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5月 06, 2015

「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」(86点)アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督

人間は誰もがどこかで特別な存在になれる(?)普遍的欲望を胚胎したファンタジー。

かつてスーパーヒーロー「バードマン」を演じた映画スターとして一世を風靡した、マイケル・キートン演じる主人公リーガンが、『あの人は今』でしか取り上げられない存在となった己を悔やみ、一発逆転を狙ってブロードウェイの演劇を自ら主演・演出・プロデュースする。レイモンド・カーヴァーを原作にした劇のタイトルは「愛について私たちが語るときに私たちが語ること」といういかにも回りくどいもの。取材に押し寄せる記者たちも「バルトの指摘によれば…」「そのバルトって誰よ?バードマンの何作目に出てくるキャラ?」「ええっバードマンの4作目作るんッスか!?見たいなァ」等と、スノッブから単なるアメコミファンまでごたまぜ状況。それにしても面倒なスノッブがロラン・バルトを引用したがるのはアメリカも日本も同じようだ。うんざり顔のリーガンが舞台裏に戻ると、キャスティングは最悪の混沌に陥っており、落下した照明器具が脳天にぶつかって降板した大根役者の代打でブロードウェイの花形役者エドワード・ノートンがやってくるのだが、芸術と変態の境目をふらついているみたいなこの人物により、舞台は引っ掻き回されまくる。ドラッグ中毒のリハビリで付き人業をやっているリーガンの娘はちょっと目を離すとハッパ吸ってるし、ハッパの吸い殻片手に説教すれば目を剥いて(エマ・ストーンなんで眼力がハンパない)こんなクソ芝居やって演劇ファンの老人にちょっと見られたところで、SNSのタイムラインにちっとも乗らないんなら父さんなんかこの世に存在しないのと同じよ!(←言いすぎw)と噛みついてくるのだった。
しょんぼりせざるを得ない父親にして元映画スター。こんな目茶目茶なことになるはずではなかった、俺は時代遅れのスーパーヒーローのイメージを脱して、かつて役者になるきっかけを与えてくれたカーヴァーの舞台化で新しい自分を売り出すはずだったのでは…と自問するリーガンの耳に、バットマンいやバードマンの低く野太い声が響く「それは本当のお前なのか?」…
多種多様な要素が目まぐるしく同時進行で動く劇場の舞台裏の空気感が長回しを駆使して表現されていて、そこにドラムのみによる劇伴音楽が重なることで映画のリズムが小気味よく刻まれ、一寸も間延びせずノッて見ることができる。そう、あの気絶しそうに退屈だった「バベル」と同じ監督とは思えないほど…(←余計な追記)。主人公の内面の葛藤と周囲の濃すぎるキャラクターとの衝突によるドラマを前面に描きながら、背景にアメコミヒーロー依存のハリウッド映画界の現状と、そんな映画界をはるかに見下すブロードウェイ演劇界の意地とのカチ合いぶり、まったく文脈の違うところで暴走するネット上のシェアカルチャーという文化三つ巴状況を描写していて盛りだくさん。それにしてもブロードウェイに芝居を見に行ったこともなければ行こうと思ったこともない自分にも、こういう対立があるのか~等と分かった気にさせるのは巧みというべき。
見どころの多い映画ではあるが、エマ・ストーンの口からふとこぼれ出る「父は埋め合わせで私の事を『お前は特別な存在だ』と言ってきた」というセリフはこの映画の核心的なところだろう。人間だれしもどこかで自分のことを特別な存在だと信じたがっているし、特別だと思わせてくれる人を求めている。鬼ババ演劇記者に「あんたは役者じゃない、ただの『有名人』よ!」と断言されるリーガンは、その後本人の全く望まない形で、娘が認めるネット社会で「特別な存在」になってしまうのだが、それでも彼は「俺は無だ」という思いから逃れられない。一世を風靡したバードマン役者ではだめで、ネット炎上の張本人でもだめで、一体どうなったら自分で自分を認められる「特別な存在」であり得るのだろうか…?
この映画がクライマックスで用意するシーンは正直回答としてあまり納得のいくものではなかったが、万人が胸の中に持っているテーマを重層的なドラマの中にうまく織り込み、テンポよく仕上げられた良作と思った。
劇伴について、アントニオ・サンチェスのドラムの他にちょいちょいクラシック音楽が使われている。カーヴァー劇の最中にマーラーの交響曲第9番のアダージョが使われるのは、何ともいかにも感が出すぎていてこれ自体ギャグなのかなと思うのだが、気になったのはアクション映画内世界と現実世界が交錯する劇中唯一のスペクタクルシーンで、ジョン・アダムズのオペラ「クリングホーファの死」のパレスティナ難民のコーラスが使われていたこと。ドラマチックな曲だからこういう当て方はできるなとかねてより思ってた曲なのだが、確かこのオペラ、パレスティナ・ゲリラの描写が反ユダヤ的だと親イスラエル団体が主張する一種の炎上案件(2014年秋のメトロポリタン歌劇場公演にはジュリアーニ元NY市長を筆頭とする一群の抗議デモが詰めかけた)だったはず。あえての使用なのか、それとも単にいい曲だから使っただけなのかなあ等々思った。  

「僕たちの大地」(85点)ジュリオ・マンフレドニア監督

社会ののけ者たちが力を合わせる「社会起業=反マフィア運動」映画!

イタリア映画祭2015で鑑賞。
半島のかかとに位置するプーリア州のある田舎町が舞台。地域の顔役であるマフィア、サンソーネが収監され、接収された農場は反マフィア法に従って、公的に承認された協同組合に経営を委譲されることが決定しているのだが、上辺の法制度などよりもマフィアの報復の方が怖い、と、町の役人も誰も組合に対する手続きを行おうとしない。そこに北部の反マフィア団体から法律に詳しく、四角四面で書類ばかり相手にしてきた神経症の主人公が派遣されてくる。役人たちに条文を振りかざして手続きを終えた主人公は、農業のことはよくわからない保育士、スピリチュアルおばさん、ゲイカップル、コンゴ移民といった寄せ集めの組合員を率いて、まったく経験のない農業経営に乗り出すことになる…。

社会のはみ出しもの達が農園経営に乗り出し結束していく疑似家族・共同生活ものでありながら、いかにもイタリアらしく社会性が前面に出ていて、いうなれば世直し社会起業ものとして見ることもできる。協同組合方式による社会起業は、井上ひさしが「ボローニャ紀行」で描いたようにイタリアでは比較的昔からよく行われているもののようだ。
プーリア州の豊かな土地柄ゆえかトマトやナスの収穫シーンなどが眩しく、同じ映画祭でみたほかの田舎(カラブリアとか)を舞台にした映画とは一転してイタリアの田舎ええとこやな~という印象を受ける。マフィアの描写も実にソフト(そもそも、疑似家族として結束する主人公たちに対して、サンソーネは常に一人で登場し、孤独な人物にも見える)で、イタリア人から見るとちょっと現実離れした甘いストーリーなのかもしれないが、映画としてのカタルシスは十分。何よりこの映画で描かれるような反マフィア協同組合は現実にイタリアで活動しているもので、この映画も実話をベースにしたものだという。経済とマフィア組織が互いに根を張った社会構造を変革するための社会起業・・・いやはや、イタリアの社会起業家はつくづく根性が座っている。

5月 05, 2015

「いつだってやめられる」(83点)シドニー・シビリア監督

イタリア映画祭2015で鑑賞。
神経生物学の研究者である主人公は、研究費の削減により大学での職を失い途方にくれる。バイトで家庭教師をしている学生たちも授業料を一切払ってくれず、途方に暮れた彼は、イタリア保健省が指定する違法ドラッグに当てはまらない向精神薬を自らの学識を駆使して製造して儲けようと、ローマの街でバイト生活にいそしむかつての研究者仲間に声をかけ始める…。

大学院を卒業した高学歴の人が、その高学歴ゆえに逆に就職で敬遠され、無職にとどまってしまうといういわゆる「高学歴ワーキングプア」は最近日本でも問題になっているが、さすがイタリアは世界最古の大学をもつ国というべきか、高学歴ワープアの先進国であるようだ。
高学歴ワープアでもローマのは一味違う。深夜のガソリンスタンドで働く2人の古典古代学者は、口論していて興奮すると全てラテン語で喧嘩をはじめる。道路工事の現場に入っている非常勤の考古学者は、工事中にローマの遺構を掘り当ててしまうと直ちに現場監督に変貌、遺跡保存を優先して指示をとばし始める。一見こわもての文化人類学者は「大卒野郎はお断り」という修理工場の経営者との面接に、めいっぱいのワルっぽい恰好をして、フィールドワークで培ったワル言葉を使って懸命に高学歴を隠そうとするのだが、「家族で爺さんの遺産の取り合いになっちまってよう・・・法的闘争が始まって・・・」「ちょっと待て!今『法的闘争』とかムズカシー言葉使ったな、さてはてめえ大卒だろう!」などと見破られ、面接にも挫折する。
彼らはその学識を駆使して、薬物市場でひと山あてることができるのか…

このコンセプトを見て誰もが思うのはドラマ「ブレイキング・バッド」だろうが、あちらが出口のない中年主人公の悲哀に満ちた内面に入り込み、そしてそこからの爆発的変貌を描くことに主題がおかれている一方で、この映画は高学歴ワープアを集団で描いていることから見えてくるように、軽妙なコメディタッチに乗せて現在のイタリアの社会批評を展開しているようにみえる。それは主人公たちの周囲をとりまくシチュエーションのそれぞれに現れている。
腐敗した大学教授が主人公の職を世話してやろうと言ってくるのだが、研究成果の革新性を訴える主人公を前にして、教授は研究内容がどうだかなどは一顧だにしていない。とにかくコネと顔だけが利く世界だというわけだ。元官僚の有力者に渡りをつけようとするくだりで「すべて政治がものを言うのだよ…で、君のことについては、彼と同じ君主制復古主義者だと言っておいたから」なんて言ってくるのだが、学内政治とかじゃなくてそっちの政治かよ!(つーか未だに君主制支持者っているんだ…)。高級エスコート嬢が出入りするパーティーに潜入する主人公たち(日本風の庭園に門があるのだが、門の脇に「ソウスリャナンデモ/キープ・イット・グリージー」なんて筆文字で書いてあるのだが全くの意味不明w)、このエスコート嬢たちはロシア・東欧圏からの出稼ぎで、興奮するとロシア語で罵りはじめる。ローマの街を歩いているとよく見かけるロマ族たちの異社会的コミュニティもストーリーの重要なキーとして効いてくるなど、マシンガンのようにしゃべりまくるイタリア人たちのドタバタを特に予備知識なくとも楽しめるコメディながら、様々な社会問題を貪欲に書き込んでいこうとするのは、これもまたイタリア映画の気質というものなのだろう。そこがまた一段と面白いものだった。
それにしてもラストのあの就職のシーン…明るいげに描かれているが相当ブラック。

5月 03, 2015

「黒い魂」(80点)フランチェスコ・ムンズィ監督

組織犯罪もの映画といえばイタリアの定番だが、昔から映画界を席巻してきたシチリア島の“コーザ・ノストラ”、マッテオ・ガッローネ監督の映画「ゴモラ」で、ナポリ郊外を無法地帯と化す恐るべき黒社会感を見せた“カモッラ”に続き、ついに前二者と並んでイタリア三大犯罪組織の一角をなすカラブリア州の犯罪組織“ンドランゲタ”が描かれるという!というんでかなり期待して見た。数兆円を稼ぎ出し今や最も勢いがあると言われるマフィアの、その誕生の地とは…!?
…天気の悪いド田舎の廃村じゃん!映画の冒頭で南米の麻薬組織とコカインの仕入れをスペイン語でこなし、ミラノの町中をアウディに乗ってブイブイ言わせてる一家も、荒れさらしたカラブリアの山中にある故郷に戻ると、ご馳走といえばシメたヤギ一頭を鍋で煮込んでみんなで食う感じで、美食の国って感じでもない。抗争で死んだ家族の葬式をあげる教会も、何様式でもない土壁のボロボロのちんけなもので、世界遺産だルネサンスだとかいったイタリアのイメージとは全く無縁。「これ実はメキシコの山ん中で撮りました」とか言われても信じるだろう。
実際のところ、イタリア半島の爪先にあるカラブリアはイタリアの南北格差問題のまさに先端の地。土地が痩せてて農業も発展せず、失業者も多くて犯罪組織がはびこる土地なのだ…!
そんな何にもないカラブリアの寒村で、アホな若造の意趣返しがきっかけで起きる抗争。堕地獄レベルで趣味の悪い地元のドンと、世界に打って出てコカインビジネスで儲けているものの地縁の薄いファミリーとの対立。
話はイタリアのマフィアファミリーものがたどる典型的な筋をなぞっているように見えながらも、伏線的にある歪みを宿している。それは映画を観ているものの誰もが驚くクライマックスを用意するのだった…。
とにかく後味にズーンとくるものを残す終わり方なのだが、典型的なマフィアファミリー映画を観ていて「面白いけど暴力はマズいだろ」等と表面的には言い立てる我々観客が、実際にはこの手のマフィア映画に期待しているのは破滅的な暴力の旋風であること…それは、プロット上、暴力の後の虚無感を映画の落ちに持ってくることによって、作品としては道徳的に許容できる体裁にされているのだが…を考えると、ある意味妥当な結末なのかもしれない。暴力を明らかに見せ場として置いておきながら、暴力はいかんというプロット上の体裁を整える演出は言うなれば映画的な偽善であるとも言える。それを考えるとこういう結末の付け方はまさに誠実というべきかもしれん…などと色々考えさせられてしまうのだった。まあとにかく、一見の価値ある映画。
カラブリアの方言があまりにきつくて始終画面の下にイタリア語の字幕が出てきているのもすごかった。イタリア人でも何言ってるのか分からんということだろう。映画の中でもミラノ在住のファミリーの奥さんが「何言ってるのか分からないからイタリア語で話して」などというセリフが出てくる。

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