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1月 04, 2005

いかに人の演説というものはあてにならないか

教育実習の時につけていたノートをめくっていたら、ふと面白いものを見つけた。
今を去ること4年半くらい前、私がまだりんごのようなほっぺの美少年だったころ(少年探偵団風)に行った母校での教育実習の最後に、実習生を代表して教員朝礼で挨拶をした時の草稿である。
以下ちょっとダルいが引用する。

2週間の終わりにあたりまして、教育実習生一同を代表してごあいさつをさせていただきます。 2週間前に同じこの場所をいただいてご挨拶をさせていただいた時には、皆これからということで同じスタートラインに立っていたわけですけれども、実習を終わります本日の朝は、ご指導いただいたことから一人一人の得たものや感じ取った点、など様々であり、また教職というものに対する考えなどもそれぞれ最初の時点からはおのずと変わってきていることと思い、それを私が代表するのは大変困難なのですが、ただ全ての実習生にとって共通であると信じられるのは、ご指導いただいた先生方への限りない感謝の気持ちです。
そして2週間前に申しました様に、これまでの間先生方にとってはご迷惑の連続であったことと思います。(中略)それを、ただご迷惑をおかけしたというだけに終わらせない為にも、この2週間で学びました事を、今後の場で100%にも200%にも生かしていくしかないという思い、これもまた実習生全員に共通する思いであります。(後略)

うんざりするくらい偽善的で偉そうなスピーチ草稿だが、実際この草稿とたいして変わらないことを私は喋ったはずである。うへっ。
しかし驚きあきれるのは、こんな台詞をトウトウとぶった本人(つまり私)が、後日、単位は足りてるのにも関わらず教員免許の申請手続きを忘れ、免状がもらえなかったということである。

100%200%が聞いて呆れる。人の演説などというものがいかにアテにするに足らないかを身をもって示す好例といえよう。

これなんで私は政治家が選挙や国会で何を話そうと絶対に信用しないことにしているのだった。(何か違う)

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