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5月 15, 2005

今日もタイフェス〜「海を飛ぶ夢」

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今日もタイフードフェスティバルに行ってきた。

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やっぱり今日もすごい人出。

スタジオパーク売店のお便所を今日も何度か使わせて頂いたのだけど、スタジオパークの壁にBSのキャラクター「ななみちゃん」のプロフが貼ってあったので記録。
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「怒った時はしっぽが腫れあがり、けばだつ。」
のだそうです。

シンハービールでしこたま酔った頭をふりながら新宿に出ると、急に雷雨→天気雨の状態に。
なんとも不思議な天気でした。
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新宿武蔵野館でアレハンドロ・アメナーバル監督「海を飛ぶ夢」を見た。
SFめいた「オープン・ユア・アイズ」、ホラー映画的な「アザーズ」などの作品を上梓し、今回は尊厳死を願う四肢麻痺の男性を描くヒューマンドラマを撮ったアメナーバル監督。
こうした様々なジャンルのスタイルを駆使しながらも、この監督は一貫して価値観・世界観の転倒という主題に魅了されているように思える。

海に飛び込んだ時に首の骨を折って以来4本の手足ともが麻痺、ベッドの上から一歩も動けない状態で28年を生き続けてきた船員ラモン・サンペドロ(ハビエル・バルデム)は「自分の尊厳の為に死を選ぶ」ことを決意する。
法的に認められていないカトリック国スペインで、尊厳死の権利を勝ち取ろうと裁判に臨むラモンは
「私のような境遇の他の人が生き続けようとすることを、私は批判しない、だから私のこの選択も否定しないでほしい」と語る。
そんな彼の前には「人生は生き続ける価値がある」「生き続けることは素晴しいことだ」と説く人々が現れる。
その中の一人であるロサ(ロラ・ドゥエニャス)はラモンを愛しはじめるのだが、「あなたは私に生きる力をくれたわ」と言うロサは、ラモンが死を選択することをかたくなに拒み続ける。
そんなロサに対してラモンは「私を愛しているのなら、私の選択を理解するべきだ」と語るのだが、
この言葉は「愛」についての非常に深い洞察を含んでおり、わたしたちに「愛する」とは何かについて再検討を催させるものだ。
そんなラモンは、杖つく女性弁護士フリア(ベレン・ルエダ)を愛するが、彼女も自らの生について、困難な選択に迫られているのだった・・。

宗教心の希薄なわが国に住んでいても、やはり我々には「生き続けることには意味がある」とラモンに語りたくなる衝動がある。敬虔なカトリック国スペインでは、尊厳死はさらに一層ハードルの高いことなのかもしれない。
私にも正直、ラモンの行動を肯定していいのかどうかは分からない。
彼が死後の世界を信じていないことは後半で語られるが、彼にとっては死ぬことによって自らを解き放つ行動こそが重要であり、いわば、死ぬことによって生きようとしたのだともいえる。
そうした彼が裁判に出廷するため外出するシーンで、救急車の窓から眺められる世界がじつに生に満ちていて美しいのは、切ないことである。

ラモンが尊厳死団体の女性に「これ以上私と関わることによって君に迷惑が及ぶかもしれないから、今後は一切連絡をとらないことにしよう、お別れだ」と電話をかけると、女性は、あなたの決断で非常に多くの物事が動いているけれども、それだからといって決断を翻していけないことはないから、もう一度よく考えてと呼び掛ける。
「君も他のみんなと同じだね」
と返すラモンの言葉は、自分の信念を他人に伝えることがいかに難しいかの悲しみに満ちており、いっぽう、土壇場にきて生きる道を選ばせようとする女性側の弱さをも露呈させる、酷な言葉である。

非常に重いストーリーであるが、映像は非常に美しく、かつ、私たち観客に多くを考えさせる映画だった。「アザーズ」で見せたあのヴェラスケス絵画のごとき明暗のワザは、この映画でも効果的に使われている。(★★★★)

終映後いろいろ考えながら壁に貼ってある同館上映中の「甘い人生」の雑誌記事を見てたら、「甘い人生」のキム・ジウン監督は「クワイエット・ファミリー」「反則王」のキム・ジウン監督と同じであることが分かった。
そうだったのか!今まで全然結びついてなかった。不覚・・・。
「反則王」は遅刻ばかりで上司にどやされまくるダメ銀行マンが、夜は反則プロレスラーとして大活躍というマンガみたいな話なのに、ものすごくハイセンスな画作りが抜きん出た映画で感心しきりだったのだが、あの映画の監督であれば「甘い人生」のあのうまさも納得。
こうなってくると「箪笥」が無性に見たくなる。
他に「ビョンホンの新作はノワールを一新した"優ノワール"」なんて感じの見出しも目に入ったが、「"優"なんぞノワール映画には必要無い。ノワール映画とは我々の血を凍らせるがごとき、酷薄な美に満ちたものであるべきだ」・・などと思ってしまう私は頭がカタいのでしょうか。
もっとも「甘い人生」が優しい映画だとは私にはあまり思えない。特にヒロインがビョンホンからの贈り物を開封した時に「は?」という顔をするカットは残酷に思われる。「報われない愛情は本人にとって(だけは)美しい」と書いた理由はここにある。

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タイフェスで買ってきた調味料類。
まんなかのはエビペースト。パスタなんかに入れるとめっちゃ旨そうである。800円のところが300円。安ッ。
パスタはトムヤムスープ買ったらおまけでつけてくれたものだけど、「イタリア製」だそうである(笑)この適当さがたまらなくいい。

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さっそくエビペーストを使い、晩飯はチャーハン。
もうちょっといっぱい入れたらよかったかもとは思いつつ、ほのかに隠し味的にエビ味が効いてて。おいしかった。

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コメント

私も「海を飛ぶ夢」は見にいきたいとおもいつつ見にいけてなかったりします(^_^;)私は生き続けるって、変化の可能性を残し続けるということだと思っているんで、やはり体がまったく動かなくなり、自分自身で変化をおこせなくなったら、そこで人生を終わりにしたいです。んな訳で家族や医者にも延命拒否は一応いってあります(笑)現実問題として「死」というものを突きつけられてみないとわからないと思うけど、それを受け入れてしまえば、「生」と「死」には本当に差があるのかどうかすら、生の側にずっと立っている自分にはわかっていなかった。死を恐れるのは明かりのない隣の部屋に入るのを恐れる子供のようなものかもしれないなどと思い至ったりします。本人的には死は誰もが経験することで、膝小僧に擦り傷つくるのとあまりかわらないかもと思い至っているのに、その辺を理解しようともせず「バカなこと言ってるんじゃない」とか頭ごなしに言う人にはなんか激しくヘトヘトになっちゃうんで、「キミも他のみんなと同じだね」というラモンの気持はなんとなくわかるような気がします。やっぱ機会みつけて見に行ってこよっと。

投稿 円海 | 5月 16, 2005 01:27 午前

私の場合、体は動かなくなっても脳が動いているならば、多少なりとも進歩は可能かなとも思ってしまうので、(脳死ならばともかく)体が動かなくなったことによって死にたいと思うかどうかは、なってみないと分からないところがあるな、と考えるのですが。

身体性の欠如=人間としての生活の停止と捉えるならば、そこで自ら自分の人生を終わりにする選択肢が奪われるのは我慢ならないのかもしれませんね。
うーむ。何をもって人生と考えるのか、それは人それぞれなのかもしれません。

投稿 k-tanaka | 5月 22, 2005 02:02 午前

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