March 29, 2005

「黄金の腕」(★★☆)

500円DVDでオットー・プレミンジャー監督「黄金の腕」を見た。
この映画が有名なのは作品そのものよりも、どちらかというと映画音楽作家エルマー・バーンスタインの代表作ということと、ソール・バスのタイトルバックでなのではないかと思う。
プレミンジャー監督の映画というと「ローラ殺人事件」くらいしか見たことない(と思う)のだけど、あれもかつて色男役者だったはずのダナ・アンドリュースが極端に気持ち悪かったり、ヴィンセント・プライスがものすごく香ばしいオーラを発していたりと、正直言って悪食な映画だった(^^;)。とはいうもののデヴィッド・ラクシンの映画音楽は珠玉というべきもので、なんかプレミンジャー作品は毎度そういうところで救われてんじゃねえのかと思われる。

「黄金の腕」はフランク・シナトラが主演。麻薬中毒の療養所から出所してきたカードの天才ディーラーが、ギャンブルの世界の中を巡るクスリ臭い雰囲気がイヤで、ビッグバンドのドラマーに転身しようとする(それはそれでヤクから遠いわけではない気がするが)。しかし足が悪くてシナトラの稼ぎに頼らざるを得ない妻は
「ディーラーやってよ!なんで今のままじゃいけないのよ!」と音楽家組合員証を引きちぎったりする、自分のハンデをかさにきた悪妻。
出口なしの大都会の片隅で、シナトラは徐々に身を持ち崩していく・・

深い心理ドラマのように思えるんだけど、どうもこの監督の露悪趣味なのか、キャラクターに誰一人として感情移入できないため、何とも浅薄なストーリーになってしまっているようだ。

エルマー・バーンスタインの映画音楽はやはり名作だけあってよく、また使い方も面白いので☆一つ追加。

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March 06, 2005

「セルラー」(★★★★)

初ユナイテッド・シネマ豊島園で「セルラー」見る。
<「24」シーズン1>のいくつかのストーリーの中で、誘拐されて小屋に監禁されるんだけど外にいる味方と一時連絡が通じるシーンがありますが、あの超緊迫なシチュエーションを89分に延長し、たたみかけるようなスリラー演出と中々コショウの効いたギャグで仕上げたウェルメイドな映画である。

理科教師であるキム・ベイシンガーがある朝にいきなり自宅から誘拐され、どこぞのボロ屋の天井裏に監禁されてしまう。しかもさらったのは終始ギロギロした威圧的な視線をむけてくるジェイソン・ステイサム(一言もしゃべんないこの人はかなりコワい!)。しかしベイシンガーにもガッツがあり、床に転がった、破砕された電話器を組み立てて電話をかけることに成功。ワイヤーをカチカチ接触させることでどうにか発信できるような状況のため、どんな相手にかかるか分からないというギリギリの発信。
かかった相手は・・・近場のビーチで友人とダベり、たまたま見掛けた元カノに再度言い寄ると「あんたのそのカルさがイヤなのよ、ホントに子供みたいな男なんだから」とピシャリはねつけられるチャラ男。

「私、誘拐されてるんです・・・」
「あー、ホント?そーなんだ〜」

命をかけたギリギリの一本の電話が、一番かかってほしくないタイプの相手にかかってしまうというのはツカミとしては絶妙なのだが、その後の展開も実に飽きさせない。思わぬ巻き込まれ方で事件に関わってくる警察官、ウイリアム・H・メイシーもいかにも頼り無さそうな役者であるのがいい。警察やめて女房と日帰りスパ(美容院と間違えられる)を経営するのが唯一の楽しみな警官という、緊迫したシチュエーションにはいかにも不似合いなキャラクターが絡んでくる所もこの映画の見どころの一つ。

監督は「デッドコースター」のデヴィッド・R・エリス。公式サイトの情報によるとスタントマン出身の人だそうで、ハリウッドでは最も人気のある二班監督という。またプロデューサーは「GODZZILA」をはじめとするローランド・エメリッヒとの数々の協業(凶業?)で悪名高いディーン・デヴリンだが、今回はなかなかいい映画を世に出してくれた。
本編89分という短さも実に適切である。仕事の後にガーッとスリラー映画に引っ張り回されたいって人はまもなく公開終了らしいので劇場に走っとくべし。

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「ローレライ」(★★★)

樋口真嗣監督の頑張りには申し訳ないが、けっこうフツーの映画でした。
大変に豪華なキャスト群ではあるが、妻夫木はいてもいなくてもどうでもいいような役であり、佐藤隆太にいたっては存在価値がまったく見えなかったり、使い捨てキャラの多い映画になってしまっていたような。
映画の構造としては、男船バリバリな潜水艦という空間に対して、妻夫木君と香椎なんちゃらサンのお子さまロマンスを潜水艦から切り離し可能な特種潜水艇に封印しちゃうというのは上手いかなと思う。
しかしどうにも、堤真一の海軍参謀も役所広司の艦長もギバちゃんの副長もいまひとつ役不足な感が否めない。
何といっても、いかがなものかと思うのは石黒賢の出演ですな。
お前火サスあたりに出てくる時と寸分違わぬ役回りじゃねえかと。お前が出てくるだけで大体映画中盤の展開、雰囲気的に先取りできちゃうんだよと小一時間問い詰めたいのだが、まあこれはキャスティングディレクターの責とすべきであろう。
あとは一番セリフ語りで引き付けねばならないシーンのピエール瀧がどうにも上手く喋れてないのが歯がゆかったり、色々な面で芸域の限界を見せられてしまった映画なのだった。

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「大統領の理髪師」(★★★☆)

とにかく、ソン・ガンホの絶妙極まりない視線芸で笑わせてくれる佳作。
「マルクス病」周辺のメルヘンにしたいのか政治性を取り入れたかったのかよく分からんテイストには少々閉口はしたものの、軍事政権時代の暗黒を描くにはまだ少し時間が必要、ということなのだろうか。

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February 06, 2005

「ピエロの赤い鼻」(★★★★)

ジャン・ベッケル監督は、かつてフランス映画が持っていた名作の匂いを今に伝える人なのかもしれない、と前作「クリクリのいた夏」を見た時に思ったのだけど、本作「ピエロの赤い鼻」にも同じような感じを受けた。

冒頭は、学校の先生をやっているジャック・ヴィユレ(ご冥福をお祈りします)が、教壇からのこのこと全身を現すと実はピエロのどた靴を履いてました、というギャグで生徒のウケを取るシーン。
つづくタイトルバックでヴィユレはピエロの仕事道具をカバンに詰めていくのだが、そこではズビグニェフ・プレイスネルの切々としたピアノ音楽が流れ、何か悲しい予兆を感じさせる。
カバンを持って出かけた先の町のお祭りで、慌ただしく到着したヴィユレは自転車競争の号砲を撃ち間違え、出場者たちは勢い余ってバタバタ倒れてしまったり、騒々しくまた友愛に満ちたやり取りが続く。

愛すべきキャラクターと睦まじい空気に満ちた中、父がピエロを演じるのを一人苦々しく思っている者がいた。ヴィユレの息子である。ヴィユレの親友であるアンドレ・デュソリエは、舞台の続く中で息子をそっと外に連れ出し、父親がピエロを演じはじめた訳を語りはじめる・・・。

「ライフ・イズ・ビューティフル」を彷佛とさせるような、ナチス占領下での痛々しい思い出がこの後展開し観客の涙を絞りまくるわけだが、いやらしいお涙ちょうだいの感じには全くならないのは、素晴しい俳優たちがまさしく適材適所に置かれているからだろう。
ジャック・ヴィユレの大らかで愛すべきキャラクターと、アンドレ・デュソリエ(ロメール映画「美しき結婚」で弁護士を演じていた、上品な知性を感じさせるヒト)の演じる冴えない田舎インテリ的帽子屋との凸凹コンビっぷりから、しぜんとユーモアがにじみ出てくる。
ブノワ・マジメルの険しい若者ぶりも良いし、ヴィユレの妻を演じるイザベル・カンドリエはこの作品のために持って生まれ出たような笑顔で、堂々たるヒロインぶりをみせる。シュザンヌ・フロンの演技には初顔見せ時から一気に引き込まれ、この老婦人は過去にどんな人生を経験してきたのだろう?と気になって仕方なくなる。
そして全編中もっとも切ないピエロの登場と退場・・・。

かつて父親ジャック・ベッケル監督が撮ってきた、その作品を見たこと自体が幸福そのものであるようなフイルム(「幸福の設計」などなど)を、息子のジャン・ベッケルも作り続けることにしたのかもしれない。
だとすると、この映画にみられる父と息子との関係が、より意味深く感じられてくるなあ・・・。などと一人勝手な楽しい想像をしてしまうのである。

2/5、初めての飯田橋ギンレイホールにての鑑賞。

※なお、ドイツ軍の中でも特に不粋なことをやるのは必ず帽子にドクロマークのついている親衛隊将校だという使い古された映画的法則があるが、この映画ではひさびさに定石通りのキャラが登場する。マニアの方は要チェック。

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「マイ・ボディガード」(★★★☆)

ブライアン・ヘルゲランド脚本最新作ということで必見かと思い、一緒に見てくれる方を募って新宿ピカデリーにて鑑賞。

ヘルゲランドはゴールデン・ラズベリー賞に輝く「ポストマン」(未見)という経歴を持ちながらも、「L.A.コンフィデンシャル」の脚色で名をあげた、私的にいま最も信用しているハリウッド映画ライターである。
「ブラッド・ワーク」「ミスティック・リバー」等のクリント・イーストウッドとの最近の仕事もよかったし、監督作「ロック・ユー!」もよく、最終的に演出をメル・ギブソンにブン捕られたという「ペイバック」も、前半は凄くヒリヒリした感じの意欲的な作品。
(もっとも最近新作映画情報に徹底的に疎かったため、ヘルゲランドの監督最新作である「悪霊喰」はノーチェックだったりする)
今回も印象的なシーン、セリフが百出で、特に「おれたちはプロの仕事をしただけだ」とうそぶく誘拐犯罪者たちを処断するシーンや、「人は誰でも何かの芸術家だ、あいつは言うなれば死の芸術家なのだ」といったセリフなどが印象に残る。

監督はトニー・スコット。「エネミー・オブ・アメリカ」と「スパイ・ゲーム」のスパイ映画2作品が記憶に新しいが、不明瞭な情報が錯綜する諜報モノではそれなりに見られた彼の演出も、よりエモーショナルな高まりが必要とされるであろう今作ではどうも気に障るところが多いように思えた。クリーシィが自殺を試みるシーンなどのちゃんと説明すべきシーンがギタギタにされ、後で考えてやっと判別できるようなつくりになっているのは如何なものか。
とはいうものの、ラストシーンの場面設定は素晴しかったと思う。

ところで今回思ったのだけど、ヘルゲランドは甘いもの好きの正義漢を出すクセがあるのではないか?(まあ前例としては「ブラッド・ワーク」ぐらいしか思いつかないが)

原作は冒険小説の名作と名高い、A.J.クィネルの「燃える男」。とりあえずBOOK OFFで買ってみた。

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November 28, 2004

「血と骨」(★★☆)

新宿に出、ピカデリーで崔洋一監督「血と骨」を見る。期待は大きかったが、オダギリジョーの意外な好演と鈴木京香の入魂の老けメイクにも関わらず、全然ボルテージがあがらないまま終わってしまった。時間的な制約のためだろう「化け物」と呼び称される金俊平の強烈なキャラクターを描き切れずに終わった感じがする。たけしの演じる主人公がどうも小粒であり、振るう暴力も何というかDVの枠にとどまるものである。原作を読むと金俊平というキャラクターはモンスター以外の何ものでもなく、人間性というものを超絶した何かである。映画もそれゆえにモンスター映画であることが期待されるのだけど、たけし演じる金俊平は過剰なDV野郎で、何か劇中の寺島進がもっとひどくなった奴ぐらいに見える。これは「金俊平といえど1個の人間である」という監督のメッセージなのだろうか。もしくは映画の暴力描写に不感症になっている私の眼のせいなのか。「血と骨」の金俊平は一種のネガティヴヒーローとして魅力的ではあるが、個人的には妻や娘を殴るような父親は死ねと言いたい。特に田畑智子を殴ってはいけないし、まして・・。
あと、後半でたけしと松重豊がどっかの鈍行で旅するのだけど、ネスカフェの空き瓶に入れたキムチを弁当につけて食ってるのが妙に面白かった。
全然別の話だが、原作小説には確かスト破りみたいなエピソードがあったような記憶があり原作本を探すが見当たらず。売却したような気もしていたのだが、こういう時に困るから本はなるべく売りたくないのだ。駐車場なんぞいらねえから共同書庫つきの物件でもないものか。意外と作ったら商品差別化になりそう・・・。

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November 24, 2004

「きみに読む物語」(★★★☆)

友人に誘われ、ヤマハホールでの試写会でニック・カサヴェテス監督「きみに読む物語」を見てきた。
ニック・カサヴェテスの映画は「ミルドレッド」「ジョンQ」に続いて3本目だけど、何故かいつも試写会で見てる(^^;)
「ジョンQ」のときはサスペンスのヘタさにユルい気分になりつつ、前半の家族描写の美しさには感心という感じだったが、今回の映画は純愛ものなので、センチメンタルなカサヴェテス監督の美点が十二分に発揮される素材であろうと思った。
主人公たちの出会いから、深夜の交差点に2人で寝転がって信号の変わるのを見つめるシーン、美しいアメリカ南部の黄昏れどきの湖水をボートで行くシーンなど、もろもろの美しさが印象深い。
はたして、筋のベタさはどうなんだろうと思いつつも美しい画造りにほとほと見入ってしまい、冒頭から涙なくしては見られないラストに到るまで、しみじみ楽しませてもらった。
「ベタだなー」と思いつつも感動してしまうこのノリは、クリント・イーストウッド監督の「マディソン郡の橋」に一脈通じるかも。
ライアン・ゴズリングとレイチェル・マクアダムズ(この子がまた本当に可愛い!)という主演2人の見慣れなさも、いかにもな商品的ラブストーリー臭を払拭するのに役立った。

途中で2人の中年のころの写真が出てくるんだが、これ多分監督の両親、ジョン・カサヴェテスとジーナ・ローランズの写真ではないだろうか。
きっとこの映画は、息子がふと空想したもう一つの両親の愛の軌跡でもあるのだろう。

という、とても個人的に胸にくる映画ではあったのだけど、配給であるギャガのパッケージングは「加速する純愛ブームの真打ち登場!」だの、<きみ読む現象>だのといったコピーがとことん寒い。そんな映画じゃないだろうに・・これこそ「愛」のない所業ではないかと思うのだが。

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November 08, 2004

「2046」(★★★☆)

王家衛(ウォン・カーウァイ)監督の最新作「2046」を新宿トーアで見る。
「2046」という名は劇中劇になっているSF小説の都市の名として出てくるのだけど、実はこの劇中劇は作家/新聞記者である主人公トニー・レオンの恋愛関係のメタファーであり、映画が語っている物語は1960年代後半の香港とシンガポールで展開しており、この現実世界において「2046」とはホテルの号室名である。

この号室を巡って、ホテルに常駐する新聞記者トニー・レオンの現実の恋の遍歴が語られるのが「2046」。
チャン・ツィイー、フェイ・ウォン、コン・リーら中国語映画圏最強の女優陣が、トニー・レオンの前を通っては消えていく女性たちを演じる。
この中でも最も魅力的なのはチャン・ツィイーである。彼女が蓮っ葉な風を見せながら彼女の愛する男に「この金を受け取ってくれ」と情事の料金を渡される時に見せる微妙な表情、これは彼女のような完成された美貌と無垢さを兼ね備えた女優でなくては演じ得ない葛藤だと思う。
フェイ・ウォンが10年近く前の「恋する惑星」と同じようなタイプの役どころを演じているのは正直どうかなと思ったが、彼女が好いた男に電話をかけている姿をガラス越しにトニー・レオンが見つめるシーンは、この映画を見た最大の収穫だった。
前半は正直眠いところもあったけれど、見て損のない映画だったと思う。

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November 07, 2004

「山猫・イタリア語完全復元版」(★★★★☆)

ルキノ・ヴィスコンティ監督の畢生の大作「山猫」が、同映画の撮影監督ジュゼッペ・ロトゥンノの総指揮により「イタリア語・完全復元版」として蘇った。シドニー・ポラックによる英語吹き替えの国際版(私はこのVHSソフトを持っている)は色彩に優れ、1981年に岩波ホールで公開されたというオリジナル完全版はストーリーのカット部分が復活していてドラマに富んでいると言われていたそうだけど、今回は国家的事業ともいうべき復元プロジェクトがたてられ、国際版の色彩とヴィスコンティの撮った完全なドラマを兼ね備えた決定版が生まれたという。

貴族の誇り高き「歴史からの退場」を描く本作は、冒頭の邸宅に漂うしずかな退潮の雰囲気とニーノ・ロータの感傷的な調べからはじまり、イタリアが別の権力期に移行したことを象徴する脱走兵銃殺の朝、しめやかなバート・ランカスターの歩み去りまで、陶酔の3時間を過ごさせてくれる。
どんな特種効果があるわけでも、どんな夢物語が語られているわけでもないのに、こんなふうに現実離れした気分になってしまうのは、ヴィスコンティの描く今は無き社会階級の姿がこのうえなく的確だからなのかもしれない。

けっこうギャグシーンも多くて笑えました(^^)

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October 31, 2004

「春夏秋冬そして春」(★★★★)

「悪い男」で純愛映画のひとつの極限を示したキム・キドク監督の「春夏秋冬そして春」をル・シネマで見る。

深山に水を湛える湖の真ん中に静かに浮く筏の上に、小さな庵が建っている。
この庵に僧侶二人がささやかな生活を営んでいる。ひとりは老僧、ひとりは愛くるしい小坊主。

春-山中のあふれんばかりの自然の中で遊ぶ小坊主が、小さな殺生をする。
  小坊主に呵責ない叱責(言葉では語られないところが味わい深い)を加える老僧。
夏-この庵に、病の治療のために一人の少女がやってくる。
  成長し青年となった小坊主は、仏門にありながらこの少女にどうしようもなく惹かれるのだった-。

ってな調子で春夏秋冬の短いエピソードが積み重なり、やがて感銘深い「そして春」を迎える。

「悪い男」のもう「どーなってんの!?」と言うほかない壮絶さとは違い、「春夏秋冬そして春」では仏教的輪廻の概念を自分なりの捉え方で、今度は凄絶なまでに耽美的な寓話の世界に結実させている。

「人生はめぐる季節のごとく どんな喜びも、どんな悲しみも いつかは朽ちて・・・安らぎとなる」

というこの映画のキャッチコピー、けっこう言いえて妙だと思う。
ストーリーの各所に、普通に観れば繋がらないようで、実は繋がる仕掛けがしてあり、複数で見た後に様々な解釈が飛び交う映画でもある。

キム・キドク、このような映画をも撮るとは・・・。いい意味で期待を裏切られた感じ。

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October 23, 2004

オールド・ボーイ(★★★★)

パク・チャヌク監督「オールド・ボーイ」を試写会で見る。
「韓国一のドブネズミ俳優」ことチェ・ミンシクが演じる主人公、その名もデスは、しがない酔っ払いサラリーマンだが、ある日娘へのプレゼントを道に落としたまま、都会の真ん中で消息を断つ。
理由も分からぬ状態で謎の部屋に監禁され続け、年を経ること15年。ふいに解放され、さらわれたのと同じ場所に再び戻されたデスは、「俺にこんなことをしたのは誰だ!」という吉田輝雄in石井輝男映画的な問いに突き動かされ、犯人探しの探索行に入る。
ふと入った寿司屋で生ダコを頬張りながら突如気絶した彼を、日本料理屋の女板前ミドが助け、それが機縁となって(笑)ミドはデスの孤独な探索に手を貸すようになる。
デスは監禁部屋で鍛え上げた肉体と大工のハンマーを振り上げて、襲い来る謎の勢力と戦うのであった・・・。

 という、なんだかこう書くとすっごいシュールな作品にも思えるのだけど、実はきっちり作られた娯楽映画であって、筋は何しろ"明かすと15年監禁される恐れがあります!"っていうことなんで明かせないのだが、かなり楽しめる映画であった。
 画作りも面白いが別に奇をてらっただけのものではなく、自然な演出を意識しながら出来上がってるカッコよさなので納得できるし、演技陣も、チェ・ミンシクのなんともいえない味わいのある魅力にはシビれるばかりだし(最近のジョン・トラボルタ的な位置づけでスター化するのでは?と期待させる)、ユ・ジテののっぺりした悪意をにじみ出させた敵役ぶりもハマっていて、総合評点高い。

最近の私における、もう韓国映画があればハリウッド娯楽映画イラネ論も、いよいよ現実味を帯びてきた感じだ。

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September 27, 2004

IZO(★★★☆)

ひさしぶりに渋谷で映画。シアター・イメージフォーラムで三池崇史監督「IZO」を見た。どんな状況であれ武知鎮典-三池崇史の映画は全部スクリーンで見て行きたいと思っていたので、ようやく願かなった感じ。
さて今回はこれまでのプログラムピクチャー枠突破的傑作とは違い、もうやりたいことだけやった、武知版マトリックスと化している。
串刺しの刑に処せられた岡田以蔵(IZO)の怨念が時空を越えてあらゆる所に出現し、社会を支配する仕組みに属する者どもを片端から斬って捨てる…どころか、自分を規定するすべてのもの、たとえば母親までをも一刀両断。システムが完全たるべきために必要な不完全…矛盾がIZOであると大滝秀治は話の途中で語るのだが、なんかこれ「リローデッド」で聞いたような理屈ではないか?
しかし「マトリックス」に出てくる敵はみんなヒューゴ・ウィービングとかいったエージェントに変化するんでいくらボコったところで痛みも感じないが、IZOの前に立ち現れる者たちはみんなそのままの姿でバッサリ斬られるので実に呵責ない。新撰組も斬られる、ヤクザも斬られる、対テロ特殊部隊も斬られる、股旅も斬られる、PTAも斬られる、なぜか小学校の先生だけは斬られない?(←謎)近年のタブーも犯してるが、これはまあR-15にされちゃうだろうなぁ・・・。
時空間もめちゃくちゃで、江戸の町に落っこちてきたIZOが対テロ特殊部隊に包囲されたかと思えば、現代の盛り場を御用提灯を手にした捕り方が突進してきたりするのには笑った。(もちろんどっちも斬られ死に)

IZOの敵としては最もチョロかった不良少年軍団にIZOは以下のように言う。
「おまえはなんのためにおまえなのだ?」
「てめえ、バカボンのパパかー!!
と言って打ちかかった不良は日本刀で袈裟がけにバッサリいかれちゃうわけだが、もちろんIZO自身もなんのためになんか分かっちゃいないはずだ。クソ食らえなあらゆる枠組みを叩き切る「怒り」そのものがIZOなのである。
したり顔でこんなクソ世の中を飲み下してどうする?怒れ!と凶暴な怒りをブチ上げたのが「IZO」という映画なのだろう。そういう意味では都庁前で命乞いをするスーツ姿のビジネスマンをなで斬りにするシーンが最も良かった。どうやら私もけっこうこの世の中が嫌いらしい(^^;)
ところで、ときおり美木良介がヒューゴ・ウィービングみたいな顔するんだけど、あれはやっぱり意識してるんだろうか。

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September 06, 2004

丹下左膳餘話 百萬兩の壷(★★★☆)

ユーロスペースの特集上映「山中貞雄 映画を生き抜いた天才監督」で、山中貞雄監督の「丹下左膳餘話 百萬兩の壷」を見る。こういう古典中の古典を見るのも久しぶりだ。
トヨエツ主演の「丹下左膳/百万両の壺」は言わずと知れたこれのリメーク。出来はそんなに褒められたものではないと小耳には挟むものの私は未見なのでコメントできず。

この山中版「丹下左膳」については、日本映画黄金時代の娯楽作の典型として存分に笑って楽しませてもらった。
山中貞雄の天才は、しぐさのコミカルさを極限まで押し進めたような大河内伝次郎演じる左膳の造形と、そんな左膳がまじまじと子供の顔を見つめる時の間の取り方のうまさ、などに見えるだろう。
同時期の古典的ギャグ映画としては、祝祭性で勝るマキノ雅広の「鴛鴦歌合戦」を個人的にはより好むところだけど、「丹下左膳」もおさおさ劣っているわけではない。
「鴛鴦歌合戦」にしてもそうだが、まっさかさまに国家総力戦へ滑り落ちていく寸前のような時代に、こうした傑作が作られたというのはすごいことだと思う。

あと、毎回くず屋が出てくるたびに妙に荘重な音楽が流れるのに笑わされた(^^)。

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LOVERS(★★☆)

渋谷ジョイシネマでチャン・イーモウ監督「LOVERS」を見てきた。
「3つの"愛"が仕掛けてくる」とか言われてもなー、と予告編ではまるでノレなかったのだけど、たまたま時間が合うのがこいつしかなかったし、最近中国語圏の映画を見ていない気がしたもので。
はたして、剣戟シーン以外にほとんど魅力がなく、それでも「衣裳が綺麗だなー」と思ってそこだけ眺めていたところ、エンドロールでワダエミの仕事であることがわかった。

とりあえずストーリーにとおりいっぺんの「仕掛け」はあるのだけど、たとえば価値観が転倒するような「ヒネリ」がないので、何かチャートでも見ているような気分になってくる(まあ、ハリウッド映画なんか殆どそうだけど)。唐代の反乱集団に関する具体的な背景描写もないので(まあ、それが重要な映画ではないのはわかるが)、そっちから興味を持つことも出来ない。
まあ、もっとも恋愛映画というのはこういうものかもしれん。
それでも演じる俳優に存在感があれば恋愛映画というのはそれなりに見れる。しかしながら、主役が金城武では最初からムリな注文というものだろう。
ホントーにこの人、「ただの美形」でしかないなあと思う。アンディ・ラウにそれなりに存在感があるので、ますます落ちる感じがしてしまい、まずい事態だ。この筋では金城武に傾城の美女をもぐらつかせる魅力がなければいけないはずなのだけど・・。

恋愛映画における俳優の重要性をあらためて思い知らされる一本だった。

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July 06, 2004

ブラザーフッド(★★★☆)

すっかりk-tanaka個人映画鑑賞日記と化しているこのblog。くじけず書き続けます。

歌舞伎町のアカデミー劇場でカン・ジェギュ監督「ブラザーフッド」を見る。
「イヴのすべて」などで日本でも人気を博しつつあるチャン・ドンゴンと、彼に並んで四天王といわれるウォンビンが、巻き込まれて仕方なく朝鮮戦争に従軍する韓国人兄弟に扮し、引き裂かれていく兄弟愛のはかなさを大上段の「泣かせ」で描く。
「シュリ」をアテたカン・ジェギュ監督は、十分なリサーチをもってこのテーマに挑んだそうで、戦争という極限状況が効果的に「泣かせ」に使われており、監督の思惑通りにとにかく泣かされてしまった。
と、いうのなら涙とともにこの映画の印象は流れ去ってしまったかもしれないのだが、この映画で忘れられないのは、朝鮮戦争の戦火の中で起きた、信じがたいほど理不尽な事態の数々だ。

チャン・ドンゴンとウォンビンは年老いた母親と妻を連れ、38度線を超えて攻め込んでくる北朝鮮軍から逃れるためにソウルからテグまで落ちのびるが、テグの駅前で憲兵につかまり、召集令状の一枚もなく徴兵されて最前線へ送り込まれてしまう。抵抗むなしく列車に押し込まれ、憲兵に袋叩きにされながら母と生き別れていく兄弟。
攻勢に転じた韓国軍から逃れる北朝鮮軍は、行きがけの駄賃に通った村の村民を虐殺し、韓国軍はその報復として北側の捕虜を虐殺。しかしその中には実は北側によって強制徴兵された南の一般人も含まれていたり・・。
ソウルでは、北側の占領時に民衆が赤化している事を恐怖した政府と民兵の手によって、赤化民衆狩りが行われ、たいした根拠もなく人々が竹槍で突かれ、穴に投げ込まれていく。

こんな理不尽な悲劇があっていいのか?とパンフレットを買って読んでみると、いずれも史実に基づいているというのだ。
つくづく愕然とする。同じ民族が殺しあう業の深さとは、ここまでのものか・・・と、フィクションから導かれた事実の重さに頭を垂れさせられる映画であった。

戦争なかば、「ワーッ」とか言いながら怒涛のように押し寄せてくる中国人民解放軍を描く唐突なカットがあるのだが、さすがにここは「ナンパオの力」を想起して爆笑してしまった。
まー「人海戦術」ってくらいだからホントにこんなだったのかも知れませんが。チャルメラとか鳴らしてくれるともっと笑ってたかも。

by k-tanaka

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July 03, 2004

トロイ(★★★)

ギリシア式の短槍格闘シーンは面白いんですが・・。
それなりのシナリオにそれなりに収まっちゃってる感じが、もどかしい映画。
キャラクターも、とりあえずコイツらに感情移入するのは難しいな、ってくらい身勝手きわまる。ユニークといえばユニークかもしれない。

by k-tanaka

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June 09, 2004

下妻物語(★★★☆)

渋谷シネクイントで中島哲也監督「下妻物語」を見る。

冒頭から超ハイテンションなタイトルロールの後、いきなり主人公がキャベツを積んだ軽トラとハデに事故ったりして、一気に引き込まれる。
ひとつびとつの演出はすべてがマンガチックで過剰(たとえば、明白にマンガそのものである超ロングでの飛び蹴りだ)なのだが、過剰に凡庸であると言う他ないような「キャシャーン」なぞとは違って、落しどころが適切になるよう配慮されているので、安心して笑うことができる。阿部サダヲや荒川良々など、出演陣も今が旬なあたりをおさえていて、商品としてよくできています。

筋はとてもオーソドックスな青春映画。すなわち、小さいころからのスタイルを固定しきった主人公(それはがちがちのロリータファッションへの結実として映像的に表現される)が、いかに周囲との関係性を構築していくかのドラマである。
そうした背骨部分が押し付けがましくなく、連発されるハイテンションなギャグと交錯してさりげなく提示されるあたりのサジ加減が実に絶妙。演出のうまさに脱帽させられる。

個人的に青春映画には、そこに青春であること自体の過剰さが見えてほしいと思っているので、ギャグがあれだけ過剰なのに「メインの筋は、意外とマトモ」だったりするあたりが★4つ以上をつけるのがためらわれる由縁だが、一般的にはそんなこと全く問題にはならないだろう。

深田恭子は意外と好演。

by k-tanaka

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May 31, 2004

スクール・オブ・ロック(★★★)

新宿武蔵野館でリチャード・リンクレイター監督「スクール・オブ・ロック」を見る。昨日行った時は立ち見も満員で入場すらできなかったが、休日最終回の今度もやっぱり立ち見。しかし映画を立ち見で見るのはむしろライヴ感があっていいものであって、さらにこういう映画ですからライブハウス感覚でよりノリノリで見れる、むしろ歓迎すべき状況というもの。
映画はジャック・ブラックのものすごい顔芸とコドモたちの素直な瞳にひっぱられて快調に進む。
音楽も、ロック素養のほとんどない私でもけっこうついていける感じなので、それなりに配慮されているのだろう。(なにしろココはロックの学校だ)私が立ち見る目の前の座席では、欧米人のファミリーが仲良く4人で座っていた。

「バンドをやっていくにはお互いに音楽のシュミを理解しあうことだ!お前ら、好きなミュージシャンの名前を言ってみろ!」
「クリスティーナ・アギレラ」
「2PAC」
「ライザ・ミネリ」
バカヤロー!ロックバンドだぞ!ロッカーの名前を挙げろ!!
と叫ぶジャック・ブラックの猪突猛進がこの映画のキモ。
言ってるコトに矛盾もいっぱいあるし身勝手で、なんだか漫画「燃えよペン」に出てくる炎尾燃みたいな奴だが、バンドコンテストを前にドラムのハネッ返り少年がダメバンド相手にカードなんかやってると、その脱線がガマンならず「アホタレ!今度やったら・・・、親に手紙を書くぞ」なんて、あくまでも自己中心的ながらちょっと可愛い教育的指導。なんとも愛らしく汗臭いデブなのである。
楽しい映画だしバンドコンテストのシーンでは結構ノらせてもらったけど、「反抗!」「反抗!」ってわりには可愛いあたりでうまくまとめているような気もしないではない。
ジャック・ブラックが「家でロックを学べ!これは宿題だ!」と生徒に自分の好きなCDを押し付けまくるシーンがあったけど、こいつは作り手の願望の結実に違いない。オタクのやりたいことというのは、対象が何であれ、映画だろうがクラシックだろうがロックだろうが同じなのである。・・ピンク・フロイドの「狂気」を押し付けるところでは場内爆笑。あれ、小学生に聞かすの!?

こういう映画を見に行く場合、絶対クラシック音楽は罵倒とか嘲笑の対象として出てくるだろうなぁと予想できるのが毎度ちょっと憂鬱なところで、「スクール・オブ・ロック」でもそれほどではないがやっぱりそういう部分はあった。まぁ、こういうのはある種しょうがない・・・実際ブルジョワ階級の勃興とともにどんどん興隆してきたのが現在のスタイルをもつクラシック音楽であると言え、実際にファン層を見渡しても鼻持ちならない権威主義野郎やお嬢のワンサと目に付く分野でもあろう、これは音楽そのものとは関係のない、一種の社会的批判でしかない・・・と思うのだけど、やっぱりちょっと憂鬱なのは憂鬱なのである。

by k-tanaka

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May 25, 2004

ル・ディヴォース/パリに恋して(★★★☆)

有楽町スバル座でしかかかってない、ジェームズ・アイヴォリー監督「ル・ディヴォース/パリに恋して」を見る。
アイヴォリー作品は初見。「眺めのいい部屋」「日の名残り」などなど、文芸派の印象があるこの監督。
しかし今回のサブタイトルたるや「パリに恋して」で、主演はケイト・ハドソンにナオミ・ワッツ。
フランス側の出演陣はメルヴィル・プポーにロマン・デュリス、レスリー・キャロンなどなど・・・。チラシの印象なんかはいかにも安っぽい感じのラブコメ仕立て。
いったいどんな映画なんだ?

筋はこうだ。
いかにもヤンキーな娘ケイト・ハドソンがシャルル・ド・ゴール空港に降り立つシーンで映画は始まる。
ハドソンがタクシー乗って、フランス人亭主と一緒に暮らす姉ナオミ・ワッツに会いに行くや、姉の亭主メルヴィル・プポーは家出するわ、姉亭主のスケコマシ叔父は強烈アプローチしてくるわ、家宝の絵画は財産分与でプポー側フランス家族にまさに奪取されんとするという、三重ピンチに一挙遭遇!
あやうし、ボクトツ米国家族!?
そこで、米国から再びド・ゴール空港に降り立ったは、ハドソン&ワッツ姉妹の両親、それにもともと実家の屋根裏から出てきたジョルジュ・ラ・トゥール作とみられる聖ウルスラの画を、断固としてフランス人の手に渡すまいとする弟。
迎え討つべく郊外の邸宅に布陣をはるのは、親族の網を使って家のプライドを保護しようとする、プポー母親レスリー・キャロン以下のフランス人たち。

役者は、揃った。

ここに、米仏恋愛戦争の幕が切って落とされたのだ!

  ・・・って、ホントにこんな映画だったっけ?(^^;)

まあ、とにかくジョルジュ・ラ・トゥールの絵画の真贋と帰属を巡って米仏家族が対立するあたりは私的に見所のひとつであった。
(ラ・トゥールは静謐かつこの上なく印象的な明暗法が素晴らしい17世紀フランスの画家で、西洋絵画の約束事だのキリスト教美術史だのなーんにも知らなくても、ひと目作品を見れば圧倒的に感銘を受けるコトうけあい・・というたいしたヒトである)

格別すっとぼけた顔立ちのサム・ウォーターストンを筆頭とした米国家族は、昔から家族のいる場所に飾ってあったあの絵画を、別の国にやってしまうのは耐え難い、とか言っている。彼らにとってはあくまでも、家庭の重大な部品のひとつが聖ウルスラの眼差しだったのだ。
ところがフランス側の言う事もふるってて、「あれはフランスの画よ!」ってのはまだしも、「アメリカの田舎の家の屋根裏から出てきた画をルーブルに飾るなんて・・」とか言ってる。
ここで彼らの頭にあるのは大いなるフランス文化。このあたりの捉え方のコントラストがまた、恋愛観や振舞い方など、生活レベルでの米仏ギャップ描写に収まらず、何か国民性の差のスケッチにまで筆が及んでいるのを感じさせ、面白い。
キーになるジョルジュ・ラ・トゥールの絵画は重要なアイコンとしてラストシーンにまで画的に効いてくるのだが、もうひとつのオモシロ小道具が赤いケリーバッグ。これも実に面白い使われ方をする。

複雑なストーリーラインのうち、最終的に「これでいいの?」って感じに落ち着いてしまう部分もあったりするのだけど、小道具を中心にしたイメージの扱い方は実に巧みで、落し所が気持ちよい。他のアイヴォリー作品も見ていきたくなりますね。

by k-tanaka

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May 24, 2004

キル・ビルvol.2(★★★)

すんません、前半15分くらい寝ました。
いや、つまんなかったわけでは多分なく、前日の夜飲みすぎて二日酔いのまま出社し、疲労困憊の状態で「ドーン・オブ・ザ・デッド」見てアドレナリン大噴出、体力消耗しまくった状態であれば止むを得ないというものではありませんか・・・?お許しを乞う。

許しを乞うといいながら★3つかよ!と言われかねませんが・・
この映画、、タランティーノの映画カルマが爆発しており、もう香港映画にヒッチコック、石井輝男やらなんだか私にはよくわかんない文脈などからの引用がブチ込まれまくっていて、それ自体は支持するんだけど、とりあえず「そういうお話だったのね?」と感心できる映画というあたりに着地してしまうあたりが甘いとも言え、まじめにまとめてエライとも言える。
本当のところ、個人的に一番よかったのはタイトルロールとエンドロールだったりしてます(^^;)
なんでいきなりスクリーンプロセス使ってくるんだろうなあ。黄金時代ハリウッドやりたかった、って言っちゃえばそうなんだろうけど。やりたいんだからやんだよ!ってコトで良いか。(「どういう意味があるのか」ってやたら聞くのもヤボな行いではあるし)

なんかvol.3作るって話もあるが、ちょっと微妙ですね。

by k-tanaka

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May 19, 2004

ドーン・オブ・ザ・デッド(★★★★)

PTAじゃない方のポール・アンダースンが監督した「バイオハザード」は、ゾンビの描写はつまんなかったものの、赤キャミにレザーブーツで若島津のような三角飛びキックを繰り出すミラ・ジョヴォヴィッチが素晴らしく、まんざら嫌いではない映画である。
なによりもラストカットが最高だ。とんでもなく異常なことが起こったらしい街をほとんど全裸で彷徨い、主のいないパトカーからライアット・ガンを抜き出したミラがキッとこちらを睨み据えると、カメラがずんずん引いていき、車両が横転し建築物が燃え、オフィスの窓から散りばら撒かれた書類が飛び交う「死都」と化した現代都市の全貌をフレームにおさめていく。

まったく別の映画の話から始まってしまった。ザック・スナイダー監督「ドーン・オブ・ザ・デッド」は、あたかもこの「滅び」が起きたあとのパート2の如き映画である。
救急病院に勤務する看護婦サラ・ポーリーは不思議な病人が院内で増えていることも気に留めず、疲れた体を休めに郊外のスモールタウンにある自宅へ車で帰宅する。
そしてある朝、地獄の釜の蓋が開く・・

ものすごい体術を駆使して跳ね回る少女ゾンビ、猛ダッシュで走りこんできて車のボンネットに飛び乗ってくるゾンビ亭主、まるで生存している時よりも敏捷になったかのごときゾンビ・ゾンビ・ゾンビどもの群れが怒涛のように押し寄せる。あちらこちらに走り回っているのが逃げ惑う人間なのか、餌に追いすがろうとする「奴ら」なのかも判明しない状況だ。パニックを起こした人々の車が前方も見ずにトラックやガス・スタンドに突っ込んで大爆発が起こる。
止める力もないままに、街が、郡が、世界がたちまち滅んでいく。黒沢清が「回路」で見せてくれた静かな禍々しさを孕んだ終末ではなく、この映画における終末はものすごい猛スピードでグローバルに展開していくのだ。
とめどない雪崩のような滅亡・・・。滅亡の夜明けがすぎ、死の影が覆った世界を大手をふって闊歩するものは、混じり気のない"貪欲"の群れである。
この現代版「ゾンビ」は、あまりにも高速で、過剰で、あらゆる場所にズケズケと押し入ってくる。あたかも高度資本主義時代を何年も経過し、より高速に、より無反省に、より見境がなくなった人間の欲望のようではないか。

まあ、こんなこと考え込むのは見たあとのハナシ。そんな余裕は見ている間にはない。何しろゾンビがダッシュして追って来るんだ!こっちも考えるのは後にしてとりあえず走るしかないではないか(映画を見ている方だって、頭の中身が走っているのは同じなのだ)。バケモノに取り巻かれた孤島のようなショッピングモールで、どうやって生き残るか!?というなんだかかつてのB級モンスター映画「トレマーズ」を思い起こさせるような活劇スピリットも併呑しつつ、見せ場満載、地獄のサバイバル骨肉飛散バトルが展開する。
ちょっと「特攻野郎Aチーム」を想起させるシーンなんぞもあり、思わず笑ってしまった。

不思議なのは、モールに取り残され、情報から隔絶された人々が、ケーブルテレビのニュースを見るのはいいがインターネットに接続しようとしないことだ。
別にゾンビの発生に限らず(笑)、このような大規模災害に直面した時には「ネットで情報を得よう」という発案をする奴が一人くらいいてもおかしくないのだが・・・。
まあ、これも映画を見ている間は全然気付かなかった。それだけ楽しんでいたということだろう。
ただし女性(特に妊婦の方)には絶対に受け付けないだろうと思われるシーンもあるので、女の子と一緒に行くのであれば配慮が必要かと思われる・・・ってまあ大抵は一人かヤロー同士で行くのかな(^^;)

by k-tanaka

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May 11, 2004

パリの灯は遠く(★★★☆)

NHK-BS2でジョセフ・ロージー監督「パリの灯は遠く」を見る。
フランス・イタリア合作。

冒頭、全裸の中年女性が、白衣を着たセルロイド眼鏡の医師に、奇妙な形の定規で顔面を測定されるシーンで始まる。
昆虫の四肢でも測るような冷たい視線で医師が定規のふたつの突起部分を女性の鼻に押しあてたりするたびに、女性の疲れた顔面が歪む。ひどいとか残酷だとかいったアンティパシーをも呼ばない、ただただ不気味な場面だ。
医師が人種的特徴をフランス語で述べ、女性の助手がそれを書き留める。
セム族、ユダヤもしくはアラブの疑いがある・・・といった科白で、ここはヴィシー対独協力政権下のフランスであることがわかる。

眠かったしビデオもまわしていたので特にそのまま見る気はなかったのだが、この奇怪なシーンに魅了され、途中眠気と戦いながらも最後まで見てしまった。

アラン・ドロン演じる美術商ロベール・クランはフランス人だが、手元に自分の名に宛てられたユダヤ人新聞が配達されたことから、警察にユダヤ人の疑いをかけられる。
警察の尋問を受けたり、自ら調べていくうちに、本当の配達先である、同姓同名の見も知らぬ男の存在が見えてくる。
美術商ロベール・クランは警察の嫌疑を晴らすために、第二のロベール・クランの行方を追ってパリの街を探し回っていく。

郊外のシャトーに住み弦楽四重奏を聴く浮世ばなれした貴族たち、夫を戦線で亡くした借家の管理人、不気味な動線を描いて走り回る警察車両などの奇妙なものたちが、美術商ロベール・クランの前途をあるいは塞ぎ、あるいは通過していく。
探索行の中で、ロベール・クランはもう一人のロベール・クランを、何か自分にとって特別な存在であるかのように感じていく・・・。

なにか末世じみたただならぬ雰囲気のパリの街や、華麗な室内美術、ジャン=ピエール・メルヴィルのノワール映画を思わせる警察の不気味な描写など、様々な見所のある映画だ。
ラストシーンの、この世の地獄に横滑りしていく人々の顔といったら、たとえようもない。
顔で始まり、顔で終わる映画である。
怖い。

調べてみたら、1976年のカンヌでパルム・ドールを授賞している作品だった。

by k-tanaka

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May 10, 2004

永遠の語らい(★★★★)

日比谷シャンテ・シネでマノエル・デ・オリヴェイラ監督の最新作「永遠(とわ)の語らい」を見る。
御年95歳!それなのにザクザク新作を撮っているこの活発さはいったい何事だろう。
パンフをみると、1990年の「ノン、あるいは支配の虚しい栄光」以来一年一本のペースである。2001年にはミシェル・ピコリ主演の「家路」(これは私も見た)のほかにさらに一本撮っている。
働き盛りの年齢でも、こんなに撮っている監督はなかなかいないだろう。スゴイ。あるいは、オリヴェイラ監督にとっての働き盛りというのはまさしく今のことなのだろうか。

<以下、ネタバレっぽいものあり>

世界で最も美しい女優の一人であるレオノール・シルヴェイラがリスボン大学の歴史学教授に扮し、8歳の娘とともに地中海文化の名跡をたずねる船旅に出る。
客船はポルトガル、ポルトの港を出て、大航海時代の記念碑を眺めながら文明をたどる船路につく。
マルセイユでは、ギリシア人がこの港から欧州に文明を広めたことを記念する石畳を足元において母娘は語らう。
ナポリ、ポンペイ、アテネのアクロポリスの丘で、ヨーロッパの文明の淵源をたどりながら、好奇心いっぱいに母親の話を聞く8歳の女の子。
すっかり観客もこの女の子と母親の視点とともに、文明の風をたどる船旅をともにしている気分になることだろう。

船には、途中の寄港地で映画史を彩る女優たちが乗船する。
マルセイユではカトリーヌ・ドヌーヴが乗船し、ナポリではステファニア・サンドレッリ、ギリシアではイレーネ・パパス。たとえようもなく映画的に豪華なこの顔ぶれが、船長であるジョン・マルコビッチのテーブルで語り合うシーンがこの映画のひとつのクライマックス。
4人の語り合いは言語の壁を越えた交歓であり、それぞれがフランス語、イタリア語、ギリシア語、英語で思い思いに話すのだが、会話は成立する。
「知的な女性が統治する世界」をゆめみるこの会話は、アクロポリスの丘にかつて立っていたという女神像の逸話とオーヴァーラップするようだ。
また、女優というミューズの庇護のもとにある、映画という芸術そのものとも重なるだろう。

しかし、こうした文明にたいする楽天的な考えには、少しひっかかるものを感じることも確かである。
オリヴェイラはそうした楽天ぶりにたいして、非常にショッキングなラストをもって応える。

監督自身は、このラストは「無償の愛」がもたらした悲劇だったと語っているようだが・・・
単純にこの映画が映画監督の「絶望」を語っているといってしまっては、あまりにも早計にすぎるというものだろう。
ヨーロッパ文明が築きあげてきたものの上にある人々(そのなかに監督も含まれる)が、まったく違うものたちに対しアプローチすることの困難さ、これは思いとして伝わってくる。

しかしアテネの丘で母娘を丁寧に案内してくれたギリシア正教の神父が、遠い古典古代にこの丘でささげられた異教の信仰を敬慕とともに語る姿、そして彼が3本の指で十字をきるしぐさの意味を好奇心いっぱいに聞くカトリック教徒の母娘の姿勢は、オリヴェイラ監督が今後の文明に可能なものとして映画の中に種まいた「調和」の原型のひとつでもあると思われる。

深々と頭を垂れて考え込まされる映画だった。

by k-tanaka

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May 09, 2004

黄線地帯(★★★★)

チャンネルNECO新東宝「地帯(ライン)シリーズ」一挙放送三本目、石井輝男監督「黄線地帯(イエロー・ライン)」。
シリーズ唯一のカラー作品で、ギラギラした色で描かれたカスバの中でストーリーが二転三転する。石井輝男の本領発揮である。

ある男に「人の生き血をすする悪党を一人葬ってほしい」とコロシを頼まれ、それと知らずに神戸税関の役人を殺害した天知茂は、クライアントの裏切りによって警察に追われる身となり、通りすがりの踊り子三原葉子をさらって東京から神戸に逃亡する。
三原葉子の恋人である事件記者吉田輝雄は、神戸が現在、日本人売笑婦を黄色人種の性に溺れた外国汽船の船員に世話する「黄線地帯(イエロー・ライン)」組織の巣になっていることを報ずると称して取材許可をとり、三原葉子を追って神戸のカスバに潜入する・・・。

三原葉子の軽々としたキャラクターと深刻顔の天知茂とのアンバランスさが楽しいバディ・ムービーになっており、カスバの原色の混沌の中、映画はじつに魅力的に展開する。
三原葉子は神戸にむかう列車のトイレで、持っていた百円札に「連れの男は殺人犯です」と書き記すのだが、ふつうの映画観客の常識からすれば、これは重大な手がかりとなるはずだ。ところが百円札は思いもよらない行き渡り方をして見ている方をハラハラさせるものの、結局三原葉子にとっては何の役にも立たない!実に驚くべき筋はこび。とうてい常人の思いつくところではない。
吉田輝雄がカスバの中で捜査をすすめるうちに出会う外国人娼婦ムーア(スーザン・ケネディ)も意味不明である。ブロンドの白人女優なので普通に白人の娼婦でいいじゃねえかと思うのだが、なぜか顔にスミを塗って黒人に扮しており、しかも着物なぞ着ている!物凄いインパクトだ。

存分に石井輝男的映画世界を堪能できる傑作。天知茂もキャラが立っていて素晴らしい。

by k-tanaka

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CASSHERN(★)

ワーナーマイカル板橋で紀里谷和明監督「CASSHERN」を見る。

開始15分、
「この人、5分以上の映像作品撮っちゃいけない人かも・・・」

開始45分、
「いつまでうだうだやってんだ!こんな話三池崇史なら3分で終わらすぞ!

開始1時間、
「もういい、頼む、早く終わってくれ・・・」

んで劇中、誰ぞのセリフで「すべて終わりだ・・」とかいうのがあったときは、ようやくこの苦痛の時間も終わりかと思って、マジで嬉しかったです。
でもその後、映画はさらに続いた・・・ウソつき!

使用音楽のセンスも最悪で、ベートーヴェンの「月光」とかバッハの「マタイ受難曲」がとてつもなく安っぽく使われ、また、ちっとも劇伴として効果的でない使われ方でいきなり椎名林檎が流れる。
本当にこの人、ミュージックビデオの監督さんなの?
宇多田の「Travelling」はけっこう良かったと思うけど、そのイメージから「CASSHERN」の音楽センスはあまりにも遠かった。

2時間あまりの拷問にも等しい映画だったが、私は紀里谷監督に同情する。

彼は現場で常に悩みながら監督していたという。
きっと本当に困っていたのだろう。
いるべきではない場所に自分がいることを知りながら、プロジェクトは今さら後戻り不能。
ものすごい金がかかっている以上、「クソ映画撮っちゃいました」とも言えない。
彼に誠実さがあるならば、そりゃ悩まずにはいられないだろう。

監督の立場には同情するが、しかしこの作品、おそらく本年度ワースト1である。

by k-tanaka

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May 08, 2004