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3月 12, 2004

クラシックファン in SPACE SHOWER MUSIC VIDEO AWARDS '04

同じ会社で行けなくなった人の代わりに、SPACE SHOWER Music Video Awards '04 at 日本武道館に行く。
ミスチル、ヤイコ、ケミストリーなどがライヴをやる、ものすごくおいしいイベントなのだが(ヤフオクではチケットが1万以上の値をつけたそうだ)、それを私の如きいちクラシックファンが行くってどうなんだろう。
猫に小判、豚に真珠の最たる例というものではないでしょうか。
直前までウォークマンでミクロス・ローザの「スペルバウンド協奏曲」とか聞いてるような人物が・・・。

まあ、行ったら行ったで楽しんだんですけどね。特に氣志團はよかった。やっぱりエンターテイナー。"One Night Carnival"は楽しいっすね。
あの、プロなのか地元木更津のヤンなのかよくわからないバックダンサーもナマで見れて感無量です。詳しくは知らないながらも、ちょっと振り付けにあわせて踊ってしまった。

他はいろいろあったがミスチルが「やっぱ見得切りながら歌ってるから人気でるんだなー」というさめた感想のほかは、矢井田瞳のあのアコースティックギターは何か意味あんのか!?って思ったのが印象的。

それにしても、せっかくMusic Video Awardsなんだから、授賞したPVはその場でフルコーラス見せてほしいものである。
特に、Best group Video (International)を授賞したミシェル・ゴンドリーのPVは見たかった。おもしろそうである。ま、ちゃんとチャンネルでフォローするよね?(頼みますよ、スペースシャワーさん。)

日本武道館って存在は普段何ら縁がなく、そのせいにするわけでもないがてっきり両国にあるものと思って日本国技館近くまで行ってしまった。すもうとりの巨大な壁画をながめているそんな時、行動予定表に「両国」と書いてある不審点に気づいた上司から電話で的確な指摘を受けた。
たしかに、「あれ、土俵の上でライブやんのかな・・・」などと両国駅を降りた時点で気づきはしたが。

あと今日は八重洲ブックセンターでアラン・ロブ=グリエの新作「反復」を購入。正直言ってロブ=グリエの作品は今まで読んだ「拭逆者」「迷路のなかで」もしごくつまらなかった。何しろストーリーテリングにあたる部分はまるで見受けられず、つるつるてかてかした肌感触の描写がひたすら反復される。何度ふれてもさっぱりいいと思わないけれども理解したいとは思う、私的にはゴダールに近い位置づけの作家だ。

3月 11, 2004

はじめての遺失物届

同じチームにいるIさんの家でホームパーティ。イタリア風のトマトソース鍋という一風変わった趣向です。
ワタリガニや牡蠣、レタスやブロッコリを入れてぐつぐつ煮込むのだが、これが破格においしい。一通り食べた後はごはんとチーズを入れてとろーりチーズのリゾットに。鍋の底を舐めんばかりにみんな食べまくった。
ワイン赤白を飲んでしこたま酔ったあげく自転車で帰宅する途中、なんと財布を落とし、中野駅前の交番に出頭した。財布が届けられていませんか、と確認すると、「ああ、tanakaさんですね、届いてます」と言われつつ、該当の遺失物を対面する前に遺失物届を書かされた。生涯最初の遺失物届であった為、面白いものだなあと感心。
かなり本人確認情報を詳細に聞かれるものである。住所氏名はもちろん、入っていた金額、キャッシュカードの銀行名、クレジットカードの種別まで詳細に聞かれ、何か顔写真入りの証明書を所持していないかどうかまで確認されたあげくにようやく財布に御対面。
幸い落としてすぐに届けられていた様で、たまさか所持していた社員証と顔写真一致で渡された。事なきを得て良かった良かった。

3月 10, 2004

山形由美・荘村清志コンサート

 川崎の某所で行われたクローズドなコンサートにご招待を受けて伺う。
 出演者はフルート奏者の山形由美さんと、ギター奏者の荘村清志さん。
曲目はバッハからピアソラまで様々だったが、私が一番聴けてうれしかったのはバルトークの「ルーマニア民俗舞曲」。
 去年のベートーヴェン/バルトーク/ビートルズの弦楽四重奏コンサート企画に関わって以来、バルトークは好きな作曲家の一人に格上げされているが、作曲家自身の気難しさをあらわすように、親しみにくい曲も多い。
 そんな中で、ゾルタン・コシチュが弾くピアノ作品集で初めて聴いたこの「ルーマニア民俗舞曲」は、彼がときおりみせる優しい面、とくにこよなく愛する東欧の農民の素朴な暮らしに寄せる眼差しを思わせる、とても親しみやすく愛らしい曲である。
 特に第一曲など、マジャール民族音楽的な独特のリズムの刻み方もおもしろいが、なんとなく私たちにも共通するようなどことないノスタルジーの感覚をかきたてられる。田園で夕刻、日の沈むまえに聴いたりするとこの上なく感激するだろうなあ、と思わされる佳品。
 もとピアノ曲だが、フルートとギター演奏用に編曲されたものが今回は演奏されていた。
(バルトークがいかに農民の素朴な暮らしを愛していたかは、アガサ・ファセット「バルトーク晩年の悲劇」に詳しい。バルトークという人の得難いパーソナリティとともに、芸術家というのは何てめんどくさい人だというか、本当の偉人は芸術家の周りにいて芸術家を理解し支えることのできる人なのではないか、なんてことさえ考えさせられてしまうような名著である)

 「ルーマニア民俗舞曲」をふくめた当夜のプログラムは以下のとおり。

エルガー/愛のあいさつ
イギリス民謡/グリーンスリーブスによる変奏曲
ペルゴレージ/シシリアーノ
J.S.バッハ/組曲ニ短調 BWV.997より
バルトーク/ルーマニア民俗舞曲(配布プログラムでは「民族舞曲」となっているが、どっちが正しいのかね?)
ドビュッシー/シリンクス
イエペス/愛のロマンス(「禁じられた遊び」)
ニーノ・ロータ/太陽がいっぱい
ウイーター/「ドリームパイプ」より マリア・イン・マイ・マインド ハイヒール
ピアソラ/「タンゴの歴史」より 1900年:ボルデル 1960年:ナイトクラブ

アンコールはヨハン・シュトラウスの「トリッチ・トラッチ・ポルカ」と、ショーロの小品(名前忘れた)。
 口あたりのいい演奏会だったけど、なにかゴツいものを一曲聴きたかった気もするというのは少々贅沢か。

3月 09, 2004

ストレスがオナラと一緒に出ないものか。

 先週末は疲れていたせいもあったのか滅茶苦茶イラつきがひどく、人あたりがとげとげしかったのだが、
 考えてみれば誰かにいいつけられて忙しくなったというより、自分で「やらなきゃヤバいだろう」としょいこんできた仕事なわけであり、周囲からすれば自分でしたくてやったことにも見える、それで忙しくなったからといってイラついて人に幣を及ぼすというのは実に言語道断・勝手千万な話である。
 それに気づいて物凄い自己嫌悪に陥り、もう己の首を落して井戸にでも投げ込んでしまいたくなる気分になった。
 まあ、簡単な話、煮詰まっていたわけである。

 それがこれまで書いたように、この2日間好きなことしかしなかったもので、かなり精神的に楽にはなった。
 特にドライヤーの映画を見たのは効いたなあ。

 しかし先週末の私のごとく「人生に疲れた」とでも言ってしまいかねない境遇に陥っている人は、同じ職場にも他にいる。
 こういう境遇の人を見ると、まったくストレスというのは現代最大の病であって、ストレスが神経性胃炎に発展するに至っては、もはや労災なのではないかとも思う(実際は業務との関連性を見定めるのがきわめて困難のようで、難しそうだが)。

 しかし世の中、体内の老廃物を出して健康になる、みたいな話はけっこう転がっているが、もしもストレスを肉体的に排泄する健康法を編み出せたなら、億万長者になれるだろう。
 「ストレスがオナラと一緒に出たら面白いんですけどね」などとバカなアイデアを話してみたが、
 実際、カラオケや合唱で歌を歌うことによってストレスが発散できるのなら、ものすごく高速かつ高圧な放屁をすることによってストレスを解消することも、理論的には可能なのではなかろうか?
 じっさい、そこにあるのは上の口と下の口の差だけではないか!
 しかも体内にたまった精神的な毒をバァーッと出すわけだから、きっとものすごい臭気であろう。
 そいつを自分のストレスの原因になった堕地獄野郎に思い切り浴びせかけて卒倒させたら、溜飲も下がって一石二鳥・・・

 ↑もはや発想がねずみ男です。

 森まゆみ「鴎外の坂」を読み始める。「青年」に登場する谷中や根津あたりの地理をつぶさに記述するあたり、さすがは「谷根千」の森さんならでは。おもしろい。平行して鴎外の原典も進行。今日は「舞姫」を読了。
 鴎外の歴史小説に私がひきこまれるのは、なにか小説の長さ加減やその好ましい簡潔さが、大好きなスタンダールの「イタリア年代記」の中短編群を思い出させるからかもしれない、などと今日気づいた。もちろんそれぞれのテーマや読ませどころは違うのだけど。

3月 08, 2004

「マスター・アンド・コマンダー」~結婚式二次会へ。

 会社の同僚、Oさんの結婚二次会に出席するべく新宿へGO。

 まだお昼過ぎだったので、時間の合う映画を何か一本見ようなどと思い、新宿スカラ座でピーター・ウィアー監督「マスター・アンド・コマンダー」見る。
 「ドン」「ドン」という砲声の音響効果がなかなかいい。音響にこだわった小屋で見たい一本です。原作はパトリック・オブライエン、英国海洋冒険小説の映画化という事でセシル・スコット・フォレスターの「ホーンブロワー」シリーズなんかを読んでいた高校の頃を懐かしく思い出す。前半、フランスの私掠船による突然の砲撃から始まる展開はなかなか引き込まれるが、だんだん見ていくうちに「ヌルいなあ・・・、もう少し嵐や砲撃戦を激しく描いてもいいのではないか?」といった不満がたまってくる。なんか19世紀初頭の海戦ってこんな呑気なもんなの?という印象。
 この映画で注目が集まるのはむしろ好脇役ポール・ベタニー演じる船医にして博物学者マチュリンのガラパゴス研究に賭ける情熱と、ラッセル・クロウ演じるオーブリー船長の軍務に賭ける執念との葛藤である。もっとも美しく印象深いのは、ベタニーが眼を輝かせて散策するガラパゴス諸島の陸上シーン(ガラパゴスでのロケは映画史上初だということだ)。
 いっぽうでクロウの船長ぶりにはいまひとつ入り込めるものが感じられない。まぁ、「今はこの船がイングランドそのものだ!」と、オーストラリア人俳優がオーストラリア人監督の映画でアジった所で、今一つ魂が入らぬのも道理かも知れぬ。このあたりには景気よく英国国歌をモティーフに入れた大管弦楽を鳴らして欲しかった。70点くらいかなぁ・・。

 Oさんの二次会に出席ししこたまビールを飲みまくる。ビンゴゲームではエポック社のDX野球ゲームなるものが当たった。テレビにつないで、ボール型やバット型のコントローラーを使用して投げたり打ったりする、なにかひと昔前のテレビゲームっぽいブツだ。うーん・・。これをやりたがるような客が果たしてウチに来るものであろうか。

3月 07, 2004

忍者つけました

忍者TOOLS設置しました。右上に手裏剣出ると思いますけどすみません。
すごい機能の盛り沢山ぶりにびっくり。

ドライヤーの遺作「ゲアトルーズ」

イ・チャンドンの新作「オアシス」を見に渋谷へ出ようと思っていたのだが、いまひとつ時間があわない。手元のぴあをめくってみると、吉祥寺バウスシアターでカール・ドライヤー監督特集をやっている!さっそく吉祥寺に出ることにきめてドトールを出る。

 吉祥寺の公園口にあるまんがの森に立ち寄ると、復刊ドットコムで再版されたみなもと太郎「ホモホモ7」が並んでいるのを発見。篠原とおるやさいとう・たかを調の劇画タッチとゆるみにゆるみまくったホモホモ7の描線の対比に爆笑できる傑作だ。(復刊ドットコムによれば「レ・ミゼラブル」の復刊も確定したそうで、復刊ドットコム万歳である)また最新刊の「風雲児たち 幕末編」第四巻もGET。なぜこんなに吉祥寺のまんがの森はみなもと太郎に異常に強いのか。ひょっとして地元なのだろうか?

 バウスに行き着き、レイトショーでカール・ドライヤー監督「ゲアトルーズ」を見る。1964年の作品であり、神話的な映画作家であるドライヤーの遺作でもある。
 映画は、大臣に出世することが決まって自宅に戻ってきたカニング弁護士が妻を呼ぶ「ゲアトルーズ、ゲアトルーズ」という声で始まる。この「ゲアトルーズ」と呼ばわる声はクライマックスでそっくりそのまま繰り返されるのだが、それは冒頭で大臣に立身出世したことを妻に伝えたくて呼ぶ声ではなく、どうしようもなく関係が決裂して出ていった妻への未練に思わず搾り出される声に変貌しているのだ。
 全体は、「愛がすべて」とのたまう女主人公ゲアトルーズが、「あなたは高慢だ、最初は上流階級だから高慢なのかなと思っていたが、そうではない、魂が高慢なのだ」などといったフォローのしようがない言葉をかけられながらも、己の中にある真実の愛を一心に追い求めながら、結局だれの許に腰を落ち着けるでもなく老いさらばえていく姿を描く。
 特徴的な、互いに人物が視線をかわさないで語り合うところ(演劇っぽい)を別にすれば、必要な描写だけがきっちりと濃密に描かれ無駄がいっさい省かれている印象で、少しも過剰なところがない映画に思える。
 私は映画において過剰さを楽しむ傾向があるので(それなので三池崇史の映画なんかは大好きだ)、あまり普段はこういう映画を好まないのだが、このような古典的な意味での堂々たる芸術ぶりを見せられるとさすがに頭が下がる。
 ときに挿入される、人物心理を象徴するような構図のものすごい完成度には、フェルメールの絵画でも見ているときのような感銘を与えられる。
 以前ビデオで見た「吸血鬼」と比較しても、けっこう見やすく面白い映画ではないかと思う。

「阿部一族」「堺事件」読了

 「神様がくれた赤ん坊」をテレビで見ている間に郷からの小包が届いた。お米が入っていたのでこれでしばらくは自炊できそうだ(←って自分で買えよ)。一緒に入っていたカップヌードルに湯をいれて食べ、東中野のエネスタにガス料金を支払いに出る。最近払い込み用紙をよく無くしてしまう。学生のころから公共料金はその価格をたしかめるべく直接払い込んでいたのだが、そろそろ口座引き落としに移してもよいころだ。引き落としやコンビニ支払いなど利便性が向上するいっぽうで、電気会社やガス会社の直営支払い窓口がどんどん閉鎖されていく昨今、ようやくそう思うようになってきた。

 東中野の古本屋で手塚治虫「ビッグX」(秋田書店版)全4巻、尾形功「鴎外の歴史小説」(岩波現代文庫)を買う。「ビッグX」を買ったのは、昨夜会社の同僚であるHさんと飲んだ折にこの漫画の話になって、手塚治虫は実はナチス・ドイツにただならぬ思い入れがあるのではなかろうか、という話題が出たため、原典にあたって確かめたくなったのである。
 「鴎外の歴史小説」を買ったのは、以前「青年」の項で書いたように鴎外の歴史小説への転向は近代的動機によるものではなかろうかという私的な関心事によるものだ。

 近くのドトールで、新潮文庫におさめられている「阿部一族」を読了し、続けて「堺事件」を読む。
 「阿部一族」は、熊本藩細川氏の主従におこった殉死の顛末と、それに派生しておきた阿部弥一右衛門通信の一門による反逆事件を描いた短編だ。江戸時代の武家社会の主従間にある、義と情がない交ぜになった非人間的な制度である「殉死」のあり方と、それに対して一個の人間として生きようとした阿部弥一右衛門の末路、さらにその係累にまで及んだ悲劇が端正な文体でしっかりと書かれている。
 「市街戦の惨状が野戦より甚だしいと同じ道理で、皿に盛られた百虫の相啖らうも譬えつべく、目も当てられぬ有様である。」という一文に至る後半の血みどろ激戦ぶりには目を見張った。無駄な部分の一切無い文章ながら、意外と激しい小説なのである。
 「堺事件」もまたハラキリがストーリーの重要な契機になっている小説なのだが、こちらは戊辰戦争以後、登場人物ももともと侍ではなく一般人から取り立てられた兵卒であるため、おなじ切腹を材にとっていても息詰まる部分があまりない。面白いには面白いのだが、「阿部一族」ほどには感銘を受けなかった。

 新潮文庫版の最後に付せられている山崎正和の「森鴎外 人と作品-不覚と社交」は鴎外論とみせて実は筆者の日本近代文学論になっており、これも非常に興味深かった。西洋的な、練磨の場たるサロン的社交生活を得られず、前近代的な党派主義や師弟関係に終始した近代日本の「文化人」なるものを指して述べる以下の一文、非常に面白い!

 古い家族や地縁の繋がりから解放され、自我の自由を獲得したはずの青年たちは、じつはその自我が観念の産物にすぎず、実態的な感触に欠けることを漠然と感じていた。自己の内面を覗いても、そこにうごめく世俗的な野望を除けば、趣味や行動の基準となる確実なものがないことは、正直な眼には明らかであった。(中略)最大の皮肉は、こうして自我の身許証明に不安を覚えた彼らが、その新たな拠り所として、一見、近代的にみえて、じつはきわめて古い社会集団に頼ったことであった。

 こうした日本的社会に一線を画したという鴎外の本願は、「青年」に小泉純一とその友人大村との交流に結晶しているように思える。

「続・座頭市物語」「神様がくれた赤ん坊」at衛星劇場

 2日連続で休めるのは幾日ぶりだろうか。一日中寝ていたいところだが、実家からの小包をうけとるためには起きておかなければ。9時すぎに起き、クロネコヤマトのWEBページで再配達手続きをする。まったくネット社会とは便利なものだ。

 10時から衛星劇場で森一生監督「続・座頭市物語」を見る。実は勝新座頭市を見るのはこの作品が初めてだ。
 冒頭、乗り合いの渡し舟でのヤクザ者との渡り合いから、本陣宿で気のふれた殿様に按摩をほどこしたことによる御家来衆の襲撃、若山富三郎扮する浪人者とのただならぬ関係など、間断なく面白い。市川雷蔵の「眠狂四郎」シリーズなどともあわせ、大映時代劇の娯楽としての信頼性の高さを再認識する。北野武が「座頭市」をリメイクした時に、パンフレットの中で大映時代劇がなつかしまれていた(佐藤忠男氏の文ではなかったかと思うが)のもむべなるかな、だ。
 ラストシーンの市のセリフ「死ね・・死ね・・てめえも死ね」という呪詛の言葉は印象深い。

 さらに続けて前田陽一監督「神様のくれた赤ん坊」も見る。芸能プロに雇われて、プロレス試合で野次を入れる「怒鳴り屋」稼業をしながらマンガを書いているという、どうしようもなくチープな境遇の渡瀬恒彦と、長くチョイ役の女優として働き、ようやくセリフのある役を与えられた桃井かおりという、青春の哀愁ただよう2人の同棲生活に、渡瀬がバーのホステスとつくった子供だという男の子を連れて樹木希林が尋ねてくる。(この樹木希林はめちゃくちゃ面白く、どこかしら、「しとやかな獣」で何の脈絡もなく訪れる嵐の如きミヤコ蝶々を思い出させる)
 渡瀬は自分も含めてホステスに子種を残した可能性のある4人の男たちを訪ね、あわよくば子供を押し付け、果たせずとも養育費だけは巻き上げようと、「集金旅行」よろしく桃井をつれて尾道から九州を旅する。思わず桃井にとって自らのルーツを辿る旅になったりと、ストーリーの練り上げが実に巧みで、これも非常に面白かった。脚本は前田陽一/南部英夫/荒井晴彦。ほかに吉幾三、小松政夫、嵐寛寿郎や泉谷しげるといったユニークな共演陣のバイプレーヤぶりも楽しい。
 そういえば従姉の旦那さんである脚本家から前田陽一の遺稿集をもらったことがあったが、そのときは前田陽一の監督作品を一本も見ていなかったこともあり、ろくに読んでいなかった。これで晴れてページを繰ることができるというものである。

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