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5月 08, 2006

「熱狂の日」音楽祭(ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン)まとめ

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このゴールデンウイーク、色々とありはしたものの、何と言っても5/3~5/6に有楽町国際フォーラムで開かれた「熱狂の日」音楽祭(ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン)に5/4-5/6まで一聴衆として参加できたことが喜ばしかった。
知らない方のために説明をいれておくと、1995年にフランスの港町ナントで初めて行われた「ラ・フォル・ジュルネ」という大規模なクラシック音楽祭の日本版が「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」であり、昨年の初開催時はベートーヴェンがテーマだったが、今年は生誕250年を迎えるモーツァルトがテーマだった。

有楽町ビックカメラ隣の東京国際フォーラム全体が会場となっており、A~Dまでの大小のコンサートホールで、管弦楽、室内楽、ピアノ、声楽、今年はオペラもありといった複数ジャンルのコンサートが同時並行的に開かれる。なので、観客は思い思いのコンサートチケットを買い、午前はAホールの管弦楽、午後はCホールでピアノリサイタル、などと、あちらこちらのホールを縦横無尽に行き来し、自分なりの音楽体験をプログラムすることができるのだ。
チケットは1枚1,500円から、1つの公演は45分から1時間程度…と、「高い、長い」というクラシック・コンサートの先入観を打破するもので、みんな気軽にチケットを買いまくることができる。
結果、こういう機会でなきゃクラシックなんか聴かないし…、という人から、今回を逃すと当分こんな曲ライブで聞けねー!というマニアックな上演をあさる通人まで、幅広い観客層が共に一つの場を共有することになる。また0歳から聞けるコンサートやキッズ限定プログラムなんていうのもあるため、年齢層も異様に幅広く、行くところ行くところ赤ちゃん連れのお母さんに出くわす。
観衆ばかりか、アーティストも気づくと隣で屋台で買ったお好み焼き食ってビール飲んでたり、数少ない喫煙所で一服してると同じ灰皿使ってんのが外タレだったりと、演奏者と聴衆の距離が近すぎるくらい近いのもこの音楽祭ならではだ。
いずれかの公演の半券を呈示しさえすれば立ち入れる地下の展示ホールでは、CD屋や楽器店など様々な業者による展示ブースがあるほか、プロ/アマの演奏者が入れ替わりで行う無料コンサートを聴くことができる。お得なり。
やはり半券呈示で入れる他の場所では、アーティストが生徒に演奏のてほどきを行う場に参加できるマスター・クラスというのもある。世界的に活躍するアーティストの講義に居合わせられるのは、演奏者として音楽に触れている人にとっては至福の機会だろう。
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「隠された記憶」(★★★★)

ミヒャエル・ハネケ監督「隠された記憶」をユーロスペースで見る。

序盤からして、観客を視覚的な入れ子に落としこむようなトリックが使われており、スリラーという売り文句でありながら非常に思弁的な…さっくり言っちゃうと結構かったるい映画なのではないかと予想していた。
実際、ささやかな怖さや秘密を語り、テレビで書評番組みたいなのの司会をやるようなインテリの主人公一家をスリラーの中に落としこんでいきながらも、見る側が登場人物に共感したり、一緒に驚いたりするような演出は絶対やろうとしない。これがハリウッド映画なら今頃ハンス・ジマーかなんかの音楽がうねり、エイドリアン・ブロディは号泣しているだろう(私にとって彼は泣き顔芸人)というシーンでも、画面は非常に冷静だ。こうして徹底的に客観的な文体を保持するあたり、まあこの人にとっては妥当な演出なんだろうけど結構だるめな映画だねと思っていると、突如としてショックシーンが入ったりするので稲川淳二かこいつは!?と思うのだけど、気づけば、映画が描いているダニエル・オートゥイユの秘密と嘘は、フランスの現代社会が抱えている暗部と類縁関係にあると知れるのだ。これは巧みだ・・・!

どういうストーリーなのか語るとたぶんこれから見る人は面白さ半減だと思うのでほとんど語りませんが、ラスト近くに登場する、エレベータ内での視線の交錯を捉えたショットは一見に値する。最近なかなかみない緊迫感を体験することができます。好きなタイプの監督ではないが、見ておいて損はない一本。

「夜よ、こんにちは」(★★★★)

ユーロスペースでマルコ・ベロッキオ監督「夜よ、こんにちは」を見る。

現代イタリア史における最も重大なテロ事件、極左組織「赤い旅団」によるアルド・モロ元首相の誘拐殺人事件を描いた映画である。公開一週目なのだが、非常にしっかりした映画であり、特にアルド・モロ役のロベルト・ヘルリッカの滋味溢れる演技にも関わらず、20人と客が入っていない(まあ休日最終回ということもあるか?)のは残念である。

連合赤軍事件の6年後に起きており、左右両派から孤立し過激化を深めた若い左翼集団の起こした事件という意味でも似た面のある事件なのだが、アルド・モロ元首相誘拐殺人を歴史として記憶している日本人はあまりいないのかもしれない。私も、ディスカバリー・チャンネルで放送された、テロの現代史をまとめた番組をかつて見ていなければ、きちんと覚えてはいなかっただろうから、あまり差はないか。

監禁場所のアパートでカナリアを飼っているなどのディティールは取材に基づきつつも、映画に出てくる「赤い旅団」のメンバーは虚構のキャラクターであり、モロと女主人公との想像上の内面的な交流がストーリーの主軸となる。アルド・モロは非常に聡明かつ敬虔な人物として描かれており、「赤い旅団」のイデオローグが突きつける教条的な要求に対して、宥和的態度で応じようとする。モロを演じている老優、ロベルト・ヘンリッカの醸し出す穏やかな雰囲気と、夢や空想を随所に織り込んだストーリーにより、殺伐とした恐ろしい事件ながら、どことなくセンチメンタルな映画になっている。

我々日本人としては、高橋伴明監督の2001年作品「光の雨」を想起せずにおれぬところだが、比較してみるといろいろ面白い。
この映画の場合、主人公の親たちの世代は大戦末期、パルチザンに身を投じることによって自らの左翼としての行動に裏づけを持っていたことが描写される。イタリアでは、とにもかくにもムッソリーニが民衆パルチザンの手で吊るされることでファシスト勢力からの解放を得たのであって、それがイタリア共産党が西欧最大の共産党として勢力を持つ存在であった由縁でもあるわけだろう。
いっぽう日本の場合は、昭和天皇を民衆が処刑するなどといった事態はそれこそ深沢七郎の「風流夢譚」のような妄想の世界でしか描かれたことがない(しかも読めない)。その意味で左翼集団が融和的な要人を殺害して自滅していく過程は、戦後史の節目としてより重大な意味を持ったことだろう。
また、ここに第三の政治勢力としてヴァチカンの法王が登場してくるのもイタリアならではのことだ。モロの手紙を読んだ法王は、取引ではなくモロの無条件での解放を呼びかけ、「赤い旅団」はモロの殺害によってそれに応える決意を固める。

モロは、おそらくは自分の命乞いも動機の半ば以上を占めていると思われるものの、「赤い旅団」に対して説く。
「私を殺しても、それは私以外の全ての人々が待ち望んでいることだ。彼ら(政府)にとって、私は既に死んでいるのだ。君たちは私を殺したあと、一層孤立していくことだろう」
自らがすでに政治的な生贄として位置づけられていることを認識し、イデオロギーによって盲目となった若者たちに翻意を説くこのシーンは悲痛である。それに同意するメンバーに対して「赤い旅団」のリーダーは無条件解放などあり得ず、モロを殺すしかないと言う。
「革命は博愛主義では成し遂げられない」と言いながらも、
「今は不合理で不条理に受け取られたとしても、主観的現実を乗り越える英雄的行為になる」とし、「これぞ博愛の極みだ」と述べるのだが、この台詞からは自らのイデオロギーによって自縄自縛となった若者の姿が描き出されているようである。
非人間的な行為へただ突き進んでいく盲目さ、これもまた人間性というものの否定しがたい側面なのだ。

ラストシーンは非常に美しい。歴史という時計の針を巻き戻すことはできないが、せめてイメージの世界でならば、このようでもあり得たかもしれぬ過去を呈示することは許されるだろう。

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