だったが途中寝まくり、今となってはハーヴェイ・カイテルの全裸がキツかったことしか覚えていない(^^;)。
次に観たのが「永遠と一日」だったのだがこれは余りにも琴線に触れまくる大傑作であり、音楽も素晴しかったのでエレニ・カラインドルーのサントラも買い、たまに取り出して聴いている。

ブルーノ・ガンツと難民の少年がめぐる時間を超えた旅、永遠を凝縮した一日の出来事、生と死、霧の中で呼ばわる声、ほんとうに詩に満ちた素晴しい映画だったと思う。
「永遠と一日」の素晴しさに当てられてビデオで観た「シテール島への船出」もやはり大傑作であり、これで一気にアンゲロプロスの個人的株は上がったものの、やはり長いんでなかなかその後手を出しかねていた。

そんなわけで久方ぶりのアンゲロプロス作品ということで結構意気込んでいたのだが、今回の「エレニの旅」はどうも今一つ彼の語る現代史の世界に浸りきれなかったきらいがある。
こんなことをいうとファンには怒られるかもしれないが、彼の映画で繰り返し出てくるモティーフはややもすると自己模倣の退屈さに陥りかねないところがあるのではないか?水没する村「ニュー・オデッサ」をデジタル処理を一切使わず自然の中に構築した映画としてのエネルギーは凄いと思うし、カットの長さも本当に贅沢だと思うけど、残念ながらノリきれなかった。ラストも「投げっぱなしか?」などと思ってしまったし。
とは言え部分的に素晴しいシーンはあって、テサロニキに落ち延びてきた難民たちが当地のオペラ劇場を住宅にしており、みんなボックス席に寝泊まりしているのだが、住民でもあるオペラ歌手の歌うソプラノが場内に響いていたりするシーンはすごく素敵だった。
今回の作品は3部作の劈頭を飾るものということなので、次回作に期待することにしよう。(★★☆)

これ1本で今日を終わらせるのももったいないなと思いつつ中野のRAREに入ってみたところ、まるで準備されていたかのように適切な映画を発見。マックス・オフュルス監督の「忘れじの面影」である。
これは実はまだ高校生のころにマイク水野(^^;)がセレクトした深夜名画劇場で一度観ているのだが、その時はジョーン・フォンティーンの「恋に夢見る乙女」っぽいところが鼻につき、いかにも自分に合わないラブロマンスと思ったものの、後にオフュルスの素晴しくソフィスティケイテッドな映画(「輪舞」とかね)を観るにつけ、もう一度見返しておきたい映画だと思った1本なのだった。
そんなノリで観たのだが、こちらは実に美に満ちた映画時間を楽しむことができた。
ツヴァイクの小説「未知の女からの手紙」を原作に、20世紀はじめのウィーンを舞台にさやかに語られる一人の女性の生涯に渡る愛。甘い陶酔と、その裏腹の苦さがウィーンの石畳の上に描写されるこの雰囲気、オフュルスの面目躍如。
ジョーン・フォンティーンが少女時代を演じるくだりは流石にちょっとムリがあるでしょ、と思ったが、後半の貴婦人役では素晴しい光を放っており、このへんは高校生の頃にはちょっと目に入らなかった魅力だなと再発見。フォンティーンが尽す相手のルイ・ジュールダンよりも、彼の執事として2人の知られざる物語を見つめていくアート・スミスの脇役ぶりが非常にいい仕事。
いい映画とはとりもなおさず、脇役の存在が光る映画なのだと思うのだった。(★★★★☆)

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5月 06, 2005

手巻き寿司およばれ/「ドク・ホリデイ」「ファミリー・プロット」

遅く起き出す。
ブランチとして、冷蔵しておいたポトフの残りに茹でたアスパラと焼いた豚肉を入れてスープパスタに。
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あんまり具の残ってないポトフ汁をどうすっかと思っていたが、名案であった(おいしかった)。
三連休で「失われた時を求めて」5巻を読み通せればと思っていたが、まだまだ3分の1くらい。

晩は仙川に手巻寿司をおよばれしているので、それまでビデオでも見ようと、ずっと前に中古VHSで買ったフランク・ペリー監督「ドク・ホリデイ」を観る。

伝説的カルト映画「女優フランシス」で有名な監督フランク・ペリーは、かつては「泳ぐひと」などでニューシネマの旗手と目されていた一人で、この映画も極悪非道な権力者ワイアット・ア−プがクラントン一家を騙し討ちにする過程を描くという、オルタナティヴな視点を提供する(笑)西部劇。ステイシー・キーチ演じるドク・ホリデイは娼婦フェイ・ダナウェイを囲い、それまでの自分にケリを付けて新しい人生を歩もうとするが、その手は血に汚れきったものだ。
フェイ・ダナウェイが帰宅したドクを「痩せぎす!」と呼ぶとステイシー・キーチが「売女!」と返すようなシナリオを書いたのは、コラムニストとして有名なピート・ハミル。腐り切った権力を振りかざす連邦保安官ア−プの描写には気骨がみなぎっているのだが、映画として面白いかというと、微妙(^^;)(★★☆)

寿司のために大葉をスーパーで探したのだけど3店鋪巡ってもどこも売り切れ。子供の日って手巻寿司が売れる日だったのだと初めて知った。
およばれ先のお宅で子供たちとウノやったりオセロやったり。兄8歳弟6歳と、随分大きくなったものだが、6歳でもやっぱりノートにカブト虫のウンコとか書いて喜ぶもんなんだなあ。自分もそうだったろうか。
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仙川のリトル・リヒテル。光線の具合で妙に神格化(^^;)

帰宅してから、DVDでヒチコックの「ファミリー・プロット」を観る。遺作にも関わらずこれまで何故か観てなかったが、めちゃくちゃ面白い。

名前も住所も一切不明な大富豪の遺産相続人を見つける仕事を、インチキ霊媒師女とその恋人が請け負うストーリーから始まり、ここに絶妙のコンビネーションで身代金誘拐を達成していく宝石商とその妻(?)のストーリーが交錯していくスリラー。この二組の男女の対比も面白いのだが、回りのキャラクターたちのディティールの描き方がまた明快ながら実に細やかで、何と情報量の多い映画だろうかと感心せずにいられない。
また官憲の敢えて一面的なキャラクター造型や、緊迫する山中の取り引きシーンに子供5人連れた牧師がコーラ飲みに来る等といったヒッチ的話法も楽しく、実に芳醇きわまる映画である。素晴しい!(★★★★☆)

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5月 05, 2005

レディースデー呪怨/「甘い人生」「クライシス・オブ・アメリカ」/夕食@ミス・サイゴン→カラオケ

4時からユナイテッドシネマとしまえんでジョナサン・デミ監督「クライシス・オブ・アメリカ」を見、その後カラオケに行くという予定がたっていたので、その前にアンゲロプロスの「エレニの旅」を見よう!と思い、初回11:30に間に合うよう息せき切って日比谷にかけつけたところ、立ち見/立ち見/立ち見の上に券売窓口前には大行列という状況。
なんでも「レデースデー」なるものが世間にはありそれが毎週水曜日なのだそうで、5/4はGWど真ん中休日なこともあってこんな有り得ない混雑になっているようだ。
前売を買いに走る余裕などない時間に到着しているため、すでにして一般1800円払うしかない状態なのだが、それでバカみたいに並んだ上、立ちでアンゲロプロスのクソ長い映画を観るのは消耗だなと思い、別の選択肢としてアレハンドロ・アメナーバルの「海を飛ぶ夢」を観るのはどうだと思ったのだが、これは「エレニ」を更に上回るド混雑。ホトホトうんざり。これじゃ男子にとっては劇場行く気がレデュース(reduce:(vi) 減る; 減量する)する日である。
日比谷を後にして別の映画を見ようと銀座を徘徊する。

しかし銀座のハコはマリオンもどこも蛇がのたくったように行列ができあがっていて、まあシネパトスなら女コドモは出入りすまいとも思うものの、「レジェンド/三蔵法師の秘宝」のために東銀座方面まで行くのもダルい気がしてしまう。どうせ4時には行くのだからと豊島園に転進。ああ、ムダな回り道で電車賃使ってしまった・・。
1時20分ころにユナイテッドシネマとしまえんに着き、キム・ジウン監督の韓国ノワール「甘い人生」を見る。
「ビョン様」などと呼ばれて変なロマンス映画っぽいものとかに出てるイ・ビョンホン主演の映画だが、「甘い人生」に関してはもちろんノワール映画だから見たのであって別段ビョン様に興味があるわけではない。「甘い人生」ってタイトルは一種の皮肉で、内実は暗黒街血みどろバイオレンス映画である。
マフィア親玉の愛人である若い女性のお目付を言い付けられた凄腕の男がイ・ビョンホンの演じる主人公。もし女性が他の男と密通をしていたら、すぐに報告するか相手を始末しろと言い付けられていたビョンホンは、女性が恋人と一緒に居る現場を抑えて一度は親玉に報告をしようとするが、つい目こぼしをしてしまう。このことで男はそれまでの順調な暗黒街人生を踏み外し、一転して親玉の復讐を受けることになる・・。「暗黒街の顔役」ならジョージ・ラフトの役柄かな?

予告編からはバイオレンスの間にこの女性とのロマンスが描かれるのかと想像してしまうのだが、女性との心情的交流はほとんど描かれず、とにかく「韓国人ってやっぱ流血好きなのかな」と思わずにいられない血みどろ脳漿飛散バトルが展開する。もうちょっとで人間を生きながら解体しそうな勢いのシーンさえあったが、そこまで行くのは流石にヤバいと思ったか。この暴力と悲惨渦巻く中に時折ヒロインの思い出が顔を出すため、大した思い出でもない割に美しく見えるのが演出の妙。報われない愛情は本人にとって(だけは)美しいものなのだ。
ここでもやはりレデースデー故におばちゃんが押し寄せており、映画前半でビョン様の上半身裸カットに眼福眼福という雰囲気が漂いかなりキモかったのだが、後半一転して極悪流血惨事の連続に、「あらまぁ」「あー」と劇場のあちこちから嘆息が。(ザマミロ!と思ったのは内緒)
この監督、映画上手いなあと思うし数々の興味深いショットなどもあるのだけど、肝心のビョンホンがラストあたりで泣きじゃくるのがいただけない。いや、人間なのだから泣きじゃくってもいいんだろうけど、ここでそれやったら「甘い俳優」に見えてしまうと思うのだがどうだろう。ここでハードさが一気に弛んでしまった。
黒めのユーモアも各所に入っており笑わせてくれる。(★★★)

映画がはけた後豊島園駅前のベンチでしばらく読書などした後、しおぴーさん、りいさんと合流して再びユナイテッドシネマとしまえんでジョナサン・デミ監督「クライシス・オブ・アメリカ」を見る。
ジョン・フランケンハイマーの1962年作「影なき狙撃者」のリメーク。私はオリジナルは見ていないのだが世評は良いようだ

暗号を電話なんかで言うと普段はふつうに生活してる人(実は洗脳されてる)が破壊活動を行なうってネタでは、他に「テレフォン」なんて面白いのもありました。今調べてみたらドン・シーゲル監督だったんですなー。
オリジナルは朝鮮戦争だが、こちらは湾岸戦争の戦功で英雄となった男が副大統領候補となりホワイトハウスに乗り込もうとする、しかしその湾岸での戦功は証言者たちに洗脳を施したことによるでっち上げであり、副大統領候補も母親の野望の道具として洗脳を受けたロボットに過ぎなかったという話。この母親がメリル・ストリープであり息子がリーヴ・シュレイバーというからかなりコワイ。リーヴ・シュレイバーのどことなく神経の細そうな顔だちって、あやつられて人殺ししそうな雰囲気あるからな−。
主人公のデンゼル・ワシントンも戦争後遺症+洗脳のために精神的に不安定であり、真相を追う過程でどんどん偏執狂的になっていく。ハタから見てると「タクシー・ドライバー」のデ・ニーロとあまり変わらん胡散臭さである。普通こういう映画では、不安定な主人公と対比して安定極まりないサブキャラが登場し観客をほっとさせるものだが、そういうキャラクターを一切配置しないジョナサン・デミは真性のS気質映画監督とみた。
ポリティカルサスペンスというよりサイコサスペンス、昔風にいうと神経衰弱系の映画である。(★★★)
一瞬「呪怨」よりコワく見えるカットなどもいくつかあった。
音楽は「サイダーハウス・ルール」「ショコラ」のレイチェル・ポートマン。こんな仕事もするんですねえ。

終了後は渋谷に移動し、ベトナム料理屋「ミス・サイゴン」で夕食を食べてからカラオケに。
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私は好きなように(特撮ソングとか)歌わせてもらいました。

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4月 24, 2005

ジョニー・トーが気になる。

お袋がなんかのクラブ活動の集会がホテルオークラで行われるとかで泊まりに来た。
工芸店セールのフライヤー制作を受注する代わり、制作費と宿泊費を取得。
先週以来口座に300円しかない状態でかなりの青色吐息だったが、給料日まで何とか持ちそうだ。

日曜午前中、ゴッホ展でも見ようと二人で竹橋まで出るが、ものすごい人出で30分待ちだといい、バカバカしくなってやめた。
クソ長い時間待たされた上、入ってみればラッシュ時の電車状態、ゴッホを見るどころかおっさんのハゲ頭ばかり見て疲れて帰ってくるなどという状況は折角の休日をつぶすにはもったいなさ過ぎると強弁、じゃあサントリー美術館でも見るかと赤坂まで出るが、なんか建物自体が閉鎖されていて、どうもサントリー美術館という館自体がもうないみたい。ちゃんとぴあでもチェックしてくればよかったとボヤきつつ、まあ折角ですからホテルオークラとか入ったことないんで中の様子でも見さしてくれい、と母にくっつき、親子二人してオークラの中を徘徊。空中庭園など見るが、どうも俗物臭が強すぎて好きになれぬ。こういう、いかにも日本庭園ですよと言わぬばかりのガジェットを並べてみてハイどうですかというような代物は、外見とは裏腹に最も日本庭園から遠いものではないかと思うがいかがなものか。
洋の東西を問わず造園術とはそれを作ったものの世界観さえ垣間見させるものであるべきで、例えば木村茶道美術館の庭などはその中を歩くだけである種の感興を催させるものがあるが、ここの庭などは歩けば歩くほど自分がバカ扱いされてる気がして来、だんだん腹さえ立ってくるから不思議である。
 #まあ、所詮ホテルの庭に変に期待をかける方が間違いといえばそうかもしれないが・・。
昼飯はもう一度地上に降りて康竜のラーメンを食。

母とは別れ、渋谷に出てジョニー・トー監督「PTU」を見る。
「香港ノワールの新星」なんてチラシに書いてあるのでL.A.コンフィデンシャルとか韓国ノワールみたいなのを想像してしまっていたのだが、見てみるとものすごく作家性の強い映画で驚いた。ジョニー・トーは、(蓮実重彦の「マイ・ボディーガード」評にならって言えば)「一目でそれとわかる彼ならではの文体」を持った映画作家のようである。
毎回腐った魚を踏んで転倒する腐敗警官、トボトボと人気のない夜の街路を歩き回る武装警官の一群、何を調べているのか良く分からない冷酷な美人警部とホストみたいなスーツと髪型の若い手下2人などといった連中が夜の町を徘徊し続ける映画である。ドカーンと突如弾けるクライマックスシーンまで、取り敢えず付き合うべし。
正直自分も中盤まではノリきれていなかったのだけど、見終わってみるとそれが実に勿体なく思え、もう一度初めから見てみたい!と思わせてくれる映画である。拾い物。
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見とけ!

ユーロで取ってきた気になるフライヤー。
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ベルリンを高所から見たらしき写真の上に、ところどころ紙が貼付けてあって実際にはない街の絵がエンピツ書きされているのを撮った写真ばかりが載っている。
数少ないテキストには

「19世紀後半、オスマン男爵はパリの大部分を取り壊し、その時代で最もモダンな首都を作った。/20世紀後半、戦争はベルリンの中心部を破壊し、広大な荒野を残した。/そして、それは、ベルリンの中心にアバンギャルドな建築を作るまたとない機会だった。だが実現されなかった。」

というのが5か国語で書いてあるだけ。なんとも謎だ!
「日本におけるドイツ年」となんか関係あるんでしょうか??

そこでペーパーの下の方にちっちゃく書いてあるURL(http://www.pointdironie.com/)を開いてみたら、フライヤーにも署名のあるYona Friedmanという建築家のプロフが出てきて、続けるとこのフライヤーの写真とそっくりのものが出てくる。
このpoint d' ironieについての説明文をざっと読んでみると、これは[アートについての]フライヤーではなく、[アーティストが作る]フライヤーなのだそうで、世界中に10万から30万部出ており、すべてフリーで配付されているそうである。なお、このフライヤー出版の主唱者でもあるアニエスbのショップでも入手できるとか。
ふーん、色んな芸術活動があるものだ。

関係ないが、「日本におけるドイツ年」を機に、ソーセージとザワークラフト以外に好きなドイツ料理を見つけたいと思っている日本人は一人わたしだけではあるまい。

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4月 18, 2005

銀座オーガニックカフェ会議〜「阿修羅城の瞳」〜あっさりスープパスタ

Mちゃんとその親友との三人で銀座のファンケルビルに入っているオーガニックカフェ(?なのか?)「泥武士」でランチ会。
20代ラストともなると、男女とも恋愛に慎重になり、その結果、清純異性交遊ともいうべきステータスのまま話が進展しないという状況になりやすいのではないか、
などなど。
はっきりいって私も中学生レベルの異性交遊には自信ありますよ!_| ̄|○

でも色々話聞いてみると、武勇伝なお兄さんも世の中にはいっぱいいるみたいですが・・。頼もしいお話です。

三越で買物するMちゃんらと別れ、大江戸線で豊島園へ。
ユナイテッド・シネマとしまえんで、滝田洋二郎監督「阿修羅城の瞳」見る。
映画としてはひとくちにいってひどくつまらない以上のことを特に語る気力がおきないような代物だったが、市川染五郎はよかった。ってこのあたりも映画そのものはどうでもいいが野村萬斎はよかった「陰陽師」に通じるものがある。これが今の滝田洋二郎路線なのか?ってよく知らないが。
髪をおろした宮沢りえも非常にカワイイ。
050417_cinema
写真はユナイテッドのロビーに飾ってあった、染五郎の劇中使用衣裳。
寺田克也のイラストみたいなのがプリントしてある。もっと趣味のいいのを着てた気がするのだが、どこで着ていたものであろう。

予告編では、ついに本編映像を使用した「亡国のイージス」特報が登場!
音楽が何とトレヴァー・ジョーンズ。「13デイズ」とか「ザ・ラスト・オブ・モヒカン」等でスコアファンの間ではつとに著名な燃え系作曲家である。
「スチームボーイ」でのスティーブ・ジャブロンスキー起用や、ゲームだが「メタルギアソリッド」シリーズでのハリー・グレッグソン・ウイリアムズ起用など、ハンス・ジマー傘下MV(メディア・ヴェンチャーズ)作曲家を起用するケースが最近増えているけど、邦画にもスコアにお金をかける流れが出てきているのかも。
もっとも韓国映画なんかを見てると「シュリ」とか「シルミド」なんかは臆面もないMV系パクりながらそれなりにMVっぽく鳴らしてるのに比べ、日本ではそういうノリの音楽もときに散見されつつ非常に印象薄だったりするので、せっかくだから本家呼ぼうや、ということなのかもしれない。

逆に日本から洋画に進出しつつあるのが川井憲次だが、IMDBで調べたところ目下ポストプロダクション進行中
となっているツイ・ハークの新作Seven Swordsにクレジットされているみたい。
おお、ドニー・イェンも出るようではないですか。これは見たい。
大きい仕事やってるなー。


050417_dinner
もう一本なんか見ようかとも思ったのだが、帰宅して晩飯を作る。
アスパラとブロッコリー、豚肉とエリンギの入ったスープパスタ。
りいさんのおすすめに従ってガーリック入れてみました。大佐、美味であります!

ところで、上記川井憲次の最近の国際的活躍をチェックするべくIMDB見てる時に気になったのが、出会い系バナー広告。検索キーワードなのかアクセス端末のドメインを見てるのか良く分からないが、広告文に日本語を、ビジュアルに日本人女性を表示するような設定になっているみたい。
imdb

しかし、
imdb_up
あまり日本人に見えない・・・。

ハリウッド流ということでしょうか。

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3月 29, 2005

プレミンジャーって・・

「素晴しき哉、人生!」といっしょに買った500円DVDで「黄金の腕」見た。
うーん、なんかプレミンジャーの映画って、浅薄な感じ。
深めようと思えば深められる主題を、露悪趣味が台なしにしているようなのだ。
→レビューは東京シネマホルモンblogに書きました

ビリー・ワイルダーは「第十七捕虜収容所」でプレミンジャーに俳優として出演を願ってるくらいだから、けっこうリスペクトしていたのだと思うし、あるいはワイルダーのノワール的作品(「失われた週末」とか)に影響を与えていたのかもと思うのだが、こういうのは今となっては古びてしまった作風じゃないのかと思う。

「野島伸司のドラマって10年後に見たらトコトン寒いだろうなあ」と思われるのだけど、そういう感じに古びてしまう作品というのがあるのだろう。(野島ファンの人に刺されるかな?^^;)
エルマー・バーンスタインはいい仕事してると思いました。サントラCDほしいなあ。

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3月 27, 2005

上映中事故とか予告編とか

午後から出社、打ち合わせ。今週くらいは普通に土曜休めるかなと思ったのだけど・・。
9時すぎに退勤し、チャリで東中野。そこから大江戸線に乗り換え、豊島園にあるユナイテッド・シネマとしまえんへ行く。
レイトショーで何か見ようという考えだったけど、終電を考えあわせると時間的にジャン・ピエール=ジュネ監督の「ロング・エンゲージメント」くらいしか見れないことが判明、それを見ることに。
前回「セルラー」を見た時に入会ポイントがたまっていたので、それで一回無料観覧することもできたのだけど、何となく今回鑑賞分はポイントを溜めることにして1,200円支払った。(後から考えるとこれは正解だった!)

終電ギリなこともあってか、土曜の夜なのに数人しか観客はいない。予告編ではポール・ベタニー&キルスティン・ダンスト主演の「ウィンブルドン」、それにイ・ビョンホン主演の「甘い人生」が気になった。
ウィンブルドンを舞台とした、落ち目男子テニス選手と世界第二位女子テニス選手のラブストーリー・・などといった設定の映画なぞ、普段の私からすれば百万宇宙キロ級(ヤマト単位)に縁がないはずだし、これがヒュー・グラント主演だとかトム・クルーズ主演だのというであれば「もし映画館にチャンネルが付いていたならば、いますぐ別のCHに回す」と思いさえするところだが、ポール・ベタニーが主演という点には魅力を感じる。
この人、個人的には「ロック・ユー!」で演じた詩人チョーサー役がベスト演技なのだが、他にも「ビューティフル・マインド」での"友人"役、「マスター・アンド・コマンダー」の博物学者役などでいい仕事をしてくれている、当世珍しく信頼できる若手である。
そういえば前掲2作でラッセル・クロウと共演していることから分かるように、頭の悪そうな主役wの脇で知的な役をやらせると実に光る人のようだ。そんな彼が主演のラブストーリーというのは、なかなか面白そうである。

「甘い人生」はキム・ジウン監督の新作。「箪笥」はいまだに見ていないのだが、予告編はすごーく面白そうなデキ。ノワールは好きなのでこれもぜひ見たい。ビョンホン目当ての韓流おばさんに一線を画しつつ鑑賞するには、やはり人の少なげなユナイテッドのレイトで見るしかないか?

さてそんな予告編が終了し、スクリーンがグーッと横に広がって本編・・という頃合に、「バツーン」と異音。
画面にワーナーのロゴが映し出された時、その異音の正体が発覚。
どうやらスクリーンの伸縮を司る部品の一つが外れたようで、ワイヤーで繋がれたバネのようなものが画面の左上方からぶら下がっているのである。
一瞬、ものすごく立体的な映像効果かと思った。
すぐに観客の一人がスタッフに告げに行ったが、本編はワイヤーを画面に少しばかりかけたまま進行。これどんな事態になるんだろうということの方が映画そのものより楽しみになってしまった。
何人か集まったスタッフが、映画進行中ながら、長い棒のようなものでワイヤーを突いて画面外に取りのけようと苦心惨憺している。どうやら視界にワイヤーが見えなくなったかなというとき、フイルムが突如停止、場内の照明が点灯される。

ここで、支配人らしきスーツ姿の若い男性が舞台下手側に登場。
「皆様申し訳ございません、ただいま映写機の不調によりまして、スクリーンに部品がぶら下がるという状態になりましたため、映写を一時中断させていただきました、これから復旧作業を・・」
あれはスクリーン周りの機械かなにかで、映写機じゃねえだろう、と思ってると支配人の後ろからジャンパー姿のスタッフがツンツンと肩を突き、
「あの、今ちょうど直ったところで、ワイヤーも画面の外に除けられたんで、上映できる状態なんですよ・・」
そうなの?という風にしばらくそのスタッフの顔をみた支配人、
「申し訳ございません、上映できる状態のようですので、再開させていただきます」
と再開を告げてすみやかに退場する。すると照明が落ち、フイルムが回りはじめた。

映画本編が終わってロビーに出るとさきほどの支配人が待ちうけており、
「申し訳ございませんでした、こちらに無料の招待券を用意させていただきましたので、どうぞ次回のご来場時にお使いください」
と、一回無料券を渡された。
正直、これを待ってました。

どうやら、上映中にささいなことでも事故があったらこうした対応をするのがシネコンの掟のようである。
昔ワーナーマイカル板橋で「コヨーテ・アグリー」を見ていた時も、上映中に3分だか5分だか音が出なくなった事故があり、まあ字幕は出てるのでストーリー理解には支障はないし、シーンも主人公のパイパー・ペラーポが入院した親父(ジョン・グッドマン)を見舞いに行く、というようなくだりで「ボインの女の子が酒場のカウンター上で踊るのが見せ場」というあの映画の中にあっては、最もどうでもいい部分に属するシーンであったにも関わらず、やはり映画が終わってロビーに出た観客を集めて、一人ずつにきちんと無料券を配ってくれた。
こうした対処を迅速に淀みなく行うことで「快適な状態で映画を鑑賞してもらえる場」というブランド価値を守ろうという腹なのであろう。
こういう対処を初めてしてもらったときは結構感動したものだが、二回目となると何か「そういうものなのだろう」と思ってしまうものだ。

そういえば学生時代に池袋文芸座で、田中絹代監督の映画というレアな作品を鑑賞中、フイルムが切れまくって2度も3度も中断したことがあるが、その時は館側からのお詫びもなにもなかった。
でもそれはそれで「そういうもの」と我々観客も受け入れていたのであって、逆に50年以上前の映画のフイルムが切れたからといって怒るような奴がいたら、どうしようもない野暮ヤローだと思われる。
シネコンのスタンスはスタンスで立派なのだが、彼らの提供する価値が唯一のものではない。ここを履き違えて何でもかんでも「快適な鑑賞環境を提供するのが劇場の務め」なぞとバカなことを言い出す輩が増えないといいがなとちょっと心配になってしまうのだった。
「自分は流れに沿ってる」と考えてる時の日本人ほど傍若無人なものはないからなあ。

それにしても、実質映画代がチャラになった上にポイントも溜まり、さらにまだ無料鑑賞分のポイントも残っているという状態なわけで我知らずベストの選択をしたことになる。神に愛されているとしか思えない。(こんなことで?^^;)

あ、映画のデキ?
んー、ジュネらしくキッチュな味を残した超大作でした。
といってもデリカテッセンとか見てないし、いまいちジュネらしいってのが何なのかよく知らんが。(なげやりー)

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3月 21, 2005

ZOFFでメガネ新調〜アーサー・ベンジャミン〜映画「サイドウェイ」

ミュシャ展の後はドトールで一息つき、池袋に移動。
踏みつぶしてツルが壊れて以来ゆうに3ヶ月以上経過しているメガネを新調すべく、池袋メトロポリタンプラザ内にある激安メガネ店、ZOFFに。よくは知らんがメガネ界におけるスーツカンパニーみたいな動きなんでしょうが、レンズ込みで5,000円台、7,000円台、9,000円台の3プライス制というお店。池袋の町をよく見てみると他にもこういうレンズ込み3プライス制度のお店がいっぱいできているが、そっちはスーツセレクトとかみたいなものなんだろうか。しかし私の度の強さはこうした制度に当てはまらないのであって、圧縮レンズを特注するため5,000円台のランクで買物をしても結局12,500円はかかってしまうのだった。
まあこれまでは一発注40,000円とかしていたのでそれでも半値以下に済んだと喜ぶべきですが・・。特注のため受け取りは今月末日まで先送り。ああ、目が悪いというのは罪なのですねえ。キングサイズしか着れない男子の悲哀とは想像するにこんな感じなのか。

同ビルのHMVでCD二点。名手ピエール・ローラン・エマールとアーノンクールのコンビによるベートーヴェン:ピアノ協奏曲全集と、NAXOSのティントナー・メモリアルエディションよりグレインジャー/ベンジャミン他による管弦楽小品集
エマール(先般出たドビュッシーは素晴しかった!)のベト協奏曲集は今さらと思われるかもしれませんが、輸入盤が安かったんで・・。
ティントナーはこれまで全く手をつけてなかった指揮者だし、パーシー・グレインジャーにもさほどの思い入れはないのだけど、アーサー・ベンジャミンの作品が収録されているのに惹かれた。

アーサー・ベンジャミンは、映画ファン・・ことにヒッチ・ファンなら一度はその作品に触れているであろう作曲家である。かの傑作「知りすぎていた男」のクライマックスはロイヤル・アルバート・ホールで催される音楽会のシンバル音に隠れたピストル暗殺計画であるが、このときバーナード・ハーマンの指揮のもと演奏されている曲こそアーサー・ベンジャミンの作曲したカンタータ「ストーム・クラウド」なのである。
この演奏効果バツグンの音楽を映画で耳にし、さらにヒッチ映画サントラなどで繰り返し聴いていた私にとってはアーサー・ベンジャミンの他の作品はどんなものか?というのが長年の(それほどでもないか)疑問なのだった。
このティントナー盤に収録されている作品「ノース・アメリカン・スクエア・ダンス」はいかにも聴きやすく毒気のないノリノリ舞曲で、作曲家の如才なさを思わせるものである。(別にけなしているわけではなく、そういうクラシック音楽はけっこう好きなのですよ)
ライナーを読むと、アーサー・ベンジャミンは1893年に生まれオーストラリアで育ったピアニスト/作曲家/指揮者であったという。オペラから映画音楽まで数多い作品があるが、最も知られているのは"Jamaican Rumba"という曲だそうだ。検索してみるとスターンのヴァイオリン小品集におさめられているようなので、器楽曲なのだろう。(ハープ版の楽譜もあるようだ・・・いや、演奏してほしいなどと言ってるわけではありません)

書き過ぎて、あまり触れる余裕がなくなってしまったが、最後に池袋テアトルダイヤでアレクサンダー・ペイン監督「サイドウェイ」を見た。
とにかくポール・ジアマッティ演じる主人公のチキン男ぶりがもう他人事ではなく、わが身には痛すぎる映画であるが、一般的にはさわやかな笑いを呼び起こすかもしれない"パッとしない男"同士のロード・ムービー。
特に別れた女房が再婚したことを自分が最後に知らされた時のジアマッティの自暴自棄ぶりは一見すべきである。「どうせぼくはチビでみんなののけ者なんだ!」と叫び、落ち着けよとさとすトーマス・ヘイデン・チャーチを尻目に、ワインをラッパ飲みしながら田舎の坂道を駆け降りてくる時のあの歩幅の狭さ。「殺人の追憶」のソン・ガンホが見せる飛び蹴りとは違った意味で、しかし同じくらい笑った。
「サイドウェイ」については町山智浩氏によるペイン監督インタビューも参照。
ワインおたくの自称作家が昼メロ主演の三流俳優と連れ立ってワイン飲んだくれ旅行という設定のため、観終わったあとに自分でもワインが飲みたくなり、コンビニで安ワインを買って飲んでみたら美術館で歩きまくった体の節々が痛くなってきた・・というあたりで、一日のオチがついた感じ。

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3月 16, 2005

THE JUON

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ってタイトルつけてるのに自炊画像貼る奴。
豆苗を使った料理をなにかやってみようとスーパーで買ったときは思っていたのに帰ってみるとめんどくさくなってただの野菜炒めにブチ込んだだけにしてしまい、あとはもずく&なめこでビールを飲んだ。

公開がまもなく終わってしまうため、新宿シネマミラノで清水崇監督「呪怨 / THE JUON」見る。
「呪怨」シリーズはオリジナルビデオ2作の時から見てるので、もう毒食わば皿まで。
基本的には同じストーリーが繰り返されるシリーズなのだが、今回は原則的には劇場版第一作目のリメークだった。
「リング」シリーズにおける貞子にあたるモンスター、伽椰子(こんな字だったか)は同じ役者さんが演じているようだし、メインに座っている役者は変わらない。ようは外人が呪いの連鎖に接触しても同じことが起こるよーん、ということのようだ。コウェー。

もう何度も同じ家が出てくるので、シリーズのファンはもう呪いの家の間取り図が頭の中で描けるようになっているはずだが、ちょっと今回の建物はリミックスしているような気がする。あと何年かこのシリーズの人気が続くようだと、どっかのアミューズメント施設に「呪怨の家」ができちゃうかもしれない。
絶対に足を踏み入れてはいけない場所はあきらかに天井裏であろうが、なにげに一番効果的なのはおそらく何も起きていない時の玄関ホールの階段だろう。なんかあるんじゃないかという緊張感がかなりコワイ・・・
でも、真の恐怖はアミューズメント施設から自宅に帰ってからだったりして。
家の留守電を聞いてみたら無気味なうめき声が・・・とか。ヒィ

そういえば、ちょっとしたことだけど今回のハリウッド版は効果音の隅々に例の「うめき声」がかぶせられているように感じた。ひょっとしたら、いつもよりも更に技術的に手の込んだ雰囲気作りをしているのかも。

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3月 07, 2005

月島もんじゃ〜「セルラー」〜豊島園タッポスト

一日フルの休みをこのところとっていなかったため気が抜けたのか11時近くに起きてしまい、月島11時半集合にかなり遅れてしまう。集合した皆様申し訳ありませんでした。
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本日は会社のOGと同僚で集まり、ブラピも来たという月島の路地裏もんじゃ「もん吉」でランチ会なのだった。
画像は納豆生イカもんじゃ。昼ビールともどもうまかった。
もんじゃの後は晴海トリトンまでお散歩し、中のROTIGRILLってお店でコーヒー&ケーキを堪能しつつ、新婚さんの旅行写真を見せてもらいながら妙齢のOGお二人とひたすらツッコミを入れるという「男おばさん」みたいなノリの私であった。

長きに渡ったダベりからあがった後は豊島園に移動し、ユナイテッド・シネマ豊島園でデヴィット・エリス監督「セルラー」鑑賞。
→レビューはこちらに書いたので繰り返すこともあまりないのだが、あえて書くなら、キム・ベイシンガーが誘拐犯から逃れようと決死のダッシュをするシーンで、脇を締めて二の腕を固定させたまま手を右左にやる、いわゆる女走り

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・・こんな感じ・・

で走っていたことである。
妙に思えて緊張が少しユルんでしまったのだが、あれは致し方ないことなのか、ヒール履いてるとどうしてもあんな感じに走るしかないのか、と不思議に思ったものである。
りいさん、しんさんとの3人組で映画見るのは「大統領の理髪師」「ローレライ」にひき続いて3週目。
このグループ、シネマホルモン倶楽部より余程活発である(^^;)というかあちらはほぼ団体活動休止に到っているが・・。

終演後は食いしん坊の間では超有名な予約至難ピザ店というタッポストへ。
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えびのアーリオオーリオ
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海苔とクリームのパスタ

なぜかピッツァの写真だけないが(^^;)、めちゃウマでした。
聞けばナポリ風ピッツァとのことで、ローマの薄皮パリパリに対してナポリ風は耳のあたりがもっちりしてるもんなのかなあ、と納得。
接客もお姉さんがキビキビしてて、それを見てるだけで心愉しいお店なのでした。
それにしても私にはありえないほどグルマンな日である。

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2月 28, 2005

「エルムの鐘」響コンサート〜映画「ローレライ」試写会

このときのエントリで予告した通り、なかのZERO大ホールで行われた、ブログ「ばよりん生活」こやまさんが出演しているアマオケ「エルムの鐘」響のコンサートに行ってきた。

演奏はもちろん楽しかったけど、学生時代にセカンドばよりんをやっていた奥様(私のじゃないが)と共に行ったので、演奏中のオケ観察批評が聞けたのも面白く、ハイドン「ロンドン」(やはりこの曲は聞く度にホレ直すなあ)の熱気あふれる演奏を聞いたのちの後半では2列目という至近距離に接近、おかげでプロコの5番は熱気が伝わりすごくよくて、予習の時にピンとこなかったのはアシュケナージ盤の演奏が悪いに違いないと断罪、演奏会終了後にはタワレコ新宿に駆け込んで世評高い小澤/ベルリン盤を購入してしまったほど。
先に、同じ演奏会の流れらしいおじさん二人がプロコの交響曲を漁っていた。うーむ。
楽しまさせていただきました(^^)

一緒に「RHYTHM IS IT!ベルリン・フィルと子供たち」のサントラ(ラトル指揮の「春の祭典」だけでなく、オリジナルスコアとあの映画のテーマ曲とおぼしきドイツ語ラップも入っている)
その足で新宿厚生年金会館に移動、樋口真嗣監督の映画「ローレライ」試写会。
けっこう娯楽作としては楽しめる。感想については手抜きで申し訳ないが以下、図書館MLに投げたのを取急ぎ貼らせていただきます(−−;)

続きを読む "「エルムの鐘」響コンサート〜映画「ローレライ」試写会"

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2月 07, 2005

「RHYTHM IS IT! ベルリン・フィルと子供たち」

休日出勤をはやめにあがって、渋谷ユーロスペースでりさんと待ち合わせ、ドキュメンタリー映画「RHYTHM IS IT! ベルリン・フィルと子供たち」を鑑賞。
わじゃさんの「LA DOLCE VITA」をあらかじめ読んでいたので、主役はベルリン・フィルというよりは子供たちであるのだろうと踏んでいたのだけど、はたして映画はダンスに慣れていない子供たちが強烈な個性のイギリス人振付師ロイストンに率いられつつ、困惑と不安、照れ隠しと反発の中から「踊る」という表現を立ち上げていく様子を描いている。もちろん、ラトルが振るベルリン・フィルの「春の祭典」リハ風景もあってそれはそれで大いに燃えるんだけど、主役はあくまで子供たち。
かれら子供たちのもつ揺れやすい可能性が一つの表現に打ち込んでいくことによって、何かが創造されることの素晴しさこそ、この映画の主題であると言えるかもしれない。

途中でベルリン・フィルの音楽監督にしてこないだ私がすれ違ったサー・サイモン・ラトルのインタビューが入るのだけど、ラトルのことがますます好きになるような感じ。
彼があの変なまゆ毛(^^;)の下に魅力的な灰色の瞳を2つ輝かせながら、3歳のときに両親からドラムをもらったことを語り、それを叩いたときから「自分はこれをやっていこうと思った」と語る口調を見るにつけ、「天才」とは何かを確信できることであり、その確信を揺るがさず我が道をゆくことができるということなのではないか・・・と思われるのだった。
彼のような人が「芸術は人生に不要なものではなく、むしろ必需品なんだ」「クラシックはお年寄り夫婦のものだと考える必要はない、クラシック音楽はみんなのものだ」と語り、こういう教育活動をひろげていこうとする姿には勇気づけられるものがある。
子供たちの踊る「ハルサイ」という事にこだわって音作りをしていくあたりも、この人が信用できる人だなあと思わされるところだ。
ものすごく突抜けた映画的感動があるわけではなく、250人の主人公たちも別に「リトル・ダンサー」よろしく飛翔していく主人公が出てくるわけではない。でも踊りを始める前は人の手も握れなかった青年が、「スタジオに通ってみようと思うんだ」と告白したり、学校の成績が思わしくない少女が「明日からどうなるか、いい成績がとれればいいけどね」という言葉を、でも練習を始めた頃とはうってかわった瑞々しい笑顔で語るのを見ていると、このプロジェクトが単なる芸術教育ではなくて、振付師が語ったような「人生のレッスン」になり得た事に感銘を受ける。
音楽は始終すばらしく、楽しいドキュメンタリー映画だった。

終了後は新宿に行って、アルタ地下のフランス料理食堂(食堂って感じがぴったりくる気軽なお店)で晩ご飯。
内蔵の煮込みとか、イワシのサラダがうまいうまい。
出勤はしたものの、幸福なシメで終えられて満足なのでした。

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2月 06, 2005

ギンレイづくし

かつて名画座、今は二番館として営業を続けている飯田橋ギンレイホールが30周年を迎え、なかのZEROで名画ポスターやスチール写真展を開くということで行ってみることに。
大学時代は池袋文芸座に通いつめ、オールナイト興行のバイトもした私は圧倒的に名画座・二番館びいきのつもりでいたのだけど、ここ数年めっきり二番館に行くことが減り、またギンレイホールにも行ったことがなかった。
そんなことでは失礼なので、ポスター展の前にまずは実際にホールで映画を見るべきであろうと考え、りさん推薦の「ピエロの赤い鼻」を見ることにした。
りさんがこの映画をどれだけすすめているかと言えば、「起きられるか心配だけど見に行ってみまーす」とMLで表明したところ、9時すぎに携帯にモーニングコールがかかってきたほどである(^^;)マメすぎます!

ということでジャン・ベッケル監督の2003年作「ピエロの赤い鼻」感想については、けっこうご無沙汰の東京シネマホルモンblogに書いた。→該当記事こちら

終演後は神楽坂の喫茶店で一服、つづいて中野へ戻り、なかのZEROホールでギンレイの所蔵していたポスター群を鑑賞。「キートンのセブン・チャンス」からウディ・アレンの諸作、なんと「だいじょうぶ、マイフレンド」のポスターまでありました(^^;)
個人的には「太陽を盗んだ男」「新幹線大爆破」のスチールに発奮!
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「新幹線大爆破」は何とフランス版のポスターであり、俳優陣も「ケン・タカクラ」「ソニー・チバ」などとなっていた。ここらあたりはよく見られるところだが、「ライタ・リュウ」「ケン・ウツイ」なんてクレジットはなかなか見れんだろう。

また、ヴィスコンティ監督の傑作「地獄に落ちた勇者ども」のポスターにおける大衆週刊誌的コピーにも笑った。
いわく、

「世界支配をめざすナチス・ドイツを動かした巨大な狂気と魔性!
 金髪の人間獣、ホモ・セックス
 恐るべき大量殺戮・・・
 巨匠ビスコンティが激情で描いた壮大な血の交響楽!」

まるで石井輝男映画のコピーである(^^;)
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ダメ押しのように、映画前半で登場する、マレーネ・ディートリッヒのコスプレをしたヘルムート・バーガーの写真に添えられたコピーなどは

「これがヒトラーを動かしナチス・ドイツの第二の人物となった男だ!」

などと、著しく羊頭狗肉(笑)。
恐らく、世界的巨匠の芸術的傑作を鑑賞するというノリとは全く違った層を取り込もうとしたポスターなのであろう。眉をひそめる人士も多かろうが、映画は展覧会の陳列物であるよりも見世物興行であり続ける方が美しいという見方をすれば、かなりステキなポスターに思えてくるではないか。

これはこれとして、フェリーニやパゾリーニなど他のヨーロッパ映画の巨匠のポスターは、なかなかアートっぽく凝ったものが多い。
たとえばルイス・ブニュエル監督の「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」はこんな感じだ。
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スコセッシ監督作品のポスターを見ていて、スコセッシをスコセッシと呼ぶようになる以前の読み方がなかなか興味深かった。マーティン・スコシージっていう表記はこれまでにも見たことがあったけど、これは・・・

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拡大してみよう、見えるかな?
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・・・マーチン・スコルセーゼ。

誰やねん

もっとも、素直にMartin Scorseseってつづり読んだらそうなるかな、とも。

では、最後にオリジナル看板絵展示から、クリストファー・リー主演の「吸血鬼ドラキュラ」絵を見つつ、
サイナラ、サイナラ、サイナラ。

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1月 31, 2005

1月も終わる〜「ブローニュの森の貴婦人たち」「マイ・ボディガード」鑑賞などなど

1月最後の週末。
土曜日は起き抜けに、買って久しく積んだままになっていたロベール・ブレッソン監督の'44年作「ブローニュの森の貴婦人たち」をDVDで見る。
のちにブレッソンの名を不朽のものにした諸作(「抵抗」「バルタザールどこへ行く」「少女ムシェット」など)の寡黙さにくらべてしまうと、ジャン・コクトーの書いた台詞によるこの対話劇はすこし饒舌すぎるように最初は感じられたものの、登場人物たちの微細な心の移り変わりを丹念に描く筆致や、マリア・カザレスが入念にすすめる手練手管の数々には、作品世界の隅々まで行き届いた監督の強靱な意志が感じられる。
マリア・カザレスの仕掛けた罠にはまったポール・ベルナールが駐車場から車を出そうとするも、方向転換のために何度も車を前後させねばならず、そのたびに勝ち誇ったマリア・カザレスが車窓に何度もフレーム・インしてくるシーン。こいつにはスゴく感銘を受けた。やはりこういう神話的な作品はフイルムで見たいもので、途中で電話がかかってくるような環境ではダメである。

午後はベランダの水洩れ修理が急遽入り、その後うだうだしているうちに、元グリークラブ連中の飲み会の時刻になって池袋西口に出る。ウエストゲート側の、泡の国が林立し立ちんぼさんたちがたむろする怪しげな道々を抜け、後輩が跡取りをしている某割烹に着、数々の日本料理に舌鼓をうちながら思い出話や歌に興じる(←他のお客さんにはかなり迷惑)。意外とコダーイ合唱曲のマジャール語がスラスラ口ずさめて自分でびっくりした。二次会として3人くらいで馬場で飲んでから帰宅。

日曜はやはり昼ころに起きだし、しばし「グリー100年史」に寄稿する原稿をまとめてから新宿へ。りさんらとトニー・スコット監督「マイ・ボディガード」。トニーの監督よりブライアン・ヘルゲランドの脚本が私的には注目だったのだが、やはりいい仕事していて、印象的なセリフがいくつもあった。演技陣もすばらしく、「大きい演技派とちっちゃい演技派」の取り合わせともいえるデンゼル・ワシントンとダコタ・ファニングは言うまでもなく、傍役のクリストファー・ウォーケンやラダ・ミッチェル、レイチェル・ティコティン(後者ふたりは初見)なども良い。
一際イイな〜と思うのは、ケーキ好きの元インターポール捜査官として出てくるジャンカルロ・ジャンニーニ。「ハンニバル」では腸を引きずり出されてパラッツォ・ヴェッキオのベランダから吊るされるヒサンな役だったが、今回は重い話に必ずほしいヒョウヒョウとした役どころを絶妙の安定感で演じていたのでした。
→東京シネマホルモンblogに書いたレビューはこちら

終演後はみなさんで歌舞伎町のあやしい裏通りにある美味中華「上海小吃」でディナー。まったく出てくるもの出てくるものみな旨く、りさんの選球眼の確かさに感心しながらバクバク食べる。やはり食べ物の神様が憑いている人が一緒にいると強いのである。
話題はあっちゃこっちゃ広がりながら4時間くらい飲んだり食ったりしていたが、中で途中参加されたしおぴーさんから
形而上的人格だよね」
という人物評をされたことが印象深い。

実をいえばこれ、いっぺん言われてみたかった表現なので言われてとっても嬉しかったんだけど、よく考えてみると
「世界における観念の有効性を信じ続ける人間」というあたりの好意的意味から、
「こんなことだからロクに女の子にモテない」というあたりの意味まで、
非常な振幅のある表現だなーと思われるのである。

まあ、一般的には後者の意味でしょう。

誰か拾ってください・・・ <この話のオチを(^^;)

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1月 26, 2005

アカデミー賞ノミネート

アカデミー賞ノミネート作品が発表されたようだ。

→Yahooムービーニュース

うーん、見てない&まだ見れん作品ばかり。

今回、スコセッシがハワード・ヒューズを題材に撮った「アビエイター」という作品が11部門ノミネートというのが話題らしい。
天下の変人富豪として名高いハワード・ヒューズの伝記映画というのはかなり見たくなるネタだが、スコセッシとディカプリオの組みあわせはいかがなものかとも思う。ただ、ケイト・ブランシェットの演じるキャサリン・ヘプバーンは見たいですな。
ヒューズには自ら監督した「ならず者」という西部劇映画があるが、主演に抜擢された超ボイン女優ジェーン・ラッセルにメロメロになり、ろくに演出もしないで彼女の胸を強調する撮影法を工夫しまくってヒンシュクを買ったという。「市民ケーン」の伝説的撮影監督グレッグ・トーランドに「ラッセルのブラウスの奥まで覗けるような撮影方法を考え出すよう命じ」たというから笑える。→引用元こちら
スコセッシのことだからここらのエピソードは当然撮ってくれるものと期待しているが、その場合ジェーン・ラッセル役は一体誰がやるのかということが目下最大の関心事である。

→「アビエイター」公式サイト

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12月 31, 2004

2004ベスト5&見た映画

書きまくって保存しようとしたらMacが凍った・・・(^^;)

復旧するのも気が遠くなるので、とりあえずベスト5をメモ。あとでメンテするかもです。

ベスト1:「オアシス」イ・チャンドン監督
 「ペパーミント・キャンディー」「グリーンフィッシュ」など、傑作しか撮らないイ・チャンドンの最新作。ムショ出のソル・ギョングが豆腐を食いながら牛乳を飲むファーストシーンから濃密な映画時間が流れている。

ベスト2:「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」ピーター・ジャクソン監督
 究極の「映画化」。最後にホビット庄に帰るサムの姿はこの三部作を見切った僕らの感情そのものだ。

ベスト3:「ミスティック・リバー」クリント・イーストウッド監督
 あっと驚くラストの後に続くグランド・フィナーレのようなパレードシーンは映画史に残る。

ベスト4:「ドーン・オブ・ザ・デッド」ザック・スナイダー監督
 この映画の速度に惚れた。昨今展開の速いかに見える映画なぞいくらでもあるが、実は短いだけだったり撮るべきものを撮ってなかったりしてスカスカだったりするのであって、この映画の速度とは違う。

ベスト5:「永遠の語らい」マノエル・デ・オリヴェイラ監督
 オリヴェイラの映画見てて寝なかったのは初めてだ(^^;)マルコヴィッチが世界を繋ぐ素敵な空間。しかしその破局はあまりにも強烈で、現代に落ちる暗澹とした影をかいま見させる。それもやっぱりマルコヴィッチの顔だったりする。

 新作は洋画邦画あわせて47本。これじゃBEST10はとてもつけられない。「CASSHERN」(←ってつづりでいいんだっけ)とかクソ映画も見てしまったし。ほかに黒木和雄の「父と暮らせば」、ジェームズ・アイヴォリーの「ル・ディヴォース/パリに恋して」などは面白かったと思う。

 旧作はビデオやCS、劇場で何本か面白いのを見た。石井輝男の「黄線地帯」、ジョセフ・ロージ−の「パリの灯は遠く」、伊藤大輔の「弁天小僧」など。

 それにしてもベスト5作ってあらためて眺めると、なんか映研っぽくて鼻持ちならない。もっと裾野広く見たいんだけど、どうしても映画費絞ってる面があって何とも。「華氏911」とか「スウィングガールズ」とかは例年だったら絶対見てると思うんだが。

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11月 28, 2004

ルネサンスな休日

現在開催されている「フィレンツェ 芸術都市の誕生展」のチケットがあったので、シャンテ・シネの映画「ジョヴァンニ」と合わせて鑑賞することで、今日という日を「ルネサンスなモノを見る日」にしてみようと思い出かけてみた。

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上野の東京都美術館で行われている「フィレンツェ 芸術都市の誕生展」は、絵画や彫刻の傑作群というよりそれら豊穣な芸術を生み出した場としてのフィレンツェ文化を見ていく企画展。呼び物としてポライウォーロの「貴婦人の肖像」とミケランジェロの「磔刑のキリスト」が挙げられている。しかし単なるルネサンス美術ミーハーとしては、これら呼び物からあまり感慨は得られない。特に後者はミケランジェロというと思い浮かぶ豊穣な肉感や生き生きした動線が、主題が主題だけに全く感じられないものであり、色合いのせいもあって「なんだか切り干し大根みたいだな」と罰あたりな感想を抱いてしまった。まあよーくよーく見つめてみれば引き延ばされ釣り下げられた肉体の描写に常人ならざる表現力をそれなりに感じはするのだが、あくまでもそれなり。「ダヴィデ」とか「モーゼ」とかのあまたの傑作を見てる目でこれ一品を見てもうーんという感じ。

続きを読む "ルネサンスな休日"

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11月 08, 2004

小説「ランドマーク」〜漫画「夕凪の街、桜の国」〜映画「2046」

ここんとこ読んだ本。

吉田修一の最新作「ランドマーク」は、

村上龍絶賛!「倒壊の陰にある希望、裏切りと同意語の救済。閉塞と共存する解放、虚構に身を隠す現実。」

というのがオビの売り文句なのだけど、到底絶賛できるシロモノではないと私には読めた。
(1)何の肯定も否定もなくただ生を繰り延べることに飽いた青年がインターネット通販で男性用貞操帯を入手し、それを着用しながら大宮の空にそそり立つねじれたランドマークタワーを建設する。
(2)この特殊なランドマークタワーを設計した建築家は、妻と愛人との二重生活を続けていくが、それぞれの関係が微妙なズレを重ねていく。
という二つのプロットがらせん状に屹立する建築を巡って進んでいくのだけど、正直、安易な類比構造に思えてしまう。こんなふうに観念的な仕組みを露出するのではなく、もっと描写で自然に見せてほしいと思うのは勝手だろうか?
吉田修一自体は好きなんだけど・・・。まぁ、次作に期待すべきか。「長崎乱楽坂」もまだ読んでないな。

こうの史代のコミック「夕凪の街、桜の国」は、しおぴーさんにすすめられて読んだ一冊。
中野の麺次郎でみそつけ麺食いながら読んでたら、突如こみあげるものがあって店内で号泣してしまった。
これは平和の主張を叩き付けるような作品ではない。
あくまでも静かに、人間の悪意の総体のごとき「核攻撃」という巨大な抹殺行為に直面してしまった普通の人達が、
どのように生きていき、どのように生を終え、そしてどのように今も生き続けているのかをささやかに描いた珠玉の小品である。
これを読んで、私の「20代のうちにやっておきたいことリスト」に「広島に行く」が加えられた。

ウォン・カーウァイ監督の最新映画「2046」も見たんだけど、そっちの話は→東京シネマホルモンblogにて。

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11月 05, 2004

「山猫」?歌舞伎町のスキ間の上海小吃

(11/3のお話)休日出勤をはやめにあがって、新宿テアトルタイムズスクエアでしおぴーさんゴッゴルshinさんらとルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「山猫」を観覧。
「山猫」については以前のエントリでも書いたが、巨匠ヴィスコンティの大作であるのみならず、私が高校生のころに歴史小説を書いたこともあるイタリア統一運動を材にとった映画であり、最愛の映画作品のひとつ。
もとよりVHSソフトで持っているのだけど、今回の「イタリア語完全復元版」はVHSソフトでリリースされている「英語国際版」よりもずっとシーンが増えていて、圧倒的な深みであった。絵づくりもすばらしく、序盤のアラン・ドロンが館を出立するシーンの非常な美しさには涙が出そうになってしまう。
ランカスターのすらりとした立ち居振るまいも完璧であり、服飾もすばらしい。
もちろんニーノ・ロータのスコアは胸打ち震える傑作!

ジャン・ピエール・メルヴィル監督の「いぬ」なんかで出てきたイイ顔のフランス俳優、セルジュ・レジアニがブルボン家に忠誠を尽くす狩人の役をやっていてすごーくイイ味を出してるのだけど、彼の連れているハウンド犬がまたいい。
そういえば「カリオストロの城」に出てくるみたいな大きな黒犬も出てきて、画面にアクセントを与えていた。あーゆーのを平気で部屋ン中で飼ってるのも貴族ゆえか。

映画がおわった後は高島屋のイタリア料理店でビール一杯目を飲んだあと、り先生(って書くと中国の人みたい)と合流、新宿歌舞伎町の区役所通りにある、かなり穴場チックなお店「上海小吃」で晩御飯。
bnr_shanghai.gif

三池崇史映画に出てきそうなうさんくさい店(^^;)味は良い。

35歳までの3人以上のグループは、飲み物(ビール・紹興酒以外)の持ち込み自由です。

なのだそーである。今度なんか持っていこーっと。
上海でも数少ない国家特級厨師の資格を持つシェフが作るその料理は、なんと600種類以上あり、本場の味そのまま。

ということなのですが、常連であるshinさんらによると、頼んでみると「今それナイよ」って言われることも多いとか(^^;)

帰宅したらケリー敗北宣言の一報が!うーん、脱力。
ブッシュ支持者の72%が、いまだにイラクに大量破壊兵器があったと思っているんだそうだ。こういう「超大国の田舎者」たちが世界のキャスティングボードを握る時代の恐ろしさはどうだろう。こういう事態こそ問題にされるべき情報格差であり、憂うべきリテラシーの欠如である。
テクノロジーは世界を覆ったが、ある意味社会における階級構造は100年前に逆戻りしつつあるのかもしれない。などと、「山猫」劇中でインチキ住民投票に怒るセルジュ・レジアニのオーバーアクションを想起しつつ思うのであった。

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11月 01, 2004

広尾で結婚式~「is A.(イズ エー)」

会社同僚の結婚式で広尾へ。
社内恋愛の後に結婚した二人なので、社長以下たくさんの社員が参列する人前結婚式である。
奥さん(と呼ぶ日が来るとは・・・)の方が松本幸四郎を宗家とする日舞一門の娘さんのため、なんと新婦側来賓には幸四郎の奥様と、松たか子のお姉さんである松本紀保さんが臨席。そういえば昔、お姉さんの方が出てる「ラ・マンチャの男」を見に行ったことがあるぞ。幸四郎や松たか子からも祝電が届いていたり、すげー。
という席でいきなりスピーチを頼まれ、かなり緊張すべき事態であるにも関わらず酒がまわっていたせいでなんかユルユルと喋ってしまった。
今日結んだ「契り(ちぎり)」を「絆(きずな)」に育んでいってほしい・・・というようなコトを言いたかったのだが、後でなんだか周りの人に「契約って字がどうだとか言ってた?」なんて聞かれたりして、どうもうまく伝わっていなかったようだ。う~む。
ところで会場はラ・レゼルブ・ドゥ・ひらまつって場所で、私は全然知らなくて普通にレストランでやる結婚式だと思ってたのが、超有名な高級レストランと聞いてびっくり。
出てきた料理もなんだかよくわかんないくらいこったものだったので、後ほど写真でもアップします。

ちょっともらい泣きしたりして、いい結婚式だった。
広尾のアンミラで列席者同士お茶した後に渋谷に出て、ユーロスペースで藤原健一監督「is A.(イズ・エー)」を見る。ファミレス爆破という重大犯罪を犯しながら、「少年A」という呼ばれ方をして法的制裁から保護される10代の少年とその父親(内藤剛志)、その少年により幼い子供を殺された刑事(津田寛治)のストーリー、なのだが、正直言ってそのストーリーの末路がまったく納得できない。こんなことでいいのか!?

なんだか午前中の結婚式から受けた幸せオーラの揺り返しと「is A.」の納得のいかなさ、それに最近の自分の個人的悩みが折り重なってすっかりブルーな気分になってしまった。
久しぶりに立ち寄ったHMVで、チェリビダッケの振るモツレク(モーツァルトの「レクイエム」)を購入したのだが、これがあまりにもその時の自分の心境にマッチしすぎ、ウォークマンで聴きながらすっかり没入してしまった。
チェリビダッケのあのテンポの遅さもモツレクも、普段そんなに好きではないのだが、あながち心境とのシンクロのせいばかりでなくこれは大いにハマっている。これまで聴いた中で最高のレクイエムかもしれない。

「中国の大盗賊・完全版」はようやく第5章の「これぞキワメツケ最後の盗賊皇帝-毛沢東」まで来た。旧版では政治的事情からかなりの部分が削除されていたという章で、これまでの章でもちらほら出てきていた共産党支配下の中国における「歴史」「科学」なるものに対する全面的な批判が噴出する章のようである。うーむ、読み進めるのが楽しみ。

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10月 31, 2004

はじめての中村屋~「春夏秋冬そして春」

降りしきる雨に、本当の大砲をブッ放す「1812年」観覧をヒヨり、新宿でしおぴーさんとデート(^^;)
初の中村屋でインドカリーを食べる。けっこうおいしい。

その後ともに渋谷へ移動し、ル・シネマで超期待していたキム・キドク監督の2003年作「春夏秋冬そして春」を見る。→感想は東京シネマホルモンblogに書きました
ひさびさに、素晴らしく耽美的な世界を見せてもらえた感じ。

終映後、近くの韓国料理屋で至極おいしい料理とマッコリに舌鼓を打ちながら、「春夏秋冬そして春」のストーリー解釈論に花を咲かせる。

実に、充実・・・でも飲みすぎて頭いたいなあ。

ちなみにキム・キドク監督についてはこちらの公式サイトをご参照あれ。カンヌで何かとったものとばかり思っていたら、ベルリンの銀熊だったのね。この銀熊をとった最新作は原題「サマリア」。今度は聖書かよ!
ストーリーが朝鮮日報日本語版で紹介されているのだが、

 『サマリア』は欧州旅行に行くために援助交際する女子高生たちと、これを知った父親の復讐を描く映画。
とか。 またまた、エグそうな筋だなぁ・・(^^;)
早く見たい。

明日は会社同僚の結婚式。
広尾って遠いんだよね・・・間に合うように頑張りマス。

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10月 30, 2004

「荒鷲の要塞」DVDがロープライスリリース

戦争アクション映画の傑作「荒鷲の要塞」のDVDがロープライスになり1,500円で売られていたので、えいやっと買ってしまった。
ちょっと前にクリント・イーストウッドコレクションか何かのラインでリリースされたものだが、確かこの倍額以上はしたはずだ。

この映画は小学生の頃から何度となくテレビ洋画劇場で見た思い出の一本である。監督のブライアン・G・ハットンは「荒鷲の要塞」と「戦略大作戦」の二本が有名で、いずれもイーストウッドが出ている戦争アクションの傑作、しかしトーンは180度違う。
「戦略大作戦」の方は、大概の戦争映画で"フマジメな下士官"を演じているテリー・サヴァラス(下品な笑い顔は超一級)と、狂人を演じたら右に出るもののいないドナルド・サザーランド(ベルトルッチの「1900」で農民に突付かれながら追われるファシスト役が印象深い)がアウトローなイーストウッドと共演し、みんなそのまんまのキャラでコメディをやらかすのでおかしくってしょうがないバカ大作。
しかし「荒鷲の要塞」は一転して、"誰が裏切り者なのかわからない"という緊迫感に満たされた状況で、なお自然の猛威を武器にしたナチスの要塞に潜入するという眉間にシワの寄るようなスリリングな冒険活劇である。

そも「○○の要塞」って名前の戦争映画は「ナヴァロンの要塞」の大ヒットのせいか何本かあるのだが、そのうちでも面白さで「ナヴァロン~」とともに群を抜いているのがこの映画である。
冒頭、アルプスの雪山を縫ってたよりなく飛行するドイツのユンカース輸送機。この機に乗り組んでいる空挺部隊員は、実はドイツ情報部の城「シュロス・アドラー」に潜入し、重要人物を奪還す