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11月 05, 2013

ローラン・ビネ「HHhH」は絶対に読むべき、歴史小説が好きなすべての読者にむけたフルコース料理だ。

ローラン・ビネの歴史小説「HHhH」、あまりにも傑作すぎ、当分はほかの何を読んでも見劣りしそうなので、しばらく小説を読むことから遠ざかろうか、とさえ思っている。そのくらい圧倒された。

1942年、ナチスのチェコ総督でありユダヤ人絶滅計画の責任者である「金髪の野獣」ラインハルト・ハイドリヒに企てられた暗殺作戦の史実を「歴史を小説として語ることは許されるのか?」という文学的課題との格闘を織り交ぜつつ語り起こす、圧倒的な歴史小説/純文学/リーダビリティに優れた読み物でもある書。バルガス=リョサは「傑作小説というよりは、偉大な書物」と表現しているが、至当といえる。

さてこの小説、以下いずれかの傾向のある人はどっぷりハマれる可能性が高い。

 ・ジャンルとしての「歴史小説」に愛着がある。
 ・ナチス・ドイツに興味がある。
 ・ホロコーストを計画した連中のことはブッ殺してやりたい。
 ・チェコスロヴァキアが好きである。
 ・プラハの街のことは大好きである。
 ・ナチに抵抗したレジスタンスの話を読むと泣ける。
 ・司馬遼太郎が小説の最中にいきなり自分の取材旅行の話をはじめても、
  「本筋からそれる話はやめろ!」などといって怒り出さない。
 ・フリッツ・ラングの映画「死刑執行人もまた死す」は最高の映画だ。

上記に全部あてはまる自分は激ハマりだったわけだが(と言うか単に上記は自分の傾向を記述しているだけだが)、とくにあてはまる点がない人でも、この小説が史実を細密に描き、最終章では本当に息づまるスパイアクションに結実する一級の読み物でありながらも、「小説を読む/小説を書く」という行為と「歴史を知る/歴史と向き合う」という行為との危うくて面白い関係性をめぐる文学論的純文学になっているのに、驚異と感動の念を抱くことはまちがいない。

版元のページではためし読みができる。冒頭数章はなにが面白いんだか良く分からないかもしれないが、大丈夫、「1Q84」よりは早めに面白くなる…

ところで、本屋で何だか面白そうと思って手にとった本の版元が東京創元社である場合、それが当たりの確率は自分的には限りなく100%に近い。伊坂幸太郎「アヒルと鴨のコインロッカー」、ネビル・シュート「パイド・パイパー」などだ。ブランド価値という尺度でいえば、地球上のすべての企業より創元のブランド価値の方が高いといって過言ではない。あくまで個人的な感想ではあるが、そう思っている人は日本中に少なくとも千人程度はいるのではないだろうか。

11月 03, 2013

2013年9月・10月に見た映画まとめ

9月をまとめてなかったのと、10月の観覧本数が少なかったので2か月分をまとめ。まあとにかく9月は「ガッチャマン」の最悪っぷりにとどめをさす。かんべんしてくれ・・・
いい方は「地獄でなぜ悪い」「悪いやつら」あたりかな。いい映画って言ってるのにタイトルはネガティブワードだ(笑)

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『呪いの館 血を吸う眼』(★3.4)

<恐怖描写は楽しく見られるが、姉妹をめぐる心理ドラマがポイント高い。もっと掘り下げていれば・・・>

 岸田森が吸血鬼役を演じる、和製バンパイア映画。別荘に住む美人姉妹になにくれと世話を焼いてくれる近所のレストハウスに謎の大荷物が届くことから凶事が始まる・・・。このレストハウスの主人役の高品格さんがいい人感満点なだけに、届いた荷物がどう見ても中身がバンパイアの棺桶なので、ああこの人の人格が変わっちゃうの~?というハラハラが序盤のつかみとして超有効な感じ。
 全般的に恐怖描写はまあまあ怖い感じというところなのだが、幼いころの恐怖の記憶をめぐって、姉妹の心理的葛藤に話がつながるところが面白かった。ここをもっと掘り下げられてるとより良かったんだが・・・。アクションは笑ったw

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『続・激突!カージャック』
(★3.6)

 今さら見たのかよ!という感じですが…しかも「激突!」とは全く関係のない話だというのも知らずに見たという…。正直、主人公夫婦のうち妻役のゴールディ・ホーンはキャーキャーわめいてるし、旦那は「ダイ・ハード」のクソTV屋ソーンバーグを演ってた人だったりして、あまり感情移入できないのは難点。暴走夫婦のカージャック逃走劇だったはずが、ヘンにお祭り騒ぎが盛りあがって野次馬が集まり、警察が困り顔になるあたり等は面白かったが、「スピルバーグ劇場映画処女作!」とふれこまれて湧く期待感に応えるほどではなかった。

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『デビルズ・ダブル ある影武者の物語』(★3.0)

 リー・タマホリ監督による、フセインの暴虐な息子ウダイの影武者の物語。タマホリ作品は「狼たちの街」がかなり好きなので期待していたのだが、映画のデキとしてはまあまあレベルかと…なんといってもこの映画のすごさは、これが全部実話で、主人公の影武者の人は実際にこの映画のアドバイスをしており、基地外野郎ウダイの放った暴力は映像上は1割程度に抑えられている、という点(^^;)かつて町山さんが金正日についての表現だったかと思うが「権力というドラえもんを手に入れたのび太」と言っていて、まさにそんな野郎がかつてイラクに実在していたのだなあ…と愕然とさせられる。

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『地獄でなぜ悪い』(★4.3)

<最高に楽しい!園子温の悪ノリ大爆発映画。>

 いやはや、悪ノリと聞いてはいたのだが、石井輝男や鈴木則文のもっとも楽しい映画に匹敵するようなモンド感大爆発の映画愛映画であった。
 国村準演じる抗争中のヤクザの親分が、命を賭けて自分を守った妻(血まみれの友近というキャスティングw)のために、アイドルを目指していた自分の娘(二階堂ふみ、予想通りであるが素晴らしい!)が主演する映画を完成させるべく抗争そっちのけで映画製作に乗り出す。その目線の先に登場するのは、高校生の頃のまま一切成長していない映画バカ、長谷川博巳ひきいる「ファック・ボンバーズ」。長谷川博巳は「俺は将来、永遠に刻まれる一本を撮る。それを撮れたら死んでもいい」なんて三十路も間近いのに言い放ち、「カンヌ」なんて書いたTシャツを着込んでいるのだが、元ヤンキーの坂口拓にヌンチャク持たせブルース・リーの黄色ジャージを着せ、ビデオでカンフー映画の予告編を撮っているような、ノー映画史でナイスなピエロ野郎である。一方、国村準の宿敵である堤真一率いる暴力団は、頭のネジが一本飛んだ親分の指示により、和服と日本刀で古風な屋敷に立てこもる古典ヤクザコスプレ集団と化しているのだった…。
 園子温映画におけるまさにオールスター・キャストが、完全にどうでもいい小ネタで光りまくる点も見逃せない。中華料理店オーナー役のでんでんが見せる雑な中国人演技!スナックの看板が掛け代わることにより親分の愛人の交代を象徴する実に映画的ショットの中で見せる神楽坂恵の笑み!意味不明の成海璃子の出演!高橋ヨシキ!
 もしクエンティン・タランティーノが「地獄でなぜ悪い」を見たならば、「キル・ビルvol.1」で彼がやりたかったことが150%のカッコよさとバカバカしさで上書きされていることに感激するに違いない。「まだ終わっちゃいねェー!」と叫んで日本刀で8人ばかりのヤクザの首をぶった斬る二階堂ふみに圧倒的なアイドル感を見せつけられ感激に打ち震えた後の、まったくもって雑としか言いようのないヴィスコンティ「地獄に堕ちた勇者ども」オマージュによるオチのつけ方にアゼンとしつつ、「映画は何でもアリ、だから映画は素晴らしい」とフィルムの全フィートに渡って宣言しているこの一本は、実は映画に対する最もピュアな信頼を表現しているのではないだろうか、と、ムクムクと変な確信をもってしまうのである。

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『エリジウム』(★4.0)

<世界観造形が素晴らしい!>

 ニール・ブロンカンプ監督の新作「エリジウム」見た。環境破壊でボロボロになった地球上を捨てた富裕層はスペースコロニー・エリジウムに住み、大衆は全面的にスラム化した地球上に住んでるというディストピア未来。スラム化した地球上を描写するカットの連続の最初はこれメキシコあたりに実在するんじゃねえの?っていう風景。エリジウムに住んでる富裕層はWASPとフランス人で、地球上に住んでるのはスペイン語話してる人たちばっかという調子で、覆うまでもなくこれは現在のアメリカ社会の似姿ということであろう。
 エリジウムの防衛省長官であるジョディ・フォスターは、不法移民の乗ったシャトルがエリジウムに接近してきたなーというのを認知すると、直ちにミサイル防衛システムでも起動させるのかと思いきや、やおら地球上をうろついている地球人の傭兵に連絡をとり、傭兵がバンから取り出した大気圏外でも攻撃可能なスティンガーのような携行型ミサイルを発射させ地球側から撃墜させる。自分の手は最後まで汚したがらない上流階級の偽善が表に出る象徴的なシーン。エリジウムの支配階級の間でもこれは違法行為らしいが、査問委員会で詰問されたジョディ・フォスターは、「我々の大切な子供たちが脅威にさらされても善人顔をできる連中こそが偽善者なのだ」とばかり啖呵をきり、あたかも未来社会のマーガレット・サッチャーという感じだ。
 さて、マット・デイモンが暮らす地球上の社会はどうか。マット・デイモンは職場行のバス待ちの列に並ぶ中、持ち物検査にやってきたアンドロイド警官に軽口をたたいたことから、当局への出頭を命じられる。応対する受付ロボットは「お前のような経歴の人間が元の泥棒稼業に戻る確率は、72%」と告げてマット・デイモンの弁明に耳を貸そうともしない。統計学を悪用した横暴という他ないが、地球上にへばりつくように生きている被支配階級にはシステムに対抗する手段は与えられていない。
 すべては、衛星軌道上に浮かぶエリジウムに握られている…。
 ストーリー上のアラがないではない。不法侵入者への防衛システムは筋上重要なシャトルが着陸するときだけうまく働かなかったり、そもそもエリジウムの基礎システムを管理する体制があまりにも脆弱すぎる。もっとも問題なのは富裕層の清潔な傲慢を代表するジョディ・フォスターが唐突に筋から脱落するところで、その後のストーリーにおいて誰に感情移入すべきなのか良く分からなくなってくる。これじゃ結局貧困層の中の跳ね返りが世界を統べるシステムへのノイズとして暴れまくっているだけの話になるのでは、など。また、全てが結実したあともエリジウムの支配階級が自らの体制を温存するためにシステムを組みなおすのはそれほど難しくないのではないか、とも思ってしまう。
 とはいうものの映画で描き出されるディストピア的世界像は非常に迫真的だし、それを裏付けるリアリスティックな映像による説得力も十分である。世界観を語る作家としての資質を、ニール・ブロンカンプ監督はこの映画で最大限発揮できているし、「こんなふうになってはいかん」という衝動を呼び覚ますに足る映画体験を与えてくれるのだった。

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『月光の囁き』(★3.6)


<つぐみが美しい!>

 喜国雅彦のマンガが原作、「害虫」の塩田明彦監督(「どろろ」はなかったことに…)による青春映画。恋愛というものの限りなくエゴイスティックなありかたをフェチとマゾヒズムを通して描く試みはとても刺激的なのだが、この問題設定自体は既に原作が用意したところでもあり、映画なればこその魅力はやはり主演女優つぐみに尽きる。もっと活躍してほしいなあ。

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『アメリカの友人』(★4.3)

 おおむね話の前半は美しい光線の中ハンブルクをうろつくブルーノ・ガンツばっかり映っていて、これどこがサスペンス映画なのというトーンなのだが、意外と話はおもしろい。ハンブルクの額縁職人であるヨナタン・ツィマーマン(ブルーノ・ガンツ)にオークション会場で失礼な態度を取られた美術商トム・リプリー(デニス・ホッパー)は、ヨナタンが血液の病気で余命短いという情報を得て、殺しを請け負ってくれる素人を探しているフランスのギャング組織にヨナタンを推薦する…。
 リプリーはただ裏から手を回して純朴な職人を魔の道に引きずりこむメフィスト的人物として描かれるのだが、恐らくは気まぐれにヨナタンに額縁を発注し、彼の人格に触れたことで、二人の関係は徐々に変容していく。この変容の過程がおもしろい。ミュンヘンからハンブルクへ向かう特急列車の中、トンネルをくぐる車両の薄暗い明かりの中で二人が向かい合う有名なショットはこの関係の変容の中に置かれ、ストーリーのおもしろさと光線の演出がびったり一致した素晴らしいショットになっている。
 所々、ホッパーがセルフポートレートをインスタントカメラで撮る所とか、幻灯機が出てくるところとかは「かつてはこういうの出てくるだけで喜ぶシネフィルちっくな映画の見方とかあったけど、今考えるとあれは恥ずかしかったよなあ」って気分になって若干尻がかゆくなる。まあご愛敬と思ってこの感覚も楽しむのが良かと。

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『真昼の決闘』(★3.3)

< 若干、ゲーリー・クーパーは町を出てもよかったのではという気が…>

 フレッド・ジンネマン監督のリアルタイム進行西部劇。12時ぴったりに到着する列車に乗り復讐にやってくるならず者一味、これに立ち向かおうとする引退保安官ゲーリー・クーパーの孤独な闘いを描く。シーンのつなぎの途中途中で、12時まであと45分…20分…みたいな感じで時計が参照されるのは「24」的演出の限りない先駆者か。
 決闘を避けるためいったん花嫁とともに町を出たクーパーは、やはりケリをつけるために町に舞い戻り共闘する町民を集めようとするが、ことごとく断られる…というのがほとんど話の中心だ!とにかく断られ西部劇といって過言ではなく、以前の保安官補と町出てけ/いや出ていかんという大口論、あげく殴り合いになって決闘より先に疲弊していたりする。そして運命の正午、完全に無人となった町でたった一人ならず者の集団に向かって立つゲーリー・クーパー…。
 古典だけあっておもしろいんだけど、町長の言うとおり一旦町を出るのも選択肢なのではないか?という見方をどうしてもしてしまうのは現代だからだろうか。ゲーリー・クーパーが町に居残る理由は、自分が背を見せるのは男の生き方としてどうなのか、という所に収斂しているように見えるし、そのために誰も外に出てないとはいうものの町のど真ん中で銃撃戦をおっぱじめ、明らかに馬小屋が一棟全焼してるし、これが保安官として妥当な選択にあまりにも見えないので、協力を断られた町民どもへの腹いせで街中でドンパチやってんじゃねえの?という邪推にすら発展しかねない部分も。もちろん、西部劇映画として定番のシチュエーションである町中のドンパチ状況を踏襲してるに過ぎないのだろうから、うがった見方なのはわかっているんだが…

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『テルマエ・ロマエ』
(★3.0)


<オリジナルのもつカルチャーギャップ・ギャグ感が限りなく薄まった。>

 原作マンガ「テルマエ・ロマエ」の持ち味は、圧倒的に荘厳な世界観を持ちローマ帝国市民としての誇りに満ちたローマ人ルシウスが、あろうことか日本の銭湯に飛び込んでしまい、フルーツ牛乳など飲んで感動しちゃうというカルチャー・ギャップ感にある。だから、ローマの描写は徹底的に荘厳感あふれてなきゃいけないんだよ!なんだよあの主要キャラ以外だけガイジンという中途半端さは!登場まもないルシウスの友人の日本人感全開ぶりは!これじゃ全裸の阿部ちゃんは年くったジュノンボーイにしか見えんじゃないか。マンガというのはどんなにリアルタッチで描いてもやはり描線以外の部分を読者がイマジネーションで補完する余地があるものだが、映画はもっと残酷で、見えているものはそのように見えてしまうものなのだった。
 ということでそうなると原作の持ち味は抜けている代わりにどんな新要素入れられるかというところで投入されているのが上戸彩のキャラだが、これがいかにも薄い…。ルシウスが「オレは平たい顔族の文明をパクっただけで独自のことは何もやっていない、俺は無能なんだ…!」とか悩んでると「そんなことない!あなたが一生懸命悩んで悩んで考え込んでたら(なぜか)私たちの国にこれたんじゃない、あなたはよくやったわ!」みたいなこと言うんだがそれ何のフォローにもなってねえから。大体タイムスリップの契機が何なのか明かされてないので、ルシウス自身の思念や努力が関係あるかどうか分からないわけだし。
 ということであんまりホメる点はないのだが、そんなに飽きもこずに見れたので3点。特にタイムスリップ時の全く意味の分からない演出は笑った。タイムスリップ時に「アイーダ」とか流れるけどイタリアオペラはローマ文明と全然関係ねえぞとは思いつつ、あの洗濯機に人形入れただけの演出とセットであえて雑な演出をかましているわけで、歌手の人が勝手に休んでたりする小ネタも含めて意外と笑えた。

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『ローラーガールズ・ダイアリー』(★4.0)

<エレン・ペイジがとっても可愛い、キラキラしたマイナースポーツ青春映画。>

 テキサスの田舎町ボーディンのロードサイドにあるダイナーで、主人公のエレン・ペイジが親友と歌う。

「このつまんないボーディンから出たい~、オースティンに行きたい~♪」
 ってんだけど、テキサス州オースティンって、人口78万で新潟市より小さい町なのね。「弥彦村なんてもう出たい~、新潟に行きたい~」みたいな感じだろうか。  エレン・ペイジは淑女コンテストみたいなので娘を優勝させたい母親の指導のもとで健全な毎日をおくっているが、オースティンで見かけたローラースケートを履いた女たちに魅かれ、空き倉庫を占拠して行われているマイナースポーツ、ローラーゲームの世界に飛び込んでいく。  万年最下位に甘んじるローラーチームも、真っ直ぐな青春パワーで突き進むエレン・ペイジに導かれ、勝利を目指して頑張りはじめる・・・。  ストーリー自体はとってもよくある筋なのだが、監督でもあるドリュー・バリモアはローラー不良娘たちの不良素行をビビッドに描き、見たこともない世界に飛び込んだエレン・ペイジの視界をキラキラで満たす術を心得ている。もちろん主人公のエレン・ペイジは最高にキュートであり、彼女の向こうを張る敵対チームの主将ジュリエット・ルイスの、憎々しくも二本足でバシッと立った精悍なる先輩不良女っぷりも非常に魅力的だ。また両親と対立するエレン・ペイジにシングルマザーの不良娘クリステン・ウィグが「本当の家族のことを考えるのも大切なことだ」と語りかけるシーンはとても印象深いものだが、監督であるドリュー自身の母親へむける様々な思い(彼女は母親と自身の自立をめぐって裁判で争っている)も刻み込まれているのかも知れない。

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『幻の湖』
(★2)

<ついに見たよ伝説のカルトマラソン映画。>

 黒澤明とともに数多くの素晴らしいストーリーを仕上げてきた脚本家、橋本忍が「八つ墓村」あたりからだんだん強まってきたカルト性を極めたと称される迷作。これの後には当時アイドルだったいとうまい子に丑の刻参りをさせる(しかもそれが話の中心)という奇怪な珍作「愛の陽炎」が控えており、それは以前に文芸坐で見てヘソが茶を沸かす思いをしたが、より著名なこの作品は長らく見ていなかった。
 一口にいえば、「犬とマラソンするトルコ嬢」(byかたせ梨乃)による、犬を殺された恨みに基づくストーカー的復讐劇を、様々なサイドストーリーで盛りに盛りまくり、遂に宇宙空間/琵琶湖の壮大な構図(!?)の中に描出するに至った稀代のカルト映画といえる。
 とにかく主筋は単に上記のことでしかなく、ある種余計、というか余計以外の何かであり得るのか?と思われるような変な会話とサイドストーリーが映画の大半を占めている。トルコ嬢待機部屋での「淀君」かたせ梨乃との確執、おそらくはアメリカの情報機関職員なのであろうが何故か琵琶湖湖畔のトルコ街で主人公とともに働くローザという女性のエピソード、室田日出男の店長が述べる銀行口座に関するクレーム(笑)、そして映画の終盤を占める時代劇…それらのサイドストーリーは驚くべきことに主筋と切り離してもほとんど問題ない程度の関連しかもっていない。とにかく、橋本忍はなぜここまでに琵琶湖という場に執着し、それを宇宙から横笛とともに見下ろすといった驚異の構図で長大な映画をシメたのか、まったく謎ばかりが残る映画といえる。 
 クライマックスなのであろう長大なマラソン・チェイスシーンの結実である作曲家の刺殺も、びっくりするほどジミにちょっと血が噴出するだけの感じでなんらカタルシスがねえな~、と思ったらカット一発でスペースシャトル打ち上げの壮大なシーンに繋がるのも驚きで、モンティ・パイソンのセックスコント(ベッドシーンとロケット打ち上げをワンカットで繋ぐやつ)を連想させられて大いに笑かせられた。橋本忍カルト映画としては「愛の陽炎」の方がどっちかというと好きかな。

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『悪いやつら』(★4.5)


<圧倒的映像美で描かれるお隣の'80s感とチェ・ミンシクの越後屋演技が素晴らしい!>

 1980年代の釜山を舞台として、愚直で古いタイプの若い極道(ハ・ジョンウ)と、その遠縁の極道にもなり切れない小悪党(チェ・ミンシク)との愛憎を描く韓国ヤクザ映画。
 冒頭のカジノ汚職に絡んだ暴行事件のシーン、ヤクザに監禁され、電話機で頭を殴りつけられた社長がパンツ一丁でホテルの部屋から脱出し、ヤクザ集団から驚異のダッシュで逃げ切るあたりで、この映画の暴力のトーンのレベルが大体つかめる。暴力は確かに頻々と顔を出すのだが、陰惨な刃物殺しや酸鼻を極めた血みどろ虐殺等といった韓国バイオレンスでよく見る暴力に比べ、この映画が描く暴力は、汚職や利権に群がる小悪党たちがカネを掴み取ろうとあがく過程で金属バットやビール瓶によって振るわれる、一種滑稽な悪あがきダンス的暴力とでもいったものだ。
 ダンスの中心で人々を翻弄する不思議な踊りを踊るのは、かつては税関職員として密輸品の目こぼしと袖の下で細々と私腹をこやす小悪党であったチェ・ミンシク。税関の内務調査の見せしめとして職を辞させられ(直前の、男子便所の天井裏に隠した電化製品を持ち出そうと奮闘するシーンのおかしさ!)、ひょんなことからたまたま遠縁であることが分かった昔気質の極道ハ・ジョンウと出会ったことで、ミンシクの小悪党ぶりは彼の高らかなゲヘヘ笑いとともにその才能を開花させ、ドラマをぐんぐんと駆動させていく。素直すぎて可哀相になるほど仁義と名分を重んじるハ・ジョンウを尻目に、ミンシクはジョンウを巻き取った秘密でもある、韓国社会の親族集団に基いたコネクションを最大限に生かしつつ、賄賂&接待攻撃で次々に有力者に食い込んでいく。有力者に金のヒキガエルを贈るくだりは、我が国伝統のステレオタイプ“山吹色のモナカでございます”的口上に彩られた『悪代官meets越後屋』的シチュエーションの最高に洗練された結実といって過言ではなく、じつに眼福である(←ただの物好き)。
 ミンシクとジョンウのなんとも複雑な愛憎の関係は、政府による暴力団壊滅作戦の中で決定的に破綻への道をたどっていくのだが、どこまでも小狡く勝ち抜けようとするミンシクがいったん家族と息子にむきあった時に見せる横顔は、この男がゲス野郎でありながらも同時に泥濘の中から愛する子供を救い上げようとする父の顔をも持っていることをうかがわせる。思えばこの映画がすばらしい映像美をもって描きだす'80sの韓国は、経済的発展に向かう一方で社会のあちこちに前近代性をはっきりと残した世界でもある。税関職員時代のミンシクの暮らしぶりや税関の便所の恐ろしくきったない感じ、汚職描写の過程でみられるシステムよりも血縁の方が圧倒的にものをいう社会構造などなど。ミンシクはこの社会の中で自分は泥水をすすって息子に夢を託そうとする哀しい父親なのだ。それは、単に方便として使った親族集団の縁でつながっただけのジョンウが「大叔父、おれは何度も何度も裏切られてきた、やっぱり最後に信頼できるのは、家族だ」と述べ、第二の家族ともいうべき関係を取り結んでくれたにも関わらず、それを切り離して自分の息子に道を開こうとした行動に対比される。
 すばらしく笑えるゲス野郎であると同時に、彼は本当にただのゲス野郎でしかなかったのか、と観客に戸惑いを生じさせるようなキャラクター。この映画のチェ・ミンシクはギャング映画のジャンル史に残るひとつのアイコンになってもおかしくない、最高の演技を見せてくれていると思う。

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『トラブゾン狂騒曲 小さな村の大きなゴミ騒動』

<福島の汚染水漏れ問題を期せずして予告した驚異のドキュメンタリー。日本政府と東電はこれ見てトルコ政府を他山の石とすべし>

 トルコ移民としてドイツ映画界で大活躍するファティ・アキン監督が故郷トルコの黒海沿岸の町、トラブゾンを巻き込む巨大ごみ処理場と汚水問題、民主主義抑圧上等みたいな勢いの行政と、怒りの大抗議を繰り広げる住民たちに迫ったドキュメンタリー。
 途中、トルコを襲った大雨でゴミ処理場の汚水が漏出するあたりでウトウトしてしまっていたので(うーん直前にガッチャマン見て疲れたのか…?)、★評価はつけづらいのだが、見ていてとにかく「最近こういう話めっちゃ聞いたな…」感がすごい。

 ・ゴミ処理場建設は法律違反であるという市長を政府が排除のために起訴→市長自身は無罪として逮捕を免れるが、処理場建設自体は裁判所命令が出て執行されることに。
 ・防水シート敷いたから汚水がもれる心配ないと政府は説明→実際には漏れまくり
 ・政府の偉いさん(知事とか)は政治的パフォーマンスとして現場を訪問するばっか
 ・ゴミ汚水を集中処理するためのタンクが処理能力越えして住民大クレーム→じゃあどうすればいいというんだ?と政府逆ギレ
 ・埋立地の堤防から外にはゴミは流れ出ないはずが、大雨で決壊しゴミ大流出→政府は「こんな大雨は想定してなかった」と繰り返すばかり
 ・そしてついに汚水処理のタンクが・・・・・!

 これ、けっして狙って配給計画したわけではないのに、福島でまさに今起きてる汚染水問題の似姿にしか見えないという驚異の符合が生じているのである。最後のアレが福島でも起きない事をのぞむ
 そして日本の行政と東電はこの映画見ておくべきだろう。「トルコの裁判制度は欧州にくらべて遅れてる」と弁護士が嘆くシーンが出てくるとおり、この映画は、トルコにおけるある種の制度的後進性を自覚したつくりになっている。なので日本人はこれ見てどちらかというと「色々進んだ民主制度にすすめられればトラブゾンのみんなももっと幸せになれるんだろうに」的な、ちょっと特権的な、トルコの人にしてみればちょっと鼻持ちならない目線で見てしまう、というのが恐らくフツウであろうが、にも関わらずこの映画見て思うのはどちらかというと「こういう話最近日本にもあった!」とか「すげえ既視感!」なのだ。

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『ガッチャマン』(★0.7)

<ガッチャマン、あるいは科学忍者隊公私混同マン、もしくはダークヒーローと一見みせといて実は島本和彦「ヒーローカンパニー」的パロディをやりたかった映画でした最初から、とでも言ってごまかす他ない屁作。 >

 数少ない「適合者」だけがATフィールry謎の赤いバリアーに護られた侵略者ギャラクターに対抗できる。
 彼らは「ガッチャマン」と呼ばれた(劇中では呼んでないけど)。
 ガッチャマンはしかし、その宿命ゆえに、普通の幸せの享受や仲間を大切にする権利も奪われる、苦悩に満ちた存在だった…。

 というテーマなんだろうと思うんだけど、中盤の国連の任務で難民をギャラクターの襲撃から守るべく護送する任務中、バスの中で公衆の面前にて初音映莉子にプロポーズする綾野剛。彼らに生命を託した難民たちは「何やってんだよ!」とか非難することもなく、祝福の拍手喝采を贈る。しかしキャッキャやってる一瞬後にギャラクターの攻撃でバスの難民は全滅!
 これを普通の会社や組織では何と言うか、そう、これは苦悩なんかじゃない、ただの「公私混同」だ!しかもtwitterではっちゃけて炎上するアルバイト連中レベルの…!

 公私混同を謳歌するガッチャマンの横暴はこれに留まらない。例えば序盤、通常兵器は全部跳ね返されると知っているギャラクター歩兵に対して、人類軍の一般兵は無謀にも自動小銃を撃つだけで対抗しようとするが、当然すべて跳ね返されて次々やられていく。なんと哀しい定め。イウォークだってもっと知恵絞って弓矢じゃ対抗できない帝国軍をやっつけていたような気がするが、とにかく一般兵にはそうした選択肢も与えられない捨て駒なのであろう。

 しかし終盤、戦いにおける優先順位や、自分たちの宿命を嘆く大議論を滔々とバイトいやガッチャマンたちが行う中(早く出撃しろよ!)で、剛力ちゃんはこんな感じのことを言う。「わたしたちは適合者だというだけで自由を奪われてずっと戦わせられて、その一方で普通の人間たちは安全な場所で見ているだけなんて!」
 ってお前あの捨て駒みたいに死んでいった兵隊さんたちに申し訳ないと思わねえのか!?おれは右翼じゃないけど今すぐ靖国神社に参って許しを乞え!いやそれよりもさっさと出撃しろ!

 原作にこだわることなく、新しいテーマ設定を大胆に行おうとはしたのだろう、しかしそれは暗い宿命との戦いといったものではなく、twitterで炎上するレベルの公私混同を堂々と行う若者がもし人類の生存を賭けた戦いにおけるヒーローになったら?…という形の作品になってしまった。「科学忍者隊公私混同マン」の登場である。

 他にも、ドラマを生むような展開は他にいくらでもあるのにわざと盛り下がる方向を選んでるとしか思えない脚本、表面をうすくなめた程度の世界観設計、中学生の書いたラノベの如き会話演出などなど、とにかく問題点が多い一方で取り柄のほぼ存在しない映画だ。
 まあ、こちらもひどいであろうと予想して見に来てるので、だめな事は折り込みずみで、どちらかというと「こういう演出や筋立てはやってはいけない」という失敗例の見本市のようで意外と楽しめた。常に心に赤ペンをもって向かう合うべき映画といえる。

 巨匠、佐藤純彌監督(「北京原人Who are you?」「桜田門外の変」)の息子が監督だけに「一体これは何なんだ?!」という珍シーンの爆発を待っていたのだが、まさかのクライマックスにおける突然の無音、そして口パクによる「あ・り・が・と・う」には腹ワタがよじれた。さすがに他の観客がどういうノリかわからんかったので爆笑は控えたが…。

 世界の主要都市への攻撃が回避されるたびに、その模様は予算の関係で映像にできなかったのか、甚平がモニタ見ながら「あ、シドニー助かった」みたいな感じで何とセリフだけで説明するという驚異の脱力もとい脱構築など、いろいろと混乱させられつつも、最後の最後に綾野剛がいうセリフで、実はすべて腑に落ちた。
この映画は島本和彦によるヒーロー物パロディ漫画「ヒーローカンパニー」だったのだ!そう考えればこのアッケラカンとした公私混同ぶりもすべてが説明できるではないか。

 という私の納得もどこへやら、エンドロール最後の続編を匂わせるカットが登場して劇場全体がザワザワ、「え、どういう意味?」「まさか続編?」「絶対見ない」「あたし3分の2寝てたよ」などの声があちこちから聞こえたのはさすがにやむなしか。

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