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9月 04, 2006

棒ノ嶺・・・EOS忘れて出たのでケータイ写真集

棒の嶺に登ってきたのだが、主要目的の一つである写真撮影のためのデジタル一眼EOSを忘れるという大失態を犯したk-tanaka。そんなわけでこの後の写真は、全てケータイで撮影したものです(泣)



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棒ノ嶺 k-tanaka's 棒ノ嶺 photoset



棒の嶺は初歩的な沢登りができるということでけっこう人気のコースらしく、これまでで初めて20代もしくは30代の登山者を見かけた。
三つある滝もいずれも美しいが、何と言っても岩場の間をすり抜けるようにして続く登山道がすごく面白い。

沢を登りきってゴンジリ峠に向かうあたりになるととにかく勾配がきつく大変だった。さすが「健脚レベル」(<西武線の駅で配布されているハイキングマップの規定による)。かなり、アゴが出ました。

名栗村営の日帰り温泉「さわらびの湯」は9月1日から来年1月までの浴室改修工事の期間で、下山後一風呂あびることができず。で、結局池袋線で練馬まで戻り、豊島園に転進して「豊島園 庭の湯」で湯につかったのだが、いやー本当に登山後の温泉は気持ちよさ抜群。くせになりそうです。

庭の湯内で軽くビールとつまみをとってからユナイテッドシネマで映画「40歳の童貞男」(レビューはこちら)を見たわけだけど、単に風呂の後の映画というのも楽しいものだがこれにハイキングが加わると一層充実度も増す。
これで写真の楽しみも味わえていれば・・・と思うと悔しいが、まあ置き忘れはわがお家芸みたいなものだからしょうがないか。

「40歳の童貞男」(★★★★)

ユナイテッド・シネマとしまえんで独占公開されているジャド・アパトウ監督「40歳の童貞男」を見た。主演のスティーブ・カレルは自ら脚本も書き大活躍だが、この脚本、けっこうよくできている。
主役のアンディは電器店の商品管理担当者で、まじめな働きぶりは好感をもたれているが、普段なにやってるんだか同僚には不可解な存在であり、「俺は正直、あいつは連続殺人鬼だと思う」などと言われている。実際は、家でチューバ吹いたりゲームやったり、集めたフィギュアと着色作業中会話するなど、無害きわまりないシングルライフを送っているのだが・・・。そんなアンディが同僚とのポーカーに初めて参加し、その場で始まったワイ談の最中に
「僕もオッパイは好きだ・・・あのパンパンの砂袋みたいな感触・・・」などと口走ってしまったことから、40歳にもなるのに実は童貞だと知れてしまう。
「砂袋だなんてなんで言ったんだオレのバカ~~!!」と絶叫しながらチャリンコを猛スピードで立ち漕ぎし(免許持ってないのだ)家に逃げ帰るアンディ。
翌朝出勤すると、速攻職場に知れ渡っており、上司から「よう、童貞!」などと言われて大ショックのアンディは、猛ダッシュで職場を出て行ってしまう。悪いと思った同僚たちは彼に初体験をさせてやろうとあの手この手を打つ…。

この映画、けっこう古典的なスクリューボール・コメディの枠組みにそってしっかり作られている。アンディにはついに両思いになる女性トリッシュ(「マルコヴィッチの穴」のキャスリーン・キーナー)が現れるが、アンディの躊躇や、いきなり出現するトリッシュの娘などによってセックスにはなかなか至らない。またアンディのふと口にした「自分の店を持ちたい」という希望をかなえようと、eBayへの出品代行を仕事にしているトリッシュはアンディのフィギュア・コレクションを売りに出そうとするのだが、最初は微笑みを浮かべて彼女に従っていたアンディがついに爆発。「そうだよ!そうでなくては!」と心中快哉を叫んだアンディの精神的同胞たちも多かろうが、このようなストーリー展開は実はすごく伝統あるスタイルだと思う。かのハワード・ホークス監督の傑作「赤ちゃん教育」のラストもかくやというクライマックスの象徴的アクションは、実に正統的なハリウッド映画のセオリーを体現していて素晴らしいと思う。
また、同僚に「女を尊重すべき存在だと思いすぎていないか?」と繰り返し問われるアンディの価値観と、周囲とのギャップも面白いところだ。40歳になるまで童貞のアンディの価値観は現代アメリカでは変人(スクリューボール)的なものだが、ひるがえってセックスに対して少々退廃的になりすぎている現代社会に対する批判という種も胚胎しているようである。

ということで非常にしっかり作られた良作だと思うのだが、これが2週間ばかりの限定公開というのは勿体ないと思う。もちろんギャグも相当効いていて笑えるし(なぜか日本風の脱毛サロンでの胸毛ガムテ脱毛は、実は地毛を使っているスティーブ・カレルの体当たり演技の迫力ゆえか劇場が揺れるほどの笑いを呼んだ)、エンドロールなどは爆笑しながらとても楽しい趣向で、映画的楽しさも充満している。一見の価値ある作品。

9月 03, 2006

棒の嶺で沢登り

棒の嶺で沢登り

棒の嶺で沢登り

棒の嶺で沢登り

今週の目的地は棒の嶺。飯能駅から一時間に二本しか出てないバスにゆられてさらに40分の有間ダム付近にある。通常は有間ダムの下に村営温泉さわらびの湯というのがあるのだが、9月1日から来年1月まで浴室改修のため休業ということで、登山の後に温泉という楽しみはない(残念)。
さらにダムに向かって足を踏み出し、一枚撮っておこうとカメラを取り出そうとするとアッ!無いッ!どうやら前夜に充電までしといてカメラ本体を家に忘れてきたようだ。三脚まで担いでるのにこれでは全くのまぬけ君ではないか!初秋の太陽の下しばし頭を垂れる。


とはいえ片道1050円くらいの交通費と時間をかけて来ながら引き返すのもバカらしい。とにかく棒の嶺には登頂しようとダムの脇から登っていくと、渓流が岩を削って作った沢を縫っていく登山道に入る。いわゆる沢登りかこれは!燃える。
とても道になってるとは思えない岩場の前で立ち尽くしていると、岩の間にちらちらと人影が見える。おぉ、下りの登山客ではないか!っつうことはこの沢が登山道かよ!てな感じでびっくりの連続。
大変に楽しい登りだったが、ゴンジリ峠付近の急勾配は正直しんどかった。このくらいの山でならしていかないと次のレベルの所ではザセツするだろうな。

ということで写真はケータイのカメラのもの。ああ白孔雀の滝はEOSで撮りたかった…。

銀座の空

今日は山の方には行けなかったけど、映画をみるために出た銀座の空が非常にきれいだったので何枚か写真を撮った。



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銀座_薄暮 k-tanaka's 銀座_薄暮 photoset



スポット測光モードのままだったのに気づかなかったが、評価測光モードにしておくべきだったかも。ちょっと道路付近が暗くなりすぎてしまった感あり。まあ経験値、経験値。

「太陽」(★★★★)

実はソクーロフの映画を見るのは初めてだ。銀座シネパトス2館を溢れさせるほどに客がつめかけ続けている映画「太陽」は、昭和天皇を一個人として描いた初めての映画として耳目を集め、またその中で戦争責任者として批判的な描かれ方がしておりそれに右翼的勢力の反発があるのではと心配されはしたが、映画の中の昭和天皇は穏やかで節度あり、立派な人物として描かれていた。
映画の意図は、この近代国家の元首としては異例な「現人神」というパーソナリティを持つ裕仁という一個人の内面を描くことにあるように見える。進駐してきたアメリカ人は「現人神」というものに対する対処がとれず、マッカーサーは「現人神をやっている気分というのはどんなものかね?」と質問したり、写真を撮りにきた米国人カメラマンたちは「チャップリンみたいだ」「バイ、チャーリー」などと無遠慮なふるまいに出たりするが、いまだかつて無遠慮に扱われたことのない天皇は、彼らのそぶりが無遠慮であるということにも気づかないのか、カメラにむかっておどけてみたりと稚気といえるものさえ発してみせる。
だが、イッセー尾形の名演にも裏付けられていることだろうが、この昭和天皇の軽やかで微笑ましい素振りこそ「聖性」というものではないか、と逆に思えてしまうのだ。GHQから天皇への贈り物としてダンボール箱いっぱいのハーシーズのチョコレートが送られてくるが、その処遇に侍従たちが困り果てているところに天皇がやってきて、「さあ、食べなさい」と手ずから侍従たちにチョコレートを配るシーンがあるのだが、天皇に銀紙まで剥いてもらっては口にするわけもいかず、かぶりついた侍従長が「私は、アラレのほうが好きであります」などと返答するシーンは、新しい時代と自らの新しいあり方に向けて踏み出そうとする天皇と周囲とのギャップが笑いとなって表現されていて、実に面白い。
遂に人間宣言をおこなった天皇が、最後に侍従長から手短に告げられる一言によって愁いの表情を見せるクライマックスが印象に残る。自己の神格を否定することは、天皇にとってどのような内面的意味をもっていたのだろうか?これはフィクションによってしか描きようのない境地であり、これをテーマとして選んだソクーロフ監督の目の付け所はすごいと思う。
いまだ天皇制のもとにある日本人として、必見の一作ではないだろうか。

「トランスアメリカ」(★★★☆)

シネスイッチ銀座でダンカン・タッカー監督「トランスアメリカ」を見た。
性転換手術を間近に控えた性同一性障害の男性が、昔一度だけセックスした時に実は出来ていたという息子に会い、ともにアメリカを横断する旅に出る。「デスパレートな妻たち」は見てないので、フェリシティ・ハフマンというこの女優を観るのは初めてなのだが、実に見事に、後はペニス切断を控えるのみの"ほぼ女性"の男を演じ切っていて素晴らしい。
同じ日に見たアレクサンドル・ソクーロフ監督の「太陽」も、これまでの自分に別れを告げ、自分の真の姿を開示しようとする者が突き当たるドラマといえるのだが、「トランスアメリカ」ではお互いを完全に理解したとは言いがたいが、互いの存在を受け入れることを了解した父子(母子?)関係を築くまでの旅路が描かれ、関係性構築のドラマといえる。(いっぽう「太陽」はより個人の内面的なドラマのうちに終わる)。あるいは、ロードムービーとは目的そのものよりも関係性構築をもってドラマのクライマックスとするような映画ジャンルなのかもしれないと思った。

互いに止むを得ざる理由をもちながら、それぞれ手術による性転換や同性愛映画のポルノ男優への道を進んでいく父と子を描いた「トランスアメリカ」は、その常軌を逸した設定とは裏腹に、豊かな父子関係へと二人が進んでいくであろう希望を醸し出していると思える。悪くない一本。

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