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6月 29, 2009

実録・連合赤軍 あさま山荘への道(★★★★)

山本直樹「レッド」3巻の読了を契機に、若松孝二監督「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」をDVDで見た。

あまりにも陰惨、あまりにも残虐という印象の連合赤軍の総括リンチ殺人事件だが、若松孝二監督はたんなる残酷展覧会に陥らぬよう、彼らが陥っていった袋小路を丹念に描いていく。

連合赤軍とは革命左派(京浜安保共闘)と赤軍派(共産主義者同盟赤軍派)という系統を異にする2つの学生運動組織が、武装闘争、「銃による殲滅戦」を実行する上で統一戦線を張ったもので、双方とも結党以来の指導者はともに逮捕され、組織が弱体化する中で弱みを補い合うべく野合したものだった。映画ではこのあたりの運動史、組織の前史もふくめて描かれ、かなりの情報量だ。

連合赤軍の指導者森恒夫は、相次ぐ赤軍派の幹部逮捕や国外脱出によりリーダーのお鉢が回ってきたに過ぎない存在だった。
山岳ベース(山中の秘密基地)で合流した革命左派に対し
「山中行軍にも関わらず水筒を持ってこなかったこと、その革命的な認識の甘さに自己批判を求める!」などと主張することで主導権を握ろうとするなど、些末な問題をきっかけに己の思想的強度ぶりを誇示しまくることで、かえって怯えたリーダーのようにみえる印象。「腹を殴っていったん気絶させることで、気絶から目覚めたときに新しい革命的人間として生まれ変われる」などと同志を気絶させるほどの暴力(けっきょくその全ては死に繋がった)を正当化するあたり、なんの「科学」もない単なる精神主義的・帝国陸軍的な過剰体罰野郎であり、これが反戦・反安保から発展した新左翼運動の流脈が陥る先なのかとアゼンとする。

いっぽうの革命左派側のリーダーである永田洋子に至っては、自らの嫉妬心と猜疑心の深さを仮託した「総括要求」を次々と繰り出すスターリン的存在と思える。あらゆるメンバーの発言の背後で聞き耳をたてている永田の闇に浮かぶ顔は「呪怨」もかくやの恐怖シーンでまさに黒「家政婦は見た」だ。赤軍派の創設メンバーである遠山美枝子(坂井真紀が好演!)に対し「いつのまに着替えたの?どうして山に来てまでお洒落にこだわるの?」などと鬼姑ぶりを発揮、大槻節子が自分の男女関係を自己批判するのを聞くや「それを今まで黙っていること自体が反革命」などと決め付けていずれも死に追い遣っていくのだが、いっぽう自分と森との男女関係に関しては「私と森君が結婚するのがもっとも共産主義的に正しい」などと自己肯定する『日和見主義』ぶりをみせる(これには悪いけど笑ってしまった)。

こうした指導部を構成するメンバーがおかしなことになっているのは勿論だが、彼らを仲間内での虐殺に導くシステムは単に指導部が血を求めたということに帰するばかりなのではなく、あくまでも「これは革命戦士に生まれ変わるための指導だ」という形をとっていた。それをもって「単なる武装蜂起前の訓練の中で発生した過労死」とみる論者もいる(糸圭秀実編「1968」)ようだが、いくら何でもこの短期間に12人も"過労死"はないのではないか。
実行している内容がリンチであることは当事者も理解していたが、リンチを「総括」と言い換え、暴力を「総括の外在化」と言い換えて虐殺を正当化するシステムが組み上がり、その中で「相互の思想的強度を確かめ合う」と称した相互監視のシステムが陰鬱な山岳ベースの中で完成してしまったと考えるべきだろう。
このような言い換えのシステムはナチス・ドイツがユダヤ人の絶滅・虐殺を「最終的解決」と呼び習わした用語規定と何ら変わることがないだろうし、仲間に総括を要求する中で自らの思想的強度を高めねばならない、という考え方は、虐殺を執行するSS隊員に対してナチ親衛隊が課した内在化要求-即ち、良心の呵責にかえて「それだけ重い任務を課せられている」として"職務の重大さを感じさせる"というメカニズムと本質的に変わるところはないと思う(当事者たちからすれば、入り口は異なるのであり思想的本質は異なる、と考えるだろうが)。
おそらく、政治的要求を先鋭化させたテロリズム組織では常に現れ出る論理なのだろう。連合赤軍の場合、自ら主体的にこの組織に参加しているのだということも負い目になっていたのかもしれない。

凄惨な内ゲバ殺人の果てに残存兵士がたどりついたあさま山荘のシーンでは、圧倒的な緊張感の中で閉鎖空間の中に追いつめられた青年たちが身を寄せあうが、ここでも笑うしかないシーンが登場する。銃撃戦の中でクッキーをつまみ食いした坂東國男を吉野が難詰し、
「そんなことで同志に顔向けできるのか!お前の食ったあのクッキーこそ、反革命の象徴なんだよ」などと珍解釈を述べるが、坂東に
「ばかばかしい、クッキーに革命も反革命もあるか」と普通に(笑)返され、激昂した吉野は散弾銃を向ける。そこに坂口弘が割って入り
「坂東!お前が自己批判すりゃ済むことだろ」
と言い、坂東は「任務中につまみ食いをしたことを自己批判します」と述べて事なきを得る。
ここも思わず爆笑してしまったシーンだが、じゃあそんな「自己批判」を求められて死ぬまで殴られ続けた人々はどうなるのかと考えると一瞬で笑顔も凍りつく。実兄の虐殺に加担させられた加藤元久でなくともブチ切れずにおれないだろう。映画を見た連赤関連の人々はこのブチ切れた加藤元久が叫ぶ「勇気がなかった」というセリフを評価しているようだが、個人的にはこの笑えない喜劇としか言いようのないシーンが最も印象的だった。

大傑作ということでもないと最初は思ったこの映画だが結局は2回見たし、映画のムック本も買い、さらに新書「新左翼とロスジェネ」(鈴木英生著)、「知の攻略 1968」(糸圭秀実編)なども買って読んでしまった。さすがに問題としてデカイということか。




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