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8月 07, 2004

祖母の死、こどもの時間の終わり

暗い話で申し訳ない。自分にしか役に立たないモノゴトを記録するカテゴリ「マイルーツ」にこの記事をカテゴライズしていることからも分かるように、これはあくまでも自分のための記録。読んでも読まなくてもお任せします。

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母方の祖母は、「おばあちゃん」と呼ばれることを嫌い、「かあたん」と自分のことを呼ばせていた。
学生アパートを経営し、いまどき家賃も振り込みではなく、アパートに隣接している自宅に現金で持ってきてもらっていた。
学生が家賃を持ってくると、歓待し、かならず一杯の珈琲を出してもてなし、音楽好きの学生であれば自宅のステレオで曲を聴かせていたという。
毎年クリスマスになると、アパートの学生を呼んでのクリスマスパーティなんていうものまでやっていた。

音楽好きの学生が置いていったレコードやCDがライブラリには残っていて、その中にはビートルズやサザン、陽水はもちろん、プログレ・バカが置いていったと思われるピンク・フロイドだとか、「クリムゾン・キングの宮殿」なんてものもあった。(こいつのジャケは幼少の私のトラウマの一つである)
高校のころの私のSF好きを決定づけたのは、おたくな学生が置いていった溢れんばかりのハインラインやディック、マキャフリィなどの小説群によるところが多いんだけど、これはまた別の話。

私は初孫だったこともあって、実に惜しみない愛情を注がれていた。コトあるごとに私のことを「素晴らしい人なんだから、がんばってね」と褒め上げてくれたのだけど、
私はそういう愛情を、反面鬱陶しく感じていた。

小・中学校のころにそれは顕著にあらわれた。
クラスの中の「いじめられっ子」として箱庭的社会のピラミッド最底辺にいた自分には、自然と自己を卑下する習慣がついていたこともあり、そうした言葉は分不相応なことに感じられた。
なぜ愛情を注がれねばならないのか、自分が愛されることの必然性、その意味に当惑していたといっていいだろう。
そのことがどんなに意味深いことか、思いつきもせずに・・・。

「かあたん」は、祖母であり母であることによって、孫に対しては無条件の愛情を注いでいた。それは言わば盲目の愛でもあるのだけど、私にとってはそれが自分をきちんと評価してもらえていないと感じられる不満につながり、鬱陶しさの感情に結びついていたのだと思う。

 なんという愚かさだろうか・・・。

4年前に祖母は脳の大動脈瘤が3つできるという致命的な疾患をわずらい、新潟の腕っこきの脳病院で一命をとりとめたのだが、もう一度これが来たらそのときは・・・ということは聞いていた。
しかしそのような大病を患ったひとには似つかわしくなく、常に学生に接しているせいかもしれないけれど、いつも若作りで、とても78歳には思えない元気ぶりだった。
一年前には私と母と3人で、イタリア旅行に出かけたりもした。
亡くなった土曜日の昼間にも電話で話して、今年のお盆はおじさんが教授になれたお祝いだから、帰っていらっしゃいねと話したばかりだった。ほんとうに、死の予感など微塵もさせてはいなかった。

自分の矜持もあってずっとひとり暮らしだった祖母は、
その夜、自宅のトイレで生涯を閉じた。

 折からの暑さのせいだろうか、くも膜下出血が死因だった。

ウイークデイは私の母が毎日通い、休日には母の妹さん(私にとってはおばさん)が近場の温泉に連れて行ったりしたのだけど、翌日の日曜はたまたま誰も家に行かず、月曜の朝になって、母が、もう固くなった祖母を発見したのだった。
その時の辛さは筆舌に尽くしがたかっただろうと思う。
私も仕事中に知らせを受けて、泣きながらそのことを告げる妹の声を聞き、信じられないような切なさに胸を裂かれた。

いつも私たち孫が家に行くと待っていて、立ち去る時には車がみえなくなるまで手を振っていた祖母。
その姿が目に焼きついているだけに、いざ祖母が私たちに何も告げずに旅立ってしまったことにも信じられないし、自分が祖母の無条件の愛情に浴しながらそれに無感覚でさえあったことに対して、己の愚かさ、自責の念を押し留めることができない。
どうして、私は祖母の愛情を全身で受け止められなかったのだろう?

この自責の念は一生背負っていくことであるだろう・・・・
と同時に、世界で最も大切なのは自分を愛してくれる人の存在であるということを私は学んだ。
庇護と愛情の視線に、それがあたかも当たり前であるかのように浴していた自分は、なんという子供だったのだろうと思う。

私の中の「こどもの時間」は祖母の死とともに終わりを告げたのだと、今私は自分に言い聞かせている。
祖母から受けたものが何だったのか、それをどうやってまだ見ぬ自分の子供や孫に伝えていくのか、その問いが私が祖母から受けた最大級の遺産だった。
それと同時に生涯初めて、本当の意味での結婚願望が生まれた。
様々な価値観があるし、そういった形ではない人生観を持っている人もいるだろう。そのことは否定しない。
しかし私は祖母の愛情を受けていた。そうして愛されたからには、私は自分の子供や孫を愛さねばならないという教えがそこにはあるはずだ・・・・と思う。

自分が孕めればいいけどそうではない以上、結婚相手にその思いをそのまま託すわけにはいかないけれども、私が結婚に求める要素はこれまでの「自分と違う価値観を持った相手との生活で、己を高めたい」という以外に、もう一つ「愛情の連鎖」をつくりたいというものが加わり、その方がより意味を持ち始めている。

ああ、何という甘い、恥ずかしい表明だろうか。
一週間前の自分だったら笑っていただろう。
笑ってもらっても構わない。それが「こどもの時間」の中にいた自分の辿ってきた道でもあるのだから、決して不自然なことではない。

でも私はもう違う。違うのだ。

葬儀のさなか、私のまぶたには、「かあたん、バイバイ」と言いながら、去ってゆく祖母に向かって手を振っている幼いころの自分の姿が浮かんでいた。
幼い頃の自分は、祖母に手を振ると同時に、それを見ている今の私自身にも手を振っていた。

私の中の子供時代は、こうした惜別の念とともに、二度と戻らない時間の中に過ぎ去っていったのだと思う。

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乱文失礼しました。こんなとりとめのない話を、最後まで読んでくださった方に感謝します。
皆様どうぞ、ご自愛ください。

040803_granma.jpg
学生アパートで最もイカス部屋、通称「山小屋」。他の部屋よりも一段賃料が安いにも関わらず、この蔦に覆われた雰囲気満点の建物の中で暮らすことができる。

040803_granma01.jpg
祖母の自宅の庭に植えられていた石榴の木。

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めったに形にならないものが、そっと形になっているのを見ました。 祖母の死、こどもの時間の終わり(k-tanakaの映画的箱庭) ふだんはゴチャゴチャに入り組んだ... [続きを読む]

受信: 8月 07, 2004 11:19 午後

コメント

涙してしまいました。

投稿 わだ | 8月 07, 2004 05:17 午前

めったに形にならないものが、形になっている気がして、とても心打たれました。ありがとうございます。
「かあたん」からk-tanakaさんに、しなやかにまっすぐにつながっていく何かが見えた気がしました。
うちのブログでエントリーを書いたんですが、すごくプライベートなことなんで、あまり他人があれこれいうのもよくないかなと思って、引っ込めちゃいました。TBが残っちゃいました。TBからたどると、まだ記事を見ることができますね(この仕組み、始めて知りました)。

投稿 overQ | 8月 08, 2004 11:14 午前

>WADAさん
読んでいただいてありがとうございます。
まとまりのない記事ですみませんでした(^^;)

>overQさん
TBありがとうございました。もちろんblogに書くのは、「他人があれこれいう」ということも想定してのことですし、overQさんの書いてくれたエントリは、「あれこれいう」という性質のものではなく気遣いのあるものでしたので、削除される必要はないと思いますよ。少なくとも、私は有り難く思っております。
それにしても石榴の木の写真、そんなに魅力的に映ります?(^^;)私にしてみれば小さい頃に登ったり降りたりした遊び場の1つに過ぎないのですが・・。

あの木のたたずまいが切ない思いを呼び覚ます光景に転化してしまうとは、今回本当に予想していなかったことでした。

投稿 k-tanaka | 8月 08, 2004 05:17 午後

エントリー、復活しました。ごちゃごちゃしちゃって、ごめんなさい(汗
石榴はやっぱり何度見ても、とても美しく力強いです。命の不変な部分が感じ取れるんですよね。。

次の明訓高校のエントリーもグッときます。自分の通った高校じゃないんだけど、まるで行ってたみたいな気分にw
コメントつけられた方もきっと同じような気分なのでしょうね。ヒトの心の中には、普遍的な高校が建っているのかもしれない…。

投稿 overQ | 8月 09, 2004 08:24 午前

コメントありがとうございます。
高校の話はあくまでも個人的な思い出と思ってアップしたんですが、意外とそれがノスタルジーを喚起させるのでしょうかね。
高校時代というのは、誰にとってもまばゆい思い出なのでしょうね。

投稿 k-tanaka | 8月 10, 2004 02:24 午後

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