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5月 29, 2004

代々木でビール&レゲエ

エノさんのお誘いで、代々木で開かれた日本‐ジャマイカ国交40周年イベントを見に行く。ビール飲みまくって大変にゴキゲン。どっから湧いたのか!?というくらいにジャマイカンな人たちが大集合していた。天候快晴、音楽、ビールですっかりハイキング気分。持参したおにぎりもイモ煮付けも好評でよかったよかった(^^)。イベントから帰宅する途中、新宿で「スクール・オブ・ロック」でも見ようとチケット買ったが、満席で入れてもらえなかった…(;_;)。
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夜はひさしぶりに中野のフレッシュネスバーガーに入り、飲みすぎで頭に鈍痛を感じつつも、藤田省三「精神史的考察」を気合い(だけ)で読了。

5月 28, 2004

名店クラシック

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中野のオタク立国を論じた先日のエントリに、円さんがコメントをつけてくれて、そこである恐るべき中野のパワースポットに触れたことがキッカケとなって、コメント欄がかつてない盛り上がりを見せた

(このblogで、2つ以上のトラックバックがついたのなんて初めてではなかろか?!円さん、ネタふりありがとうございました。iioさんyujiさん、取り上げていただいてありがとうございました)

まさに波紋疾走(オーヴァードライヴ)と呼ぶほかない状況を呼んだソノモノとは、中野駅近くの路地にインゼンとそびえ立つ伝説の名曲喫茶「クラシック」だ!       ズキュゥゥゥン。

ほとんど、半分崩れかけていると言って過言ではないこの喫茶店。
しかしひとたびここでの異様体験を語る人々は、「クラシック」の店舗の時を越えたボロさであるとか、マヨネーズのフタでミルクを出すようなあまりにも独自すぎる接客姿勢を熱くけなしつつ、裏腹に、その熱さによって愛を表明しているようにみえる。

シアトルから上陸してきたカフェチェーン店が「スタバ」というブランドに従って作り出した誂えモノの快適空間を日本中の各都市にばら撒いていく昨今である。一方で中小の喫茶店は、あきらかに「スタバ」を模倣したノリの改装を行ったり、或いは微妙にノリを違えたりはするものの、本質的にはその亜種でしかあり得ないような風貌に店舗を改装したりしている。
こうしていまや「喫茶店」という空間が、その本来持っているべき奥ゆかしく隠遁的な雰囲気を喪った平板な「カフェ」空間に姿を変えていく・・・というのが最近の流れであるわけだけど、「クラシック」はそんな世間などまるでありもしないかの如く相変わらずボロい店舗のまま、十年一日うまくもないコーヒーと粉末を溶かしこんだジュースを客に出し続けてきたわけで(※)、その潔い世情無視の態度こそが、愛好者に支持され続けているポイントだと思われる。
(※最近はキャップでミルクを出したりはしない)

それでもたまに「東京人」のような好事家の雑誌に取り上げられ、「名曲喫茶」の本性を理解しないカフェ訪問ノリの女子がつめかけたりして店側も迷惑を感じることがあるようだ。この店に入った時には決してゲラゲラ談笑したりはせず、わざわざしかめつらしい顔を作ってプツプツとノイズの入るSPレコードから流れ出すショパンやベートーヴェンの調べに耳を傾けたいものである。

5月 27, 2004

彼らは、どこまで時計の針を戻したいのか

Clala-Flalaさん擬藤岡屋日記さんなどで触れられているが、産経新聞が最近取り上げている「教育の場に唱歌の復活を」というトピックをみていると、不思議な夢の中に生きている男たちがまだこの日本にも残っていることを思わされる。

唱歌復活とはいえ、来年度教科書の大部分を占めるのは、依然、乱れた日本語の無国籍曲、流行曲、外国曲だ。掲載曲をその通り教えるかどうかも、教師に任される。子供の情操を育(はぐく)む教育が正しく施されるか、音楽の時間にもっと関心を払いたい。
引用元はここ

と、いうのだけれども、では彼らが情操を育むと称している歌の中身はどんなかといえば、このようなものだ。

▼日露戦争後間もない明治四十五年に作られたものである。「燈火(ともしび)ちかく衣縫う母は…」と、吹雪の夜に父と母、それに子供たちが囲炉裏(いろり)を囲んで語り合う。日本の家族の原形のようなものを歌った叙情詩となっている。中でも二番を聞くとジーンときてしまう。  ▼「囲炉裏の端に縄なう父は 過ぎしいくさの手柄を語る 居並ぶ子どもは ねむさ忘れて 耳を傾けこぶしを握る」。恐らく日露戦のことだろうか。父親が自らの「歴史」を語ることによって、子供たちとの絆(きずな)を確かめ合っていたことがよくわかるからだ。
引用元の産経抄はこちら

 この太平楽な感想の中には、日本の家族の原型は日露戦争期に遡るべきものという無根拠な前提が示されており、さらに親子の絆は国家(とその歴史)という記憶を共有することによって保たれるべきものという、大きなお世話のお説教が含まれている。

 まともな思考力を持った人士ならば、その「家族」の前提にあらわれた明白な思考停止にも、なくもがなの説教にも大いに不快になる他はないのだが、ここで日露戦争という歴史的事件が示されている点には、単なる不快感に終わらない興味を覚えさせられた。
 というのは、また引き合いに出してしまうが藤田省三「精神史的考察」の中にある一文「或る歴史的変質の時代」に、「変質の時代」として日露戦争への言及がなされていたことがこれに連なって想起されたからだ。

 明治という近代日本の立国の時代に・・流動的なあらゆる選択肢の中から目をこらし耳をそばだてながら現在進行形的に国家を形作っていった時代に一つのピリオドが打たれた日露戦こそ、近代日本の精神史的方向を決定づけたターニングポイントであるという指摘が、前掲書中にある「或る歴史的変質の時代」という一文の要点であった。
 「変質」という多少ネガティヴイメージのある言葉が使われているように、藤田は日露戦後の国家像を、立国の緊張感も具体性も失われ、ただの抽象的欲求(対外的には、膨張欲)と化した代物と断じ去っている。福澤諭吉の名言と「自由党史」序文の比較などを材料として論じられ、大いに感心し納得のできる文章である。

 藤田の指摘から産経のつまらない主張に立ち戻って考えれば、立国の時代、流動的な国際情勢の中で絶え間なく創造的であらざるを得なかった状況を抜け、たんなる抽象的膨張欲と化した国家像こそが、かれら自称「保守層」の取り戻したいものだということなのだろう。
 価値の創造という重責を人々がともにわかちあった時代へ、ではなく、お供え物のように「国体」がデンと心のどこかに居を構え、それをみんなでアガメタテマツリ、汚れでもつけば大騒ぎでそれを拭き取ることを旨とする時代へ、彼らは時計の針を戻したいわけだ。

 別に私は保守主義者ではないけれども、いくら何でも、保守というのはそんなに程度の低いものではなかろうと思うし、受け継ぐべき先人たちの遺産目録にはもうちょっとマシな項目があるはずだと思う。

 (それにしても、藤田省三の本は色んな話に繋がるなァ・・・もしくは、私がムリにつなげてんのかも(^^;)

5月 26, 2004

「英雄」と「偉人」

併読が3冊超になろうとしているところだけど、Yさんとちょこっと坂口安吾トークしているうちに、「信長」が読みたくなっていてもたってもいられなくなり、買いに行った。「信長」はちくま文庫版全集だと9巻におさめられているようだ。
会社の昼休みを使って中野のあおい書店と明屋書店に行ってみたけど、どちらにもちくま文庫版全集がない(あおいには1巻だけ置いてあった)。
私的価値観からいえば、青少年の基本文献と言ってもほぼ間違いのない坂口安吾の全集がないなんて・・・

この文化後進街が!などと苛立ちを覚え、腐っても学生街である早稲田~高田馬場ならありそうなものだと思い、・・・と言うよりないようならば殺ス!(誰を?)というくらいの気持ちで・・・退勤後に高田馬場駅前の芳林堂へ。
果たして全巻揃いで陳列されており事なきを得たわけだが、その折、cosi cosiさんのこのエントリ読んで非常に興味をそそられた佐藤賢一「カエサルを撃て」も発見し、これまた購入。

圧倒的に正しい買物であることは間違いない!(長井秀和風に)・・・と思いつつ、ふと手に抱え込んだ二冊の書物がどちらも「英雄」の物語であることに気付かされ、ちょっと思うところがあった。
というのは現在読書進行中の藤田省三「精神史的考察」中で、つい先日読んだ「松陰の精神史的意味に関する一考察」でもっとも目を開かされた部分、

「英雄」はいわゆる「偉人」とは決定的に範疇的に異なるものである。此の世でしばしば英雄視される「成功者」(偉い人)とも勿論異なる。
という一文が想起されたのだ。

信長は家康に比べて圧倒的に「英雄」イメージが高いし、カエサルはアウグストゥスに比べて圧倒的に「英雄」イメージが高い。どちらもその野望半ばにしての挫折と悲劇的末路が、代表的な要素のひとつになっているキャラクターである。
こうしてみるとどうも、英雄には悲劇的末路がなくてはならないものらしい。
「ガンダム」だって、アムロの末路など誰も気にしはしないが、カミーユがどんな末路であったか忘れている人はいない(「Z」見てる人はだけど)。マーラーの交響曲第6番「悲劇的」はある英雄の戦いとその悲劇的末路を描いた曲で、あまりにもロマンティックな管弦楽と切迫した雰囲気が大変に魅力的だが、最後には英雄に打ち下ろされる宿命(=死)のハンマーの響きで幕を閉じる。
そういえばこの間の土曜に会った名古屋出身の国文院生に、以前から聞いてみたかった「家康の地元じゃ、家康ってどういう扱いなの?」という質問をぶつけてみた。
「そりゃ岡崎市では、小学校で御遺訓を唱和させられたりするらしいですけど・・・、
そんなもん、大人になったら誰も覚えてないですよ。
それに家康って、なにか黒いイメージあるじゃないですか。」
うーん、まあ自分からすすんで神になるような奴にろくな者はいないだろうとは思うけど。

こうしてみると、家康というのは一種の「偉人」であり、成功はしたけど、愛されない存在だとわかる。
「偉人」というのは死んでみれば損なもので、敗北の美につらぬかれて自分という劇に幕をひいた「英雄」たちの方が、人々の印象の中で生き続けるようだ。

竜馬は志半ばで散ったがゆえに美しい、西郷はそれにくらべるとどうかと思うが、やはり悲劇的末路を辿ったことによって人の記憶に残っている。
しかし大久保利通も伊藤博文も暗殺されたわけだが、彼らは果たして「英雄」なのだろうか、というと若干の疑問が残る。英雄であるための条件とは、何なのだろう?

あんまり考えすぎると、なくてもいい先入観をもって本を読みすすめてしまいそうなので、このへんでやめておくことにするが・・・これは今後とも気になるトピックになりそうだ。

「信長」をちょっと読んだが、濃姫の枕元にどっかと肩肘をつき、開口、

 「オレダ。織田信長とは。どうです。織田信長ッて、こんなのさ」
なんて言うような信長像。

って、こりゃ書いてるテメエ自身(安吾)じゃねえのか。などと思える。
オモシロイ(^^)

昼の仕事のマルチタスクっぷりに疲労困憊して献立を考える気力なく、「信長」を読みながら帰宅途中の中華料理屋で一杯。久しぶりの一人外食。しかしトイレに行く途中、厨房脇に積んであるスーパー袋の口がほころび、
「お買い得品」
というシールが貼られた惣菜ギョウザのケースが目に付いた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

もう行かない。(SPEED風に) <古いって

5月 24, 2004

「のだめカンタービレ」登場クラシック曲勝手アンソロジーライナーノーツ【1】

ということで、こないだ作成したクラシック音楽マンガ「のだめカンタービレ」勝手アンソロジーCDのライナーノーツを書いてみる。
「のだめ」愛読者で登場曲に興味をもった方へのガイドにすると同時に、自分の好きなクラシック音盤についてダベろうという便乗企画だ!

さて、のだめアンソロジー(1)「Sオケ&その他編」の一曲目は、
コミックス第5巻50ページから演奏される曲。
音大の学祭、落ちこぼれ集団”Sオケ”が仮装&ピアニカを織り交ぜるという仰天アレンジで勝負に出た、
ジョージ・ガーシュウィンの最高有名曲「ラプソディー・イン・ブルー」。

アンソロジーに収録した演奏はこれ。 (クリックするとAmazon飛びます)B00005FGCZ.09.MZZZZZZZ.jpg
アンドレ・プレヴィン(ピアノ&指揮)、ピッツバーグ交響楽団による演奏。

私の書いた超テキトーなライナーは以下。

米国生の作曲家としては最も有名なガーシュウィンの、最高に有名な作品。
ジャズとクラシックの融合をめざしたものではかなり成功しているし、何といってもメロディが素敵です。
ウディ・アレンの映画「マンハッタン」の冒頭にも使用。またディズニーアニメ「ファンタジア2000」でも1チャプターが割かれています。
しかしピアニカ編曲というのは、ナゾ・・・。
もちろん玄人むけの解説ではないので(そもそもそんなん書けません)、音楽ファンの方はご容赦を。

プレヴィンのこの盤「20世紀の偉大なピアニストたち」は、「ラプソディー・イン・ブルー」以外のガーシュウィン作品・・名作となったピアノ協奏曲、JAZZスタンダード・ナンバーに数えられる「アイ・ガット・リズム」「スワンダフル」などが収められているし、さらにはモーツァルトのピアノ協奏曲、プーランクの小粋なピアノ曲、傑作というほかないショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番など、他の収録曲もキラ星のような名作が揃っていて、大好きな盤のひとつ。

アンドレ・プレヴィンは映画音楽作曲家・アレンジャーとしても数多くの曲をものしているピアニスト/指揮者で、私はジーン・ケリー監督/主演のミュージカル映画「いつも上天気」の音楽が、もの凄くソフィスティケイテッドされた粋な音楽だったなぁという強烈な印象がある。(一回見ただけで、メロディーを口ずさめたりはしないんですが)

もし当記事を読んだクラシックファンの方で「のだめ」も読んでる人がいたら、
「ああいう描写なれば、自分ならこの盤を選ぶッ!」なーんてセレクトなんかも聞いてみたい。
よろしければコメントを・・って言うと、誰ひとり書かなかった場合にクヤシイんで言いませんが(^^;)

コンビーフ炒めご飯と中華玉子スープでビール。

どこが映画的箱庭なんだ!?と問われても返答のできぬ最近。それでも夕飯自炊は続く。

今夜は、バタールにつけて余ったコンビーフとマッシュルームを使い切らねばならん。
そこで、コンビーフとトマトケチャップをご飯にからめて炒めご飯にすることに。そういえば豆腐が余ってたなーと思い、そっちは中華スープにでもしようと適当に考え、西友でケチャップ他を買い込む。相も変わらず適当レシピ。

さて、炒めるにあたりチョイとご飯に味でもつけようと米に水にコンソメを入れてジャーのスイッチをいれ、
その間に豆腐と長ネギ、スープの素を入れてスープを煮込むことに。
で味を見てみると、ちょっと足りない。なんだかラーメンスープみたいだ。
周りを見回してショウユが目に付いたので入れてみる。
さらに味見すると・・・!ますます、東京風醤油ラーメンの味に近づいているではないか!?(←当たり前)

ラーメン大好きだが、麺の代わりに豆腐を入れたラーメンスープなんて飲んだこともない。
何か方向転換しなければ!ネギ油が目に付いた。入れてみる。ますますラーメンに近づいた!
でぇーい、そんならとき卵を入れよう!ついでにワカメも・・・・

とこうしているうち、なんだかこれだけで十分おかずになりそうなボディを持った中華玉子スープが仕上がってしまった。すげえ旨そうな匂い・・。おいしいのは結構だけど当初プランとかなり方向性が変わってしまって微妙な思い。

このスープとビールだけで飲んでもいーなーと思ったが、初心貫徹するべく人参と玉ネギ、マッシュルームを入れてコンビーフ炒めご飯も作る。

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レタスを並べてその上に盛り付け、なにやらビジュアル的にもリッパなものが出来上がった。
しかしイザ食い始めてみると、スプーン一本でどうやってレタス食ったらいいか謎なことに気付く。
料理って奥が深いなァ・・・結局レタスは手でちぎりながら炒めご飯と一緒に食べたのであった。

濱田屋のバタールで朝食

かくべつ自炊でもないし夕食でもないのだけど、なんかビジュアル的にあまりにもヨイので撮ってみた三軒茶屋・濱田屋のバタール。
のっかっているのは金ヤスリではなく(笑)、パンナイフです。
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自炊モードに入ってからこっち、滅多にパン食はしない私だが、しおぴーさん宅映画の日の際にお持ち帰りさせていただいたコイツにはなかなか舌鼓をうった。全粒粉&天然酵母である。世田谷通り沿いにある店舗は昔スシ屋だったところを改装し、和のテイストは残してパン屋にしたということなんだけど、インテリアはともかく、さすがに中で働いてるパン屋の店員が作務衣を着ているのはなかなかの奇観であった。
一回では食べきれないので、残りはツナ缶とコンビーフと玉ネギ、スライスマッシュルームを載せて手弁当にした。
ほかに、関西では「サンライズ」と一般的に称すといいこの店でもやはり「サンライズ」として売られていたメロンパンなぞも、「味わえるメロンパン」という感じで良。
手前のはコンソメスープだけど、刻んだ玉ネギを入れただけで留めておけばいいものを、カットわかめなど入れてしまい、何だかおっかないビジュアルのものになってしまった。

外人オタクのNakano評価

ときおり思い出したように見ては蒙をひらかれる記事に出くわす小ネタblog様を見て、外人オタクのための東京ガイドを読んでみる。

いぜんD-netの例会で三善里沙子さんの話を聞いたとき、
「外国からアニメファンが来日したときは、まず中野のまんだらけに寄り、そこからアニメスタジオの多い杉並を徘徊するのがスタンダードらしい」って話題が出たのだが、ここに裏づけを発見したのだった。

→ソースはこちら「Ask John:今度東京に行くので、何かアドヴァイスを

バーゲンを狙うならば中野ブロードウェイもお薦めです。中野にある四階建てのモールで、新宿からは中央線でたったの一駅です。中野駅で降りてすぐ右手にありますので、絶対に見逃すことはありません。

中野ブロードウェイにはやおい同人誌専門のまんだらけの支店に加え、新旧の同人誌、HENTAI同人誌、マンガやANIME商品、ビデオ、CD、ビデオゲーム、コスプレ商品その他を扱う店が並んでいます。

それにセル画専門店も三つあります。アニメ・ワールド・スター、コミット、ゼロの三店です。中古のゲーセン・ゲーム機、パソコン・ゲーム、レーザーディスク、音楽デッキにビデオデッキ、家具、酒、服、台所用品、食料雑貨の専門店もあります。

まるでパラダイスのような描きっぷりではないかッ!?(笑)
(#「まんだらけ」はやおい同人誌しか置いてないわけではないと思うが・・・。そして、訳者も突っ込んでいるけど中野が本店である)

「東京人」とか読んでいても、なんか中央線沿線の中で高円寺や吉祥寺にくらべてちょっとカスんだイメージの中野。
しかしこの外人オタクアドヴァイザーらしきJohn氏の中では、
「行ってみたい街といえば、秋葉原、渋谷、中野、新宿などが筆頭にあがります。」と、東京の数ある街の中でも最大級に近いプライオリティが与えられているではないか。

こういう賛辞をみると、及び腰になることなく中野区は世界中のOTAKUを最大限受け入れ、中野のために来日する多くのバイヤーたちの消費を刺激すべく、ドル決済をバリバリ奨励して本格的な「知的立国」ならぬ「サブカル立区」をすべきではないか?という気にもなろうというものだ。

それにしても

それから最後にもうひとつ。ためらいは禁物。多くのANIMEファンにとって東京訪問というのは一生に一度の貴重な体験です。面白そうな場所があったら、さっそく覗いてみることです。
(中略)
東京は世界で一番治安が良くて愛想も良い都市なので、東京旅行というめったにない機会はフルに使うべきです。そうすることで益こそあれ、損はありません。

なんだか、ここでだけ「東京」が輝いているような気がするのは私だけだろうか・・(^^;)

Johnさんへの質問は他にもなかなか面白いものがある。

「ファンサブって何」と娘に訊かれました。私もよく耳にするものの、なんなのか分からないでいます。

「娘に訊かれました。」ってあたりが、イタいなぁ・・・
→Ask Johnアーカイヴはこちら

カンヌ映画祭、パルム・ドールはマイケル・ムーアが授賞したようだ。映画祭の威信をかけてブッシュにNO! のフランス魂。これもまた潔し。トニー・ガトリフは最優秀監督賞。新作、早く見たいなぁ。

5月 23, 2004

上野から三軒茶屋まで

朝は上野に出て、名古屋から出てきた友人と合流し、都美術館へ。お目当ては「栄光のオランダ・フランドル絵画展」。
フェルメール「画家のアトリエ」が呼び物の展覧会だ。
会期も半ば近くなり、休日にもかかわらず結構空いてて余裕をもって見ることができた。が、フェルメールの画は本当に素晴らしいものでありはしたものの、他の出展作にコレはという見物が少なく、ちょっと不満が残る。
ヤン・ブリューゲルの「小さい花卉画」や動物の習作、ヤコプ・ファン・ライスダールの叔父にあたるらしいサロモン・ファン・ライスダールの「厚板塀のある風景」あたりが個人的にはイイと思った。
ルーベンスやレンブラントの作品も出ていたが、ちょっとどうかなという感じ。ハルスとかあるともっと良かったんだけど、ウイーン美術史美術館には置いてないのだろうか。

安田講堂で開かれる中古文学会に出席するという友人を送り、上野公園から東大まで歩く。
東大の構内には3度ばかり入ったことがあったと思うが、安田講堂を目の当たりにしたのは初めてなので、ちょっと撮ってみた。
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柱の随所が欠けたり剥がれ落ちているのだが、これはかつて機動隊と学生が衝突した時の名残なのであろうか・・・

午後からはしおぴーさん、Yさんと映画三昧会である。
まず有楽町スバル座でジェームス・アイヴォリー監督「ル・ディヴォース~パリに恋して」を見る。アイヴォリー作品初挑戦。お二人はちょっと不満だったようだけれども、私はけっこう楽しんだ。映画の前半は物語要素がじゅうぶん整理されていない感があり、もどかしく思わざるを得なかったが、後半、ジョルジュ・ラ・トゥールの画をめぐって米仏二家族の対決が展開するあたりからガゼン面白くなる。「わたしんちの画」と主張する米家族vs「フランスの画」と主張する仏家族の対決やいかに・・・というサイドストーリーを私は実は一番楽しんでしまったのだが、この映画の後半では3,4つほどのストーリーラインが同時的に進行し、最後にパリの空を舞う真っ赤なケリーバッグと聖ウルスラの微笑にうまく収斂していく。このあたりの画的な収め方、見事というほかない。お話の筋的にはちょっと無理繰りなとこもあって、難点なきとはしないが・・・(こればっか)。
ナオミ・ワッツってこれまで「マルホランド・ドライブ」だの「リング」だの暗い映画ばっかりだったので、この映画じゃ明るく天使的な笑顔を見せてくれるものかと思っていたが、冒頭いきなりダンナに逃げられ、手首切ったりして、やっぱり暗いヒロインだった。あと、ワッツ/ハドソン姉妹の父親役で出てきたサム・ウォーターストンがいい感じの親父さんで良。

夕方からは、三軒茶屋の蔦屋で各人一本ずつ見たい(または見せたい)ビデオを借り、しおぴーさん宅にて鑑賞会。

私のセレクトはエルンスト・ルビッチ監督の「生きるべきか死ぬべきか」"To Be or Not to Be"。ポーランドの一劇団を舞台として、スパイ・サスペンスとセックス・コメディが交錯する無比の喜劇空間を作り出した1942年の傑作。メル・ブルックスのリメイク「メル・ブルックスの大脱走」の方が知られているが、原作のほうがやっぱり粋だし、笑える。映画完成後すぐに飛行機事故で急逝したキャロル・ロンバードの美しさもさることながら、ゲシュタポの長官役シグ・ルーマンの、眼ん玉かっ開いた狂気じみた道化役ぶりが素晴らしい。
これは確か大学入りたてのまだピチピチした頃にビデオで見て笑い死にしそうになったものだったが、ユダヤ人の劇団員がシャイロック役を演じる願望を果たすシーンなど、当時見たときは印象に残らなかったものの実は深いメッセージ性を含んでいて熱いことに気付いたりして、再見できてよかった。
あと、篠原哲雄の「草の上の仕事」なども見た。

しこたま飲みまくり、途中寝たりなんかもして終電で帰宅。

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