追慕:新潟明訓高校旧校舎(2)~私が高校で最も熱かったモノ

文化クラブ室入り口から校庭を眺める。
学校で合宿し、一泊した次の朝、教師たちがここで早朝テニスを楽しんでいたことを思い出す。

逆側はこんな感じ。ここのフェンスには、明訓祭になると各クラスの出し物の垂れ幕が下げられ、特設ステージではバンド演奏とか、年がいもなく高校生コスプレをした教師たちの「高校時代」熱唱などといったイベントが行われた。

クラブ室に落っこちていた内履き。これ、私が高校生の頃と同じ色だよ。
こっから先は私の個人的高校メモリアルなんで、明訓生でもひくかも。
興味あるひとだけ続き読んでください。

所属部員以外には「おたくの集団」くらいにしか思われていなかった(であろう)文芸部。
しかしここは、ゴーリキーの小説のタイトルそのままに、「私の大学」でもあった。
人生だの芸術だの、今から思えばケツの青いネタで始終議論していたが、そうした時代のあったことの何と幸せなことだろうか。
たぶん今でもケツは青いだろうけど、あの頃の青さにくらべると信じられぬほどに黄ばんでいるように思う。(←って、下ネタですか?)

この文化クラブ室は英語部・将棋部とも共用する部屋だったが、活動してるのは文芸部だけだった。

そして文化クラブ室の壁ひとつ向こうには、クソ狭い部室スペースでがんばっていた野球部がおり、彼らは私が一年の時に甲子園に初出場、三年の時にも二度目の出場を果たし、水島新司を感動させた。
しかしその野球部の活躍は、反面「ごくつぶし」的イメージの文化部に余波となって襲いかかってきたのだった・・・

第1の敵、生徒会室。
彼らは野球部の甲子園出場翌年、軒並み文化部の予算を削減。
私が部長になった2年生の年、彼らは毎年5,000円だった文芸部への割り当て予算を、3,000円に減らしたのだった。
この、下げ幅2,000円という削減のせこさは今となっては面白すぎるが、当時はマジで頭に来、この部屋へ直談判しに来たことを思い出す。
しかしあろうことか、「甲子園に出場するなど、学校の名をあげる活躍をしている部活があるいっぽうで、あなたたちのように何をやっているのか理解できない連中は予算を削減されて当然」などと、この馬鹿どもはのたまったのであった。
学校の名をあげる活躍?高校生の資質を伸ばす自由なクラブ活動にそんな目標が必要か?っていうかおまえらは校長か!?
などと当時は怒り心頭に達したものである。
過剰な高校生だった私たちは、校門前でビラ配りをして他の生徒にこの不条理を訴えたところ、教師に何か外部勢力の指導を受けた政治運動と勘違いされたのも、今となっては笑える思い出である。

実際OBはよくこの窓から私らの部室にやって来たけど、面白いことはあってもそこに政治性はなかった。
なにしろ顧問が何も教えてくれなかったので、OBがいなければ我々は赤ん坊のままだっただろう。感謝を禁じえない。
OBの助言もあって、我々は憎き生徒会を見返すべく、実績作りに取り組んだ。
とりあえず県内で行われていた唯一の高校向け文学関連賞への応募を部員に義務化し、けっこう取りまくった。
「好きなように書くのは部誌でやりゃいいから、できるだけ賞っぽいモンを書け」的な今思うとえげつない指令を飛ばしたものだが、そうは言ってもやっぱり青いから表現したいものが先に来るわけで、むしろその賞規準に合わせるというのは自分の中に客観性を取り込む修行でもあったと今にすれば考えられる。

当時の私の作品がこの部室の中にあったら焼き捨てようと思っていたが、今ではもぬけのからだった。
蝶を食う蟇蛙という寓話的ストーリーに己のリビドーを叩きつけ、それを芥川的短編小説に昇華させたと当時自分だけ思っていた作品がどういうわけか賞をとり、授賞後の審査員との懇話の際に「蟇蛙に自分の劣情を云々・・・」などと語り、国語科の先生でもある審査員を思いっきりひかせたのも今となってはお笑い種である。(いや、マジで恥ずかしいか・・・)
そのかわり自分の写真が壁に貼ったまま「イラネ」とばかりに残されてあったので、このまま部室ごと潰されるのは不憫とばかりに取り外し
「現役諸君へ 私の写真があったのでこれはいただいていく
ルパン」
と書置きを残しておいた。
そういえば授賞常連校の文芸部同士で定例交流会をし、ネットワークを組もうという未踏の試みをブチ挙げたこともあったが、今も昔もネットワーカーとしては今イチな私、その後それが定着し新潟の文芸部界が快進撃という話は聞かない。
それでも、最初に企画した交流会に佐渡島からフェリーで女子高生たちが渡ってきたという事実は、今にして思うとスゴイ話だと思う。
虐げられた者同士の見えざる連帯感が生んだ共闘といえようか・・・・って言うとなんか政治っぽいけど。
佐渡の某高校の女部長はかわいかった。今だから言うけどちょっと惚れてました。

そんな文化クラブ室になぜかうしくんが落ちてました。
いやー自分以外の明訓生にはどうでもいい話&写真のオンパレード、恐縮です。
次のエントリでは再び校舎の写真に戻ります。
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コメント
不覚にも涙した^^;;
おばあちゃんのことにしろ母校にしろ思い出がある時代や場所だけしか愛せない気がします.
時間の経過はエスニックのスパイスだから
いい味になるんだろうなぁ...
んで,私の場合,
一水会の鈴木邦男氏が母校(高校)の大先輩と知り,
急に高校の思い出がスパイスの効いた一品に化けたという
自分勝手な調理方法を自製してしまいました(笑)
投稿: 加藤幸弘 | 8月 09, 2004 03:31 午前
加藤さんこんにちはー。
私の恥ずかしい母校ネタまで読んでくださってありがとうございます(^^;)。
それにしても、鈴木邦男さんが母校の先輩だった!というのはすごいですよねぇ。さらに、それをきっかけに交流を成立させてしまう加藤さんの行動力もすごいと思います。
投稿: k-tanaka | 8月 10, 2004 01:27 午後
初めまして。明訓高校で検索したら、偶然このサイトを見つけてしまいました。私はこの春の明訓高校卒業生で、入学時から卒業ギリギリまで文芸部の部長をしておりました(汗)。こんな所で文芸部の先輩にお目にかかれるなんて、驚きと感激で一杯です!
私が入学した時、文芸部は廃部状態で、私は部員集めからはじめ、元顧問の先生に泣き付いて何とか活動させてもらっていました。旧校舎では三年の夏まで活動しました。
っていうか、あの部室の惨状をご覧になって大層驚かれたことと思います。英語部と文芸部が明訓祭で映画を撮ったとき、どうせ取り壊すからと容赦なく血糊をぶちまけたので。ウッシーもその時使ったものです。あれ、部室に置き去りになってたんですね…。あと、異様に汚かったのは囲碁部のせいです。幾度かの攻防の末、文芸部員は掃除する事に疲れ、あきらめたのでした。
部室の整理が慌しく、引越しも部員でやらなければならなかったので、忘れ物もたくさんしました。写真すみません…(@_@;)でも部誌関係はすべて新校舎へ持っていったので、先輩の作品は無事?だと思います。
長々と失礼しました。でも私も、賞をもらって全国大会へ行けたり、仲間と文学作品について熱く語ったり、ヲタク活動したり、そんないろんな事が写真を見たら思い出されて、泣いちゃいそうです。ありがとうございました。
投稿: yasuko kobayashi | 5月 11, 2005 10:38 午後
こんにちは。
文芸部の後輩にここで出会えるというのはちょっと驚きですね。
しかも部長としてやっていらっしゃったとのこと、ほぼ廃部状況の文化部を建直す大変さについては、多少の想像はつきますので、さぞかし御苦労なさったことと思います。
本当におつかれさまでした(^^)
なんか異様に思い入れの強い教師などのバックアップだとか、嚇々たる受賞の伝統などの特殊なものがあればともかく、文化部って基本的に周囲からの助けは期待できないので、活動やってけるかどうか自体が部員のモティベーションに依存しきっちゃうところがあるんですよね。
そんな中、がんばりやさんの部長に率いられて旧校舎の最後をしめくくれて、文芸部もいい時期だったのだろうと想像します。
部誌とか日誌とか、変な伝統(笑)もちゃんと受け継がれているようで安心しました。
全国大会、すごいじゃないですか。私の時代はせいぜい県の高校文芸賞とか、市のやってる「文芸にいがた」とかぐらいでした。着実に進歩していたんですねえ。
コメントをいただけて私も嬉しかったです。ありがとうございました。
投稿: k-tanaka | 5月 13, 2005 12:36 午前
写真の数々,懐かしく拝見しました。
それにしても文芸部なんてあったの?(失礼)
知ってたら入部してたのにぃっ!(昭和55年度卒)
投稿: Hugh Marr | 2月 07, 2007 07:51 午後
Hugh Marr さん、コメントありがとうございました。
文芸部は何度も断絶と復興を繰り返しているようなので、Hugh Marrさんの頃は断絶していたのかもしれません。
でもHugh Marrさんが卒業したのは僕が5歳の頃なので、まだ発足していなかったのかもしれません(^^;)
投稿: k-tanaka | 2月 08, 2007 12:54 午前
いずれにしても芥川賞作家が二人でましたね。
三人目,k-tanakaさん、いっちゃてください。
それか、英文で書いてブッカー賞狙いってのはどぉ?
投稿: Hugh Marr | 2月 08, 2007 08:53 午前
それは相当ムリです・・・(^^;)せいぜい「文芸にいがた」狙いレベルではないでしょうか。というか最近全くフィクション的なもの書いてませんし。
投稿: k-tanaka | 2月 19, 2007 03:50 午前