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2月 12, 2005

パスタ茹ですぎた

本日の夕食blog。
050212_dinner

パスタを茹ですぎてしまい、全然ソースが足りなくなってしまった。
前日のトリ肉炒めも一緒に食おうかと思っていたが、とてもそんな余裕なし。しかも悪夢的なことに、同じくらいの量のパスタがまだフライパン上に残ってる。明日の朝メシにするか。

ペット系blogには特に興味ないのだけど、これだけは別格と思っているblogに「俺と文鳥と東京と」がある。
文鳥の写真がかわいく、また文鳥を見つめる管理人「俺ブン」さんの視線のとてつもない優しさが癒しを与えてくれる、私にはとっても真似のできない個性あふれるblogだ。たとえばこんなエントリとかこんなエントリこんなエントリなんかを読めば、私がこのblogをなんでイイと思うか分かるだろう。なにかをこんなふうに愛せる人の人生は、間違いなく豊かだと思う。

・・などと絶賛しつつも実はしょっちゅう見てるわけではなく、円さんのB型悪魔系を読んでいるときなどにたまに「そういえばあの文鳥はどうしてるかなー」とクリックしてみたりする程度なのだが、昼になにげにクリックしてみて驚いた。あの文鳥は亡くなってしまったのだという。
一瞬信じられず、夢の話になったので「そんな夢を見てしまったという話かな?」と思ったのだけど、いっこ前の過去ログを読むと、彼女があやまって踏んでしまったという何ともやりきれない経緯がわかった。
ミスで踏んでしまった彼女も可哀想だと思う。
数日前、手乗りくらいのサイズの子猫を飼ったのに、あやまって溺れさせた上に何か重いもので潰してしまうというヒドい悪夢を見て目が覚めたことがあった。あれは本当にイヤな夢だったけど、小さきものを自分のミスで亡くしてしまうということには独特の身を切られるような辛さがあるようだ。

俺ブンさんは一週間を経た今は立ち直り、新しい文鳥を家に迎えて「ルーイ」と名付けたという。
「全く俺になついてません」という言葉も、これからの文鳥とのコミュニケーションを楽しもうとしているような感じがある。いい触れあい関係を築けることを祈ります。

中華料理屋的メニュー

嗚呼・・・

すいません、タモリ倶楽部のオープニングにあわせて腰振っちゃいました!

>懺悔

k-tanakaです。

最近、ろじっくぱらだいすと同じくらい、僕秩読むようになったのが如実にみえてくるようなパクりぶり、失礼しました。

明日の昼あたり一人で中華づくしランチでもしようかと考えて材料を買ってきたのだけど、なんか待ち遠しくなったのでインスタントラーメンの予定を撤回し、トリ肉とニンニクの芽の炒めを作って晩酌することに。

なんとなく精神的余裕があって、妙に段取りよい感じに材料が準備できたため記念撮影。
050212_dinner01
なんだか「きょうの料理」みたいではありませんか?(自讃)

手順としては、軽くニンニクをいためて鶏肉とニンニクの芽、湯で戻した干しシイタケを投入、塩胡椒してしばらく炒めたら中華スープを注ぎ、オイスターソースを加えて煮込み、最後に水溶き片栗粉を加えてとろみをつける。

コツも特にいらないような内容なので、けっこうおいしくできた。作ってみてから思ったけど、中華料理屋でお目にかかるやつは、特にスープとかからめてなかったかも。まあ、テキトウに予想で作った感じなので結果オーライでした。
050212_dinner02

最近細木数子が出過ぎてウザい。石田純一あたりのなめられ芸人を「3年以内に死にますよ」などと脅しつけているのを見るだに、お前が3年以内に死ねぐらいの反感を感じてしまうのだが、あるいは細木数子ですらTVに出ないとやっていけないほど「書籍」が売れなくなってきているのだろうか、と逆に不安にもなる。(セカチューあたりはずいぶんと売れたみたいですが)
細木数子については佐野 眞一著「あぶく銭師たちよ!―昭和虚人伝」を参照。

ある日、細木が編集部に単身乗り込んできて、担当編集者を指さし、「あんた、畳の上では死ねないよ」といったという。この話をあとから聞いて、不思議なことに怒る気がしなかった。むしろ、それでこそドロ水をすすり命を張って生きてきた女と、かえって感動のようなものを覚えた。
という章まえがきのエピソードが印象深い。

佐野眞一は「巨怪伝―正力松太郎と影武者たちの一世紀」やら「渋沢家三代」なども大いに感動を持って読んだ、私的には最も好きなノンフィクションライターの一人だが、「東電OL殺人事件」の妄想爆裂ぶりをみても、多少「天然」の素質を持っている人だと思う。
今回ひさしぶりに「あぶく銭師たちよ!」の該当章を再読してみたが、細木を芸能界と結び付けた島倉千代子事件、保守の大物安岡正篤との再婚事件など、うさんくさい話百出ぶりをおもしろく思いつつ、それを通して大衆にとって「占い」がどんな働きをなしうるかについて考えさせられた。
佐野眞一は、細木が「今よりよくなるという現世利益ではなく、今より悪くならないための御託宣を述べたてたのは、すぐれて現代的だったということもできるだろう。/失うべきものをもってしまった大衆は、先行きの高望みよりは、今より悪くならない保障こそを欲している。」と書いている。
かつてこの文章が世に出た1987年代は一億総中流の流れがいきついた果てのバブル時代だったが、その時代に細木がはたした役割と現在のそれとでは微妙に変わっているのではないかと思う。暗雲たちこめる社会の中、よくよく考えたところで事態が好転するとは思えない大衆にとっての思考放棄のよりどころとして、細木のようなスタイルが受け入れられているのだろう。不安や恐怖をあおって座の注目を集める彼女のやりくちはそう変わっていないのだろうが、時代状況がその手法をますます効果的なものにしている。その構図はどこかしら、20世紀に出現した数々の大衆扇動者を思わせるところがないだろうか。
私は別に占いを嫌っているわけではない(「非科学的」は私にとっては特に貶し言葉ではない)し、細木をファシスト呼ばわりするつもりもない(そう呼ばれるにより適任な人物は他にもいる)が、彼女が占いという形式を通して人心掌握をする風景を見るに反感を覚えてしまうのは、そのやりくちにやはりそうした大衆扇動者の匂いが感じられるからだろう。

2月 10, 2005

忍者が割り切れん

当ブログ、お気づきの方も多いと思いますがアクセス解析ツールとして忍者入れてます。
ご覧のみなさんの行動はすべて伊賀者が監視しては、ログに残しておるわけです。

私も時おりこのアクセス解析を見てるわけですが、このサイトに検索でたどりついた人がどんな語を検索して来たかっつうことを表示してくれる「検索ワード結果」が、実に私的には割り切れません。

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なんだこのトップは。
こんな語を使ったエントリーは、2003年末からブログやってて、たったの一回。

→正しい韓○○天王
(これ以上このワード経由のアクセスが増えないように適宜伏せ字)

しかもこのエントリの中身ときたら、「本当の○天王はこの4人だ」として、
ホ・ジュノ、アン・ソンギ、ソン・ガンホ、チェ・ミンシクの4人を称揚する・・というもので、おそらく上記ワードを検索してきた人にとって著しく羊頭狗肉な内容なわけです。
ウォンビソとか、チャソ・ドンゴソとか、ましてやぺちゃまに関してなど、書こうとした気配すらありません。

別にここは韓流芸能サイトじゃないのに、割り切れん。実に割り切れん。
割り切れんといえば、このサイトを見てる人のOSの統計なんかも分かるわけですが、

screen01

Mac率が全然割り切れてません。
(つうか、繰り上げていいよ、忍者・・・)

P.S.
イタリア旅行の続きを書きたいのですが、フィレンツェで笑えるネタが思い出せず、手をつけかねてます。
別に行程全部をギャグにする義務はないのですが・・・(^^;)

P.S.2
ホ・ジュノといえば当社きっての韓流通Tさんによると、春ごろに来日し、舞台をやるとか。
正直ちょっと見たい。
彼は本国でも別格的に人気がある俳優さんということだが、彼の持っている問答無用の「父性」的な感じが受け入れられてるのでは・・と秘かに予想してます。

2月 08, 2005

ひさかたぶりに夕食blog

050208_dinner

昼の弁当はここんとこ継続的に作ってきたんだけど、夕食(夜食化する場合も)は外ばっかりだった。
今日はめずらしく早く家に帰ることにし、晩飯をつくった。
西友で鶏肉が安かったので、あまりの豚肉と一緒にスープで煮込みにする。
青物はオクラ。醤油もいいが、マヨネーズで食うのが好き。
オクラはてっきり日本のものだと思っていたのだけど、実は「オクラ」というのは英語で、日本語では「アメリカネリ」もしくは「オカレンコン」と言うのだそうだ。→ネタ元こちら
つづりは"okra"。検索してみると・・おお、なるほど!

勉強になりました。

2月 07, 2005

「RHYTHM IS IT! ベルリン・フィルと子供たち」

休日出勤をはやめにあがって、渋谷ユーロスペースでりさんと待ち合わせ、ドキュメンタリー映画「RHYTHM IS IT! ベルリン・フィルと子供たち」を鑑賞。
わじゃさんの「LA DOLCE VITA」をあらかじめ読んでいたので、主役はベルリン・フィルというよりは子供たちであるのだろうと踏んでいたのだけど、はたして映画はダンスに慣れていない子供たちが強烈な個性のイギリス人振付師ロイストンに率いられつつ、困惑と不安、照れ隠しと反発の中から「踊る」という表現を立ち上げていく様子を描いている。もちろん、ラトルが振るベルリン・フィルの「春の祭典」リハ風景もあってそれはそれで大いに燃えるんだけど、主役はあくまで子供たち。
かれら子供たちのもつ揺れやすい可能性が一つの表現に打ち込んでいくことによって、何かが創造されることの素晴しさこそ、この映画の主題であると言えるかもしれない。

途中でベルリン・フィルの音楽監督にしてこないだ私がすれ違ったサー・サイモン・ラトルのインタビューが入るのだけど、ラトルのことがますます好きになるような感じ。
彼があの変なまゆ毛(^^;)の下に魅力的な灰色の瞳を2つ輝かせながら、3歳のときに両親からドラムをもらったことを語り、それを叩いたときから「自分はこれをやっていこうと思った」と語る口調を見るにつけ、「天才」とは何かを確信できることであり、その確信を揺るがさず我が道をゆくことができるということなのではないか・・・と思われるのだった。
彼のような人が「芸術は人生に不要なものではなく、むしろ必需品なんだ」「クラシックはお年寄り夫婦のものだと考える必要はない、クラシック音楽はみんなのものだ」と語り、こういう教育活動をひろげていこうとする姿には勇気づけられるものがある。
子供たちの踊る「ハルサイ」という事にこだわって音作りをしていくあたりも、この人が信用できる人だなあと思わされるところだ。
ものすごく突抜けた映画的感動があるわけではなく、250人の主人公たちも別に「リトル・ダンサー」よろしく飛翔していく主人公が出てくるわけではない。でも踊りを始める前は人の手も握れなかった青年が、「スタジオに通ってみようと思うんだ」と告白したり、学校の成績が思わしくない少女が「明日からどうなるか、いい成績がとれればいいけどね」という言葉を、でも練習を始めた頃とはうってかわった瑞々しい笑顔で語るのを見ていると、このプロジェクトが単なる芸術教育ではなくて、振付師が語ったような「人生のレッスン」になり得た事に感銘を受ける。
音楽は始終すばらしく、楽しいドキュメンタリー映画だった。

終了後は新宿に行って、アルタ地下のフランス料理食堂(食堂って感じがぴったりくる気軽なお店)で晩ご飯。
内蔵の煮込みとか、イワシのサラダがうまいうまい。
出勤はしたものの、幸福なシメで終えられて満足なのでした。

2月 06, 2005

ギンレイづくし

かつて名画座、今は二番館として営業を続けている飯田橋ギンレイホールが30周年を迎え、なかのZEROで名画ポスターやスチール写真展を開くということで行ってみることに。
大学時代は池袋文芸座に通いつめ、オールナイト興行のバイトもした私は圧倒的に名画座・二番館びいきのつもりでいたのだけど、ここ数年めっきり二番館に行くことが減り、またギンレイホールにも行ったことがなかった。
そんなことでは失礼なので、ポスター展の前にまずは実際にホールで映画を見るべきであろうと考え、りさん推薦の「ピエロの赤い鼻」を見ることにした。
りさんがこの映画をどれだけすすめているかと言えば、「起きられるか心配だけど見に行ってみまーす」とMLで表明したところ、9時すぎに携帯にモーニングコールがかかってきたほどである(^^;)マメすぎます!

ということでジャン・ベッケル監督の2003年作「ピエロの赤い鼻」感想については、けっこうご無沙汰の東京シネマホルモンblogに書いた。→該当記事こちら

終演後は神楽坂の喫茶店で一服、つづいて中野へ戻り、なかのZEROホールでギンレイの所蔵していたポスター群を鑑賞。「キートンのセブン・チャンス」からウディ・アレンの諸作、なんと「だいじょうぶ、マイフレンド」のポスターまでありました(^^;)
個人的には「太陽を盗んだ男」「新幹線大爆破」のスチールに発奮!
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「新幹線大爆破」は何とフランス版のポスターであり、俳優陣も「ケン・タカクラ」「ソニー・チバ」などとなっていた。ここらあたりはよく見られるところだが、「ライタ・リュウ」「ケン・ウツイ」なんてクレジットはなかなか見れんだろう。

また、ヴィスコンティ監督の傑作「地獄に落ちた勇者ども」のポスターにおける大衆週刊誌的コピーにも笑った。
いわく、

「世界支配をめざすナチス・ドイツを動かした巨大な狂気と魔性!
 金髪の人間獣、ホモ・セックス
 恐るべき大量殺戮・・・
 巨匠ビスコンティが激情で描いた壮大な血の交響楽!」

まるで石井輝男映画のコピーである(^^;)
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ダメ押しのように、映画前半で登場する、マレーネ・ディートリッヒのコスプレをしたヘルムート・バーガーの写真に添えられたコピーなどは

「これがヒトラーを動かしナチス・ドイツの第二の人物となった男だ!」

などと、著しく羊頭狗肉(笑)。
恐らく、世界的巨匠の芸術的傑作を鑑賞するというノリとは全く違った層を取り込もうとしたポスターなのであろう。眉をひそめる人士も多かろうが、映画は展覧会の陳列物であるよりも見世物興行であり続ける方が美しいという見方をすれば、かなりステキなポスターに思えてくるではないか。

これはこれとして、フェリーニやパゾリーニなど他のヨーロッパ映画の巨匠のポスターは、なかなかアートっぽく凝ったものが多い。
たとえばルイス・ブニュエル監督の「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」はこんな感じだ。
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スコセッシ監督作品のポスターを見ていて、スコセッシをスコセッシと呼ぶようになる以前の読み方がなかなか興味深かった。マーティン・スコシージっていう表記はこれまでにも見たことがあったけど、これは・・・

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拡大してみよう、見えるかな?
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・・・マーチン・スコルセーゼ。

誰やねん

もっとも、素直にMartin Scorseseってつづり読んだらそうなるかな、とも。

では、最後にオリジナル看板絵展示から、クリストファー・リー主演の「吸血鬼ドラキュラ」絵を見つつ、
サイナラ、サイナラ、サイナラ。

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