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1月 10, 2004

三池崇史

"Radioactive Log"で三池崇史監督「荒ぶる魂たち」ビデオ版の感想を読む。
自分にとって三池崇史監督の映画はとてつもなくツボに入ったり、なんかズレていたりと、作品によってかなり違うのだが、ズレているならズレ方も面白いので、新作を見るのがいつも楽しみ、という貴重な存在だ。
「荒ぶる魂たち」は三池映画の中でもかなり自分のツボに入ってきた作品で、この映画をはじめ、今のところ武知鎮典脚本のヤクザ映画で期待以下だったものは一本もない。「新・仁義の墓場」、そして去年の「許されざる者」とどれも素晴らしい。
「荒ぶる魂たち」は劇場公開時に見ていて、ビデオ版は見ていない。確かシブヤ・シネマ・ソサエティで見たのだったと思う。渋谷のミニシアターでヤクザ映画って以前は考えられなかったのだろうが、「荒ぶる~」が「女性が泣けるヤクザ映画」などと評され、「許されざる者」がシアター・イメージフォーラムで公開されたことを考えても、三池監督はどのような映画を撮っても既にジャンル映画とは見なされない「作家」として広く認知されているのだろう。

私のツボに入った三池映画
・「日本黒社会 LEY LINES」 ・「荒ぶる魂たち」 ・「新・仁義の墓場」 ・「許されざる者」 ・「漂流街」 ・「DEAD OR ALIVE 犯罪者」

ツボを外した三池映画
・「殺し屋1」 ・「カタクリ家の幸福」 ・「オーディション」

他にもDOAシリーズの続編や、「天国から来た男たち」「極道戦国志 不動」など、自分的にどうしようかな~と評価に困る作品群というのもある。(ギャグは面白いけど)
こう考えると、比較的マジメに撮った作品の方が好きみたいだ。もちろんDOAは例のラストがあるのだが、そこまでの筋立ては非常にしっかりしていたように思う。
「アンドロメディア」「サラリーマン金太郎」あたりのラインは残念ながら未見(すいません)。
いま何といっても見たいのは「牛頭」そして公開を間近にひかえた新作「ゼブラーマン」だ。

「ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』精読」

多木浩二「ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』精読」(岩波現代文庫)とりあえず読了。
原典の日本語訳も巻末にくっついていて、実に便利な本だ。

文中でも
「ベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』というと、アウラ、礼拝的価値、展示的価値の三題噺のように思われがち」
と書かれているが、やはり自分もこの3つの言葉くらいは聞いたことがあった。
これらの概念が述べられている書物が「複製技術時代の芸術作品」だということだったので、その議論が大半をしめているものとばかり思っていた。

アウラ、といっても、つまらないダジャレをJRの吊り広告に大々的に刷りまくる朝日新聞の恥ずかしい週刊誌(笑)のことではない。
写真の技術が発展し、大量にイメージを複製することができるようになったことで、昔ながらの芸術作品から消えてしまったものを指している。

私的に述べると、たとえばそれは高性能のハイビジョンカメラで撮影されたモナ・リザをディスプレイで見て「こりゃ本物よりきれいだ」「本物を見るよりいいや」などと思ったなら、そこには何か大事なものが欠けていると思う・・、
その「大事なもの」がアウラということになるんではないかと考えている。
イメージをいくらでも複製可能にする技術の登場は、芸術作品が「そこに一回限り存在する」という事実によってまとわせていたアウラを、永遠に失わせてしまった、というのがベンヤミンのアウラと複製技術についての論議だった。

しかし実際には、この本はいっそう豊かな問題に言及していて、原典が単に「複製技術」の登場による芸術のパラダイム転換について問題提起した書物ではなかったのだと気づかせてくれた。映画論、政治哲学、視覚主体の芸術受容から触覚による受容へ、などなど。

この視覚から触覚へ、は美学の変容について述べているが、「美学」とは単に芸術作品の見かたにとどまらず、感性的認識の学問であるわけで、美学の変容は私たちの世界のとらえ方の変容にも繋がる問題である。

ところで、アウラが失われるという事態は言葉についてもいうことができると思う。
文語が消滅した理由はコトバが大量に複製され大量に消費される時代をむかえたこんにち、他人に伝達する手段として「朗読」に重きを置いてきた時代が過ぎ去ったからではないか、という意味のことを山本夏彦は「完本 文語文」でも書いていた。
そう考えると、さらに瞬時に発信され受容され消費されていく、そんな環境がクモの巣のように世界中を取り囲んでいるネットワークコミュニティ上では、さらに言葉はアウラからかけ離れた存在になっていくのではないか。
その落し子がたとえば2ちゃんねる語のようなものなのかもしれない。ものすごいスピードで試され、変わり、コピー&ペーストなど極限まで合理化された形で複製され、そしてたちまちのうちに消費されていくというプロセスが、ネットワークコミュニティ上の言葉をとりまく事態なのだ。

ほかにも色々かくつもりだったが、眠いのでまた今度。

1月 09, 2004

みなもとファンページ/靖国神社のフシギ

腐女子さん(こんな省略は許されるのか?)がみなもと太郎ファンページを紹介している
私もさっそくスクリーンセーバー入れてみました。
うわ 平賀源内の首が飛んでいる。

私が「風雲児たち」の中で最も好きなキャラクターは前野良沢だ。
人に認められなくても別によい、自分は自分の道を行けば良いのだというあの意志・・では別になく、
単に私もひとり芝居をよくやる奴だからである。

引くなよ。

閑話休題。
前記MLで、靖国神社のことが話題になっていたので、一回読んだまましまっておいた坪内祐三の「靖国」をひもといてみた。

靖国神社はもともと、尊皇攘夷の志士を祭るためにできたもので、天皇の戦争で「官軍側」について死んだ人間はことごとく合祀されることになっていく。
日露戦争でロシアに沈められた日本船の船長ほか3名がたまたまイギリス人だったのだが、彼らも靖国神社に合祀されたという。
って英国人はキリスト教徒だろうに、実に迷惑な話である。

そんな靖国神社の原型となる東京招魂社を作ったのは、なんと「ラスト・サムライ」でもそれっぽいキャラが出てくる大村益次郎だったんですな。
武士の時代は、「家名に恥じない名誉ある死」を選ぶことで死者としての名誉を得ることができたが、大村益次郎はそんな精神的バックグラウンドのない平民を組織して国民軍をつくることをめざした。(このへんは、映画「ラスト・サムライ」でもちょっとアレンジした形で描かれているところだ)
じゃあ、戦争で死んだ平民にとっての名誉はどこにあるのか?

ひょっとしたら、サムライ的な名誉の伝統がない平民を死地に動員するために、大村は、「家名」とは違った形で死者を大きな「名誉」の中に横たえる仕組みとして、「靖国神社」という伝統を創出することを必要とした・・と、いうことなのかもしれない。

そう考えると「『ラスト・サムライ』に日本の失われた伝統を教えられる」などとコメントする人が靖国神社に行って手を合わせるのは、ちょっと意味深な話だなぁ。

1月 08, 2004

川柳2本め

何撮るの 猫もシャクシも カメラつき (「これは、携帯についての川柳だよ!」byモグタン)

1月 06, 2004

意外とメジャーなみなもと太郎

いやー、びっくりした。
自分でマイリストに加えているブログからトラックバックを受けるとは。
「腐女子の行く道、萌える道」さんから私の先日の記事で「風雲児たち」にふれた部分についてトラックバックをいただいた。
「風雲児たち」を読むとわかるが、男子キャラとブスキャラ以外の美少女キャラは、異様に少女マンガちっくなみなもとマンガ。
しかも、前野良沢はどんどん年をとって枯れていくが、その娘(美少女)はいっさい年をとらない。

だが、まさか「トップをねらえ!」の画なんか描いているほどに萌えキャラ好きとは、私も思ってもみませんでした。
おもしろいものを見せてくれて、感謝。

みなもと太郎先生がどうも同人誌出してるらしいという事実を私が知ったのは、ふと立ち寄った吉祥寺駅前のまんがの森でだったと思う。「風雲児たち」14巻がなかなか手に入らず、マンガのありそうな本屋に片っ端から入っていたところだったのだが、そこのまんがの森には14巻は置いていないかわり、大書店では見たことも無いタイトルのみなもとマンガが並んでいた。

しかし、この体裁は、妙に判型が大きくてノートのように薄いこの体裁は・・・。
コレはまさしく、あの見本市会場と秋葉原でしか取引されない(誇張です)という、あんだぐらうんどな出版物ではないかッッ!?
しかも、「風雲児たち」外伝のみならず、なんぞあやしげな(←ほぼ一つの意味で)表紙のものもあるぞ・・。

そっちに興味ひかれたりもしたんですが、軍資金に余裕もなく、結局「風雲児たち 外伝 冗談新撰組」のみ買ったのでした。→その時の日記
うーん、それにしてもあの熱い歴史記述と萌え系、ギャップでかいなー。面白い。ますますコミケ行ってみたくなってきた。

「風雲児たち」のオビに賛辞を寄せているそうそうたるメンバーからみても、みなもと太郎ファンは世間の各方面にインゼンたる勢力を形成しているらしく、もはや知らないのは一般peopleだけなのではないかと思われる。「復刊ドットコム」では「みなもと太郎復刊特集ページ」なるものまである。「ホモホモ7」や「レ・ミゼラブル」も刊行されるようだ・・。「レ・ミゼラブル」は超読みたかった作品なので、コレを書いたらさっそくカートに放り込んでおこうと思う。

さて、この記事で逆トラックバックしようと思う「腐女子の行く道、萌える道」は私実はけっこー読んでいるのです。
今の女子高生は文章ウマいなぁ、って、いつも感心しているのだ。
私の日記を読んでいる萌え系の方(何人かいるハズ)は、ぜひブックマークすることをおすすめします。

買った本「風雲児たち」20巻・5ヶ国語図鑑「ファイブ・ランゲージ」ほか

中野駅前のあおい書店で買物。
みなもと太郎「ワイド版 風雲児たち」第20巻(リイド社SPコミックス)、近藤ようこ「遠くにありて」(小学館文庫)、紀田順一郎日本語版監修の「5Language(ファイブ・ランゲージ)」(ネコ・パブリッシング)、インターネットマガジン2月号。

「風雲児たち」は今回で完結ということで、同じリイド社でいまのところ3巻まで出ている「風雲児たち 幕末編」に引き継がれる。この巻ではついに高野長英が果てる。たしか子供の頃読んだ「まんが日本の歴史」では高野長英は捕方を斬り捨てたりとかなり抵抗しているふうに描かれていたが、みなもと太郎によればそれは捕方のでっち上げで、実際には逃亡をはかる長英を多数の捕方がよってたかって十手で撲殺した・・というのが真相という。ペリーが米国で日本渡航のための下調べを行い、坂本竜馬が江戸をめざして土佐を旅立つところで「風雲児たち」20巻は終わる・・。オビ広告は過大広告ではけっしてなく、この大河マンガ全20巻を読んで近世・近代日本史がつまらないと思う人はいないだろう。圧倒的名著。しかも私的感覚でいえば、みなもと太郎のキャラのコケ方はギャグマンガのずっこけの中で最高にイイ感じだと思う。コケを見ているだけでうれしくなる。

「5Language」は、英語・フランス語・ドイツ語・イタリア語と日本語を併記した写真図鑑で、ながめているだけでめっぽう面白い。オビには「絵と5つの国の言葉でひけるビジュアル事典」とある。掲載の範囲は人体だの便所だの西洋寺院の解剖図からゴルフ場の地図、天体にまでおよぶ。「健康」の大ジャンル中では診察(consultation/la consultation/die Konsultation/la visita)風景の写真があり、その中でも医者の呼び方五ヶ国語はもちろん、医者が参照しているレントゲンビューアーから処方箋(prescription/l'ordonnance/das Rezept/la ricetta)にいたるまで書かれている。細かすぎて付き合いきれなくならないように節度ある網羅性を保っていて、興にひかれてながめ読みするのにちょうどいい感じである。ある事物をあらわす4か国の外国語の中でどれが日本語になじんでいる言葉なのかが発見できたり、外国語同士でどれとどれの語源が近いのかなどが発見できたりと、興味はつきない。レイアウトもよく、子供のころに図鑑をながめるのが好きだったのを懐かしく思い出す。これで3,800円なら安いのでは?

インターネットマガジンはCMS特集を読みたくて買ったのだが、サブ特集でウェブログについて書かれている。今使っている「ココログ」は、実はウェブログの中ではかなり本命視されている(すくなくともインターネットマガジンの編集部では)ということとか、他にも日本語で書けるウェブログのツールはゴマンとあることなどを今更ながら知った。

昨晩読了した吉村平吉「吉原酔狂ぐらし」についてはまた別のときに書こう。

ラスト・サムライ百家争鳴

「ラスト・サムライ」って、じつに議論をよびやすい映画のようだ・・。
やっぱり、これだけ「アメリカ映画が日本人の心を描いてくれた!」とかなんとか騒ぎ立てられると、
「オイちょっと待てや」と口つっこみたくもなる。
「パール・ハーバー」の時は、歴史的に重要な事件を扱っているにも関わらず昼メロみたいなカスカスの展開だったし、ご本国でも興行的大失敗だったそうなんで、まーどーでもいーや的ノリも正直あったが、この映画は評価されているらしいだけに、私をふくめて皆だまっちゃおれんのであろう。
渡辺健さんには、受賞して仕事がブイブイ入ったら借金も返せるだろうし、はしゃいじゃうくらい喜ぶのはわかる。素直におめでとうを言いたい。

いっしょの職場の営業さんが、「実は先輩がこの映画出てるんだよね」という話をしてくれた。
その先輩が現場をともにした感想によれば、なんでもトムさん、とにかく周囲に気を使わせるタイプらしく、気のきいたセリフの一言も言わないとヤバいので会話していると疲れるお人なのであるそうだ。
トムにとっては日常そのものが映画なのだろう。映画俳優らしいと言えば聞こえはいいが、友達にはなりたくないタイプ。(←これはその話をきいた私の感想ね)
ホントは全然英語ができない健さんは始終英語セリフの練習をしている超努力家で、非常に好感がもてたそうである。

1月 05, 2004

トラックバック初め/安野モヨコ「さくらん」

トラックバックぞめ。
weblogを始めて初回記事の「木更津キャッツアイ」記事に、し~やもんやもんさんからトラックバックをいただきました。ほうほう、こういうものなのか・・と思いつつ記事にコメントを投稿させていただき、しかるのちトラックバック返し。
「木更津キャッツアイ 日本シリーズ」はまだシネマライズ、ワーナー東武練馬などで上映しているので、ドラマを見て、「あー、もうあれで終わりなの~?もう一話見てぇなぁ」なんて思った人は見るといいと思います。

最近庵野秀明の奥さんであったのか~ってことを「ユリイカ」かなんかで知った安野モヨコの「さくらん」を読む。
吉原の伎楼で、やがては花魁にまでのぼりつめる性格キツめの女の子を主人公にした新作。
おもえば、新宿西口のうまいコーヒーを出す喫茶店で、男にふられた女友達と語り合っているとき、イブニングに連載されていたこのマンガの話になった(あれは7月か8月ころだったろうか?)
猛烈に推薦されたので、その場でイブニング読んだのだったか後で立ち読みしたのかは忘れたが、そのとき読んだのがちょうどこのコミックス単行本のラストに入っている最終話だった。
なにしろ結末を知っているもんだから、後半メインのストーリーは、アツい気分では読めなかった。
とはいえ、前半、中盤あたりはエピソードも面白く、快調に読めた。
主人公にとって浮世の指南役ともいえる高野屋(じじい)とのやりとりなどは、何度か読み返してしまう。

それにしてもこの人、一瞬一瞬のシーンづくりがすばらしくうまい。紙の中からこちらを見つめる女たちの視線にしばし、ページをめくる手がすくむ。
花魁にいたるまでの女の子のステップアップの過程なども描かれて「へぇ~」と思わせる部分もあり、総じて買いの一冊といえるだろう。

あ、そういえば「ジェリービーンズ」の最終巻まだ読んでなかったな・・・。

1月 04, 2004

買った本:「バカの壁」「ケータイを持ったサル」

新潟を離れる日。駅ビル文信堂書店で養老孟司「バカの壁」、正高信男「ケータイを持ったサル」を購入。ベストセラーは売れてる間は買わない質の私だが、敬愛する先輩の薦めゆえ買ってみた。後者は、サル学の権威である著者が「電車内でケータイにかじりつく高校生は、わたしの研究対象(=サル)に近いのでは?」という発見によって書かれたというのが笑える。先輩と新潟駅南のお洒落なダイニングバーで大いに語る。お互いの発見=二人とも自己完結型である (1)集団の頭をとる事に興味がない(2)そのくせ、自分に役割が求められているかどうかには妙に敏感だ(3)しかも、いったんコトに取り組むと自分が納得できる形でしかやりたがらないので、周囲は大いに閉口する。・・この性質、いいんだか悪いんだか。

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