ミュシャ展@都美術館
世間的三連休の中、私はまる一日休めるのは今日だけなので、たまってたタスクを一気に処理しようと街に出る。
(仕事の方のタスクを処理しろよ、ってツッコミも心の底から聞こえますが)
まずはClala-Flalaゆきひろさんのエントリを見て、こりゃ行っておかねばとかねてから思っていた「ミュシャ展」in都美術館。
アルフォンス・ミュシャ展といってただちに想像してしまうのは、まずは今となっては紋切り型の一つに堕したといえるアール・ヌーヴォー様式のポスターの大群であり、さらには絵葉書で見てもこれといった変わり映えのしない少女趣味な大衆広告が、これぞ芸術と言わぬばかりにゴマンと貼り出された展示室。そしてFFシリーズをはじめとするゲームイラスト等でミュシャ的装飾様式にふれた大衆が、ウンカのごとく押し寄せてきては広くもない展示室にギュウギュウに詰め込まれているという、ぞっとしない光景である。
(毒舌失礼)
ということでゆきひろさんのエントリを見なかったら、完全にバカにしていて行かなかったことは疑いないのだけど、行ってみたらかなり面白かった。多謝です。
とはいうものの3時くらいに行ってみるとウンカのような大群衆はやはり存在していて、最初の展示室に入場するのさえ40分待ちというアゼンとするような状況ではあった。先にチケットを買っていなかったら速攻で踵を返していたことであろう・・。今となってはそうして先にチケット買っておいたのが幸いしたなと思ってるわけですが。これから鑑賞を考えている方は絶対に休日に行ってはいけません(といってもあと一週間で終わるのだが)。
個人的なポイントの一つはサラ・ベルナールを描いた演劇ポスターの傑作群で、とにかくその巨大さから受けるインパクトの強さと発色の良さは、こればっかりは実物に触れないと感じとれぬであろうと思わせるものがあった。ミュシャを一夜にして人気アーティストに押し上げた「ジスモンダ」のポスター、それに「ロレンザッチオ」「メディア」「椿姫」「ハムレット」等の演劇ポスターともいずれ劣らぬ大作群で、そこに現れた同時代のイコン、サラ・ベルナールの堂々たるポーズや放たれる光輝には一見の価値がある。
こうした演劇ポスターに始まり、化粧水やシャンパンのポスター、ビスケットのパッケージデザインから鉄工所のカレンダーまでなんでもこなした仕事群にはミュシャの持っていた商業デザイナーの先駆者という属性が見えるし、いっぽうそれらの同時代に描かれた、モローやルドンを思わせる宗教的テーマの挿画やパステル画には、いかにも世紀末〜20世紀初頭の芸術家らしい、神秘主義的側面が垣間見えもする(フリーメーソン協会のメダルデザインなどといった仕事まである!)。
そして何より今回の収穫と思われるのは、ミュシャにおけるチェコ国民主義的な作品の数々である。
ミュシャといえばパリの芸術家という印象があるが、彼はもともとボヘミアの貧しい村で生まれたチェコ人であり、晩年には故郷の首都プラハに帰ってスラヴ民族的主題を数多く作品にしていたのである。
これらは1900年頃の彼を覆っていたアール・ヌーヴォー的作風とは一線を画するもので、そ0の中心は「スラヴ叙事詩」と題された、汎スラヴ主義的民族史を絵画化した一大連作であったという。この展覧会ではその準備のために描かれた習作やモデルの写真しか目にすることはできないが、騎馬民族の侵入やロシアの農奴解放、フス戦争などをモティーフにした雄大な構想のもので、一度実物を目にしてみたいものである。
早大グリークラブの演奏旅行で1990年代にプラハを訪れた折に、ミュシャが手掛けた市民会館の室内装飾を目にしたことがあるのだが、今考えるとこれはそうしたミュシャの「スラブ主義時代」の開始を告げる仕事であったわけである。
どこまでもインターナショナルなアール・ヌーヴォー様式の旗手であり、同時代のチェコ人たち(スメタナやドヴォルザークなど音楽家の活躍が有名である)が取り組んでいた国民芸術の流れには無縁だとばかり思っていたミュシャだが、やはり彼もまた「わが祖国」を歌うボヘミア人の一人であったのだということが分かっただけでも、この展覧会には来る意味があった。
圧倒的な人ごみに押しながされて後半ではボロ切れの様に疲れたものの、最後にはオイルショック時のトイレットペーパー購入に挑む主婦もかくなる努力を払ったのではないかという突撃を敢行し、図録を購入してしまった。
ただ買ったものの、これだけ内容豊富な展覧会の図録にしては解説が千足伸行氏(20世紀初頭周辺の企画はこの人ばっかという印象だが)の導入的解説一本だけで、後は展示物に付された文章の転載だけというのはいかにも寂しいものがある。まあ価格も安めなので致し方ないか・・。
どうでもよいことだが、展覧会のイメージソングを付けるというセンスはあまりにも意味不明です・・・日テレあたりの仕込みなのかもしれないが、万死に値すると思う。
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コメント
去年の「マルモ」を仕掛けたのも、日テレ。
確かに同じところが仕掛けた感はあるなあ。
私と同じくミュシャ好きの母は、あまりに面白かったらしく、ついに絵を買ってました。
家に掛けたところ、絵心と言う表現と真逆にいる父は「…宗教っぽい」とつぶやいたそう。
いい意味で「宗教画っぽい趣」の絵は、いまクローゼット部屋に移動されています。合掌。。
元々高校生のときから、田中くんが圧倒されたポスターが大好きであります。
広告としての商業デザインがたまらん。
投稿 ハナギ | 3月 21, 2005 02:02 午前
ハナギちゃん、コメントありがとうございます。
今回のミュシャ展は、私にとってはミュシャという人を色々な面でとらえるきっかけになって得るものは多かったんだけど、彼の位置付けは微妙になってきた展覧会でした。
コマーシャル・アーティストとしての彼は一流ではあるとは考えるし色々見るポイントも多いのだけど、感情的には「デザイン史を書く上では興味深い存在だよね」という程度の言うなれば記述的な思い入れしか湧いて来ない。
いっぽう個人的な思い入れとしては、彼が故郷チェコのために何かしたいと思って作った作品の方に共感ができるのだけど、そっちの方は作品の放つオーラとしては二流なのかなと思われて・・・うーん困ったな事態です(^^;)
昔は無邪気に好きだったんだけどねぇ・・今となってはミュシャの描く明晰な美をもった女神たちに対し、印刷面以上の厚み、存在感を感じ取れなくなってしまいました。
おやじになってきたのかもしれません。
にしても、ミュシャの絵が持っている異教神話的・またはキリスト教的モティーフを見抜くお父さんはスルドイですな。(って違うか?)
投稿 k-tanaka | 3月 21, 2005 03:28 午前