「トンマッコルへようこそ」(★★★★)
パク・クァンヒョン監督の韓国映画「トンマッコルへようこそ」をシネ・リーブル池袋で観た。
朝鮮戦争の真っ最中、韓国の山奥にある全く近代から忘れられたような呑気な村トンマッコルに、韓国・米国・北朝鮮の3軍の兵隊たちがそれぞれ別な理由で流れ着く。
墜落した米国の偵察機パイロットは、負傷した体を横たえたまま
『誰か英語のできるやつはいないのか』
と村人に聞くのだが、ひもで綴じられた英会話の本を持ってきた村の寺子屋の先生は、本をかっきとにらみつつ
「ハウ・アー・ユー?」と聞くばかり。
『おい、おれのこのざまをちゃんと見て言ってるのか?最悪の気分だよ!』
「おかしいな。ここで『ファイン・サンキュー。アンドユー』って返してくれないと、会話にならないはずなんだけど・・」
という調子で、1950年代なのにたいがい江戸時代級のノリの村である。どうもこの村、朝鮮戦どころか日本による占領も関係ないまま過ごしてきたのであろう。
この村人たち、銃すらも見たことがないため村の真ん中で南北の兵隊が銃を構えての睨み合いとなり、その間に挟まれても、双方が何やってるのか今いちよく理解していない。
「手をあげろ!」
「右手だけでいいの?」
そのうち畑から帰ってきたオヤジが「大変だ、またイノシシがおらたちの畑荒らしてるだ」というと「そりゃ大変だ」と、すっかり手をあげるのも忘れてイノシシ問題を討議しはじめる始末。
この映画、「トンマ…」という語感がなんかバカっぽいとか、いがみ合う敵同士が無垢な魂に触れて休戦、なんてありがちでいかにも泣かせにきてる感じだよな…と思って敬遠するのは損な映画といえる。
そりゃあ最後は私も泣きに泣かされ、売店で鼻水をすすりながら「バンフレッドぐださい」というザマではあったが、大事なのはこれが分断をめぐる現代史において彼らが「本当はこうするべきだったのに」と考えているであろう選択をファンタジーとして描いている点だ。
イム・グォンテク監督の「太白山脈」に代表されるハードな戦争映画で描かれるように、連合軍と人民軍がかわりばんこに民間の村を支配下に置き、その都度異端審問のようなアカ狩りや政治教育を通して圧迫や戦禍をもたらす地獄の状況が実態としての朝鮮戦争だったのだとすれば、彼らが破壊してきたイノセンスのまさにそのもののような村が現前するというファンタジー(劇中、トンマッコルという村の名は「子供のように純粋」を意味するとされる)は、登場人物たちに深く影響をおよぼし、やがてある選択を迫ることになる。
同民族内での戦争という惨劇の歴史をふりかえって「自分たちが本当に守るべきものは何だったのか?」と問う、そうした悲痛な問いがこの感動には底流として流れているのだろう。
それ故に通りいっぺんの泣かせ韓流ムービーとは一線を画した良作といえる。
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