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7月 08, 2005

「ジェノサイドの丘」(★★★★★)読了

「ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実」を読み終えたので感想など。
mixiに書いたレビューの転載ですので、そちらで読んだ方は読み飛ばしてください。

上巻
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幼い時、「自分はいつか必ず殺される運命の人間に生まれついたのだ」と知ったら、人はどうなるのだろう?

政府によってそれが周到に準備され、遠い西欧の国から自分たちを皆殺しにするための兵器が次々と輸入されていると知ったら?
ある日ラジオから不吉なニュースが流れ、一晩中鳴り続ける無気味な音楽とともに、昨日まで挨拶を交わしていた隣人が、自分の首を刎ねるための山刀を持って飛び込んできたら?
昨日まで信仰を捧げていた教会に「お前たちは死なねばならない」と門戸を閉ざされ、やってきた国連軍の見てみぬふりの前で無惨に友人が辱められ殺されていく、そんな状況が目の前に展開したら、私たちは耐えられるだろうか?

本書、「ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実」では、1994年のルワンダで国民の1割にあたる80万人のツチ族が多数派フツ族に属する隣人や先生や親戚たちによって殺され、国際社会がそれを無視した事実が描写される。
民兵たちはフランスから輸入された小火器を使用したが、最も多く使われたのは一般人でも持っている山刀である。プロパガンダに汚された多数派フツ族は木々の枝を払う作業でもするように、犠牲者に斬り付け、首を刎ね、内蔵を引き摺り出したという。女子供も目こぼしの対象にはならなかった。民族自体が「消えればいい」と考えられたのだ。

本書の上巻では、その空前の「ジェノサイド」状況の中で苦しんだ人、隣人殺しを指揮した人、「当たり前のこと」として人々を死から救った勇気ある人たちのことが語られる。

下巻
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国中で隣人が隣人によって殺される。あまりにも忌わしい事態は、事態が終了した後も決してその影響を途絶えさせはしないという意味で、いつまで経っても終わることのない悪夢である。

本書の下巻は、「ジェノサイド以後」のルワンダで生きるということがどういうことだったかを丹念に伝える内容だ。
反政府軍RPFはジェノシダレ(虐殺者)に支配されたフツ族政権を打倒する。RPFに追われたフツ族の民衆は、ルワンダの国境を超えてザイールに流れ、そこで難民キャンプを形成する。民間人の中には多数のジェノシダレが入り交じり、彼らは再軍備を整えて逆襲を企図する。その難民キャンプを、国連や人道保護団体が「難民キャンプ」であるという認定の元に援助するという逆説。
やがてこの動きは反撃するルワンダ新政府とウガンダによるザイール政権を打倒する戦い、はてはコンゴ内戦につながっていくのだ。

またその一方で、本書の下巻ではジェノサイドを経験した人々がジェノサイドを実行した人々を再び受け入れて国を再建しなければならない、これまた想像を絶する苦悶と模索が物語られる。
このような状況下では何が正義と呼びうるのかが常に問われる。指導者となった痩身のポール・カガメ将軍、親族を殺された老婆ギルムハツェら無名のルワンダ人たちの横顔、彼らを指して「被害者面し過ぎる」と評する外国人たち。

「恐ろしい状況を経験した痛みには同情する、しかしあなたたちは憎しみを捨てて生きなければならない」と私たちは説きがちである。しかしそうした態度は果たして正しいのだろうか?それは最初から彼らの痛みや苦しみを意識外に置き、シャットアウトする態度ではないのだろうか?。

皆殺しを生き延びてなお生きることの苦しみ−そのような苦しみを耐えてルワンダの人々は今日を生きている。その事実を知る事の意味は、虐殺の事実を知る事と同じくらい大きいのだと、この下巻は説いているかのようだ。
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上記本読了後の現在は、中沢新一「僕の叔父さん 網野善彦」を読み進めている。

7月 03, 2005

夕食blog

今日は買物以外、全然外出なかった・・・
050703_dinner
残ったブロッコリと豚肉、ジャガイモでトマト煮込み。
ホントはもっとイモは柔らかい方がよかったのだけど、ちょっと煮込みが足りなかったか。

ようやく「ファントム・オブ・パラダイス」のDVDを見終えた。
ようやくというのは、このロック・ミュージカルのカルト的名作、買って以来何度となく挑戦しているのだが、いつも30分くらい見ると寝てしまう状況が続いていたのである。
今日は何とか最後まで寝ずに見通そうと思っていたのだが、晩飯後に摂取したカンチューハイのアルコールにまたも敗北・・。
酔い覚ましに、タバコを買いに大雨の降りしきる街に出、何故か古本屋の100円本セールで本買ったりなどし、戻ってきてからようやく見終えた。
うーん、やはりロック・ミュージカルじゃ肌に合わないのだろうか。とにかく見終えたなーという感想しかない。デ・パルマファンな皆さんゴメンナサイ。「ミッドナイト・クロス」とか好きなんですけどねえ。

なお古本屋で買った本はA・J・クィネル「パーフェクト・キル」、ハロルド・シェクター「オリジナル・サイコ」、ジョン・ル・カレ「死者にかかってきた電話」、ケン・フォレット「モジリアーニ・スキャンダル」でした。
いつ読むんや。

髪切った

3ヶ月ぶりに髪切った。

昼過ぎに起き、ベッドに腹を下にしてテレビを見ていたら、
時節がら上半身ハダカだったりする故、後ろ髪が卓上ホウキのような感じで背中の肌に当たる。
ちょっと伸びすぎたなあと思いつつ、何となく気持ちいいので首振ってしばし髪が当たる肌感覚を楽しんだりして。

・・・アホだ。切ろう。

というので中野駅前まで。予約時間を待つ間あゆみ書店に寄るが、「ジェノサイドの丘」下巻がどの棚を探しても置いていない。上巻を読み終えた感動に打ち震えている状態で入手できないのは困る。
かわりといっては何だが前から読書予定リストに入れていた「59番目のプロポーズ」と「僕の叔父さん 網野善彦」を買う。

髪を切った後にやはり我慢ならず高田馬場へ。芳林堂書店はさすがに正しい本屋であり、「ジェノサイドの丘」上下巻とも揃っていた。
下巻だけ抜くのはしのびないのだが、上巻を買った明屋には下巻だけが置いてなかったので致し方ない。
許せ!

上巻を読むだけでも1994年のルワンダで起きたツチ族虐殺がいかに徹底的なものだったか、いかに人間は「非人間的」になれる生物であるかということを繰り返し知らされる。
 私にとって、虐殺をイメージ的に形作る最も恐るべき描写は以下のような部分だった。

実際、ジェノサイドによる死体は鳥たちへの贈り物だった。だが、鳥たちは生存者たちを助けてもくれた。山火事から逃げ出した動物たちをあさる猛禽類とハゲタカが火事の最前線を空に作るように、絶滅作戦のあいだのルワンダでは、虐殺現場の上空で沸騰するノスリ、トビ、カラスの群は空に描いた地図となって、森に逃げて生きのびたサミュエルやマナセらに、「立入禁止」区域を告げてくれた。

ルワンダで起きたジェノサイドを材にとった映画「ホテル・ルワンダ」(日本での劇場公開が見通し無しとなっており、公開を求める運動が起きているのは前に書いた通り)の主人公であるホテル支配人ポールは、皆殺しリストに挙げられた多くの人々をホテルの中に匿い続けた実在の人物であり、この著作の中にも登場する。
ただ後になって−「みんながあのときのことを話しはじめてから」−ポールは自分が例外的存在だったと知った。「ジェノサイドの最中にはわかっていなかった」と彼は言った。「自分がやったようなことをやっている人はたくさんいるんだと思っていた。本気でやろうと思っていればできたはずなんだ」

これに、上巻の中で最も胸を打つ以下の文章が続く。
ポールは自由意志の信奉者だった。彼にとっては、ジェノサイド中の自分の行為は、他の者の行為と同じように、選択だった。自分がやったことはわざわざ正しいと呼ばれるようなことではない。それが正義と呼ばれるとしたら他人の罪との比較でしかなく、そうした比較による基準自体が唾棄すべきものである。
 ポールは全てのエネルギーを、死を−自分自身と他人の死を−免れることに捧げていた。だが彼が暴力的な最期よりもさらに恐れていたのは、彼の言葉を借りれば「愚か者」として生きる、あるいは死ぬことだった。この光に照らされれば、殺すか殺されるかの選択も疑問に姿を変える。なんのために殺すのか?なにとして殺されるのか?−それは難しい挑戦ではない。

今、映画館のスクリーンは次々に映画化されるアメリカン・コミックのヒーローで飽和状態だが、そんな空疎な偶像よりも、ポールのような「普通の人々」が抱く「当たり前」の善性の方がより強靱であり、まばゆく光る。

国連をはじめとする国際社会はどうだったのか?
著者ゴーレヴィッチは、ジェノサイドの後ルワンダから犬たちが姿を消したのは、殺された人々の屍肉を漁る犬たちを反政府軍や国連兵たちが撃ち殺していったためであることを説明し、こう続ける。

青いヘルメットのUNAMIR兵士でさえ、一九九四年の晩夏、犬を見かけると撃ち殺していた。何ヶ月も、国連兵士は銃の撃ち方を知っているんだろうかとルワンダ人たちは疑問に思っていた。立派な武器を民間人の殺害を食い止めるためには一度も使おうとしなかったからだが、結局のところPKO兵士の射撃の腕前は抜群だった。
 ジェノサイドはいわゆる国際社会に許容されていた。だが死体を食う犬は国連にとって衛生上の問題だったのだ。

 「ジェノサイド」という言葉を、米国政府はルワンダの状況を指すためには一切使おうとしなかった。それをすると「ジェノサイド条約」に基づいて阻止のための介入をする必要が出てくるからで、ソマリアで痛いめをみている米軍はアフリカでの部隊展開をこれ以上行ないたくなかったのだという。
 これはこの前に読んだ「ドキュメント 戦争広告代理店」で、ボスニア政府とPR企業ルーダー・フィン社が「民族浄化」という言葉を巧妙に広め、米国をはじめとする西欧諸国にバルカン半島への介入を行なわせていった状況と好対照をなすように思える。
 ひとつの言葉を使わないことが百万人のアフリカ人をただ隣人に殺されるままに放置したり、ひとつの言葉を使うことがバルカン半島の都市にNATOの空爆を仕掛けるきっかけになったりするのがグローバルな政治の現実であるということだ。いっぽうで、ルワンダでは昨日まで近所で暮らしていた隣人が山刀を持って自分達の一家を全員殺しにやってくるのが現実だったというわけだ。
 そして、その地獄のような現実は世界の誰にも知らされることがなかった。(もちろん、私もその中に含まれる)
 本だけではなく、やはり映画も見てイメージとして描き出されたその現実を見ておきたいという思いを新たにする。
 →「ホテル・ルワンダ」日本公開を求める会のHPはこちら。(署名運動開始)

その他今週のうちに読んだマンガとしては、吾妻ひでお「失踪日記」、Q.B.B「幼稚なOTONA」、一条ゆかり「うそつきな唇」、高野文子「棒がいっぽん」など。

以下amazonリンク。

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